論説−私論・公論 - 新型コロナとの戦い「公務員」を切り捨て続けてきた日本のツケ 「市民を雇わない国家」の行方 (3/13)

新型コロナとの戦い「公務員」を切り捨て続けてきた日本のツケ 「市民を雇わない国家」の行方 (3/13)

2020/3/13 10:28

新型コロナとの戦い「公務員」を切り捨て続けてきた日本のツケ 「市民を雇わない国家」の行方
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小谷 敏 大妻女子大学教授 ismedia 2020.03.13

プロフィール https://gendai.ismedia.jp/list/author/satoshikotani

二つの国難——ウイルスと脆弱な公共部門

下の二つの図をご覧いただきたい。国家と地方の公務員の人数の推移を示したグラフである。

【図1】一般職国家公務員数
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【図2】地方公共団体職員数
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国家公務員は、2001年の約81万人から、2017年の約28万5000人へと7割近くも減少している。2004年には前年比で約15万人減、2007年には約26万人減と大きく減少しているのが目を引く。前者は国立大学の「国立大学法人」化、後者は郵政民営化に伴うものである。地方公務員の数も、一貫して減少を続け、17年間で4万人もその数を減らしてきた。

バブルが崩壊した1990年代以降、公共部門の非効率性が厳しい批判にさらされてきた。そうした批判を受けて、民営化とアウトソーシング、正規雇用から非正規雇用への転換等、公共部門のスリム化という名の下、様々な「改革」が行われてきたのである。上の二つのグラフが示した、国家と地方における公務員数の顕著な減少は、「改革」の「成果」である。

しかし、近年、公務員削減に伴う弊害が露わになってきている。2019年の台風19号に際して水害に見舞われた東北地方の被災地では、ボランティア不足で復旧作業が進まず、関係者たちが「一日でも(ボランティアに)参加を」と、悲痛な叫びをあげていた。縮小された公共部門だけでは復旧作業を担いきれず、「ボランティア頼み」になっている実態を浮き彫りにする出来事であった*1。

子どもの虐待事案に対する児童相談所(児相)の不適切な対応も目立っている。父親の虐待の末に亡くなった栗原心愛ちゃんの事件が起きた千葉県柏市の児童相談所では、一人の児童福祉士が、年間約43.6人を担当していた*2。総務省の調べによれば、地方公務員の中の非常勤・臨時職員の数は、2005年の約45万5000人から、2016年の64万5000人へと、11年間で20万人近く増加している。

2020年の2月には、深夜に「家を追い出された」と児相に駆け込んで来た少女を、宿直の仕事を業務委託しているNPOの非常勤職員が、追い返すという信じがたい事例も発生している。虐待への対応においても、公務員の削減と業務の外注化が災いとなっている。

進む「非正規化」
3月7日の記者会見で安倍晋三首相は、新型コロナウイルスの感染拡大を「国難」と位置づけ、「政府の力だけではこの戦いに勝利を収めることはできない」と国民の協力を呼び掛けた。

しかし、「この戦い」の最前線を担う部隊の実情は極めてお寒いものであることを、「ブラック企業」ということばを一般に広めた今野晴貴は明らかにしている。非正規の国家公務員の比率は、2012年の19.6%から2019年には22.1%へと上昇している。

その中で非正規職員の比率が53.0%と他を圧倒してトップなのが、労働行政を司る厚生労働省である(2位は農林水産省の37%)。厚生労働省は言うまでもなく、コロナ問題への対応を担う省庁でもある。

厚労省内部には、感染症対策を担う「国立感染症研究所」があるが、ここに所属する研究者は2013年の312人から2019年には294人に減らされており、アメリカ疾病予防センター(CDC)と比較すると、人員は42分の1、予算は1077分の1でしかない*3。

新型コロナウイルスもさることながら、公共部門の脆弱さも、また一つの「国難」であると考えるのは私だけであろうか。

市民を雇わない国家
「日本は公務員のとても多い国だ」「官公庁に雇われて、「親方日の丸」でぬくぬくと暮らす役人たちの、非効率な「お役所仕事」が社会や経済の足を引っ張っている」——人々が抱いたそうした思い込みが、2000年代以降の公共部門削減の背中を押していった。

