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経団連が雇用保険を使った「氷河期世代」救済に反対する理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190919-00010008-newsweek-int&p=1
2019/9/19(木) 18:36配信 ニューズウィーク日本版

経団連が雇用保険を使った「氷河期世代」救済に反対する理由
なぜ経団連は氷河期世代の雇用対策に冷淡なのか? ponsulak/iStock.

<ロスジェネの雇用対策に冷淡で、期待もしていないと言わんばかりの政策提言は二重の意味で残念>
経団連の政策提言というのは意味不明なものが多く、9月17日に発表された最新の「Society 5.0時代の東京(デジタル革新を通じた国際競争力の強化)」というのもちっとも理解できませんでした。

東京が都市として、OSS(オープンソースソフトウェア)とかオープンプラットフォームを作れというのですが、別に東京にある会社がクラウドとかクラウド内のOSSを物理的に東京に持つ意味はないし、そもそも東京にある会社がシステム環境を統一することのメリットもないからです。

ですが、この提言と同時に発表された「雇用保険制度見直しに関する提言」というのは珍しく意味がよく分かる内容でした。要点は2つ、

(1)政府が掲げる「就職氷河期世代」対策に、使用者が負担する「雇用保険2事業」の保険料の財源を使うのは慎重であるべき。(正確な表現は「政策目標の明確化や効果の検証が必要」)

(2)失業手当などに使う雇用保険の保険料(労使折半で負担)と国庫負担をめぐり、政府が検討している時限的引き下げの延長には慎重であるべき。

というものです。まず(2)ですが、失業手当などに使う雇用保険というのは、積立金が余っているために、料率(保険料のパーセンテージ)を下げることになっています。今回の経団連の提言は「下げるのはいいけれど、2年の限定という約束なのでそれ以上延長するな」というものです。

つまり雇用保険の積立金はしっかり「蓄えておくように」と言うのです。こちらは構造改革が進む中で解雇規制が解除された場合に、財界全体として相当の人員整理が起きていく可能性があり、これに備えるには失業保険の財源をしっかりしておく必要があるからだと思います。

問題は(1)です。この「雇用保険2事業」というのは、「雇用の安定」と「能力開発事業」を目指したもので、政府が企業から徴収した保険料を財源とするものです。ですから、この資金を「氷河期世代」の職業訓練に使うというのは、極めて理にかなっているわけです。

ですが、経団連は「政策目標の明確化や効果の検証が必要」という言い方をしています。まるで「効果が疑問」と言わんばかりで、要するにほとんど反対しているようなものです。

<正社員の大失業時代に備えよ?>
経団連としては「40歳前後まで非正規労働を続けてきた人材には期待していない」あるいは「自分たちは雇うつもりがない」と言っているように聞こえます。そのぐらい冷たい表現です。

さらに言えば、経団連というのは日本のGDPを必死に改善して、日本国内の経済水準の衰退を止めるとか、日本国内の雇用を確保することよりも、日本の大企業に「本社採用された終身雇用の正社員による共同体」の利害代表であってそれ以外ではない、そう宣言しているという見方もできるでしょう。

そう考えれば(2)も全くだと言えます。雇用保険の最大の問題は、雇用の不安定な非正規労働者に対するセーフティネットとしては機能していないことです。現在の雇用保険の積立金が余っているという事実が、まさに制度の歪みを証明しています。

その点には全く言及せずに、正社員が失業する時代に備えて積立金を蓄えておこうというのは、やはり「大企業の正社員による共同体」の利害しか考えていないということを示しているからです。

それにしても、日本の生産性がここまで落ち込んでいるなかでは、大企業としては抜本的な改革を必要としているはずです。その意味で、非正規労働者として長年シビアな現場を経験してきた「氷河期世代」の中には、新卒以来正社員としてヌクヌクと勤務してきた人材には気付かないような業務改革のヒントを持っている人材も必ずいるはずです。

正社員経験のない人材は斜に構えているとか、権利意識ばかりで経営感覚がないなどとボロクソをいうのは、むしろ凡庸な経営者であり、「ロスジェネ」の視点に期待するという企業がそろそろ出てきてもいいのではないでしょうか。その意味で、経団連の提言は二重に残念とも言えます。

冷泉彰彦(在米作家・ジャーナリスト)) 

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教員増員を口にしない文科省大臣・副大臣は働き方改革を本気で考えているのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/maeyatsuyoshi/20190916-00142852/

前屋毅 | フリージャーナリスト
2019/9/16(月) 12:29

教員増員は口にしなかった萩生田・文科大臣(写真:ロイター/アフロ)

 萩生田光一文部科学大臣(文科大臣)は9月11日に就任後初の記者会見にのぞみ、教員採用試験の倍率が低下していることを質問されて、「学校現場の大変だということが、(学生には)もう学生時代からかなり先入観として持たれてしまう一面もあります」と倍率低下の理由について述べている。

 ここで「先入観」という言葉を使ったことが、「先入観などではなく現実だ」と現場の教員からは反発もでている。学生が現場の大変さを懸念しているといった意味合いにもとれなくはないが、「先入観」という言葉は現場感情を逆なでするものでしかない。大臣の認識不足を表すものと受けとられても仕方ないだろう。

 ともかく、そのあとに働き方改革にもふれ、「教員の皆さんができるだけ子どもたちと向きあって、本来の授業に大きな力を注ぐことができるように、周辺の事務作業ですとか、アンケートですとか、本当に細かいことで多くの時間を取られている一面もあります」との認識を示している。この大臣の認識は正しく、教員が子どもと向きあう時間を「余計な仕事」のために削られてしまっているのは事実である。

 それを解決するために、「これからも必要があればそういうマンパワー投入してもですね、より充実した授業ができるように、しっかり体制をつくって」と述べてもいる。ただ記者会見録では、この「マンパワー」とは「授業以外の仕事を担うスタッフ」としか読めないのだ。

 大臣のいう「マンパワー」には、どうも「教員」はふくまれていないようだ。この日の会見録のどこにも、「教員の増員」に類する言葉を見ることはできない。教員の働き方改革においては、教員の増員も大きなテーマである。にもかかわらず、萩生田大臣はスルーしているのだ。

 そして9月13日には、この日に文科副大臣に就任した亀岡偉民、上野通子両氏の記者会見が開かれている。その席で上野副大臣は、「教師の仕事は昔にくらべ、量も増え内容も煩雑になっている」としながらも、やはり「教員の増員」にはいっさい言及していない。

 それどころか上野副大臣は、「教師の質の担保と働き方改革のはざまで、現場は悲鳴を上げている」として、教職課程のカリキュラムの仕組みや4年制のの可否などの議論が必要と訴えている。働き方の問題は教員の質に原因がある、とも受け取れるような発言ではないだろうか。

 大臣にしても副大臣にしても、働き方改革は必要としながらも、そのために最も必要な「教員の増員」にはふれようとしない。焼け石に水にしかならないような細かい仕事を請け負うスタッフの投入を口にしたり、はたまた働き方改革と教員の質を混同させるような発言しかしていないのだ。本気で働き方改革に向き合う姿勢がみられない大臣と副大臣の発言に、今後の働き方改革の行方が懸念されるばかりである。


前屋毅
フリージャーナリスト
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊は『学校の面白いを歩いてみた。』(エッセンシャル出版社)、『教育現場の7大問題』(kkベストセラーズ)、『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他の著書に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『洋上の達人-海上保安庁の研究-』『日本の小さな大企業』などがある。  ■連絡取次先:03-3263-0419(インサイドライン) 

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インタビュー 小熊英二さん「もう持たない!? 社会のしくみを変えるには」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/interview_08.html

NHK News 2019/09/18

歴史社会学者として活躍する小熊英二さん(56)。膨大な資料をもとに、『<日本人>の境界』『<民主>と<愛国>』といった著作で、日本社会の意識の変遷を読み解いてきました。2019年7月に出版した本では、終身雇用や年功序列といった雇用慣行をはじめとした日本社会の構造を、雇用、教育、福祉の観点から横断的に分析し、解き明かしています。小熊さんは、「今の社会は、1970年代の仕組みのままで、もう持たなくなっている」といいます。
(聞き手:ネットワーク報道部記者 岡田真理紗 木下隆児)

“約26%”にとっては「変わらなかった時代」
――平成から、令和の時代になって半年が経ちました。平成の間は契約社員や派遣社員が増えたり、地方では、商店街がなくなってショッピングモールが出来たりといった変化がありましたが、社会が大きく変わったということでしょうか。

「どのポジションから見るかによって、全然見え方の違う30年」だったと思いますね。日本社会の約26%に当たる、大企業の正社員や官庁勤めの方から見れば、「変わらなかった時代」。ただ、それ以外の人たちにとってみれば、かなり大きな変化があった時代だと思います。

最近書いた『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』という本で、私は現代日本での生き方を「大企業型」「地元型」「残余型」の3つの類型に分けて説明しました。

「大企業型」は、毎年、賃金が年功序列で上がっていく人たち。大学を出て大企業の正社員や官僚になった人などが代表です。「地元型」は、地元にとどまっている人。地元の学校を卒業して、農業や自営業、地方公務員、建設業などで働いている人が多いです。「大企業型」は、所得は多いものの、長時間労働や通勤時間が長く、地域社会につながりが薄い人が多い。「地元型」は、所得は比較的少ないものの、地域コミュニティーを担い、持ち家や田んぼがあったり、人間関係が豊かだったりします。

ただ、平成の時代に増加してきたのが、所得も低く、人間関係も希薄という「残余型」。都市部の非正規労働者などがその象徴です。
これらの3つの類型を先行研究などをもとに2017年のデータで推計したところ、「大企業型」が約26%、「地元型」が約36%、「残余型」が約38%となりました。

このうち「大企業型」の割合は1982年から2017年までほとんど変化がなかったのです。日本社会の約26%にあたる「大企業型」の人たちの雇用形態や働き方は70年代初めに完成した「社会のしくみ」です。平成は、大枠で言えば、国際環境が大きく変わる中で、この「社会のしくみ」を無理にもたせてきた時代だったと言えると思います。

――正社員が減って非正規雇用が増えたイメージがあります。「大企業型」の人たちは減っていないのでしょうか。

正規雇用はバブル期に増加して、その増加分が2000年代前半に減ったという意味では増減していますが、大きなトレンドとしては変わっていません。一方で、非正規雇用は一貫して増えています。

就業地位別の推移

https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/still/interview_08_06.jpg


総務省『労働力調査』より作成『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)より
ではどんな人が減ったかというと自営業主や家族労働者の人が減った。82年より前はそもそも政府の統計では「非正規雇用」という枠を取ってないのですけれども、それ以前も「日雇い」とか「臨時工」とか、そういう括りはありました。あるいは雇用において「その仕事を主とする者」の「従とする者」のような位置づけはありました。ただ「主とする者」「従とする者」という表現がまさに象徴していると思うんですけど、結局、当時は臨時工や期間工をやる人というのは、農業を主としてやっていて、農業から一時的に期間工になっている人とか、家庭に所属していて一時的にパートに出ているとか、そういうイメージでとらえられていました。「そうじゃない人たち」が大量に発生したというのは比較的近年だと思います。

――「そうじゃない人たち」というのは?

