http://mainichi.jp/select/news/20150304k0000m040040000c.html
毎日新聞 2015年03月03日
過労死・過労自殺など労災認定請求の推移(省略)
一部の労働者を労働時間規制から除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション(WE)制度」(残業代ゼロ)など一連の労働関連法改正が今国会に提案される見通しになった。長時間労働がはびこる日本で、時間規制がさらに緩和されたら……。最悪のケースをシミュレーションしてみた。【浦松丈二】
◆ケース<1>
◇低賃金でノルマ地獄、ブラック企業合法化?
<太陽光発電システムの企画・販売会社の営業職Aさんは法改正を受けて「業務内容も450万円の年収も変わらないから」と通常の労働時間制から企画業務型裁量労働制への雇用契約の変更を求められ、渋々同意した。
しばらくすると上司は「会社の業績悪化」を理由にノルマを増した。これまでも毎月80時間前後のサービス残業をしてきたが、ノルマ増加後は100時間を超え、過労からうつ症状を発症した>
ブラック企業被害対策弁護団代表の佐々木亮弁護士は「法改正されれば、裁量労働制に移行する会社が急速に増加するでしょう。これまで以上のノルマ地獄が予想されます」と懸念する。
政府が来年4月施行を目指す法改正の柱は二つ。一つが労働時間制からのホワイトカラーの除外。もう一つが裁量労働制の対象拡大だ。裁量労働制とはどれだけ働いても、また働かなくても事前に労使が合意した「みなし労働時間」を働いたとする制度。現在は研究職や弁護士などの「専門業務型」と、事業運営の企画立案、調査、分析に従事する「企画業務型」に限られる。
厚生労働省調査(2013年度)によると、企画業務型の裁量労働制を導入している事業所の「みなし労働時間」は1日平均8時間19分だが、各事業所で最も残業が多い人の実労働時間は同11時間42分だった。これは同省通達の過労死ラインすれすれだ。
佐々木さんは「厚労省審議会が『おおむね妥当』と答申した法案要綱では、店頭販売などを除き、大半の業務が対象になる可能性がある。残業代不払いを続けるブラック企業も裁量労働制を導入して『法令を順守している』と胸を張るでしょう。要するにブラック企業合法化法案になりかねない」と警戒する。
ただし、裁量労働制でも休日や深夜の労働には割増賃金が支払われる。ところが「労働基準法第4章で定める労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定を適用しない」というのが「WE制度」。労働関係NPOは「定額働かせ放題」と批判する。
WE制度は年収1075万円以上の「高度プロフェッショナル」だけに適用されるという。「当面、年収450万円のAさんは適用外だが、経団連は05年に年収400万円以上で適用するよう提言しています。いずれ平均的な年収でも適用される恐れがある」。不評な政策は「小さく産んで大きく育てる」のが霞が関の常とう手段だ。
◆ケース<2>
◇マタハラをいっそう誘発も
<IT企業のコンテンツプロデューサーのBさんは入社5年目に長男を出産、1年後に職場復帰した。産休中にWE制度と裁量労働制が導入された職場には、これまで以上に長時間労働が広がり、深夜勤務が常態化していた。
Bさんは保育園の送り迎えや家事で、深夜まで働くのは無理だ。上司に業務軽減を訴えたが「あなただけ特別扱いできない」「アルバイトになるか、退職してもらうしかない」などと言われ、心身共に疲労の限界に達して休職。休職期間の終了後、雇用契約の終了通知が会社から届いた>
「マタニティーハラスメント」(マタハラ)の被害者支援組織「マタハラNet」の小酒部(おさかべ)さやか代表は「マタハラ被害者約200人へのアンケートでは、残業・深夜勤務が常態化している職場は44%に達しました。マタハラの根っこには長時間労働があるのです」と指摘する。
WE制度については「時間ではなく成果で評価される働き方だ、と政府は言いますが、それは皆が定時に帰れたり、働き方を柔軟に選べるようになったりして初めて実現される。長時間労働が常態化している状況で時間規制を緩和すれば、働き過ぎを助長し、職場でのマタハラがひどくなってしまう」と疑問視する。
「マタハラNet」をサポートする新村響子弁護士は「働く女性の出産、育児を支援するための法律はあるのに現場では無視されることが多い。『長時間労働ができて一人前』が『常識』になってしまっているからです。反対の声が大きい新制度を導入する前に、政府は労働時間の上限を設けるなどして長時間労働をなくし、法律を使いやすい職場環境にしてほしい」と訴える。
◆ケース<3>
◇高収入ならハイリスクでいいのか
<東京都内の民間病院の小児科医Nさんは月8回の当直勤務で疲れ切っていた。それまで小児科は医師6人体制だったが、上司の定年退職などで3人体制に。やがて1人増員されたが、小児科の責任者になったNさんは逃げ場のない過重労働に苦しむ。
大学時代はサッカー部に所属し、スポーツ好きで明るいNさんも「馬車馬のように働かされている」「病院に殺される」と周囲にもらすように。人員減から半年後、「少子化と経営効率のはざまで」と題した遺書を病院の机に残し、真新しい白衣に着替えて窓から身を投げた>
実はこれはシミュレーションではない。1999年8月に妻と子ども3人を残して44歳で亡くなった小児科医、中原利郎さんの過労死事件の概要だ。遺書を読んだ妻のり子さんが過重労働を証明する客観的な証拠・証言を集め、労災認定を勝ち取るまで8年。最高裁で和解が成立するまで11年かかっている。
現在、全国過労死を考える家族の会東京代表として過労死遺族の支援を続けるのり子さんは「夫はタイムカードもない職場で当直、夜勤、時間外労働に追い立てられて亡くなってしまった。今になってようやく分かりました。これは導入準備が進むWE制度そのものです。夫はWE制度のわなにかかったのです。夫は19年間医師をしていたので年収は1075万円を超えていました。でも高収入だからといってハイリスクでいいのでしょうか。このままでは夫のような働き方が当たり前になってしまう。二度と夫のような苦しみを誰にも味わわせないため、何とか法案提出を止めなければ」と訴える。
のり子さんら過労死遺族の訴えが実り、過労死等防止法が成立したのが昨年6月20日だった。その4日後、安倍晋三政権はWE制導入方針を閣議決定している。法案提出は遺族の訴えを踏みにじるものではないのか。