表1をご覧いただきたい。人口1000人あたりの公務員の数は、36.7人と日本が主要国の中で突出して少ない。89.5人もいるフランスの4割ほどしかいない。実は日本は公務員がとても少ない国なのである。

【表1】人口1000人あたりの公務員数
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政治学者の前田健太郎は著書『市民を雇わない国家』で、日本の公務員の数が少ない理由を明快に説明している。他の先進諸国が公務員数の抑制に走ったのは、「小さな政府」を志向する新自由(保守)主義が台頭した、1980年代になってからのことである。

これに対して日本では早くも1969年に国家公務員の総定員法が施行されている。なぜか。戦後、公務員の争議権を禁じた代償として人事院勧告に従って、民間給与を指標としながら客観的に公務員給与が決定されるようになった。経済成長に伴う公務員給与の増大は、「財政硬直化」の一因となっていた。公務員給与の伸びを抑えるためには、公務員の総数を抑制しなければならなかったのである。

1969年に公務員の定数が定められる。地方自治体もこれに倣って職員増を抑制した。このことが、日本が公務員の少ない国になった原因である。

日本の公共部門は、本来自らが担うべき業務を民間に任せることによって、少ない人数でなんとかやりくりしてきた。公務員の削減は、一面で良質な雇用が失われることを意味している。そのことを前田は強調している。公共部門は女性にとって働きやすい職場なのだから、「市民を雇わない国」であることが、日本で女性の社会進出が進まない一因である*4。

もともと少ない公務員の数を、21世紀に入ってからの一連の「改革」は、さらに大規模に減らしてしまったのである。公共部門の抱える人員と、施設設備等は、災害や疾病の発生に際して、利用可能なリソースとなりうる。「市民を雇わない国」の危機対応が脆弱なものとなることは、理の当然といえる。

中曽根「民活路線」という転換点
公共部門の削減を加速化させていったのは、1982年に誕生した中曽根康弘政権である。当時、日本国有鉄道(国鉄)は、22兆円もの赤字を抱えていた。自民党の政治家たちが、選挙区への利益誘導の一環として、採算の合わない赤字路線を多く造ったことが巨額赤字の最大の原因であった。

ところが中曽根は、巧みにその責任を当時強力だった国鉄の労組に転嫁し、国鉄の分割民営化を支持する世論を醸成していったのである。1987年に国鉄民営化に成功した中曽根政権は、日本電電公社と専売公社の民営化をも実現している。中曽根民活路線は、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャーの新保守主義的改革と軌を一にするものであった。そして中曽根民活路線の「成功」は、非効率な公共部門に対する、「民間」の優位性という認識を広く浸透させていった。

2000年代には、公共部門に対する不信感をポピュリスト的な政治家が煽り立てる流れが生じていった。2005年に時の小泉純一郎首相は、郵政民営化をシングル・イッシューにして衆議院を解散し、総選挙に打って出た。郵政民営化の是非など本来は普通の人たちにとっての関心事とはなりえない争点である。

小泉はこの選挙で、「26万郵政職員の公務員的特権の剥奪」を叫び、自民党が単独で296議席を占める地滑り的な圧勝を収めた。小泉の慧眼は、長引く不況の中で人々にもたれた、身分の安定した公務員へのジェラシーを鋭く見抜いていた。郵政民営化の是非などには関心がなくとも、郵政職員から公務員的な保障を奪い去るという提案には、多くの人が支持するという小泉の計算は見事に当たった。

大阪府知事と大阪市長を務めた橋下徹も、公務員の削減と給与の引き下げを主張し続けることで、高い人気を博していた*5。

民主党政権も同じだった
小泉政権の一連の新自由主義的な改革が押し広げた格差に対して批判が高まる中で、2009年には、自民党から民主党への歴史的な政権交代が実現している。民主党政権の鳩山首相は、「新しい公共」という理念を標榜していた。民主党政権は、「コンクリートから人」へというスローガンを打ち出し、子ども手当や高校無償化を実現していったのである。