職場で「正規の職員じゃない」と認識されていて、かつ、期間限定でもなければ、昼の2時間だけ来るとかじゃない。「フルタイムで長期間働いているんだけど、でも正規職員じゃない」という人が大量発生したということです。

結果的に言うと、「正社員で、賃金が右肩上がりに増えていく」グループの、2割から3割弱の人にとってみれば、「変えよう、変えようと言ったわりには大きく変わらなかった時期」と映るでしょうし、それ以外の7割ぐらいの人たちにとってみればかなり激変があった時期だと思います。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/still/interview_08_08.jpg

「社会のしくみ」とは何か
――70年代に完成した「社会のしくみ」とは、どんなものなのでしょうか。

「終身雇用」「年功序列の賃金システム」そして「新卒一括採用」などに象徴される日本の雇用慣行と、それに規定されてできていった教育や社会保障のあり方、さらには家族や地域のあり方など、日本社会の「慣習の束」を指してこう呼んでいます。

戦前の日本の社会は1つの企業の中でも階級差や身分差がはっきりある社会でした。エリートで学歴の高い、ホワイトカラーの事務系の正社員と、学歴の低い現場の作業員で、身分差別ともいえる格差がありました。それが戦後の民主化運動の中で、労働組合は「同じ企業の中の労働者はみんな平等であること」を望み、交渉の結果それが実現していきました。それまで一部のエリートだけに適用されていた、「終身雇用」や「年功序列の賃金システム」、そして「新卒一括採用」も、同じ企業の社員には全員に適用されるように拡大していったわけです。

並行して、教育のあり方や社会保障の制度、さらには先ほど述べた「大企業型」「地元型」「残余型」の類型も形をなしていきました。60年代後半から70年代のはじめに完成したその構造を「社会のしくみ」と呼んでいます。

その結果、日本は幸か不幸か「目に見えやすい階級社会」にはならなかった。大きな理由は、一つの企業の内部ではある程度の「社員の平等」が達成されたので、一つの会社の中に視野が限られている分には階級がみえにくくなったことでしょう。

とはいえ、日本社会にもある種の格差はあって、それは大企業と中小企業の格差や学歴の格差、都市と地方の格差という形で認識されてきました。一つの会社の内部が「平等」にみえるようになっても、大企業と中小企業の格差は明らかにあったし、大企業に入れるかどうかは学歴で決まると認識されていたからです。

しかし高度経済成長の結果、「全体の格差が縮んだ」という印象が、「一億総中流社会」という言葉に代表されている。もっとも実際には、終身雇用を実現できるような「大企業型」の生き方が、日本社会の三分の一以上に広がったことはおそらくありません。

それでも「一億総中流」といわれたのは、二つの理由からです。一つは高度成長期の人手不足で小企業も初任給だけは上げざるを得なかったので、賃金格差が一時的に縮んだようにみえたこと。もう一つは、まだ自営業が多くて地域社会が安定しており、そこに公共事業や産業誘致などで副業が増えたこと。これが、一つの社内だけで生きている分には「平等」のようだという生活実感とあいまって、「一億総中流」意識をつくったのでしょう。

そして、基本的にはまだこのときに生まれた社会秩序が継続していると思います。言われるほど正社員の数も減っていないし、正社員の中で、年功序列で賃金が上がっていく人たちの比率もほとんど変化がない。しかしそれは上の約3割の話で、下の約7割は変化している。自営業が減って非正規が増え、地域社会の安定が低下して、貧困が増えています。

そうして下の7割の安定性が下がっていく一方、上の約3割に入るための競争が続いている。このあり方は、もう別に平成の30年だけじゃなくて、高度成長が終わって「大企業型」の量的拡大が終わった70年代から、40年以上余り変わっていないと思います。

いわゆる日本型雇用が変わらないといわれるのは、上の3割の安定性を、下の7割から非正規雇用を調達しながら、ずっともたせてきたということです。よくもたせてきたなとも言えると思いますけどね。長期雇用が20世紀半ばに広がったのは日本だけのことではないですが、よいか悪いかは別として、ほかの先進国はもっと早く、長期雇用が崩れましたから。

――日本は人口も多いので、国内需要がある程度あって、「変わらなくてもよかったがゆえの変われなさ」も感じます。

それは大きな要因で、これほど大きな国内市場がある国は珍しい。たとえばメディアや音楽産業はそうだと思います。ほぼ日本語で、ほとんど国内市場頼りですね。

労働市場もそうです。日本の学校を出れば日本で就職できるというサイクルを今でも維持していますし、大企業も基本的には国内労働市場依存です。他のアジア諸国と違って、英語ができなくても就職できるし、留学に行っても就職のプラスにならない。グローバル化の影響は、その点では受けていません。

だから官庁と大企業を中心とした上の3割は、日本経済の体力がもつ限りは、たぶんそれを続けたいと無意識に考えていると思いますよ。日本の大学を出れば、特にある程度上位の大学を出れば、正社員に就職できて昇進できます。今の役員クラスの人々自身が、そういう構造の中で地位を得ているわけですから、変えたくはないでしょう。「英語が話せないと役員になれません」とか、「業績が上がらなかったら社長はすぐ交代です」といったシステムを導入したがるとは思えません。

「しくみ」はなぜ維持されたのか?

https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/still/interview_08_09.jpg
――この「しくみ」は、なぜずっと維持されたのでしょうか。

70年代後半から80年代は、日本は、いわば今の中国みたいな位置にありました。つまり、世界の工場です。しかも当時は東西冷戦のさなかでしたから西側陣営の工場です。冷戦が終わると、その日本の地位は失われていくことになりました。

冷戦の終わりというのは、旧ソ連圏や中国などの社会主義圏が世界市場に参入してくることでした。そして世界の製造業の中心は、日本から中国や東南アジアにシフトしていきました。日本の製造業の就業者数は92年がピークですから、冷戦が終わったということと、ほぼ重なっています。

――国際環境が変化したのに構造をもたせてこられたのはなぜでしょうか。

「大企業型」の有業者に占める比率は、政府統計でわかる1982年からほとんど変わらず27%前後です。その量的な拡大はおそらく73年の石油ショックまでで終わってしまった。そういう意味では、1970年代後半からすでに苦しい状態でした。それで、年功賃金を享受できる層を絞り込むために、大企業正社員の長時間労働、単身赴任、人事査定、人事異動、子会社出向などが増えるといったことは、70年代から起きていました。

それでも、冷戦という世界構造があった時期までは、まだ日本の製造業は伸びていました。その後、平成に入ってからでも、90年代の半ば過ぎまでは、まだGDPも伸びていました。その時期がピークだった産業も多い。新聞にしても、出版にしても、CDの売り上げにしても、90年代後半くらいがピークです。円がその時期に上がっていたため、ドルベースでみれば90年代半ばまでは高度成長で、世界における日本の存在感も増していました。

一方で、非農林自営業が減って非正規雇用が増えるトレンドは1980年代からずっと続いていました。非正規雇用が自営業セクターを人数的にうわまわったのが97年。それはちょうど日本の生産労働人口や雇用者平均賃金がピークアウトした時期でもありました。

そこからあとは1970・80年代の延長です。つまり、長時間労働、人事査定の強化、非正規雇用の活用といった方法をとりながら、大企業正社員の雇用慣行は基本的に維持してきました。ただしそれは上の2割か3割の話で、下の7割はどんどん非正規雇用に移動し、安定性を失っていったのはすでに述べたとおりです。

問題への気づきが遅れた理由
――その後、徐々に貧困や格差の拡大が問題視されるようになってきました。しかし、「しくみ」は変わらず、なかなか対応は進まなかったように思います。

貧困と格差という問題に関して、社会がどのように気づくか、という「気づき方」も、一貫して社会の上のほう、上位約26%に関係する変化がまず注目されていたからだと思います。やはりどうしても、メディアやものを論じる人たちのリアリティーというのは、「上の方のリアリティー」ですから。メディア労働者や官僚は彼ら自身が「大企業型」だし、学校の同級生もほとんど「大企業型」でしょうから、日本全国みんな「大企業型」だと思いやすいのでしょう。

たとえば、90年代の終わりに注目されたのは、「中高年のリストラ」という問題、そして「若い世代の就職難」という問題でした。しかしどちらも、大企業のリストラ、大企業に就職しにくい、といった問題です。極端にいえば、「新聞社の部長の問題」と「新聞社の部長の息子の問題」でした。同時期に、高卒労働市場が3分の1になってしまったことなどは、ほとんど注目されませんでした。

教育の問題に関しても、最初に火がついたのは、1999年に『分数ができない大学生』という本がベストセラーになったことです。これはトップの大学の数学力が落ちているという問題ですが、おそらく高校時点の受験コース分けが徹底して経済学部入学者などが数学を高校であまり勉強しなくなったことが原因で、全体の学力低下とは別の文脈があったでしょう。ところがそれが、教育困難校の学級崩壊と一緒に論じられたりした。また非正規雇用の増大は、自営業の減少や地方の疲弊の問題とは、別のものとして論じられてきました。

それはやはり、日本の社会というものが、異質な部分から構成されているという認識が薄かったからだと思います。1950年代ぐらいまでは、日本社会は二重構造だというのが多くの経済学者の常識で、日本は異質な部分から構成されているという意識が結構ありました。高度成長を過ぎたあたりから、日本社会は一億総中流で同質社会だという認識が広まりました。いわゆる「日本人論」のピークも70年代から80年代ですが、たいてい「大企業型」の生き方が「日本人の生き方」だとされていました。

日本のしくみだと、階級や階層の格差を自覚するのが難しい。アメリカやヨーロッパ、あるいはインドの企業だと、ホワイトカラーとブルーカラーの差は画然としていて、同じ会社の中に階層差があるのがはっきりわかります。日本だと、同じ会社の中ではそれが見えにくい。実際に統計を取ってみると、日本でも格差、たとえば企業間賃金格差や地域間格差があるのですが、一つの社内で生きているとそれが自覚できない。企業というコミュニティーを1歩出ると格差があるわけですが、同じコミュニティーの中でぐるぐる回っている限りはみんな平等にみえます。

2000年代になって非正規雇用の問題が注目されたのはそれも一因でしょう。「同じ企業」の中なのに、格差があることが目に入ってくる。統計的にどうこう以前に、目の前の人間と格差があることが明確にわかる。こういう問題は、高度成長後の日本社会では経験してこなかったのです。そのためか最近は、「上級国民」「下級国民」とかいう言葉が出てくるようになりました。そこはすこし変わったなとは思う。マクロ的には、それ以前から企業規模間格差とか、出稼ぎの臨時工とか、みえいくい格差はずっとあったのですけどね。

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2009年1月5日 「年越し派遣村」が開設された東京 日比谷公園で炊き出しに並ぶ人たち

――アメリカやヨーロッパでは、高い地位の職業につくにはそれに対応した修士号や博士号が必要になっていると指摘されています。なぜ日本では他の国のような動きが起きてこなかったのでしょうか。

ひと言で言ってしまえば、やっぱりそれ以前のシステムをもたせたからですよね。80年代以降に、特にアメリカは、大学院で学位を取った人間が高い地位に就くというシステムを作っていきました。今ではヨーロッパもそうなっていますけれども、特定の役職に就くは、その役職に対応した専門の修士号や博士号が要求される。逆に言えば、修士号、博士号をもっていれば、他企業からの人でも、勤続年数が少なくても、女性でも黒人でも構わないというシステムを作りました。

でも、日本はその方向には行かなかった。なぜ行かなかったかというとアメリカのように「職務」の範囲が決まっていませんでした。どこまでが誰の仕事かを明確に切り分けるということをやっていないので、その職務の専門学位のある人をそのポストに就けるという方法はとれませんでした。

さらに、「博士号をとらないと管理職や役員になれません」といったシステムは、日本の役員も経営者も導入したくなかったでしょう。自分より学歴の高い女性や、他企業からの転入者が入ってきて、自分の地位を追われるのは嫌だったでしょう。アメリカだと、基本的に株主の力が強くて、「経営者にはもっと優秀で経営学修士の資格がある人材を採れ」という圧力が働くわけですけれども、日本はそういう力が働きませんでした。

日本の雇用慣行は、基本的には新卒一括採用で、社内での経験に応じて、社内でしか通用しないランクで格付けされて出世していくというシステムです。どこの大学を出たかという意味での学歴は、会社に入る時点では重要だけれど、その後は「社内のがんばり」の方が重要になります。いったん同じ会社に入ってしまえば、あとはどれだけ陰日向なく働くかまで含めて、ちゃんと上司が見てくれて評価してくれる。それが日本の労働者の望みだったのだと思いますよ。

経済学者の遠藤公嗣さんが「役職位と学歴にかかわらない企業内の平等処遇が、日本の労働者が理解した戦後民主主義であった」(※1)と述べています。日本の労働者は、出身と学歴によって差別されないことを望み、実際にそういう会社を作っていったわけです。もちろんその処遇の平等性は、全社会的なものではなくて、個々の会社の内部でしか通用しないものでしたが。

(※1)出典:遠藤公嗣『日本の人事査定』1999.5

“古い日本”を支える外国人

https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/still/interview_08_04.jpg
施設利用者の世話をするインドネシア人の介護福祉士(2017年3月)

――社会の変化でいいますと、日本社会に外国にルーツを保つ人たちが増えてきたということもあります。平成のはじめごろから、日本は政策として、日系ブラジル人などを労働力として受け入れてきました。ただ、外国人への日本語教育などは国としてはほとんど仕組みを用意しておらず、社会に包摂されているとは言いがたいです。この30年間をどう見ていますか。

外国人労働者についていえば、日本社会の構造をもたせるために、「足りない部分に人を入れる」という以上のことは何もやってきませんでした。国レベルで言えば、担当する官庁すらない。強いていえば警察と入管だけです。自治体レベルでは、いろいろやらざるをえなかった、あるいは一生懸命やろうとしたところもあると思いますけども、国としてはそういうものだったと思います。

そして「足りない部分」はどこかといえば、大企業正社員ではない。日本の人がやりたくない仕事の部分です。具体的には、流通、飲食、介護です。そして都市部よりも地方の、しかも一番衰弱している産業。たとえば農林水産業、建設、繊維などです。つまり外国人労働者を、結果としては日本社会の一番衰退していて、古い部分を維持するのに使ったということです。

ジャーナリストの安田浩一さん(※2)が書いていたのですが、私はとても印象に残っている記述があった。外国人労働者が入ると日本の社会が変わってしまうとか、崩れてしまうというのはとんでもない間違いで、外国人労働者が日本のいちばん古い風景を維持しているのだというのです。

(※2)出典:安田浩一『ルポ 外国人「隷属」労働者/G2 No.17 2014年9月号』
「ビニールハウスの群れと、どこまでも続く緑の農地を視野に収めながら、私は複雑な気持ちになった。これこそ典型的な日本の風景だ。/その日本が、日本の地場産業が、低賃金で働く外国人実習生によって、ぎりぎりのところで生き永らえている。外国人によって日本の風景が守られている。」

つまり、低賃金で働く外国人を入れることで、古い部分を延命している。とくに技能実習制度については、私はあの制度は「人間補助金」とさえ言えると思っています。

――「人間補助金」?

