「命をかけた選択」を強いられている――重度障がい者にとって「働くこと」の意味 (10/21)

「命をかけた選択」を強いられている――重度障がい者にとって「働くこと」の意味
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2019/10/21(月) 8:00 配信

内定を断るか、不安があっても介助を受けずに働くか、「命をかけた選択」を強いられた――。重度障がい者の女性はそう語る。2019年7月の参院選で2人の重度障がい者が国会議員となり、国の「重度訪問介護」が就労中に受けられない問題が注目された。重い障がいのある人が働くことをどう考えるのか。当事者と独自の取り組みを始めたさいたま市に取材した。(ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)

病院を出ることが目標だった
さいたま市に住む猪瀬智美さん(30)は、全身の筋力が低下する難病、筋ジストロフィーがある。車いすで室内を移動することはできるが、立ち上がることはできない。トイレへの移乗も介助が必要だ。時間の切れ目なく、長時間ヘルパーが入る「重度訪問介護」を受けながら一人暮らしをしている。
ところが、午前中の3時間と午後の3時間は介助を入れていない。就労中は「重度訪問介護」を受けられないからだ。
猪瀬さんは、不動産会社の契約社員として在宅で働いている。午前9時になるとパソコンを立ち上げ、オンライン出勤簿にアクセスする。営業に必要な書類を作成したり、集計業務を行ったりする。ビデオ通話やチャットアプリを使って、朝礼や会議にも参加する。

〔写真〕猪瀬智美さん(撮影:長谷川美祈)

2012年、22歳のときに病院を出て一人暮らしを始めた。就職活動は難航した。翌年、ハローワークの障害者雇用の窓口で在宅でできる仕事を見つけ、内定にこぎ着けた。
「病院を出て、自立することが私の目標でした。私にとって、地域で暮らすことと仕事をすることは切り離せないものでした。障害年金で足りない部分は、自力で稼いだ収入で補いながら生活をしていきたい、と。内定をもらえたときは、自分にも仕事を通じて社会で活躍できる場がもらえた気がして、すごく自信になりました」
仕事を始めることを区役所に報告しに行くと、職員からこう告げられた。「現行法では、仕事中は介助を入れることが認められていないんですよ」。猪瀬さんは愕然とした。
「『え? 一人でトイレにも行けないのに?』と、本当にびっくりしたんです」
やっとの思いで得た内定を断るか。トイレや水分補給を我慢して介助なしで働くか。「命をかけた選択」を強いられた。悩んだ末、後者を選んだ。昼休憩の1時間に介助を入れることでしのいだ。
「勤務中はトイレが心配で、水分も極力取らずに我慢していました。でも、どうしても体調の波はあって。急に体調を崩して、近くに住むヘルパーさんに助けを求めたこともありました。その方がお休みで家にいたので駆けつけてくれましたが……」

〔写真〕猪瀬さんは肺炎を起こした際、痰の吸引のため喉にチューブ(気管カニューレ)を挿入した。万一に備えて、自宅には吸引器を常備してある(撮影:長谷川美祈)

雇用政策か、福祉制度か
「重度訪問介護」は障害者総合支援法に基づくサービスで、施設や病院を出て、地域で暮らす重度障がい者に対して、入浴、排せつ、食事の介護や、外出時の移動のサポート、日常生活の見守りを提供する。障がいの度合いに応じて、24時間態勢でサービスを受けることも可能だ。
利用要件は厚生労働省告示(2006年、告示第523号)で定められている。その中の「通勤、営業活動等の経済活動に係る外出、通年かつ長期にわたる外出及び社会通念上適当でない外出を除く」という一文によって就労・就学時の利用は認められてこなかった。
「経済活動に係る外出」への支援が認められていない以上、在宅であっても「経済活動」をしているあいだは制度が使えない、というわけだ。当時はいまほどICTが発達しておらず、在宅勤務は想定されていなかったと考えられる。

〔写真〕猪瀬さんの自室の様子。ヘルパーが交代でやってくるので、ラベルや伝言板で情報を共有する(撮影:長谷川美祈)

困った猪瀬さんは、さいたま市のNPO法人「自立生活センターくれぱす」(2018年に法人は解散)代表(当時)の上野美佐穂さんに相談した。
上野さん自身、重度の障がいを持っている。21年前に病院を出て地域で暮らす際、生活保護を受けた。2001年に自立支援活動を始め、数年かけて軌道に乗せるまで生活保護の受給は続いた。上野さんはこう言う。

