論説−私論・公論 - 牧内昇平さん「ゴメンネ…必死で守ろうとしたマイホームで、自ら命を絶った夫」 (10/1)

牧内昇平さん「ゴメンネ…必死で守ろうとしたマイホームで、自ら命を絶った夫」 (10/1)

2019/10/1 11:51

連載働く普通の人々に忍び寄る「過労死」という悲劇【第6回】
ゴメンネ…必死で守ろうとしたマイホームで、自ら命を絶った夫
https://gentosha-go.com/articles/-/23401
牧内 昇平2019.10.1

本記事では、朝日新聞記者・牧内昇平氏の著書、『過労死: その仕事、命より大切ですか』(ポプラ社)より一部を抜粋し、長時間労働だけでなく、パワハラ、サービス残業、営業ノルマの重圧など、働く人たちをを「過労死」へと追いつめる職場の現状を取り上げ、その予防策や解決方法を探っていきます。

働きづめも…残業手当が「ゼロ円」の理由
どれだけ長く働いても給料が増えない──。そんな悩みをもっている人は少なくない。住宅リフォームの営業マンだった後藤真司さん(仮名・当時48)は、2011年1月、埼玉県内の自宅で自ら命を絶った。「85時間分の残業代を基本給に含む」という厳しい条件のもとで、長時間労働を行っていた。

前回の続きです(関連記事『「すてきな人を見つけて再婚して下さい。ゴメンネ」…夫が自死』参照)。

問題は、こうした長時間労働がどのように報われたか、である。亡くなる8カ月前、2010年5月以降の給与明細から項目をぬきだしてみる。

基本給/職務・業績手当/成果給/残業手当/控除後振込額
5月 21万1千円/6万円/10万4千円/(空欄)/ 35万7千円
6月 21万1千円/6万円/1万6千円/(空欄)/26万6千円
7月 21万1千円/6万円/15万5千円/(空欄)/39万9千円
8月 21万1千円/6万円/14万7千円/(空欄)/39万1千円
9月 21万1千円/6万円/2万1千円/(空欄)/26万4千円
10月 22万1千円/7万5千円/1万1千円/(空欄)/27万8千円
11月 23万1千円/3万5千円 13万4千円/(空欄)/36万6千円
12月 23万1千円/3万5千円 12万9千円/(空欄)/43万7千円

「残業手当」がずっと空欄なことに、否応なく目が行く。個人の営業成績によって毎月変動する「成果給」は1万円台だったり15万円台だったりと、波が大きかった。その結果、給料から所得税や社会保険料を差し引いた「控除後振込額」、いわゆる「手取りの収入」は、40万円に届く月もあれば、20万円台なかばの月もあった。
働きづめの日々だったのに、なぜ残業手当がゼロ円なのか。
真司さんの死後、この給与明細を見た夏美さんは会社に残業代の支払いを求める裁判を起こした。そのときの訴訟資料によると、会社側の主張はこういうものだった。
「残業(時間外)手当は基準内給与に含む形式で支給してきた」
基準内給与(「基本給」に「業績手当」などを加えたもの)のうち、35〜40%が85時間分の時間外手当にあたる、という説明だった。つまり、1カ月に85時間以上残業しなければ追加の手当は支払われない、月の残業が1時間でも80時間でも給料は変わらない、ということのようだった。

〔写真〕自ら命を絶った後藤さん

時給に換算すると高校生のアルバイト並みの水準に…
この説明を聞き、夏美さんは納得がいかなかった。わたしも同じだ。

仮に会社の説明をそのまま受け入れてみる。先ほどの表には入れなかったが、入社した2009年4月から1年間の基準内給与は、21万円の「基本給」のみだった。このうち4割が時間外手当だったとすれば、本当の意味の基本給は21万円×60%=12万6千円、ということになる。所定内労働時間を160時間とすると、1時間あたりの賃金は12万6千円÷160時間=788円、という計算になる。