技能実習制度では、滞在期間のたとえば3年は、受け入れ企業を基本的に変更できない。つまり待遇が悪くとも転職できないし、勤務先の企業や業界も選べません。そして政治の力で、指定した産業に、外国人実習生を割り当てています。つまり市場経済では人が集まらない産業、このままではもたない古い産業に、政治的に労働力を配分しています。そして配分先は、往々にして自民党の政治家たちが、補助金を配分してきた産業でもあります。だから、技能実習生は、極端に言えば「人間補助金」を配分しているとも言えるわけです。

――4月に入管法が改正されて「特定技能」が創設されました。今の技能実習制度がスライドしていくことを想定している制度です。これは、引き続き構造を「もたせていく」ということでしょうか。

そういうことだと私は受けとめています。あの政策を推進したのは自民党の農林部会など、いわば一番古い産業を担当している政治家たちでした。つまりいちばん保守的な政治家たちが、“移民”を導入したわけです。だから、ほとんど反対もなく通ったともいえます。「外国人が日本を壊す」政策だなんて批判しているのは一部の人たちだけでしょう。

――平成の中で外国人労働者が増えて、日本に残る人も増えて、子どもも増えてくる中で、令和の時代においてさらに増えるとしたら、それは慣れるしかないということですか。

日本側の人にとっては「慣れなくてはいけないのか」の問題かもしれませんが、入る側にとってみれば人権の問題です。実習生の全員の待遇が悪いわけでもないでしょうが、ばらつきがひどい。実質的に監理団体(※3)に任せっぱなしで、受け入れ企業の経営者の人格しだいといった状況ですから。

(※3)監理団体=技能実習生の受け入れを仲介し、実習生を受け入れた企業が計画に基づいて技能実習を実施しているかどうかを確認・指導する団体

なぜそうなるかというと、行政の手が足りないからです。労働基準監督署の人手も足りないから、個々の企業の経営者と、商工会や農業協同組合といった管理団体にまかせるしかない。私は、日本の社会は行政の人手が少なすぎると思います。人口当たりの公務員の数は、フランスの3分の1、アメリカの2分の1くらいです。

ただし、行政の「命令力」や「規定力」だけはやたらとある。けれども、基本的にはいわば「間接統治」で、行政が業界団体や監理団体に対して指示して、あとは業界団体にまかせるしかありません。直接に管理するほど手足となる人員は行政は持っていないですから。

――なぜ行政の人員が少ないのでしょうか。

日本は近代化が遅かった国だったので、先進国に比べてソーシャルキャピタル(地域のつながりや人間関係)がとても豊かでした。だから、行政は方針だけは出すけれども、地域のことは地域で、業界のことは業界でやってくださいという、そういう姿勢でやってきたからでしょう。

これまでの日本は、非常に安上がりな国家だったと思います。地域社会の力にあぐらをかいて、行政職員を増やさないでやってきた。なんでそんな安上がりな国家が築けたかと言えば、遅れて近代化したがゆえに、地域社会の関係が多かったからだと思います。自治会長か中学校の先生に聞けば、その地域のどこの家族が貧困であるか、おおかたわかる。つい最近までそういう社会でした。

ところが、それがもたなくなってきました。地域社会を支えていた自営業の人々、具体的には町内会や自治会や商店会を担ってきた人々が、高齢化するか、非正規雇用に移動している。そうなれば、地域のつながりは希薄になります。そうなると、行政が自治会や業界団体に方針を示しても、地域の末端や業界の末端まで、それが行きわたらなくなりました。私は、基本的には、他の先進国の基準程度には、公務員を増やさないとこれからもたないと思います。

――自営業が減って非正規雇用の労働者が増えるというトレンドがあると、働くにしても賃金が高い方に、ということで、東京、大都市圏に集中するのは必然的な動きになってきますか。

そう思いますね。統計的に明らかですが、90年代の半ばまでは、景気のいいときは都市部への移動が多く、景気が悪くなると地方に帰る移動が多くなっていた。しかし90年代後半以降はずっと地方から都市に一方通行で出っぱなしですから。それは当然、地域社会の関係の減少にもつながります。

――そうして疲弊した地方に、今度は外国人労働者を入れているという大きな構造があるわけですね。

外国人でもたせようとしているということです。でも、その外国人が自然とその地域へ行くならまだしも、政治的に補助金のように人間を割り当てるのは、いい政策とは私は思いません。地域コミュニティーに頼って、公務員も少なくてやっていける「安上がりの国家」というのは一時的に偶然成り立っていた現象でした。終身雇用が実現できるような「大企業型」が実際には有業者の3割程度だったのに、「一億総中流」のようにみえたのは、下の7割が地域社会で安定していたからです。それは、一時の僥倖(ぎょうこう)だった思ってくださいとしか言いようがないですよね。

これは社会保障も同じです。自民党が、家族と地域と会社で助け合うのが日本型福祉社会であるという本を出したのは1979年でした。その前提で、公的な社会保障が少なくともよいという、安上がりな国家を築いていたわけです。昔なら、農林自営業者は持ち家もあるし、畑で自分の食べ物もとれるし、地域の相互扶助もあるから、満額でも月額6万円台の国民年金でもやっていけたかもしれません。しかし彼らが非正規雇用になったら、生きていけないでしょう。

それでも90年代までは公共事業を含めていろいろな補助金をたくさん出し、地域コミュニティーをもたせてきました。利益誘導と言われようと、産業誘致で公害が出たと言われようと、それで人口を都市部に流出させなかったという効果はあったでしょう。

しかし公共事業というのは、やればやるほど、農家が農業をやめて建設の非正規労働者になってしまうということでもあった。持たせようとする努力そのものが、地域の構造を変えてきたわけです。つまり、随分かなり無理をして「もたせてきた」わけです。よく21世紀までもたせたと思いますね。それが、もうさすがにもたなくなったというのが現状でしょう。

「しくみ」は変わるのか

https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/still/interview_08_11.jpg
――これからどうなっていくと考えますか。

この「しくみ」を変えないでいった場合にどうなるかというと、3割の「大企業型」と、そのほかの7割の間の格差が、ますます開いていくことになります。下の7割は、かなり苦しい状態になると思います。具体的には地方の疲弊、都市部の非正規労働者の貧困、あるいは高齢者貧困者の増大という形で、すでに表れていると思います。基本的にはこの3つは同じ問題が異なる形で表れている現象です。

さらに、「大企業型」の3割弱も減っていくかもしれません。企業が新卒採用を絞り込んでいくとすれば、3割が2割になり、1割になり、となっていくかもしれない。そうなってくると、戦前の秩序にだんだん近づいていく。戦後の民主化と労働運動によって、ごく一部の特権だった長期雇用と年功賃金が3割まで広がったわけですから、それが縮んでいく場合は戦前回帰といえなくもないと思います。

ただし、そうならない可能性もあります。企業が新卒採用をしぼっていくと、部下のひとりもいない課長とかを設けなくてはならなくなって、企業秩序のバランスが崩れる。だからこれまでも限界だといわれながら組織の形を維持しようとしてきました。

基本のしくみは変えないままならば質が劣化していくでしょう。具体的には、年功賃金ではあるけれども上がる金額が少ないとか、長期雇用ではあるけれども長時間労働だとかです。これは1970年代以降、ずっと続いてきたトレンドでもあります。

――もうこのしくみがもたないとなったときに、私たちは何をあきらめなくてはならないのでしょうか。

最低限、「安上がりな国家」はもうもたないと思います。企業の正社員の数を増やすのはもう限界だとすれば、即効性があるのは公務員を増やすことですね。これで下の7割の正規雇用を増やすとともに、ケアワーカーなどを増やして、行政サービスが行き届くようにする。これはスウェーデンなどがとってきた戦略でもあります。そうなると、税金を上げざるを得ないでしょうが。

――「税金を上げる」「公務員を増やす」というと、抵抗がある人が多いのでは?

「公務員を増やす」と「官僚を増やす」はぜんぜん違います。私が言っているのは、現場で働くケアワーカーや福祉職員を増やすということです。2000年代に、公務員を減らせというブームが起きたとき、削減された公務員を調べると、中央のキャリア官僚ではなく、現場の公務員が減っていますから。それでも官庁は、「これだけ公務員を減らしました」と名目的な数は出せますからね。

――公務員の疲弊、たとえばケアワーカーの方も非正規雇用の方が多いですし、そのあたりもしっかり手当てしていくということですか。

そういうことです。あとは民生委員のように、地域社会の自営業者などが無給のボランティアでやっていた仕事を有給化することでしょう。そこを全部、地域社会の力に頼って、安上がりにすましてきたのが、現在ツケになって出てきているのだと思います。

――日本が「良かった」ころと比べて、今の先の見えない状況を、不安に感じている人もいると思います。

今だけが特別に苦しいとは思いません、いつの時代もみんな苦しかった。1950年代とか30年代の資料を読んでいると、別の意味で苦しんでいる。60年代や70年代の日本なんて、食べ物は添加物だらけだし、公害も多いし、暴力も多いし、街はゴミだらけだし、今みたいなセンシティブでクリーンな社会じゃない。女性は24歳までに結婚しなければ「売れ残り」扱いですよ。みんなそれが嫌だったから、そうじゃない社会に変えてきたのでしょう?

