産経ニュース 2012年3月20日 [karoshi過労死の国・日本 第3部(3)]
最後の言葉「もう一度だけ、会社に戻る」
「命が大事。もう会社を辞めて」
神戸市須磨区の西垣迪世(みちよ)(66)は平成17(2005)年秋、鬱病で休職し帰省していた一人息子の和哉に、たまりかねて言った。見るからに疲れ果てていたからだ。
就職氷河期のさなか、システムエンジニア(SE)として川崎市内の会社に入って4年目。日本有数の大手企業の子会社だったが、人間らしく働かせているとは到底思えなかった。
「もう一度だけ、会社に戻るよ。それでダメなら帰ってくる」。最後に和哉は母を気遣うようにそう言い残し、社員寮へと戻った。そして復職から約2カ月後の18年1月、鬱病の治療薬を大量に飲んで死亡した。27歳だった。
生前、和哉は迪世にこう漏らしている。同僚にも鬱病患者が多く、自分だけ弱音を吐くわけにはいかないこと。上司の期待に応えたい気持ちがまだあること。もしこのまま退職しても、再就職は難しいこと…。
すし詰め231人、昼夜ブロイラー状態
厚生労働省が発表する新卒とパートを除く有効求人倍率は5年以降、毎年1倍を切っている。正社員に転職したくても、全員には職がないという現実は、たしかに厳然としてあったのだが、「同僚にも鬱病患者が多い」とは、何を意味していたのか。
「過労自殺」につながる精神疾患での労災申請が急増している現状を踏まえ、厚労省は昨年11月、新しい認定基準をまとめた。2カ月連続で月120時間残業すれば「強い心理的負荷」に当たる−などと例示し、審査を迅速にするのが目的だ。
迪世のケースは同年3月の東京地裁判決で労災認定されるまでに、約5年を要している。その過程で会社側は、和哉と同じ14年入社組の6人に1人がメンタル不調を訴えた経験があった事実までも明かしていた。
「なぜ僕が止められなかったんだ」。同僚の一人で和哉の友人でもあった清水幸大(29)=仮名=は、突然の訃報を聞かされたとき、自責という言葉では足りないほどの怒りが自分に対してこみ上げた。清水もまた、鬱病を患っていた。和哉と違ったのは、病状の悪化に耐えられずに退職し、営業職の非正規労働者に転職していたことだ。
合併や再編…メンタル対策継続できぬIT業界
当時、清水は和哉と食事をともにした機会に、見かねて「体を動かす職人のような仕事をした方がいい」と勧めていた。和哉は「そうやな」と答えただけだったという。
「和哉がSEに誇りをもって働いていたのは分かっていた。ただ僕は、心と体を壊してまでやる仕事じゃないと思った。もっと強く辞めろと言っていればよかった」。清水は悔やむ。
2人が鬱病になったきっかけは、入社1〜2年目の平成15年に相次ぎ投入されたプロジェクトだった。在京テレビ局の地上デジタル放送のシステム開発だ。昨23年7月の完全移行に向け、地デジ化への準備は当時、すでに始まっていた。
失敗の許されない“国策”だったためか、会社はワンフロアに最大231人ものSEを集め、作業を急がせた。狭い机と人いきれの中、2人は昼夜を問わず働き続けた。食事は弁当をかき込むだけ。終電を逃せば机に突っ伏して朝を迎えた。仮眠室やソファが与えられなかったからだ。
著書「ITエンジニアの『心の病』」(毎日コミュニケーションズ)がある精神科医の酒井和夫(60)は、SEなどのIT技術者は機械相手で会話が少なく、仕事を抱え込むおとなしい性格の人が多いため「一般企業の会社員に比べ鬱病の発症率が2〜3倍ほど高い」と指摘している。
酒井は警告する。「IT企業は、合併や再編が多く、大半が継続してメンタルヘルスに取り組んでいない。IT時代は若いSEを大量に生んだが、こうした若者も過労自殺の危険にさらされているのだ」