生活保護基準引き下げ違憲訴訟 原告勝訴の最高裁判決を受けて

森岡孝二先生と生活保護基準引き下げ違憲訴訟

      ―原告勝訴の最高裁判決を受けて―

                 2025年7月 全大阪生活と健康を守る会連合会(大生連)大口耕吉郎

 

 6月27日、最高裁は、「厚生労働省がおこなった生活保護基準引き下げは違法である」と大阪と名古屋の原告に勝訴の判決を下しました。戦後の生活保護基準をめぐる裁判では、最高裁で勝訴したのは戦後初めてのことです。歴史的な勝利です。

 この裁判で故森岡孝二先生は「引き下げアカン大阪の会」(以下=「大阪の会」)の代表世話人として活躍されました。同時に、「働き方ASU-NET」のみなさまには物心両面のご支援をいただき、あらためて感謝申し上げます。

(1)戦後最大670億円の生活保護基準引き下げ

 安倍政権時代、厚生労働省(以下=厚労省)は2013~2015年の3回にわたって、平均6.5%、最大10%という、戦後最大の670億円もの生活扶助基準(生活保護のうち食費などの生活費部分)の引き下げを強行しました。この引き下げをするにあたって、厚労省は「物価偽装」ともいえる計算方法を使用しています。

 この不当な対応に対し、2014年から2018年にかけて、全国29都道府県で1022人の生活保護利用者(大阪53人)が「基準引き下げは不当」と裁判に立ち上がりました。

(2)最高裁判決の意義と朝日訴訟

 最高裁第3小法廷で裁判長は、引き下げの根拠とした物価下落を反映する「デフレ調整」について、「裁量の範囲の逸脱、乱用があった」「専門的知見との整合性を欠き、厚生労働大臣の判断の過程及び手続に過誤、欠落があり違法」と断罪しました。しかし、国の賠償責任は認められませんでした。

 1957年に岡山の結核療養所に入院していた朝日茂さんが、兄からの仕送りによる生活保護費の減額は「不当」と提訴したのが、戦後はじめての生活保護基準をめぐる裁判でした。1960年、一審で朝日さんが勝訴しますが、闘い半ばで亡くなられ、親族が引き継ぐも、高裁・最高裁とも敗訴しました。

 その後、老齢加算廃止の生存権裁判など、生活保護基準をめぐって裁判が闘われましたが、最高裁の壁を打ち破ることはできませんでした。

 今回の勝訴の要因は、原告団・弁護団・支援する会が一体となってたたかった成果です。弁護団は裁判長に対し、引き下げによって生活苦に喘ぐ生活保護利用者の実態を突きつけるとともに、厚労省の基準引き下げにあたっての算出方法/「物価偽装」が、いかにデタラメかを科学的に明らかにしました。

 原告団は、生活保護バッシングが続くなか、勇気を奮い起こし、自分たちの暮らしは憲法25条の「1.すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2.国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」からあまりにも乖離している、と訴え続けました。

「大阪の会」は、この原告団と弁護団の活動を支える後方支援として、財政面・運動面(宣伝・署名・要請行動など)で支援し、世論を喚起する運動を進めました。

 裁判が始まった直後、「大阪の会」では共同代表を誰になってもらうかを話し合い、森岡先生(注)になっていただこうということになりました。後日、木下秀雄先生(当時・大阪市立大学教授)、と小久保哲郎弁護士と私が、「働き方アスネット」(当時の名称)の事務所に出向きお願いすると、先生はその場で快諾されました。それから先生は、共同代表の木下先生とともに、共同代表として積極的な役割を果たされました。

 (注)当時、私は「働き方アスネット」の事務局の一員だったので、その関係から森岡先生を共同代表に推薦させていただいた。

(3)生活扶助基準引き下げはどのようにおこなわれたのか

 生活保護バッシングが過熱する2012年、自民党は「生活保護関連プロジェクトチーム」を立ち上げ「ケースワーカー業務の改善、調査権限の強化で不正受給を防止、不正受給の『適正化』」「生活保護給付水準の10%削減」などを公表、これを同年12月の総選挙公約に掲げました。このチームの座長は世耕弘成議員です。ご承知の通り、この議員は生活保護バッシングの先頭にたっていた人物です。

 総選挙は自民党が圧勝して政権に返り咲き、第二次安倍自公政権が発足し、直ちに生活扶助基準削減を厚労省に指示しました。厚労省は、この「指示」にもとづき、生活扶助10%削減をおこないました。

(4)生活扶助670億円の減額手法とは? 生活保護世帯に与える影響とは?