――この50年、得たものと失ったものがあって、これからも選ばなきゃいけないってことに自覚的になった方がいいということですか。

「自分が一番大切にしたいものは何か」というふうに考えたほうがいいとは思いますね。たとえば引退したご老人が、平穏で静かな生活を守りたいので近くに公園ができてジャングルジムができるのは困るというなら、それと引き換えに社会が少子化するのはそのつもりでいてください、ということです。

私は基本的には、そう単純に言えないこともあると思うけれども、結局は社会の多数派の意思が、社会のありかたを決めていると思っています。現状および未来は、「あなたがたが望んでいるように」なっている。「こんなはずではない」っていうのは、よく解きほぐしてみると「あなたがたが望んだことです」としか言いようがないことが多いです。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/interview/still/interview_08_05.jpg

――社会の「しくみ」がもたなくなったとき、何が求められていると思いますか。

「プライオリティをつけられるようになる」ということと、「変化を怖がらない」ということが大切だと思います。プライオリティをつけるとは、自分にとって何が大切か、何を捨ててもいいか決めるということです。

たとえば「専門能力を評価してもらいたい」というのと、「同じ会社に入ったら全員平等に扱ってもらいたい」というのは両立しない。「格差も作りたくないけど、税金も上げてもらいたくない」というのは無理です。「金持ちからまず税金を取れ」というのは感情としてわかる。けれども、「金持ちだけから取れ、自分からは取るな」というのでは社会は持ちません。税金は上げてもらいたくないと言うなら、格差が広がって治安が悪化しても気にしないでくださいということです。それは、薄々みんなわかっていると思いますね。

――だからこそ「変化を怖がらない」ことが大切なのでしょうか。

「一切何も変えたくない」というのは、いま持っているものは全部失いたくないということでしょう。この10数年の日本の世論は、変化を嫌がる方向に進んでいると思います。90年代の終わりから2000年代のはじめは、もうちょっと改革ムードが高かった。誤解も含めて、ヨーロッパやアメリカの働き方などが美化された時期でもありました。ただやはりそれは、2008年の金融危機で欧米の景気が悪くなる前まで。あるいは、2009年に民主党政権ができるところまでです。

最近の世論調査をみると、全体的にとても変化を嫌がっていると感じています。「憲法を変えたいですか?」と尋ねると「変えなくていい」。「政権を変えたいですか?」と尋ねると「変えなくていい」。変わってよくなりそうもないから現状維持、という意識が強そうです。とはいえそれは、このままではもたない、ひどくなりそうだ、という直感はみんな持っているからでしょう。

とはいえ、人間も社会も、変化していくものです。過去の状態で止めておくことはできません。「このままでいたい」と思うなら、本当に大切にしたいものは何か、変えてもいいものは何か、考えるべきでしょう。

【プロフィール】
小熊英二(おぐま・えいじ)
1962年東京生まれ。東京大学農学部卒。出版社勤務を経て、東京大学大学院博士課程修了。現在、慶應義塾大学総合政策学部教授。 主な著書に『単一民族神話の起源』『<民主>と<愛国>』など。膨大な資料をもとに近代日本の意識の変遷をあきらかにする研究を続けている。
 

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ユニクロ中国過酷労働・潜入調査報告書公表から半年、労働環境は改善したのか。
https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20150905-00049192/
伊藤和子 | 弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
2015/9/5(土) 19:42

1月15日、ユニクロ下請工場潜入調査記者会見・筆者の隣りはSACOMのチャン氏

■ユニクロ中国下請け工場潜入調査
2015年1月、東京を拠点とする国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ(HRN)は、香港を拠点とするNGO・Students & Scholars Against Corporate Misbehaviour(略称 SACOM)およびLabour Action China (LAC)と共同で、ユニクロの中国下請け工場での労働環境に関する調査報告書、「中国国内ユニクロ下請け工場における労働環境調査報告書」を発表した。

調査報告書及びその後東京で行われた記者会見の内容は広く報道され、衝撃を与えた。

初めて知る方もいると思うので、要約すると、私たちはユニクロ中国下請け工場のうち、2工場に潜入調査を含む調査を行い、その結果、Pacific社工場とTomwell社工場(Luenthai)の2工場において、

● 長時間残業と低賃金~ 残業時間は100時間をはるかに超え、Pacificで月平均134時間、Luenthai(Tomwell社)で月平均112時間の時間外労働が確認された。

● 高温な環境での危険な労働、あまりの高温に上半身裸のまま作業をする労働者が多く、「まるで地獄」「失神する者もいた」との訴え、

● 排水が床にあふれ、感電して死亡する者もいた(ユニクロは病死と主張)

● 有害な化学薬品が使われ、工場にはひどい異臭がするが、労働者の健康を守る対策が欠如している。マスクは支給されるが、あまりに高温で誰も着用することができない。

● 製品の出来が悪いなどの理由で罰金を科され、賃金・手当から控除される。

● 労働者の利益を代弁する労働組合がないため、苦情を言うことすらなかなかできない。

という内容で、まさに「過酷」というものであった。

こちらのヤフー個人でも、「ユニクロ: 潜入調査で明らかになった中国・下請け工場の過酷な労働環境」として、概要を記事配信させていただいたところ、一日で300万以上のPVとなり、大きな話題となった。当時読んで下さった方に心より感謝します。

あの報道から半年以上が経過した。果たして過酷労働は改善したのだろうか。

■ 改善のプロセスが透明性と対話を欠いたまま
調査報告書の発表の直後、株式会社ファーストリテイリング(以後、FR社)は、「誠に遺憾ながら、指摘された長時間労働などいくつかの問題点について事実であることが確認されました。」として、報告書で指摘された過酷な労働環境の一部につき事実を認め、状況改善のためのアクションプランを発表し、関係するNGOとのダイアログを進めると発表。

「CSRアクション」というニュースリリースを1月11日と1月15日に出して、施策の改善を打ち出した。

例えば1月15日のCSRアクションには、以下のような労働環境モニタリング強化・改善策が並べられている。

2015年1月〜

・ 生産部による工場訪問を通して、工場における記録外の残業に対するモニタリングを強化。定められた労働時間に対して適切な内容(発注量、納期)で発注が行われているかを検証

・ 工場内での事故やストライキなど労務トラブル情報がCSR部に即時共有される体制を強化

2015年2月〜

・ 現在は労働環境モニタリングの対象に含まれない素材工場に対しモニタリングを順次導入

・ 外部監査機関およびNGOなどの第三者機関と協働し以下の改善策を実施

・抜き打ち監査および工場外で行う従業員聞き取り調査の頻度を増やす

・従業員による団体交渉権行使を支援

・従業員代表者の民主的な選出、定期的な労使間交渉の実施を監査基準に含む

・工場経営者および工場従業員に対し、労働者の権利に関する研修を提供

2015年3月〜

・ NGOや他の第三者機関との連携により、工場従業員がファーストリテイリングに対し、工場の労働環境に関する問題を直接告発できるホットラインや、緊急時に工場従業員を保護する制度を順次導入

FR社による労働環境の改善措置に関するアクションプランの公表の後、ヒューマンライツ・ナウとSACOMは1月19日、3月3日の2回にわたり、FR社と対話を行った。ヒューマンライツ・ナウでは、対話の内容について市民社会にも公表したいと考え、議事録を公開し、一回目の対話の後は記者会見も開催した。

しかし議事録を見ていただけるとわかるが、話はかみ合っていない。項目が掲げられているが、事実関係、原因究明、原因究明を踏まえた効果的な改善策の策定・実施というプロセスが対外的に公表されず、透明性が低いことに問題があるのだ。

ヒューマンライツ・ナウとSACOMでは、2015年2月には、共同声明「ユニクロ製造請負工場・短期的改善を超えた抜本的解決を」を発表し、FR社に対し、国際的な労働基準に基づき、以下の施策をとるよう要請した。

1.工場に対する調査結果の公表を含め、アクションプランの進捗結果に関する情報の詳細を公表することを通じて、透明性を確保すること。

2.ユニクロのサプライヤーに対する低い発注額を是正すること

3.2015年6月までに、少なくともユニクロのサプライヤー5社において、非営利の労働者の権利擁護団体の参加を確保したうえで、民主的な工場単位の労働組合の結成の促進および、労働者のトレーニングを実施すること

4.ユニクロのサプライヤーにおける労働環境モニタリング体制を再検討し、改善すること

5.ユニクロのすべてのサプライヤーのリストを公表すること

6.建設的で誠実な対話を市民団体と進めていくこと

しかし、2015年3月3日以降、FR社はSACOM・ヒューマンライツ・ナウからの要請にも関わらず両団体との実質的な対話を実施せずに今日に至っている。「労働者のトレーニングを実施するなら、SACOMとしてもそれが適切なものか、現場に立ち会って確認し、感想や気づいた点をアドバイスしたい」とSACOMが申し出たにもかかわらず、FRはこれを認めなかった。

NGOと対話をしながら改善を進めていくという当初の姿勢はどうなったのだろうか?

特にヒューマンライツ・ナウでは、企業のリスク管理やコンプライアンス、第三者委員会等の実務を担うプロフェッショナルな弁護士たちが、対応窓口につき、建設的な交渉をしようとしてきただけに、私たちは大変残念に思っている。

■今年7月に公表した経過報告  二工場について
こうして、私たちが対話を求めても応じない代わりに、FR社は2015年6月下旬、進捗状況に関する報告を7月中に公表すると連絡してきた。その7月も押し迫った7月31日、FR社は、再び「CSRアクション」と題するリリースを発表し、私たちが調査した中国下請け工場(Pacific社工場及びTomwell社工場)おける労働環境モニタリングの強化、及び労働環境の改善のためにFR社が取った措置を報告した。

この「CSRアクション」において、FR社が、調査報告書で過酷労働を指摘された2つの下請け工場において、労働環境改善のための措置を取ったとしている。しかし、進捗状況や改善を裏付けるような詳細な情報は公開されていなかった。改善がわかるような写真なども特にないので、関係者以外には、「本当に改善したのか? 」わかるすべもない。

そこでSACOMは、CSRアクション公表後にフォローアップ調査を実施、SACOMはFR社が取ったと報告する措置が、現場では実際には実施されていないことを示唆するいくつかの情報を得た。SACOMが入手した情報は下記の通りだった。

●違法時間外労働

労働者の賃金と労働時間に関して、「CSRアクション」では、両工場は法令に従い時間外労働の賃金を支払い、毎週1日の休日を提供しているとされている。しかし2工場の基本賃金と出来高賃金は非常に低いままである。結果的に、時間外労働による給料はそれまでと同様、労働者にとって月給の重大な部分を占めており、労働者は適正な賃金を得るために時間外労働をしなればならない。

Pacific社工場とTomwell社工場の労働者によると、生活するためには毎月Pacific社工場では約80時間、Tomwell社工場では約100時間の時間外労働が必要であるという。1月の調査では、Pacific工場で月平均134時間、Tomwell社工場(Luenthai)で月平均112時間の時間外労働であったが、結局少ししか短縮・改善されておらず(特にTomwell社)、いずれにしても、法定労働時間を大幅に超えている

●労働者の健康と労働環境

現在では、Pacific社工場においては、ホコリにさらされる労働者に対し無料の健康診断が定期的に提供されている。

また、CSR Actionによると、Tomwell社工場においては、規定以上の粉塵が確認された工程で働く労働者に対して8月末までに健康診断を提供するとされている。

高温で、化学物質による健康影響が懸念される2工場の労働環境について、私たちの報告書公表後に、Pacific社工場は、窓の工事と修復を始め、通気性を改善し、工場内の気温を下げ、排水溝を増やした。また、Tomwell社工場は、気温を下げるためのエアコンを設置し、労働者に配布するマスクを防塵性のものに変更した。これらは確かに一定程度の改善ではある。

しかし、Tomwell社工場の裁断部門の労働者によると、監査が来る時だけ防塵マスクが配布されるという。これはFR社の公表と矛盾している。

何より、どのような化学物資が2工場で使われていたかはまだ明らかになっていない。私たちは1月の調査報告書で、使用されている化学物質がなんであるかを特定・公表し、それに応じた適切な健康対策を打つように勧告したが、労働者にも未だにどんな化学物質を使用しているかを明確にしていないということでは、いまだ健康影響への重大な懸念がある。

FR社の2/18付けCSRアクションには、「安全性と防護服・防護具の必要性について工場労働者への研修を導入済み」とあるが、健康リスクを十分に明らかにしたうえで労働者に対する健康被害を防ぐための措置が講じられているのでなければ、十分な措置が講じられたとは評価しえない。

●労働組合の選挙は名ばかり

2工場の労働者によると、労働組合代表の選任は形式的・名ばかりのものであった。

Tomwell社工場の労働者によると、労働者代表は労働者によって直接選挙されるのではなく、経営陣側に都合のよい人間が経営陣によって選ばれ、他の労働者が立候補できない状況で、経営陣が労働者全員に対して、その人物に投票するよう求めたという。

また、Pacific社工場の労働者によると、経営陣と労働代表との間で委員会会合が開催されたものの、労働者自身は労働代表選出の投票プロセスに関与する権利を与えられなかったという。

●FR社への要請

私たちはFR社に対し、NGOに対する労働者の訴えを重く受け止め、事実調査のために再度2工場を訪問して、改善状況を確認することを求めている。FR社は、結果を明確にわかるように公表して説明責任を果たすべきである。

私たちは特に、

1) 労働者が違法な時間外労働をしなくても適切な賃金を得られるよう、2工場の基本賃金と出来高賃金を増額させるためにあらゆる努力を尽くすこと

2) 労働者の環境改善のための施設面での改善や防護措置をとること

3) 2工場で使用されている全ての化学物質を一般市民及び労働者に対して公開し、労働者の健康のために必要な措置をとること

4) 労働者の意思に基づき、公正な選挙によって組合代表が選ばれるようにすること

を求めた(8月21日付け共同ステートメント)。

残念ながら、この要請に関するFR社からの回答は今のところない。

私たちの労働者の権利侵害や過酷労働への懸念は今も払しょくされていない。

FR社には私たちが提起した問題に目をつぶったり無視することなく、誠実に対応し、改善を進めてほしい。

■ 2工場を超えた下請け工場すべてにおける改善
過酷労働は、たまたま私たちが潜入調査した工場に限らず、発生しうるのであり、グローバル企業は、サプライチェーン全体を通じて、人権侵害・過酷労働がないように努める責務がある。