しかし、「官から民へ」というスローガンも掲げていた民主党政権は、公共部門(もしくは官僚機構)への敵意を小泉政権と共有していた。各省庁、各部局の税金の無駄遣いを公開の場で民主党の国会議員たちがサディスティックに糾弾する「事業仕分け」は、政治的スペクタクルとして高い人気を博した。

蓮舫議員が、スーパーコンピュータの必要性を説く、ノーベル化学賞受賞者である野依良治理事長に対して放った、「2位じゃダメなんでしょうか」ということばは、流行語大将にノミネートさえされている。民主党政権は、2012年3月、2013年の国家公務員の採用を2009年に比べて56%削減することを閣議決定している(朝日新聞2012年3月6日)。

中曽根民活以降のこの国では、公共部門は多くの無駄を抱えており、それを極力削減した「小さな政府」こそが望ましいという考え方に覆われていった。北欧型の福祉国家を志向していたはずの民主党政権でさえ、その例外ではなかったのである。身分の安定した公務員に対するジェラシーに支配された人々が、公務員削減案に支持を与えていったが故に、日本は極端に「市民を雇わない国」になってしまったといえよう。

「市民を雇う国家」の方へ
新型コロナ騒動が始まって以来、「不要不急の外出」ということばをよく耳にするようになった。成熟した経済は、「不要不急」のものやサービスの消費の上に成り立っている。「不要不急」を否定してしまえば、経済は破綻してしまう。われわれが直面しているのは、まさにそうした状況である。

2000年代に入ってからのこの国は、公共部門の多くを「不要不急」のもとして切り捨ててきた。そのことが、今日の窮状を招いたのではないか。組織を円滑に機能させるためには、冗長性を、すなわちある程度の無駄やゆとりを抱え込むことが必要だ。それが大災害や新型ウイルスに至るまでの昨今の非常事態が、われわれにもたらした教訓ではなかったのか。

公務員の数を削減したために、官公庁のパフォーマンスが低下し、行政サービスが劣悪化する。そのことが人々の怒りを買い、それを受けて公務員の一層の削減が進められていく。2000年代以降のこの国は、公共部門をめぐる「負のスパイラル」と呼ぶべき状況に陥っているようにみえる。

公的部門の削減をもたらしたものは、緊縮政策である。そして、不況下での緊縮と増税に痛めつけられた人々のジェラシーが、公務員数の削減を支持する世論を生みだしてきた。「負のスパイラル」を克服するためにいま求められているのは、脱緊縮の思想に基づいた経済政策なのではないか。

新型コロナウイルスとの戦いとは、ウイルスや疾病そのものとの戦いだけにとどまらない。ウイルス禍がもたらした経済的混乱との戦いが大きな比重を占めている。製造業は、中国との貿易の途絶によって生産が成り立たない状況が生まれつつある。内外の観光客の激減やイベントの自粛によって、観光業とサービス産業は大きな打撃を受けている。

学校の休校のために、子どもを預けることのできないシングルマザーやフリーランスの人たちは、収入の道が閉ざされかねない危機に直面している。経済の混乱は国内だけではなく世界にも広がり、いまや大恐慌前夜の雰囲気さえ漂っている。

政府があらゆる手立てを尽くして経済を下支えしなければ、ウイルスとの経済面での戦いに勝つことはできないだろう。ウイルス禍を克服した後のこの国が、「市民を雇う国家」に変貌していることを、切に願うものである。

【註】
*1 「ボランティア不足深刻 『一日でも参加を』」時事ドットコム 2019年11月5日
*2 「千葉小4死事件 児相が「虐待の専門家」に慣れない理由」NEWSポストセブン 2019年2月23日
*3 今野晴貴「新型コロナ対応 厚労省の53%が非正規公務員の現実」YAHOO!ニュース 2020年2月27日
*4 前田健太郎『市民を雇わない国家 日本が公務員の少ない国へと至った道』東京大学出版会、2014年
*5 小谷敏『ジェラシーが支配する国 日本型バッシングの研究』高文研、2013年
 

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