 ★厚労省がおこなった生活扶助費670億円の減額方法、その与える影響は以下の通りです。

ゆがみ調整デフレ調整与える影響
90億円580億円    ★平均6.5%の削減。 ★最大10%の削減。  ★96%の世帯に影響。
問 題 点
①生活保護の漏救層が多く含まれる所得下位10%層と比較した。 ②独断で2分の1調整をして増額分を抑制。①基準部会の検証を踏まえず、厚労省が独自に物価下落を考慮して削減。 ②生活扶助相当CPI(消費者物価指数)を独自につくり、過大な下落率を算出した。 ③下落率の大きかったテレビ、パソコンなど生活保護世帯が購入していない「贅沢品」をふくめて算出した。

 ★減額による大阪市などの1級地1の世帯の被害額は以下の通りです。

【1級地の1の生活扶助費(月額)の推移】

(1級地―1)2004年2012年2020年減額(月)
40代夫婦 子2人(小中生) 22万0050円19万6010円▲2万4040円
40代母子 子2人(小中生) 21万2720円19万0490円▲2万2230円
75歳単独世帯(注2)9万3850円7万5770円7万900円▲2万2950円

(「いのちのとりで裁判全国アクション」ビラより作成)

 (注1)生活保護は大都市、中都市、郡部など6つの級地に分かれている。基準が高い順は、1級地(1と2)、2級地(1と2)、3級     地(1と2)となっている。大阪市1級地―1,富田林市2級地-1、岬町3級地―1

 (注2)75歳以上の高齢者は老齢加算があった時点からの推移。

(5)物価偽装/減額580億円の「デフレ調整」

《厚労省独断で「デフレ調整」を強行》

 670億円のうち580億円が「デフレ調整」によるものです。「デフレ調整」とは、物価下落率に合わせて支給を減額させる「調整」のことです。厚労省は、「デフレ調整」による580億円を引き下げるにあたって、生活扶助相当CPI(注2)なるものをつくりました。生活保護利用者が消費する物価指数のことです。この「デフレ調整」での最大の問題は、厚労省が生活保護基準部会(以下・基準部会)(注1)に諮らず、独断で強行したことです。

(注1)生活保護基準部会=厚労省の社会保障審議会に設置された学識経験者が委員をつとめる常設の部会。

(注2)CPIとはConsumer Price Indexの略、消費者物価指数のこと。

《二つの計算式で消費者物価指数の下落率を算出》

 消費者物価指数を調査する本家は総務省統計局です。調査は5年ごとに実施します。基本的には5で割れる年(例えば2015年~2020年など)でおこないます。計算式はラスパイレス指数(注1)を使って算出します。ところが、厚労省は生活扶助相当CPIを算出するにあたって、ラスパイレス指数とパーシェ指数(注2)を使用しました。

 厚労省は、2010年を基準年にして、物価が異常に上がった2008年と急激に下がった2011年を比較し、消費者物価指数を算出しました。2008年から2010年はパーシェ式、2010年から2011年はラスパイレス式を使いマイナス4.78という下落率を算出しました。ところが総務省統計局がおこなっている消費者物価指数の算出式(ラスパイレス式のみ)では、マイナス2.35です。厚労省は2.07もの下落率の差を算出したのです。

パーシェ式比較時点(2008)の数量を固定、基準時点(2010)と比較し計算。
ラスパイレス式基準時点(2010)の数量を固定、比較時点(2011)と比較し計算。

 裁判では原告側の証人に立った経済統計学が専門の大学教授は「二つの方法を同時に使うことは、方法論としてあり得ない(名古屋地裁の第18回弁論)」と証言しています(「いのちのとりで裁判全国アクション」ビラより)。

(注1)ラスパイレス指数は、基準時に購入した数量と同じ数量を調査時に購入した場合の価格の変化とを比較する。例えば、2010年(基準年)を100として、2015年(比較年)の物価を比較して率を算出する。

(注2)パーシェ指数は、現在の生活に必要な購入費用が基準年からどれだけ増えているかを示す物価変動後の指数。例えば、2015年(比較年)の物価指数を2010年(基準年)と比較して率を算出する。

《生活保護世帯が購入していないものまで含めて計算》

「デフレ調整」は消費品目の「ウエイト」を前提に計算します。「ウエイト」とは家計の消費支出の割合のことです。通常、生活保護世帯の消費支出の割合は「社会保障生計調査」(注1)を基本に算出します。ところが、厚労省は「社会保障生計調査」を使わず、一般世帯の消費支出をもとに計算しました。

 一般世帯の消費支出には、2008年から2011年にかけて下落率の大きいデスクトップパソコン・ビデオレコーダー・テレビ・カメラなどが入っています(下記の表参照)。いっぽう、2008年から2011年の生活必需品(食糧・水光熱費・被服・住居費など)はほとんど下落していません。

 もし、社会保障生計調査にもとづいて、消費者物価指数の計算をしていたら下落率は、単身世帯は1.27%、複数世帯は1.87%です(注2)。生活扶助CPIの消費者物価指数とは三倍以上の差があります。

日本福祉大学の山田壮志郎教授が「全国175の生活保護世帯に、パソコンやカメラの電気製品の支出をアンケート調査しました。その結果、電気製品21品目の購入状況では、生活保護受給後に購入したことがない人が90%以上に上る」とコメントしています(2013年4月12日「しんぶん赤旗」)。