私たちは、2工場の枠を超え、すべての生産現場で労働環境を改善するための施策として、

・監査体制の改善、・施策の公表と透明性の確保、・サプライヤー・リストの公開、・低い発注額の見直し

を求めてきた。

●監査体制

このうち、下請け工場において労働環境に問題がないかをチェックする監査体制について、FR社では、これまでになかった、事前予告のない抜き打ち監査、ホットラインなどの施策を打ち出したことはある程度評価できるであろう。

ただし、これが実際実施されているかといえば、SACOMが労働者たちに聞いた情報によれば、

抜き打ちであるはずの監査があることが前日に労働者に知らされていた工場もあるといい、今後も検証していく必要がありそうである。

FR社は7月、今後の監査に関して、国際NGOであるFair Labor Association(FLA)と提携する決定をしたとアナウンスしている。このNGOは企業の委託を受けて工場の人権状況や労働環境を監査しているが、企業寄りでなく公正に、特に仮借なく問題を指摘することで知られており、監査結果も詳細にオープンにしている。

アディダス、アップル、ネスレ、アパレルではH&Mなどが、FLAの監査を受け入れ、説明責任を果たそうとしており、ヒューマンライツ・ナウで行う企業研修等の機会でも、サプライチェーンにおける人権侵害是正のために、ひとつの方策として推奨している施策である。

FR社が現実にこれを進めていくのであれば、監査結果を透明性の高い方法で公表する意思を示すものとして、私たちは評価する。

しかし、FLAのウェブサイトには本日(2015年9月5日)時点で、参加企業としてFR社はまだ掲載されていない。

ただ、いずれにしても、監査CSRに関わる取り組みの透明性と説明責任の確保はFLAへの委託だけで終わるものではない。私たちもFR社の内部及び外部の監査結果を引き続き注視していきたい。

●サプライヤー・リスト

一方、私たちが要求したサプライヤーリストの公開については何ら回答していないことも残念である。全てのサプライヤー(下請け工場や素材・原材料工場など)を公表することを通じて、産業としての透明性を高めることは、下請け工場における人権侵害がブラックボックス化しないための重要な施策であり、企業の説明責任・透明性を示す重要な指標である。

アパレル産業の国際的大手では、H&Mなど、著名ブランドが責任あるサプライヤー管理のために、サプライヤー・リストの公表を次々と進めている。参照・H&Mサプライヤー・リスト

また、アップル、アディダス、ナイキなど、過去に過酷労働などが社会問題となったグローバル企業も同様である。

FR社には、是非サプライヤー・リストの公表を進めてほしい。

●生活賃金・発注価格

今回発表されたCSRアクションにおいては、発注価格の見直しや生活できる賃金への改善については触れられていない。

FR社からは、今年4月にメールにて、「発注額は原料価格や労働市場の動向など様々な要因を踏まえ、FRと工場との交渉によって決められております。賃金の決定権は工場にあり、他ブランドの発注もあるため、当社の発注価格と賃金の明確な相関関係は見出せておりません」との回答をヒューマンライツ・ナウが受け取っている(FRウェブサイトには未公表)。

しかし、残業時間だけ減らし、低賃金のままでは、生活できないため、違法な長時間残業が横行する原因を根絶することができない。

「他ブランド」などというが、国際的なアパレル・ブランドのうち、H&M、GAP、INDITEXなどは下請け工場労働者の生活賃金保障のためのアクションプランを定めていることからみれば、ユニクロも同様の施策を打つべきではないか。

■ 今後に向けて
FR社が、Pacific社工場とTomwell社工場を含めた下請け企業の管理を、国連「ビジネスと人権」指導原則に基づいて、責任もって実施するよう、ヒューマンライツ・ナウは、パートナー団体である、SACOMおよびLabour Action Chinaとともに、引き続きFR社の行動を監視し、建設的な提案を行っていく予定である。

また、ヒューマンライツ・ナウは4月にはユニクロ・GUのカンボジアのサプライヤーでの過酷労働に関し、労働者へのインタビュー結果を公表したが、FR社が事実を否定しており、この件は別途報告したい。

FR社には、より包括的な対策に向けた議論をするため、私たちNGOとの協議を再開することを改めて求めたい。

また、こうした問題を改善に導くには、人々の関心、そしてメディアの報道などによる社会的なモニタリングが欠かせない。1月には、報告書公表直後に確認したものだけでも、非常に多くのメディアに取り上げていただいたが、改善をさらに進めるには継続的な人々の関心や報道が鍵を握る。日頃よりユニクロ等の服を買っている人、買おうかなと思っている人たちにも、是非関心を持って、話題にしてほしいと思う。

■ 他企業にとっても決して他人事ではない。
ところで、私たちのゴールは、ユニクロだけでなく、すべてのブランド・すべてのグローバル企業が人権を遵守することである。

2011年に国連人権理事会が決議した、国連「ビジネスと人権」指導原則は、ビジネスのすべてのプロセスで人権を尊重するための「人権デューディリジェンス」の責任を企業に課している。

今年6月に開催されたG7エルマウ・サミットの首脳宣言は、

責任あるサプライチェーンという項目を掲げ

我々は,国連ビジネスと人権に関する指導原則を強く支持し,実質的な国別行動計画を策定する努力を歓迎する。我々は,国連の指導原則に沿って,民間部門が人権に関するデュー・ディリジェンスを履行することを要請する。

など長文にわたる首脳の総意を表明しており、この問題に関する国際社会の今後の取り組みが強化されていく方向となっている。

特に、日本を拠点に置く企業は、2020年の東京オリンピックに向けて、国際社会からその人権に関する取り組みが厳しく問われていくことになるだろう。ユニクロの過酷労働問題は決して他人事ではない。

今後、私たちヒューマンライツ・ナウだけでなく、様々な国際NGOが日本企業のサプライヤーにおける人権問題を指摘していくことが予測される。過酷労働が第三者機関によって発覚するのを待つ前に、自ら国際水準に基づく対策を講じてほしい。

日本企業の多くが、単に人権指針を採択するなどの施策にとどまっている状況であるが、抜本的な対策が求められている。

そのためのヒントの一部は、この本文でお伝えしたつもりである。

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伊藤和子
弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長
1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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「生かすも殺すも俺次第」フリーランス礼賛社会の光と陰
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190918-42301665-business-soci
9/18(水) 6:00配信 日経ビジネス

「生かすも殺すも俺次第」フリーランス礼賛社会の光と陰
文/河合薫

 今回は「自由と幻想」について考えてみようと思う。
・「殴られたり、蹴られたりされた。翌日は病院に行き会社を休んだ」(30代男性・映像製作技術者)
・「不当契約の強要、払い渋りにあった」(40代女性・編集者)
・「枕営業を要求された。応じなかったら悪い噂を流されたり、仕事の邪魔をされたりした」(30代女性・声優)
・「会食と称して食事を強要された。手を握る。体を触る。キスの強要もあった」(50代女性・コピーライター)
・「妊娠を告げたら仕事を与えないと言われ、仕事を切られた」(40代女性・編集者)Etc.etc……。

【関連画像】「フリーランス、かっこいい!」的イメージが広がったことに私は懸念を抱いている。(写真:shutterstock)

 これはフリーランスで働く人たちを対象とした調査に寄せられたコメントの一部である(インターネット調査で1218人から回答)。

 調査を実施した一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会などによれば、フリーランスで働く人の61.6%がパワハラ、36.6%がセクハラを経験。具体的には、「脅迫や名誉毀損などの精神的な攻撃」が59.4%と最も多く、「過大な要求」(42.4%)、「経済的な嫌がらせ」(39.1%)、「身体的な攻撃」(21.8%)など(複数回答)で、ハラスメントをされても「夢のため」と我慢してしまう被害者も少なくなかったという。

 ……なんだかなぁ。パワハラやセクハラされている状況が、リアルにイメージできてしまうだけに胸がつまる。

●労働法で守られないフリーランス

「てめぇ、こんなこともできないんなら死んでしまえ!」

「おまえの代わりなんていくらでもいるんだよ!」と恫喝(どうかつ)され、おびえるフリーランスを目の前で見たこともある。

 そもそもフリーランスは、発注先と直接契約を結ぶので労働基準法の適用外。また、来年4月から適用されるパワハラの防止策を義務づける関連法でも、原則フリーランスは含まれていない。

 もちろん法律さえ作れば解決するというものではないけど、直接契約を結ぶフリーランスは「何をやっても許される」と勘違いする“大ばか野郎”のターゲットになりがちである。「おまえを生かすも殺すも俺(私)次第だぞ!」などと面と向かって言われても、生活が懸かっているフリーランスは「ノー」と言えなくなってしまうのだ。

 ちなみにILO(国際労働機関)が6月に採択し、日本も批准した「仕事の世界における暴力と嫌がらせの撤廃に関する条約」では、労働者に加えて、ボランティア、求職者、インターンや見習い実習生なども保護の対象である。この法律では「仕事の世界における暴力と嫌がらせ」を、「1回限りの出来事か繰り返されるものかを問わず、心身に対する危害あるいは性的・経済的に危害を与えることを目的とするか、そのような危害に帰する、あるいは帰する可能性が高い、一連の許容できない行動様式および行為またはその脅威(性差に基づく暴力と嫌がらせを含む)」と定義している。

 そもそも一昨年くらいから、やたらと「フリーランス」という言葉が使われ、あたかも「フリーランス、かっこいい!」的イメージが広がったことに私は懸念を抱いている。

日経ビジネス
この背景にあるのが、何度かこのコラムでも紹介している「『働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために』懇談会 報告書」だ。・「2035年の企業は、ミッションや目的が明確なプロジェクトの塊となる」・「プロジェクト期間が終了すれば、別の企業に所属する形になる」・「一日のうちに働く時間を自由に選択するため、フルタイマーではないパートタイマーの分類も意味がないものになる」・「企業に所属する期間の長短や雇用保障の有無等によって『正社員』や『非正規社員』の区分は意味を持たない」・「1つの会社に頼り切る必要もなくなるため、不当な働き方や報酬の押し付けを減らせる」などなど。

 自立した個人、多様な価値観、自由に働く社会、独立して活動する個人、自立した個人が自律的に多様なスタイルで、といった具合に、報告書には「自立」と「自由」という言葉が脅迫的なまでに使われていて、読み終えたあとに“食あたり”ならぬ“自立あたり”に襲われるほど。

 最新技術を最大限に生かせば、「個」を生かした「幸せな働き方」が担保できるとするこの報告書は、一言でいえば「会社員消滅宣言書」だ。

●「フリーター」もかつては自由を象徴するワードだった

 政府にとってフリーランスという言葉は、「自由な働き方」「自立した個人」を印象付ける便利なワードなのだ。

 その流れに拍車をかけたのが、フリーランスで成功している人たちだ。彼らはフリーランスのリスクを語るより「自分のやりたいことをやるにはフリーランス最高!」と安易にフリーランスを推奨した。

 かつて「フリーター」という言葉に憧れ、「夢を追う若者」を量産したときと同じだ。

 それまでは「定職に就かない」あるいは「無職」と呼ばれていた人たちが、「フリーター」というカタカナ用語によって、「自由を求める人」の象徴になった。

 毎朝、“痛勤電車”に乗り込み、思いつきで物言う上司に堪え、理不尽のるつぼに悶える会社員と自分は違う。上司にペコペコしてるなんてかっこ悪い。会社の歯車になってどうする?

