毎日新聞2017年11月14日東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20171114/dde/012/020/002000c?fm=mnm
たくさんの報道陣に囲まれ、ストロボの光に照らされて「誠に申し訳ありません」と頭を下げる経営トップたち。神戸製鋼所の品質データ改ざん、日産自動車やSUBARU(スバル)の無資格検査と、日本を代表する企業の不祥事が次々と発覚している。何十年にもわたり、日常的に行われてきた不正。そこから見えてくるものは何か。【宇田川恵】 「今回の一連の問題は、東芝の不正会計問題などとは少し異なる気がする」。そう話すのは、企業の不祥事やテロ対応などに詳しい危機管理コンサルタント、白井邦芳さんだ。 神戸製鋼は、アルミや銅製品などで顧客が求める基準に合わない製品を出荷していた。納入先の企業は500社を超え、40年も前から行われていたとの声もある。一方、日産とスバルでは、新車を出荷する前の完成検査を無資格の従業員に行わせていた。スバルでは30年以上、常態化していたとされる。
企業の不祥事で記憶に新しいのが東芝の問題だ。経営側が「チャレンジ」の名の下に、過剰な利益目標の達成を部下に厳しく求め、その強いプレッシャーが組織的な利益水増しを招いた。「東芝のような不正会計問題は、経営側が意図的に関わらないとできない。だが、今出ている問題は恐らく、経営側の指示ではなく、現場から始まっていると思う。そして、初めから違法行為をしようなんて考えていなかった可能性が高い」
白井さんが数多くの企業の危機管理をサポートする中で感じるのは、工場などの現場では「できるだけ良いものを効率よくつくりたい」という意識がとても強く、合理化や改善活動を懸命に進めているということ。だが目の前の改善活動などに神経を集中しすぎるあまり、全体をカバーしている法律やルールがあることを忘れてしまうケースが散見されるというのだ。「そもそも現場としては悪いことをしているつもりがない。経営側もきちんとした製品が出来上がってくるから特に問題はないと思い込んでいる。だから何十年も不正が放置されてしまう事態が起きているのでしょう」
もちろん従業員に法律やルールを守らせるのは経営者の責任だ。むしろ、現場の実態を理解せず、不正がまかり通っていることに気付かない経営側にこそ問題があるともいえる。旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)に勤めていた際、「第一勧銀総会屋事件」(1997年)に遭遇し、幹部として混乱収拾に当たった作家の江上剛さんはこう強調する。「現場と経営者の隔たりが甚だしく大きくなり、『分断』が生じていると感じる」。世界的に広がる「分断」の波が日本企業の内部にも及んでいると見ているのだ。
自ら工場にこもってエンジンの研究に明け暮れたホンダの創業者、本田宗一郎氏のような人がトップに就いている会社なら、現場と経営者はしっかりつながっているだろう。しかし「株式市場やアナリストの言うことに右往左往して、四半期(3カ月)ごとに業績を上げることばかり考え、上がってくる数字やデータだけ見ている経営者があまりにも多い」と江上さん。「現場の人たちは今、『もっと俺たちを見てくれ』『物づくりの悲しみや楽しみを一緒に味わってくれよ』って悲鳴を上げているんじゃないか」
日本航空をはじめ、経営破綻した企業に乗り込んできた新しい経営トップが、さまざまな地域の職場に自ら入り込み、社員と膝詰めで語り合っていた姿が重なる。それまであまり目をかけてこなかった現場にこそ、再生の第一歩があるということだろう。経営者が一から十まで会社の全てを把握するのは不可能だ。しかし江上さんは「現場に足を踏み入れ、関心を持たなければいけない。多くの経営者がそうしてこなかったことが何十年も不正が続いてきた原因ではないか」と話す。
根腐れか、日本の「現場力」
「物づくり大国・日本」を支えたのは、真面目で勤勉な労働者がつくる「現場力」だった。
この現場力そのものに疑問を投げかけるのが、さまざまな企業で生じた不祥事の検証作業に当たってきた弁護士、久保利英明さんだ。「日本が誇ってきた『現場力』というものが、実はそれほど万全ではない。むしろ根腐れを起こしている。今回の問題で、そんな実態が明らかになったのではないか」と語る。
日産やスバルでは資格を持たない人が書類に正規検査員の印鑑を押していた。「手をかけてつくった車がまさにこれから外に出て道を走るというその時に、いくらなんでも『代印』はないでしょ。現場力が弱まっている表れですよ」
現場力は、なぜ弱くなってしまったのだろう。「今回の不正は30〜40年ほど前から始まったと言われているが、30年前といえばちょうど日本がバブルに染まった頃ですよね」と久保利さん。「日本の資本主義は元々、わりとまともなところがあった。日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は『論語』を大事にしろと語り、経営倫理がなければ、どんなに利益を上げても無意味だと言い続けた。それが崩れたのがバブルなんです。倫理なんかどうでもいい。とにかく『金だ』『損得だ』と。額に汗して真面目に物をつくろうという精神がこの時期、大きく揺らぎ始めたのだと僕は思う」
他企業も腹くくれ
バブルの災いが企業の内部を徐々に腐らせ、不祥事という形で今、じわじわと表に出つつある。そう分析する久保利さんをはじめ、一連の問題が神戸製鋼や日産など一部の会社の話では済まないだろう、という見方は強い。前出の白井さんは「経営者も現場も気付かないうちに広がっている不正だからこそ、多くの企業の中にいまだに隠れている可能性はある」とも指摘する。
何十年も連綿と続いてきた問題を公表することは、経営トップにとっては地獄だろう。会社の存続さえ危機にさらしかねないからだ。
だが、久保利さんは今こそ、不正をただすしかないと言い切る。「問題を隠したまま企業が強くなることはない。問題があれば、経営者は腹をくくって正直に対応し、心を入れ替えるしか復活のしようがないんだ。今、改めてバブルで失われた経営倫理が求められているのだと思う」
物づくりを軽視してきたツケが企業を“修羅場”に引き込んでいるのかもしれない。そして、それは企業が身を正し、新たに出直すチャンスにもなり得ると信じたい。