「これ以上安い賃金で雇ってはいけない」という最低賃金は、都道府県によって金額が異なる。千葉県は2009年が728円で、2010年は744円だった。真司さんの給料を時給に置き換えると、高校生のアルバイト並みの水準だったことが分かる。

たとえA社では新人でも、20年以上サラリーマン経験を積み、月に800万円の売り上げ目標を期待された人材に対して、これはあまりにも過酷な条件ではないだろうか。

家族の生活を背負っている身には、さぞつらかったに違いない。
いや、実際は「つらい」どころの話ではなかった。真司さんはこのころ、尻に火がつくような思いで日々を送っていた。実は、家族に内緒で借金をかかえていたのだ。
きっかけは、A社の前に勤めていた建材メーカーだ。

「リーマン・ショック」の影響で倒産したとき、この会社は社員への給与不払いを起こしていた。40万円近い月収が突然ゼロになり、困らない家庭はない。折悪しく、後藤家は子どもの受験期で、特にお金を必要としていた。かなり厳しい状況だったが、真司さんはそのことを夏美さんにも伝えず、自分一人でかかえた。クレジットカードで現金の引き出しを重ねて、急場を乗り切ろうとした。

住宅ローンや公共料金、子どもたちの教育費の支払いはすべて、真司さんが取りしきっていた。毎月10万円ほどの生活費を受け取る習慣は変わらず、夏美さんは異変にまったく気づけなかったという。A社に入ってから借金の残高はどう変わったのか。遺書にあった言葉は衝撃的だった。
〈●●●(※倒産した前の会社。筆者注)での給与未払いからはじまり、A社に入り、歩合制となり不足分は、キャッシングで家計をカバーしてきましたが、もう支払いが出来なくなりました〉

「押しつけの営業は俺にはできない…」
ようやく正社員の職をみつけたのに、借金の残高は減るどころか、ますます増えてしまったらしいのだ。A社に入ってから真司さんの金遣いが荒くなったという事実はない。成果を重視する「歩合制」のもと、生計を保つだけの給料がもらえなかったのだ。住宅ローンや子どもの教育費の支払いに追われて借金の返済が滞り、金利もかさんでいったというのが、実情のようだった。

はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る
明治期の歌人、石川啄木の短歌である。当時の真司さんはこんな心境だったのではないかと、わたしは思っている。 一生懸命働いても、成果が伴わなければ給料は増えない。借金はA社に入ってからむしろ深刻になった。もがけばもがくほど深みにはまってしまう、底なし沼の中にいるような気分だっただろう。

「今日も契約がとれなかった」
「あそこも行ったけど、ダメだったなあ」

休日に夫婦で過ごしているとき、真司さんのこんなつぶやきを夏美さんはしばしば耳にした。自宅には「営業マンのスキル」「人とスムーズに話す方法」などといった本が積まれていった。
設計者のプライドが邪魔をしている面もあったようだ。先輩社員の営業に同行し、プンプン怒って帰宅したことがあった。
「押しつけの営業は俺にはできない。本当に悪いところだけ直せばいいのに」

自宅での様子が変わったのは、亡くなる2カ月ほど前からだ。若い頃から大好きだったF1レースに全く関心を払わなくなった。シャツやズボンには必ず自分でアイロンをかけるオシャレな人だったのに、いつも同じ服を着てシワも気にしないようになった。夜中に一人でボーッと天井を眺めていることが多くなった。

そして、2011年1月13日、必死で守ろうとしたマイホームで、自ら命を絶った。
(続)


牧内 昇平
朝日新聞記者
1981年3月13日、東京都生まれ。2006年東京大学教育学部卒業。同年に朝日新聞に入社。経済部記者として電機・IT業界、財務省の担当を経て、労働問題の取材チームに加わる。主な取材分野は、過労・パワハラ・働く者のメンタルヘルス(心の健康)問題。 

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