 自分らしい人生を生きる自由な存在としての「フリーター」は、サラリーマン=会社員からの解放を願う若者を魅了したのだ。

 やがてフリーターがワーキングプアを象徴する言葉に変わると、ノマドだの、ブロガーだのと、新しいカタカナな言葉が生まれ……。実態はフリーターと何ら変わらないのに、今度は「フリーランス」がさまざまな思惑を満たすワードとして、現在使われている。

 厚労省はフリーランスの労働者を「発注者から委託を受け、主に個人で仕事をして報酬を得る者」と位置付け「雇用類似の働き方」と呼んでいるが、明確な定義はない。

 そんな中、内閣府は7月、国内の就業者のうちフリーランスが306万人から341万人程度とする推計を公表したと報じられた。これは国内の就業者全体の約5%を占める。

 341万人程度のうち、本業がフリーランスの労働者が228万人、副業が112万人で、就業者全体における本業がフリーランスの人の割合は3%程度。

 報道によれば「政府は多様で柔軟な働き方を後押ししており、フリーランスの実態を把握することで今後の政策に役立てる」と考えているらしい。

 明確な定義もないのに推計とは「????」って感じなのだし、3%という数字が多いのかどうかは皆目見当がつかないのだが、私の周りにはフリーランスが山のようにいるし、新聞各紙には「米国の6.9%に比べると半分以下にとどまる(本業のフリーランス)」という文言が書かれていたので、最低でもこの水準を政府は今後目指すということなのだろう。

●フリーランスは組織の出入り業者にすぎない

 念のため断っておくが、私は「フリーランス」という働き方を否定的に捉えているわけではないし、フリーでやりたい人はやればいいと思う。だが、フリーで働くことのリスクを、もっときちんと伝えるべきだと考えている。

 個人的な話で申し訳ないけど、私はかれこれ20年フリーランスで仕事をしているので、組織に属さないで働くことのリスクを嫌というほど味わった。

 所詮、フリーランスは会社という組織の出入り業者でしかないわけで。「これでおしまい」と言われれば、抵抗するすべもなく「はい」と引き下がるしかない。組織外の人間に対して「会社員」が「会社員の人格」を表出させたときの怖さも、これまで何度も経験した。

 前日まで「河合さん、最高っす!」と言っていた人が、会社員という立場に立った途端、全くの別人になる。そのギャップに、私は何度も震撼(しんかん)し、翻弄されてきた。

 仕事がなければ食えないし、あればあったで「1人ブラック企業」状態になる。目の前の仕事が次の仕事の営業なので、常に200%を目指してがんばるしかない。かといって病気になれば、また食えなくなるので、ギリギリの状態で健康にも留意し、それでも壊れる体を必死で仕事に支障がないように全力で保護しなければならない。

 ちまたには「フリーランスで年収〇〇円稼ぐ!」といったコラムがあちこちに散見されるが、「稼ぐ」ことと「稼ぎ続ける」ことは全く別。食い続けるには常に自分が成長し、変化していかなきゃ駄目。おカネという有形の資産を得るには、そのカネを得るだけの無形の資産への投資が絶対条件になる。

 自分が選ばれる人になるために仕事の質を上げるしかないのだが、これまた困ったことに「ここまで上げればオッケー!」というゴールはどこにも引かれてないので、食い続けるためには常に学び磨き続けるしかない。当然ながら「自己投資」するためには、カネも時間もかかる。

 つまるところ、組織外の人間に指定席はなく、それが用意されているのは一部の天才だけ。普通の能力しかない私は、きょう、絶好調でたくさん稼げても、あすには突然稼ぎがなくなるという憂き目に、何度も遭遇した。 通帳とにらめっこする日々と、空白が目立つスケジュール帳に不安が募る日々は、何度でも繰り返されるのである。

●フリーランスの「自由」に必要不可欠な要素

 フリーで20年生きてきて繰り返し学んだのは、「1円を稼ぐことの難しさ」といっても過言ではない。

 フリーランスは確かに自由だが、その自由には仕事がない自由、体を壊す自由も含まれている。

 自己管理し、自己投資し、自己プロデュースし、そのすべてが自己責任の上に成り立っていて、それに耐えられるだけの「開き直り」も必要不可欠だ。

 何が何でも食っていってやるという覚悟がなきゃ、フリーでやっていくのは無理。雇ってもらえるかどうかはさておき、コンビニの店員さんだろうと、スーパーのレジ打ちだろうとやって、どうにかしてやる!という気合が必要なのだ。

……気合。うん、根性ではなく、気合だ!

 先に挙げた報告書も含め、「会社員じゃない=自由」「会社と距離をとる=新しい」といった風潮がこの数年広まっているけど、会社という組織の外に出ると組織の中にいるときには気づかなかった「会社員」ならではのいい面が見えるものだ。

 会社を英語で言うときには、COMPANY(カンパニー)となるが、COMPANYは、「共に(COM)パン(Pains)を食べる仲間(Y)」ってこと。会社は「(食事など)何か一緒に行動する集団」である。会社には仲間と食事(給料)が存在するため、会社員は会社員が思う以上に「会社」という存在に守られている。

 そもそも会社は入社したてのひよっこにも、「生活できるだけの賃金」をくれる。がんばって成果を上げれば給料を上げてくれたり、ワンランク上のタスクにチャレンジさせてくれたりすることだってある。

 会社が自己啓発の機会を準備してくれることもあるし、普通だったら会えない人と会える機会を与えてくれることもある。

●会社という環境がパフォーマンスを支えていた例も

 仕事の合間に仲間たちとするたわいもない会話に救われることもあるし、自分の失敗を上司が尻拭いしてくれることだってある。

 それだけではない。「会社」というコミュニティで同僚と共にする時間そのものが、自分のパフォーマンスを引き上げてくれるのだ。

 ハーバード・ビジネススクールのボリス・グロイズバーグらが、ウォール街の投資銀行で働く1000人以上のアナリストを対象にした調査で、個人のパフォーマンスは個人の能力ではなく、「同僚との関係性」に支えられていることが分かった。

 職場のメンバー同士が信頼し、お互い敬意を払っている環境で働いている時には、成績が極めて良く、職場の“スーパースター”だった人が、その腕を買われ、転職した途端、星の輝きは瞬く間に消え“フツーの人”に成り下がる。私たちは知識や能力は自分の力だと信じているけど、実際には他者との関係性が深く関連しているのだ。

 共に過ごし、相互依存関係を構築し、重要な情報やスキルを共有し、互いに刺激しあうことで自分の能力も引き出されていくのである。

 会社というのは、まさにそのためのコミュニティーであり、会社のこういったプラス面を、会社側もフリーランス側も理解しておくことも大切じゃないのか。違いを尊重し、共感する。それが個人のパフォーマンスを上げ、ひいては会社の生産性向上につながっていくことを知っていれば、「生かすも殺すも俺次第」などと勘違いする輩も減るのではないか。

●会社とフリーランスの新しい関係を

 会社の下にフリーランスがいるのではなく、あくまでも横。かつて大企業と中小企業が上下ではなく、同志としてつながり、大企業ができないことを中小がやり、中小ができないことを大企業が担保したような関係を、会社とフリーランスが構築できればいいと思う。

 今のままではフリーランスはただの下僕になりかねない。

 フリーラン=freelance は直訳すると「自由な槍」。本業フリーランスになる人は、自由という言葉に踊らされず、自分が戦える「槍」を装備しているか?を自問してほしい。

河合 薫 

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氷河は溶けるのか : 福祉政策と連携を模索する就職支援
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d00518/#.XYC5lakyedg.twitter
社会 経済・ビジネス 2019.09.17

神林 龍 【Profile】
政府はいわゆる「就職氷河期」世代に対する3年間の集中支援プログラムを策定。同世代から正社員を30万人増やすことを目標に掲げる。しかし、本当に必要なのは「氷河期」とひとくくりにした対策ではなく、就業できずにいる人の個別の要因に向き合うことである。

氷河は溶けるのか?

とはいっても、地球温暖化がフェイクニュースだという話ではない。日本の労働市場の話である。バブル崩壊後しばらくして日本の労働市場の状況が悪化した1993年〜2004年ころ新規学卒として就職活動にいそしんだ世代を、いわゆる「就職氷河期世代」と呼ぶ。新卒で「正規」の職に就くチャンスを逃し、非正規社員として不利な立場に置かれてきた彼らをいかに支援するかが、社会的な課題となっている。

最初の就職先が人生の明暗を分ける?

もともと、日本の労働市場は「二重構造」であると指摘されてきた。典型的には、大企業などの「恵まれた企業」と中小企業などの「恵まれない企業」にある構造的な差を意味する。

日本では転職が活発ではないこともあり、最初に就職する企業間の差がそのまま被用者間の差に転写されてしまうと考える識者は少なくない。給与水準のみならず、若年時に必要なさまざまな経験をする機会に差がついてしまうのであれば、学卒時に運悪く「恵まれた仕事」に就けなかった人は、キャリア全体にその影響が及んでしまうことは容易に想像できるだろう。本人の能力うんぬんの前に、永続的に不利な立場に置かれ、そのまま凍りついてしまうかもしれないのである。

バブル崩壊後、1980年代の円高不況時を超える完全失業率を記録したのが1995年8月(3.2%)、4.0%に届いたのが98年4月である。この後も失業率は悪化の一途をたどり、2002年6月には5.5%に達する。06年11月に4.0%までようやく戻ったと思ったのもつかの間、リーマン・ショックによって、09年7月には再び5.5%を記録した。東日本大震災もあり、4%を切るのは13年6月を待たなければならなかった。

政府の報告書等では、1993〜2004年に卒業した世代に注目が集まっているが、もう少し広く、1990年代後半以降、15年間前後の不況期に労働市場に出なければならなかった学卒者は、初職で恵まれた仕事に就ける可能性はどうしても低くなる。そして彼らは現在30〜40代を迎えている。

 

氷河期世代の支援に本腰

政府は2019年5月「就職氷河期世代支援プログラム」を策定し、3年間で30万人の就職氷河期世代からの正規雇用を増やすことを目標に掲げている。その手段をおおまかにまとめると、(i) ハローワーク(公共職業安定所)におけるキャリアコンサルティング、(ii)(社会人が必要に応じて最新技術などの再教育を受けられる)リカレント教育を利用した資格取得の促進と(iii) 補助金による企業側への働き掛けからなり、伝統的な失職者支援の延長上にあるのが分かる。

もともと(i)〜(iii)の三本柱で構成される失職者支援は、雇用保険の枠内で整備され、就労していた被用者がたまたま失職してしまったときの対処として設計されている。日本においては、雇用保険が使用者と被用者の共同拠出で成立していることを考えると、拠出に裏付けされたそれなりの額の一時給付を足掛かりに、失職中の生活を安定させ、サービス拠点であるハローワークを中心に、再就職活動にまとまった時間を投じるという形が念頭に置かれている。

逆に言えば、結婚や出産などで一度家庭に戻りブランクが長い人や、そもそも就労したことがない人を支援対象とは考えてこなかった。拠出がない(もしくは少ない)ため、生活を安定させるに足る一時金を保険会計から給付することは難しい。そうなれば、平日昼間の利用を想定して設計されているプログラムに参加することも簡単ではない。また、そもそもサービス拠点であるハローワークにまで出向かないと支援が始まらないという物理的制約もある。

雇用政策と福祉政策の連携模索

そこで、今回の支援プログラムでは、従来は、雇用政策とは一線を画してきた「生活困窮者相談支援機関との連携」という新たな方向性を打ち出している。この生活困窮者支援機関は、生活保護制度など社会福祉政策に依拠し、拠出と給付という保険原理に制約されていない。

また、巡回相談や自宅訪問、電話対応などに慣れており、窓口への来訪を待つスタイルのハローワークとは、支援を必要としている人との関係構築方法が異なる。新卒時に正規の職を得られなかったことをきっかけに引きこもりなど社会的孤立を深める人への支援では、行政側から手を差し伸べる発想も必要だ。就職氷河期世代の支援には、旧来の雇用政策の枠にはまらない、新しい方法が模索されているのである。

こうした支援のあり方は、望ましい方向にあるとも解釈できるが、実は就職氷河期世代が置かれている状況が、より深刻であるがゆえなのかもしれない。

卒業時に不況だった世代が労働市場で不利な立場に置かれ続けるという現象(これを履歴効果といったりする)は、玄田有史氏をはじめとした労働研究者によって2000年前後より繰り返し指摘されてきた。

最近、玄田有史・近藤絢子・太田總一の三氏の共同研究(※1)が出版されるに及んで、決定的に明らかになった。この論文で、著者達は就業率について、「学卒時の失業率は日本の男子高卒者について長期に渡る負の効果を与えている。学卒時に失業率が1%ポイント高かった場合、12年以上に渡って就業率を3〜4%ポイント低めている」と主張した(原文p.170を筆者訳)。

この効果は米国と比較しても大きい。たとえばバブル崩壊時から失業率が3%ポイント悪化したとすると、その世代の男子高卒の就業率は9〜12%ポイントも低くなる。30〜34歳の女性の労働力率の底上げ(M字カーブの解消)に十年単位で時間がかかっている現状から考えると、10%ポイントを超える減少は大きい。労働時間や年収についても同様に負の持続的効果が認められることも考慮すると、確かに、高卒男子の就職氷河期世代は、卒業後10年を経過してもなお、不利な立場に置かれ続けていると考えるべきだろう。氷河は溶けそうもない。

