裁量労働制を違法に適用していた野村不動産の社員が過労自殺していた。制度の乱用を取り締まり、過労死・過労自殺を未然に防ぐ態勢の不備があらわになった。安倍政権が旗を振る労働時間規制の緩和に対し、懸念の声が膨らむのは必至だ。

裁量労働制を違法適用、社員が過労死 野村不動産
2月20日の衆院予算委員会。「裁量労働制を隠れみのに、ただ働きや長時間労働をさせることがありうる。拡大すれば、もっと起こりうる」。共産党の高橋千鶴子議員は野村不動産の違法適用を例に挙げ、安倍政権が対象拡大を目指す裁量労働制がはらむ危険性を指摘した。

 加藤勝信厚生労働相はこう言ってかわした。「野村不動産をはじめとして、適切に運用していない事業所等もありますから、そういうものに対してしっかり監督指導を行っている」

 野党は今国会で、野村不動産の違法適用をたびたび取り上げ、制度の乱用が長時間労働を助長しかねないと批判してきた。これに対し、加藤厚労相と安倍晋三首相は、違法適用を取り締まった具体例として同社への特別指導に言及。労働基準監督署による企業への監督指導を徹底すると説明し、批判をかわしてきた。

 厚労省は原則として、労働法に違反した企業への是正勧告について公表しない。ところが、東京労働局は昨年12月26日の記者会見で、野村不動産の宮嶋誠一社長を呼んで特別指導に踏み切り、同社に是正勧告をしたことを公表した。「異例中の異例」(厚労省関係者)のことだった。

 特別指導に法的根拠はなく、労働局が独自の判断で実施するものだ。

 「(同社の不正を)放置することが全国的な順法状況に重大な影響を及ぼす」

 東京労働局の鈴木伸宏・労働基準部長は会見で、異例の対応に踏み切った理由をそう説明した。だが同社が裁量労働制を全社的に違法適用していた実態の説明を求める記者団に対し、勝田智明・同労働局長は「会社の方に聞いて下さい」と説明を拒んだ。同社に調査に入ったきっかけを問われても、鈴木部長は「申し上げられません」と言うだけだった。

 厚労省は、個別の企業で発生した過労死・過労自殺の案件について、原則として公表しない。東京労働局は、特別指導は異例の形で公表する一方で、調査の端緒となった社員の過労自殺は通常通り公表していなかった。厚労省関係者は「特別指導の公表を労働局だけで判断したとは思えない。本省の関与があったとみるのが自然だ」と話す。

 1月4日。年頭の記者会見に臨んだ安倍首相は、今通常国会を「働き方改革国会」と名付けた。異例の公表は、その直前のタイミングだった。さらに、同22日の施政方針演説で「働き方改革は成長戦略そのもの」と強調し、裁量労働制の対象拡大を盛り込んだ労働基準法改正案など8本の法案を束ねた関連法案の成立に強い意欲を示した。

 労働時間規制を緩和する裁量労働制の対象拡大と、高度プロフェッショナル制度(高プロ)の導入には、今国会が始まる前から野党の強い反発が予想されていた。異例の公表には、野党の批判をかわす答弁の材料にしようとする狙いがあったのか。政権の真意が問われそうだ。

 野村不動産のように、裁量労働制の違法適用が判明するケースはまれだ。ある労働基準監督官は「違法と認定するには業務内容を詳しく調べなければならず、ハードルが高い。違法適用がどれだけ広がっているのか、正直わからない」と話す。厚労省は違法適用の件数を明らかにしていない。

 労働時間の実態調査をめぐる不適切なデータ問題を受け、安倍首相は、働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大を削除し、今国会での提出を断念した。加藤厚労相は実態調査をやり直す方針を示したが、どんな調査をするかはまだはっきりしない。違法適用の実態は依然としてつかめておらず、それを明らかにする態勢も整っていない。

 安倍政権は今の制度の実態把握もおぼつかないまま、裁量労働制の対象拡大に特化した法案を来年以降に出し直そうとしている。(千葉卓朗、贄川俊)

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 裁量労働制が過労死や過労自殺を招くとの批判に対し、政府が取り締まりの具体例として挙げた野村不動産への特別指導。ところが、指導のきっかけは過労自殺の遺族の労災申請だった。制度の乱用を暴けたのは犠牲者が出た後だった。

 裁量労働制の適用には、労使の合意や本人の同意といった手続きが必要だ。手続きを踏ませることで乱用を防ごうという考え方だが、行政による許可は不要だ。届け出で済むため、事前のチェックは難しい。

 裁量労働制が持つこうした弱点は、安倍政権がなお新設を目指す高度プロフェッショナル制度(高プロ)も同じだ。高プロを適用されると、労働時間の規制から完全に外れる。理論的には、4週間のうち最初の4日間休ませれば、残る24日間はどんなに長時間労働になっても違法にならない。乱用されれば、裁量労働制以上に危険な制度だ。野党が「スーパー裁量労働制」と批判するのも大げさではない。

 高プロは1075万円以上という年収条件があり、会社側と交渉力のある労働者にしか適用されないと政府は説明する。企画業務型の裁量労働制と同様に、適用には労働者の本人同意が必要だが、野村不動産のような有名企業でも乱用されていたことを考えると不安はぬぐえない。

 行政の監督体制を強化する▽効果的にチェックできるよう法改正する▽働く人を守る制度を学ぶ「ワークルール教育」を普及させる▽緊張感のある労使関係を作るよう促す――。命を守るために、規制緩和よりも優先すべきことがある。(編集委員・沢路毅彦)