【2008年から2011年の物価下落率】

生活必需品食料99.6%、住居99.8%、水光熱費103.3%、被服99.7%、交通・通信101.2%。
贅沢品液晶テレビ69.1%、ビデオレコーダー60%、DTパソコン、カメラ72%。

(総務省統計局調査より作成)

(注1)「社会保障生計調査」=毎年1100の生活保護世帯の選び出し、一年間の家計収支を調査する方法。

(注2)福岡訴訟の原告団長の高木健康弁護士による計算(2025年5月19日付「しんぶん赤旗」より)。

(6)物価偽装/90億円の「ゆがみ調整」

「ゆがみ調整」とは、一般の低所得世帯と生活保護世帯の均衡を図る「調整」のことです。

 厚労省は、第1・十分位層(所得下位10%層)の消費実態と生活扶助の消費実態を比較し、90億円の減額調整をおこないました。そもそも第1・十分位層と比較するのが間違っています。この階層には生活保護の「漏給層」(注)が含まれています。生活保護基準以下の世帯が多く含まれているのです。この階層と比較し、生活扶助基準が90億円も多いとしたのです。

 もう一つの問題は、厚労省は基準部会に諮らず、増額分を2分の1に「調整」したことです。原告側弁護団は「厚労省は、(引き下げを)激変緩和するため検証数値を2分の1にしたと言うが、増額幅も抑制された結果、97億円の削減」になったと指摘しています(「いのちのとりで裁判全国アクション」ビラより)。

(注)日本の生活保護の捕捉率は10%台しかない。2012年12月度の全国の生活保護世帯数は151万3446世帯なので、90%が「漏給層」である。2012年12月時点で約1360万世帯。この日本の捕捉率は現在でも変わりはない。フランス、ドイツの捕捉率は100%、韓国は約23%。

(7)生活保護基準の引き下げは社会保障の土台を沈めてしまう

 生活保護基準はナショナルミニマムの岩盤です。基準引き下げは生活保護だけの問題ではありません。政府も、基準引き下げによって47項目の制度が影響を受けると公表しました。

【影響を受ける47項目の制度のうち主なもの】

最低賃金、住民税非課税基準、国保料・介護保険料と利用料減免、難病患者への医療助成、保育料と減免、就学援助、特別支援教育就学奨励費、公営住宅家賃減免、公的貸付(福祉資金)など

(2018年11月「しんぶん赤旗」より作成)

 就学援助の認定は、ほとんどの自治体が生活保護を基準にしており、生活保護基準が引き下げられると同時に、全国28万人以上の小中学校の児童が認定除外になりました。

 最低賃金法9条3項には「労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」と明記しています。幸い最低賃金は下げられませんでしたが、もし国が、生活保護基準引き下げに連動して下げようと思えば、その可能性はあったのです。

(8)歴史的な最高裁判決、だがこれからが勝負!

 判決後の運動が重要になっています。歴史的な最高裁判決が下されたにもかかわらず、厚労大臣はいまだに謝罪していません。また原告を無視して、厚労省は独自に委員会をつくり、事後の「解決策」を進めようとしています。「いのちのとりで裁判全国アクション(全国の生活保護基準違憲訴訟を支える会の名称)」は、

   ①違法な引き下げをした厚生労働省の謝罪、

   ②生活保護基準を2012年に戻してこの間の被害額を補償、

   ③各種制度で認定除外など被害を受けた人の回復、

   ④夏季加算の創設、

   ⑤権利性の明確な生活保障法の制定

などを求めて運動を開始しました。

「大阪の会」も全国の支える会と共に、厚労省に向けての署名、宣伝、厚労省への「ひとことハガキ」、自治体への要請などの計画をしています。

(9)最後に

 森岡先生が関西大学を退官される前年の暮れ、先生から「学生に生活保護の講義をして欲しい」と依頼され、関西大学で話をさせてもらいました。その帰り、お好み焼き屋で懇談をしましたが、そのとき先生はこう言われました。

「日本における働き方の問題は貧困の問題だ。これを解放する運動が、ますます求められるよ」

と。この言葉が今も残っています。低賃金の非正規雇用の増大、生活できない年金、日本の生活保護の捕捉率の低さ、社会保障の連続改悪、そして、異常な物価高が貧困化に拍車をかけています。こうしたなかで新自由主義をベースにした右翼的な流れが強まっています。

 こういう情勢のときこそ、賃金・年金・生活保護基準の引き上げと社会保障の改善・拡充の運動が求められます。私は森岡先生が話された「働き方の問題は貧困の問題」の言葉を自らの基(もとい)として、運動を続けていく所存です。

 ASU-NETのみなさま、これまでのご支援、本当にありがとうございました。重ねてお礼を申し上げ、今後ともご支援をよろしくお願い致します。

この記事を書いた人

かわちの自営業者