大卒者の「氷河」は溶けている

ところが、この論文で報告された分析結果では、大卒者については負の持続的効果が認められないのである。

「氷河期世代」と言って一般の人がイメージするのは、エントリーシートを延々と入力し、何十社もの説明会や面接に通い詰めた揚げ句に、「当社とはご縁がありませんでしたが、今後のご健闘をお祈りします」という不採用通知、通称“お祈りメール”で「あえなく撃沈!」と戯画化される大卒者である。

これに対し高校新卒市場は、学校が直接介在することで大学新卒市場よりもシステム化されており、就職の2年も前から就職活動にばたばたすることはない。就職氷河期世代というキーワードと高卒者があまり結び付かないのだが、実際に氷河の厳しさに苦しめられてきたのは高卒者であり、男子大卒者に関しては、履歴効果は証明されていない。

つまり、男子大卒者は、就職氷河期に労働市場に飛び込まないといけなかったからといって、永劫(えいごう)、不利な立場に立たたされ続けてきたわけではないのだ。保守的に見積もっても、卒業後数年を経過してしまえば、平均的に見れば前後の世代と大差はない状況だと考えるのが無難なのである。その意味で、彼らにとっての氷河はいずれ溶けてしまう代物だったという解釈が成立する。

「世代」の問題ではなく、個別の要因

結局、こうした実証研究を素直に解釈する限り、大卒者に象徴される就職氷河期「世代」というまとまった集団を想定することはあまり意味がない。30〜40歳代を超えてもなお就業できない人々は、世代全体の影響というよりは、その人の個別的要因で、長く労働市場を離れてしまったと想定すべきだろう。

ところが、ハローワークは雇用保険との関わりが強いため、個別にカスタマイズしたサービスに慣れていない。さきに整理した三本柱の施策も、「就業経験のある平均的な失職者」にシステマティックに対応するにはよいかもしれないが、紆余(うよ)曲折を経た少数派に対応するにはフレキシビリティが足りていない。

となれば、生活困窮者支援事業などに携わってきた社会福祉系統の諸機関に助力を仰ぐのは正解だろう。労働市場のクレバスにこぼれ落ちる人々には、個別の丁寧な救援が必要なのであり、ことさら氷河期だけを特別視する必要もないのではないか。気を配ればどこにでもいることがわかる就職困難者への支援体制を整える方向を指向すべきだろう。彼らの氷河を溶かすことは容易ではないのだから。

バナー写真 : PIXTA

(※1) ^ Yuji Genda, Ayako Kondo, and Souichi Ohta, “Long-Term Effects of a Recession at Labor Market Entry in Japan and the United States,” Journal of Human Resources, Winter 2010, vol. 45, no. 1, pp.157-196

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非正規雇用 厚生労働省 就職氷河期

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神林 龍KAMBAYASHI Ryo経歴・執筆一覧を見る
一橋大学経済研究所教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程修了、博士(経済学)。東京都立大学助教授、スタンフォード大学経済学部客員研究員などを歴任。主な著書に『正規の世界・非正規の世界――現代日本労働経済学の基本問題』(慶應義塾大学出版会、2017)、『模倣型経済の躍進と足ぶみ― 戦後の日本経済を振り返る―』共著(ナカニシヤ出版、2010)など。 

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〈雇用類似の現場で〉(2)/屋外撮影現場にトイレなし/安全衛生は二の次?/ジャーナリスト 北健一
雇用類似の現場には安全衛生面の課題もある。
https://www.rengo-news-agency.com/2019/08/29/
連合通信 2019年8月29日

 日本俳優連合(日俳連)の森崎めぐみさんは「屋外の撮影現場にもロケバスにも、トイレはほぼありません。俳優たちは変装して公共施設のトイレに行ったりしています」と明かす。

 日俳連、プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)フリーランス連絡会の3団体が実施したフリーランス・芸能関係者のハラスメント実態アンケートには、森崎さんの発案で、「トイレのない場所での撮影時に、野外での排せつを余儀なくされた」という項目が入り、17人が選択した(8月8日時点での中間報告。俳優回答者は172人)。

 森崎さんは6月のMICフリーランス連絡会の会合でも、トイレのケースを紹介した。すると話題提供者の田久悟・全建総連労働対策部長が「ゼネコンなどの建設現場はだいぶ良くなってきましたよ。女性の職人が増えていることもあり、温水洗浄便座が入ってる現場もあります」と話した。

 課題はまだ多いものの、建設産業では深刻な人手不足や、入職者不足を何とかしようと、労務単価改善や週休2日制導入など、労使の努力で働き方改革が進む。


●人手不足の回路働かず


人手不足が就労条件の改善を促す。その回路は、俳優業では働かないのか?

 8月19日に開かれたフリーランス・芸能関係者へのハラスメント実態アンケートをめぐる記者会見でフリーランス協会の平田麻莉代表理事は「テレビ局など発注者が限られ、〃なりたい人〃が多いのが一因。就労条件についてのルールがないのも問題です」と説明した。森崎さんも「アンケートには『夢があるから』という回答がありました。そのために我慢するんだと」。働き手のやりがいに企業側が付け込む「やりがい搾取」の一例にも見える。

 アンケートの中間とりまとめでは、「仕切りがないところで着替えをさせられた」も52人。テレビや映画といった、華やかな舞台の裏側は厳しい。

 労働安全衛生法は雇用労働者にしか適用されないが、トイレをはじめ安全・衛生対策は、どんな働き方であっても不可欠だろう。厚生労働省が設置した「雇用類似の働き方に係る論点整理等に関する検討会」(鎌田耕一座長)では、この秋から、就業条件についても議論を進める方針だ。

 

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「役所の職員が来るのが遅い」のはなぜ?〜自然災害が明らかにする人員不足
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20190917-00142915/
中村智彦 | 神戸国際大学経済学部教授
2019/9/17(火) 6:00

(写真:アフロ)

・大幅に減少している地方公務員

 「役所の職員が来るのが遅い」、「公務員が全く足りていない」

 こうした不満が、今回の千葉の災害復旧の現場でも多く起こっている。電力会社などの不手際が被災者の怒りを強めていることは確かだ。

  しかし、一方で「地方公務員が、この20年間で大幅に減少しているという事実が伝わっていない」と指摘する公務員もいる。

  図1は、 2018年4月までの地方公共団体の総職員数の推移だ。1994年(平成6年)に約328万人いた職員は、2018年(平成30年)には約274万人と55万人、17%も減少している。

地方公共団体の総職員数の推移(総務省「平成30年地方公共団体定員管理調査結果」)

・災害が続発する中で土木職員がいない自治体が3割

 今年(2019年)1月24日に国土交通省総合政策局が公表した資料(国土交通省総合政策局事業総括調整官 吉田邦伸「地方自治体の取組支援とインフラメンテナンス国民会議」2019年1月24日)によると、市町村全体の職員数は、2005年度から2017年度の間で約11%減少しているのに対して、市町村における土木部門の職員数の減少割合は約14%であり減少割合が大きくなっている。こうした結果、技術系職員のいない市町村の割合は約3割に上っている。

 「こうした事実を知らない住民の方が多い。」そう言うのは国土交通省関係の団体職員だ。「公務員叩きをすれば票になるということで、人員も削減してきた。しかし、災害発生だけではなく、これから大きな問題が発生する」とも指摘する。「もちろん、災害に備えて余剰の人員を抱えておく余裕はないという批判も理解する。しかし、この10年ほどの急激な職員数の減員が日常業務の執行に限界までになっている点も理解してほしい」とも言う。

技術系職員のいない市町村の割合
・一気に老朽化が進むインフラ

 先の資料でも指摘されているのだが、1970年代前後の高度成長期以降に整備された道路橋、トンネル、河川、下水道管渠、港湾等のインフラが、加速度的に老朽化を迎える。約1万施設ある水門など河川管理施設で建設後50年以上経過するものの割合は、2013年3月に約25%だったものが、2023年3月には約43%、2033年には約63%となる。

 「河川施設だけではなく、道路、トンネル、港湾施設など、急速に老朽化が進むことの重大さに気が付いていない人が多い。ローカル鉄道でも、トンネルや鉄橋などの老朽化問題を取り上げずに議論しており、非常に問題がある」と東北地方の公務員は指摘する。

 老朽化したインフラの急増が、さらに自然災害を増加させる可能性も高く、それらを防ぐための補修や修理、新設には膨大な費用が必要となるだけではなく、人材が必要になる。

建設後50年以上経過する社会資本の割合
・職員数はようやく下げ止まり

 

 総務省が2018年4月に発表した定員管理調査によると、自治体の土木・建築部門に所属する職員数が都道府県で前年比0.14%増、政令市で0.48%増、市区町村で0.24%増と調査が行われるようになった2005年以降初めて増加に転じた。

 しかし、これは「現場が疲弊するまで人員が削減されて、限界に来たために、やっと下げ止まったというだけで、厳しい状況は継続している」と中部地方の地方公務員は言う。さらに東北地方のある地方公務員は、「インターンシップで志望理由として、親から公務員は給料が良く、暇だからと言われてきたという学生に、40歳代、子供2人、既婚でこれだと給与明細を見せたら、絶句されました」と苦笑する。「実態を知らずに話している人が多く、地方自治体の現場では、現実には低賃金から人材確保がすでに難しくなっているのが現実だ」とも言う。

・社会インフラの維持に関心を持つ時期

 関西地方の地方議員の一人は、「残念なことだが、災害が起きて、復旧が遅れるという現実に直面して、初めて話題になる。関西でも昨年の地震や台風による被害が復旧していないところもある。しかし、多くの人は新たな箱ものの建設などは前向きだと評価して、政治家も票につながると積極的だが、今あるインフラのメンテナンスや維持管理の必要性には関心を持たない」と言う。

 関東地方の地方議員も、「身を切る改革、自ら血を流せなどと派手なキャッチコピーでやってきたのは、公務員の給与を下げ、人員を削減することばかりだった。ここ数年の災害の発生で、老朽化しているインフラと限界まで削減した公務員の不足が表面化した。これからインフラの維持管理に大きな問題を抱えることを我々自身が自覚しなくてはならない」と言う。

 こうした話題を取り上げると、必ず「後ろ向きの発想をするな」という批判をする方がいるが、発生が予想される問題を隠蔽して、明るい未来が語ることができるのだろうか。老朽化したインフラを放置し、自然災害に遭えば、その被害は甚大なものになる。新しい未来を切り開くためには、今、我々が保有している資産を長く安全に使えるようにすることが大切である。

 身を切る改革が、単に身を切っただけ、血を流すだけであれば、国そのものを衰退させることになる。社会インフラの維持に関心を持つ時期である。高度経済成長期のように、豊かな資金があるわけではない。既存のインフラを資源としつつ、いかにバランスを取っていくのか、きちんとした議論も必要だろう。

※参考資料

  ・国土交通省「市町村における持続的な社会資本メンテナンス体制の確立を目指して・参考資料」https://www.mlit.go.jp/common/001080953.pdf

  ・国土交通省「市町村における持続的な社会資本メンテナンス体制の確立を目指して」https://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/kanbo08_sg_000075.html

  ・国土交通省総合政策局事業総括調整官吉田邦伸「地方自治体の取組支援とインフラメンテナンス国民会議」2019年1月24日 https://www.jst.go.jp/sip/event/k07/pdf/event20190124_2-3.pdf

  ・総務省自治行政局公務員部給与能率推進室「平成30年地方公共団体定員管理調査結果」2019年3月 http://www.soumu.go.jp/main_content/000608444.pdf

・総務省「平成30年地方公共団体定員管理調査結果の概要」2019年3月 http://www.soumu.go.jp/main_content/000608434.pdf


中村智彦
神戸国際大学経済学部教授
1964年生まれ。上智大学を卒業後、タイ国際航空株式会社、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。総務省地域力創造アドバイザー、愛知県愛知ブランド審査委員、山形県川西町総合計画アドバイザー、山形県地域コミュニティ支援アドバイザー、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担っている。

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保育士という報われない職業の過酷すぎる現場 業務量や責任は増えるのに人手が足りてない
https://toyokeizai.net/articles/-/302867
風間 直樹 : 東洋経済 記者 2019/09/17 5:40

疲弊した現場から離れていく保育士も多い(写真:maroke/iStock)

