文化通信 - 『バッド・ルーテナント』『マイレージ・マイライフ』/アメリカの異常

『バッド・ルーテナント』『マイレージ・マイライフ』/アメリカの異常

2010/11/2 11:40

★今回は『マイレージ・マイライフ』と『バッド・ルーテナント』。ともにDVDが出ている。2作品とも異常な映画である。『バッド・ルーテナント』は描き方が「異常」であり、『マイレージ・マイライフ』は描く内容そのものが「異常」である。

★『バッド・ルーテナント』、監督はドイツ人のヴェルナー・ヘルツォーク、70年代から80年代にかけて世界の映画界を席巻したニュー・ジャーマン・シネマの旗手だ。『バッド・ルーテナント』の舞台はアメリカ、ニューオリンズ、巨大ハリケーン・カトリーナ襲来直後から話は始まる。刑事テレンス・マクドノー(ニコラス・ケイジ)は水没した留置所から人を助け出しその功績によって警部補に昇進するが、この男、とんでもない奴だった。腰の痛み止めの薬が原因で薬物中毒となり、警察の保管庫から押収物の麻薬を堂々と盗み出し、愛人と吸いまくる。違法賭博にものめり込む。暴力も恐喝も働く。そんな刑事マクドノーがセネガルからの不法移民一家の惨殺事件の指揮を任される。ところが事態は思わぬ方向に展開しゆき、自ら招いた不始末からマクドノーはどんどん追いつめられていく。破滅していく主人公がどうなっていくかのハラハラさせる映画であった。

★この作品の描き方の「異常」さは、事務机にイグアナが這い回る幻覚もそうだけれども、ドイツ人監督が、それもかなり屈折した、視点で物事を描き続けてきた監督の目で見たアメリカの裏社会は、やはりどこかおかしい。アメリカ人監督が描くアメリカとまったく違う。ヘルツウォークの作品は不気味さと狂気が混濁していて、観ている者にかなりの不安感と不快感を与える。その印象が残ってしまう。ただ、『バッド・ルーテナント』はあまりの非日常的な描き方に、それが高じて奇妙なユーモアが生まれるが。

★この監督の『アギーレ/神の怒り』(1973年)と『フィッツカラルド』(1982年)も必見である。好き嫌いが分かれるけれど。2作品とも怪優クラウス・キンスキーが主演している。『アギーレ/神の怒り』は16世紀にスペイン軍がアマゾンの奥地に分け入り、副官のキンスキーが反乱を起こし上官家族を皆殺しにしてしまう。映画は、原住民に殺されたキンスキーの娘の遺骸を筏に乗せてアマゾンを下る、その彼の体に無数の小さなサルが纏(まと)わりつくところで終わる。『フィッツカラルド』はアマゾン奥地にオペラハウスを建設する男の執念のはなし。ジャングルを切り開き、豪華客船を山頂に人力で上げる映像は圧巻だった。

★『マイレージ・マイライフ』はリストラ請負会社の敏腕社員の物語である。社員を演じるのはジョージ・クルーニー、じつに格好がいい。アメリカ国内をジェット機で飛び回り、依頼のあった会社に乗り込んでいき、リストラする社員に面接し、解雇を「宣告」するのである。「宣告」は、なぜ解雇するのかを「論理的」に、淡々と説明し、寸分の隙もなく事務的に「処理」していく。反面、リストラを宣告された人々は、話の途中で顔がゆがんで半泣きになったり、「子どもがまだ小さいから」と必死で弁明したり、「なぜ俺がこんな仕打ちを受けるのか」と激怒したりする。カメラはその人たちの顔をアップで映し出す。この作品を劇場で観たときは平日の夜にもかかわらず、かなりの観客が入っていた。若い女性が多かった。おそらくジョージ・クルーニーが出演しているからであろう。

★ある新聞にこの作品評が載っていた。アメリカ社会を「批判的」に描いている、という趣旨だった。目を疑った。それでもう一度DVDで観直した。たしかに、リストラを宣告された女性が自殺して、クルーニーの部下の女性が仕事に矛盾を感じて会社を辞めるシーンはある。それは、直接会ってリストラ「宣告」するよりも、インターネットを通じて画面上で相手の顔を見ながら「宣告」するほうが経費はかからないから、それをやったとたんに自殺者が出て、それに矛盾を感じて退職したというもの。しかし退職した女性はリストラ会社の存在自体には矛盾を感じてはいないように見えた。会社はリストラ対象者の直接会って「宣告」する経営方針に戻す。ふたたびクルーニーに出張を命じる。彼は、颯爽と旅客機に乗り込み、「さすらいの旅」に出る。そこで映画は終わった。

★関西大学の森岡孝二教授に聞いた。日本にリストラ会社はあるのですか。「ある」と教授は答えられた。ただし、リストラ会社が直接社員に解雇を「宣告」しない、裏で解雇の方法を指南するのだ、と。

★先日、失業をして、家を失い、路上生活をしている単身世帯の男性の対応をして欲しいと弁護士から連絡があった。男性は40歳代だった。A市の市役所で待ち合わせをして生活保護を申請し、家も確保した。男性は派遣社員として生計をたてていた。男性は言った。仕事の終わる3分前に「明日から来なくていい」と会社側から解雇を「宣告」された。その後、仕事を探すもなくて、貯えは底をつき、家賃を払えずに路上生活になったのだ。わたしは会社では、いったい、なんだったんだろう、「物」なのか「人」なのか、と。

★映画のはなしに戻す。ありようは文学でも映画でも、その課題の大きなひとつは、社会を反映するその方法と姿勢が問われていることであろう。そうした意味で『マイレージ・マイライフ』の、描く内容、社会の捉え方(批評性の欠如とでもいっておけばよいか)は「異常」としかいいようがない。この作品を観て、アメリカ映画はここまできたか、という思いを強く持った。そういう意味からも、ぜひこの映画を見ていただきたい。

2010年11月2日 月藻照之進

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