岩城穣(Asu-net共同代表、弁護士)「補償」なき休業の強要は憲法違反 (4/30)

1 4月7日、安倍首相は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下「特措法」)に基づいて「緊急事態宣言」を発出した。当初、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県が対象地域とされたが、4月16日には対象地域を全国に拡大した。
 そのもとで、営業、出勤、移動の幅広い「自粛」が「要請」され、「休業したら収入がなくなり、生活できない」「来店客がほとんどなくなり、店を閉めざるを得ない」という悲痛な声が街にあふれ、実際、賃金の不払い、解雇、派遣切り、採用内定取消しなどが空前の規模で広がり、「コロナ倒産」というべき倒産・破産も広がり始めている。このままでは、自殺者や強盗などの犯罪も増えることが危惧される。

2 この問題では、しばしば「経済活動か、命の問題か」という立て方がなされ、「今は命が問題だろう。だから自粛は当然だ」という議論が多い。しかし、ことはそんなに単純ではない。労働者やフリーランスの人たちが仕事に行けずに収入が途絶えると最後は餓死せざるを得ないが、これは「命の問題」ではないのか。

3 まず、重要なことは、現在行われている各種の「要請」は法的にはあくまで「お願い」であり、従わないことや拒否することができるということである。

 特措法に基づくということが錦の御旗のように言われているが、同法24条9項は「都道府県対策本部長は、当該都道府県の区域に係る新型インフルエンザ等対策を的確かつ迅速に実施するため必要があると認めるときは、公私の団体又は個人に対し、その区域に係る新型インフルエンザ等対策の実施に関し必要な協力の要請をすることができる。」としているにすぎない。あくまで「協力の要請」にすぎないのである。
 また、同法45条2項は、「特定都道府県知事は、新型インフルエンザ等緊急事態において、新型インフルエンザ等のまん延を防止し、国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため必要があると認めるときは、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間を考慮して当該特定都道府県知事が定める期間において、学校、社会福祉施設‥‥、興行場‥‥その他の政令で定める‥‥施設管理者等‥‥に対し、当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる。」としている。これも「措置の要請」にすぎない。

4 なぜ、営業や就労、外出等を端的に「禁止」できないのか。それは、これらがいずれも日本国憲法が保障する基本的人権だからである。
 働いて収入を得て生活することは、勤労の権利(憲法27条1項)、営業の自由(憲法22条1項)、幸福追求権(憲法13条1項)、さらには「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」(生存権、憲法25条1項)として保障され、また自由に移動することは居住・移転の自由(憲法22条1項)として保障されている。これらは「侵すことのできない永久の権利」(憲法97条)なのである。
 もちろん、これらの基本的人権は「公共の福祉」による内在的制約がある(憲法13条、29条2項)。しかし、その制限は必要最小限のものでなければならない。その制約原理はいかなるものであるかについて、憲法学でこれまで詳細な議論がなされてきたが、今回の新型コロナウイルスをめぐっては、十分な議論がなされているとは言いがたい。

5 特に、施設や店舗の稼働を制約する場合に重視されなければならないのは、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と定めている憲法29条3項である。

 この条項は、狭い意味では土地などの公用収用についてのものであるが、個人の財産である施設や店舗の使用を、コロナウイルスの感染防止のために禁止することは「公共のために用ひる」に当たるといえる。したがって、法律でこれらの使用を「禁止」する場合には「正当な補償」が憲法上求められる。
 つまり、法律による施設や店舗の稼働の「禁止」であれば、これに対する損失の「補償」が一体として行われなければならないのである。

6 また、労働者や一人親方、フリーランスの人たちは、施設や店舗はなくても、働かないと食べていけないのであるから、いわばその労働力を「私有財産」に準ずるものと考えて、同じく「正当な補償」がなされるべきである。このことは、「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」と定める憲法25条1項、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と定める同条2項の要請でもある。

7 そして、稼働や就労の制限が「要請」レベルにとどまるとしても、その制約性が実質的に強ければ強いほど、憲法上の「補償」の必要性は強くなると考えられる。
 多くの人々が「自粛と補償はセットだ」と主張しているのは、憲法上も当然のことなのである。

 国が端的に就労や稼働を「禁止」までしないのは、そうすると「補償」の問題を避けて通れないからであり、「補償」しなくて済まされているのは、あくまで対象者の自発的な「自粛」を「要請」するにとどめる建前をとっているからなのである。

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8 ここ数日間、東京都や大阪府・兵庫県は、営業を「自粛」しないパチンコ店の名前を公表する挙に出ている。これについても、異論を述べておきたい。

 これは、前述の特措法45条2・3項を受けた4項で、「特定都道府県知事は、第二項の規定による要請又は前項の規定による指示をしたときは、遅滞なく、その旨を公表しなければならない。」としていることに基づくものである。

 この条項を根拠に、まるでさらし者にするかのように店名が公表され、知事が「この店には行かないように」と呼びかけている。

 しかし、条項をよく見てほしい。同項の前提となっている3項には、「施設管理者等が正当な理由がないのに前項の規定による要請に応じないとき」という要件が入っているのである。「営業をやめてしまったら従業員の給料が払えなくなり、店が立ち行かない」という事情は、「正当な理由」ではないのか。

 しかも、パチンコ店は、日本政策金融公庫が扱う新型コロナウイルス感染症特別貸付やセーフティネット貸付などの対象から外されていたのである。
 この点について改善を求めるインターネット署名も始まっていたが、4月24日、経産省はパチンコホールも公的融資や保証の対象業種とする方針を示したことが報道されている。運用開始は5月上旬からになるようであるが、これによって、ようやく営業自粛に転じるパチンコ店が増えてくると思われる。

 こういった背景や経緯を無視して、まるで袋叩きのように休業を迫るマスコミや社会状況は異常である。
 特にパチンコ店に対しては、賭博性の問題やギャンブル中毒者の存在をめぐる批判に加えて、経営者に対する民族差別的なヘイト発言も多く、「この際つぶれてしまえ」といった発言すらある。
 賭博性や業態への批判は別途なされるべきであるとしても、これらを根拠に、現在合法的に行われている営業や、従業員の生活保障を考慮する必要はないかのような議論は、極めて危険である。

 この点では、国際政治学者の三浦瑠麗氏がツイッターで、「パチンコは騒がしいので普段から好きではありませんが、見せしめのような店名公表には反対です。自粛なんだからあくまでも基本自由であるということを原則として頭においていただきたい。
行政が電凸を誘う社会的圧力をかけるべきではないし、潰れて労働者がクビになったら責任を取れるのでしょうか。」

と述べているのは、正論であると思う。

9 日本国憲法は「平時」だけ守られればよいのではない。否、むしろ現在のような「非常時」にこそ守られなければならない。
 にもかかわらず、憲法や人権といった視点からこの問題を論ずる向きが少ないことに、私は危機感を覚える。憲法学者や日弁連・弁護士会には、もっと日本国憲法の視点から積極的な議論や提起を行っていただくことを期待したい。

 私たち市民一人ひとりがお互いに励まし合ってコロナ感染拡大を防ぐ努力をすることは当然であるが、だからといって他人の基本的人権、特に生存の基盤に関わる人権を、よってたかって奪っていいことにはならない。その調整をする責務を負っているのが国や地方自治体である。
 批判されるべきは、コロナ感染防止の初期対策を誤り感染拡大を止められなかったばかりか、「自粛」を「強く要請」することを先行させ、営業に対する補償・支援を後手後手にしている現政権ではないだろうか。

この記事を書いた人

岩城穣

1988年登録の弁護士です。