幼児教育・保育の無償化が10月から始まる。年約8000億円の予算が投じられ、所得制限なく3歳から5歳の子の保育園や幼稚園の保育料が無料となる。無償化は「認可保育園」や「幼保連携型認定こども園」などに加え、「認可外保育施設」なども対象になる。

国は認可外施設についても、保育士の配置や保育室の面積などの指導監督基準を設けている。ただ認可保育所では原則全員が保育士資格を持つのに対し、認可外施設は3分の1以上が保育士であればよいなど基準は緩い。今回の無償化はその緩い基準すら満たさない施設でも、経過措置として5年間は無償化の対象とされる。「これまで指導や処分の対象としてきた施設を無償化の対象としてしまっては、国が質の低い施設にお墨付きを与えることになりかねない」。保育事故の問題に詳しい寺町東子弁護士は懸念する。

『週刊東洋経済』は9月17日発売号(9月21日号)で、「子どもの命を守る」を特集。親からの虐待や不慮の事故の問題とあわせ、保育園をめぐる問題についてもさまざまな切り口からレポートしている。

保育園などで子どもが死亡したり、大ケガをしたりする重大事故が後を絶たない。2015年から法令上、事故報告が義務付けられたこともあるが、その後をみてもここ数年、保育施設における重大事故件数は急増している。内閣府の調べによると、2018年に全治30日以上の大ケガをした子どもは約1200人に上る。この年の死亡事故は9件で、このうち6件が認可外施設で起きている。2004年からの死亡事故の報告件数の累計では、認可保育所が61件なのに対して、認可外施設は137件と倍以上だ。

保育園はパワハラとサービス残業が蔓延
こうした重大事故の急増の背景の一つに、保育士の不足が挙げられる。待機児童の解消のため、政府は都市部を中心に保育園の整備を急ピッチで進めている。保育士の有効求人倍率は急上昇しており、開園数に対して保育士の確保が追いつかず、経験の浅い保育士が現場で責任を持たされているのが実情だ。


『週刊東洋経済』9月17日発売号の特集は「子どもの命を守る」です。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
疲弊した現場から離れていく保育士は多い。「保育士から寄せられる相談で多いのが、職場のパワーハラスメントとサービス残業の強要だ」。保育士等を組織する全国福祉保育労働組合の澤村直書記長はそう話す。同組合に相談したある20代の女性保育士は、園長、主任からの執拗なパワハラで体調を崩し、うつ病とパニック障害と診断されたという。

「役所からの天下りで現場を知らない園長がいて、気に入らないことがあると保育中でも呼び出し、怒鳴りつける。開園7年ですでに30人近くの保育士が辞めている」。40代の女性保育士は、以前働いていた都内の保育園の実情をそう語る。「子どもにケガをさせた場合、通常なら園長や主任が担当保育士と一緒に謝罪する。だが園長がすべて保育士に責任を押しつけた結果、メンタルを病んだ保育士もいる。年度の途中で退職した保育士もいた。辞めるのは年度末というのが保育士文化。待てなかったのは、よほど限界に近づいていたのだろう」。

「17時になると一斉にタイムカードを切らされて、毎日のようにサービス残業をさせられてきた。残業のない保育園はほとんどない。休憩時間をすべて潰しても終わらないほどの仕事量だ。中でも負担なのが事務作業。子どもたちの活動記録や保護者への連絡帳の記入に加え、週ごと、月ごとの保育計画の策定もある。あとは行事関連の手作業。運動会やクリスマス会では、こだわって装飾や衣装を手作りすることが求められる」(40代の女性保育士)。

名城大学の蓑輪明子准教授らが昨年公表した「愛知県保育労働実態調査」で、名古屋市内の認可保育所で働く保育士のサービス残業が月平均13時間に上ることがわかった。回答者の10%弱が月40時間以上の時間外労働をしており、最長だと月135時間に上った。「調査結果はショックだった。保育士にちゃんと残業申請するように伝えたことで実態がよくわかるようになった」。調査に協力した名古屋市内にある「とうえい保育園」の小西文代園長は振り返る。勤務時間内に事務作業ができるよう時間を設けたり、夜に行っていた職員会議を日中に変更したりと、労働環境の改善に取り組むきっかけとなった。

手薄な国の保育士配置基準
「保育時間の延長や安全管理の徹底など、業務量は年々増えている。それなのに国が定める保育士の配置基準は改善が進んでいない。保育士の待遇改善にはこの配置基準の引き上げが欠かせない」。東京・板橋区の「わかたけかなえ保育園」の山本慎介園長は訴える。国が定める認可施設基準では、1〜2歳児で児童6人の保育士1人、4歳児以上だと児童30人に保育士1人が必要とされる。ただ現実的には、「1歳児6人に1人で対応するのは難しい」(山本園長)。

東京都などでは自治体独自の基準に応じた補助金がつくため、国の基準より上乗せして配置できる。わかたけかなえ保育園でも、各クラスで国の基準より1人ずつ増やして配置している。その結果、「残業しなくても業務をこなすことができ、余裕を持って子どもたちと向き合える。ここ数年、離職者はほとんどおらず、よいサイクルになっている」(山本園長)という。

しかし都のような手厚い補助は例外的で、多くの自治体は国基準での運営を余儀なくされている。内閣府は保育施設での相次ぐ事故を受け、事故防止のガイドラインを策定した。睡眠中の観察や食事中の誤嚥防止などだ。しかし、今の配置基準のままでは適切な対応は難しい。「保育園を考える親の会」の普光院亜紀代表は、「本来無償化よりも、配置基準の改善を優先させるべき。ほかの先進諸国と比べても日本は最低水準だ」と話す。

「保育士資格があるのに仕事に就かない『潜在保育士』が多くいる。保育の仕事は楽しくやりがいはあるものの、責任が重く休めず給与も低いため仕事として見合わないと考える保育士が多いのが現実だ。職員の配置基準を手厚くするとともに、人件費への補助を拡充させる必要がある」。元認可保育所園長で保育学を専門とする、浜松学院大学の迫共(さこ・ともや)専任講師は語る。

保育現場の職員の疲弊は子どもの安全や命を脅かすことに直結する。人員配置の厚みを国が保証することは欠かせないはずだ。

 

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保育士という報われない職業の過酷すぎる現場 業務量や責任は増えるのに人手が足りてない
https://toyokeizai.net/articles/-/302867
風間 直樹 : 東洋経済 記者 2019/09/17 5:40

疲弊した現場から離れていく保育士も多い(写真:maroke/iStock)

幼児教育・保育の無償化が10月から始まる。年約8000億円の予算が投じられ、所得制限なく3歳から5歳の子の保育園や幼稚園の保育料が無料となる。無償化は「認可保育園」や「幼保連携型認定こども園」などに加え、「認可外保育施設」なども対象になる。

国は認可外施設についても、保育士の配置や保育室の面積などの指導監督基準を設けている。ただ認可保育所では原則全員が保育士資格を持つのに対し、認可外施設は3分の1以上が保育士であればよいなど基準は緩い。今回の無償化はその緩い基準すら満たさない施設でも、経過措置として5年間は無償化の対象とされる。「これまで指導や処分の対象としてきた施設を無償化の対象としてしまっては、国が質の低い施設にお墨付きを与えることになりかねない」。保育事故の問題に詳しい寺町東子弁護士は懸念する。

『週刊東洋経済』は9月17日発売号(9月21日号)で、「子どもの命を守る」を特集。親からの虐待や不慮の事故の問題とあわせ、保育園をめぐる問題についてもさまざまな切り口からレポートしている。

保育園などで子どもが死亡したり、大ケガをしたりする重大事故が後を絶たない。2015年から法令上、事故報告が義務付けられたこともあるが、その後をみてもここ数年、保育施設における重大事故件数は急増している。内閣府の調べによると、2018年に全治30日以上の大ケガをした子どもは約1200人に上る。この年の死亡事故は9件で、このうち6件が認可外施設で起きている。2004年からの死亡事故の報告件数の累計では、認可保育所が61件なのに対して、認可外施設は137件と倍以上だ。

保育園はパワハラとサービス残業が蔓延
こうした重大事故の急増の背景の一つに、保育士の不足が挙げられる。待機児童の解消のため、政府は都市部を中心に保育園の整備を急ピッチで進めている。保育士の有効求人倍率は急上昇しており、開園数に対して保育士の確保が追いつかず、経験の浅い保育士が現場で責任を持たされているのが実情だ。


『週刊東洋経済』9月17日発売号の特集は「子どもの命を守る」です。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします
疲弊した現場から離れていく保育士は多い。「保育士から寄せられる相談で多いのが、職場のパワーハラスメントとサービス残業の強要だ」。保育士等を組織する全国福祉保育労働組合の澤村直書記長はそう話す。同組合に相談したある20代の女性保育士は、園長、主任からの執拗なパワハラで体調を崩し、うつ病とパニック障害と診断されたという。

「役所からの天下りで現場を知らない園長がいて、気に入らないことがあると保育中でも呼び出し、怒鳴りつける。開園7年ですでに30人近くの保育士が辞めている」。40代の女性保育士は、以前働いていた都内の保育園の実情をそう語る。「子どもにケガをさせた場合、通常なら園長や主任が担当保育士と一緒に謝罪する。だが園長がすべて保育士に責任を押しつけた結果、メンタルを病んだ保育士もいる。年度の途中で退職した保育士もいた。辞めるのは年度末というのが保育士文化。待てなかったのは、よほど限界に近づいていたのだろう」。

「17時になると一斉にタイムカードを切らされて、毎日のようにサービス残業をさせられてきた。残業のない保育園はほとんどない。休憩時間をすべて潰しても終わらないほどの仕事量だ。中でも負担なのが事務作業。子どもたちの活動記録や保護者への連絡帳の記入に加え、週ごと、月ごとの保育計画の策定もある。あとは行事関連の手作業。運動会やクリスマス会では、こだわって装飾や衣装を手作りすることが求められる」(40代の女性保育士)。

名城大学の蓑輪明子准教授らが昨年公表した「愛知県保育労働実態調査」で、名古屋市内の認可保育所で働く保育士のサービス残業が月平均13時間に上ることがわかった。回答者の10%弱が月40時間以上の時間外労働をしており、最長だと月135時間に上った。「調査結果はショックだった。保育士にちゃんと残業申請するように伝えたことで実態がよくわかるようになった」。調査に協力した名古屋市内にある「とうえい保育園」の小西文代園長は振り返る。勤務時間内に事務作業ができるよう時間を設けたり、夜に行っていた職員会議を日中に変更したりと、労働環境の改善に取り組むきっかけとなった。

手薄な国の保育士配置基準
「保育時間の延長や安全管理の徹底など、業務量は年々増えている。それなのに国が定める保育士の配置基準は改善が進んでいない。保育士の待遇改善にはこの配置基準の引き上げが欠かせない」。東京・板橋区の「わかたけかなえ保育園」の山本慎介園長は訴える。国が定める認可施設基準では、1〜2歳児で児童6人の保育士1人、4歳児以上だと児童30人に保育士1人が必要とされる。ただ現実的には、「1歳児6人に1人で対応するのは難しい」(山本園長)。

東京都などでは自治体独自の基準に応じた補助金がつくため、国の基準より上乗せして配置できる。わかたけかなえ保育園でも、各クラスで国の基準より1人ずつ増やして配置している。その結果、「残業しなくても業務をこなすことができ、余裕を持って子どもたちと向き合える。ここ数年、離職者はほとんどおらず、よいサイクルになっている」(山本園長)という。

しかし都のような手厚い補助は例外的で、多くの自治体は国基準での運営を余儀なくされている。内閣府は保育施設での相次ぐ事故を受け、事故防止のガイドラインを策定した。睡眠中の観察や食事中の誤嚥防止などだ。しかし、今の配置基準のままでは適切な対応は難しい。「保育園を考える親の会」の普光院亜紀代表は、「本来無償化よりも、配置基準の改善を優先させるべき。ほかの先進諸国と比べても日本は最低水準だ」と話す。

「保育士資格があるのに仕事に就かない『潜在保育士』が多くいる。保育の仕事は楽しくやりがいはあるものの、責任が重く休めず給与も低いため仕事として見合わないと考える保育士が多いのが現実だ。職員の配置基準を手厚くするとともに、人件費への補助を拡充させる必要がある」。元認可保育所園長で保育学を専門とする、浜松学院大学の迫共(さこ・ともや)専任講師は語る。

保育現場の職員の疲弊は子どもの安全や命を脅かすことに直結する。人員配置の厚みを国が保証することは欠かせないはずだ。

 

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