「障がい者は働けないと決めつけて、生活保護ありきの制度設計にすることには問題があると思っています」

2017年、猪瀬さんは「勤務時間中もヘルパーサービスを使えるようにしてほしい」という要望書をさいたま市に提出した。
市が調査すると、2018年4月時点で、市内の「重度訪問介護」の利用者は75人。そのうち、在宅就労者と在宅就労希望者が合わせて3人。前者は猪瀬さんともう一人。後者は矢口教介さん(31)。矢口さんは猪瀬さんよりも障がいの程度が重く、介助なしでは生活できない。調査のころは就職活動中だった。その後IT企業から内定が出たが、制度ができるまでは、スキル習得のためと割り切ってインターンとして無報酬で働いた。

矢口教介さん(左から3人目)。2019年9月、さいたま市重度障がい者就労支援事業利用者の報告会で。矢口さんは「IT技術の発達で僕ら重度障がい者にできることも増えている。国は働きたいと思う人の気持ちを潰さないでほしい」と述べた(撮影:古川雅子)

さいたま市障害支援課が厚労省に問い合わせたところ、「在宅勤務であっても、経済活動に係る支援は認められない」という回答だった。
厚労省の見解では、障がい者の就労に必要な介助は、就労で恩恵を受ける企業が負担すべきだとされている。「障害者雇用促進法」で事業主に対して障がい者雇用を促進する法整備もなされている。
さいたま市障害支援課は、労働政策課と協力し、企業に対して助成金制度があることをPRして障がい者雇用を促す方策も検討したが、実際の雇用には結びつかなかった。障害支援課の安田純さんはこう言う。
「事業主さんに想定以上の経費がかかることも障壁の一つになっているのではないか、福祉制度のなかで補っていかなければならないのではないか、と感じました」
2018年、さいたま市は、内閣府の地方分権改革有識者会議に、重度障がい者の在宅勤務時の訪問介護利用を認めることを提案したが、同会議は「2021年度の障害福祉サービス等報酬改定に向けて結論を得る」として、事実上判断を先送りした。提案への回答文にはこう書かれていた。
「個人の経済活動に対して障害福祉施策として公費負担で支援を行うことについては、事業主による個々の障害特性に応じた職場環境の整備(ヘルパーの配置等)などの支援の後退を招くおそれがある」
また、「就業時間中のトイレや水分補給は労働(経済活動)の一環であると捉えられる」とした。

猪瀬さんは、上腕を自力で持ち上げることができない。満杯の水筒やペットボトルから飲むことができないため、ヘルパーさんに、6分目ぐらいに減らしたものを準備してもらい、軽いコップに移し替えて飲む(撮影:長谷川美祈)
在宅で仕事中に水を飲ませることや、人工呼吸器の不具合を調整することも「個人の経済活動の支援」に当たるのか。さいたま市の解釈を安田さんはこう説明する。
「当事者の要望を聞くと、働くこと自体にサポートを必要としているわけではないと分かったんですね。働くことはできる。能力もある。ただ、それ以外の日常生活の部分、水分の補給であったり、体温の調節であったり、不測の事態で体勢が崩れたのを直すことであったり、そういったことができなくて困っているのだ、と。これは、生きていくために必要な『日常の支援』なんだと私たちはとらえました」
同市は、今年6月、重度障がいの在宅勤務者の支援事業に乗り出した。国が対象外としている「就労中の重度訪問介護」を肩代わりする。全国初の試みだ。
猪瀬さんも9月から利用を始めた。午後3時から4時半までの1時間半、市の補助を受けて、勤務中にヘルパーを派遣してもらっている。全ての勤務時間がカバーされていないのは、IT企業の正社員となった矢口さんと市の予算を分け合うかたちになったからだ。猪瀬さんはこう話す。

「進行性の病気なので、落ちた手を自力で上げられなくなったら、仕事を辞めなければいけないのかなという不安はずっとありました。市独自の制度ができてからは、安心感が全然違います」
(撮影:長谷川美祈)

根本は障がい者の尊厳の問題
障がい者の介護保障に詳しい弁護士の藤岡毅さんは、障がい者にも健常者と同様の「働く権利」が認められるべきだと言う。
「2006年の厚労省告示第523号が就労時・通勤時のヘルパー利用を禁止する理由とされていますが、この告示は、介助者を派遣する事業所が報酬を請求するときの規定です。実務的なルールにすぎない。障がい者が得るべき人権を制限するだけの法的根拠にはなり得ません」
「障害者総合支援法の前身である障害者自立支援法(2006年)を導入した際、国は障がい者の就労・自立支援を主眼に置いていたはずです。それなのになぜ、『働いたら支援しません』というようなルールがまかり通るのか」

藤岡毅さんは長年、障害者自立支援法違憲訴訟全国弁護団の事務局として障害福祉制度の改善を訴えてきた。「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」の共同代表も務める(撮影:長谷川美祈)
2019年7月の参議院選挙で重度の障がいを持つ木村英子さん(54)と舩後靖彦さん(62)が当選した。その後、議員活動のあいだ「重度訪問介護」が受けられるのか、受けられないとしたら介助費用を誰が負担するのかが注目された。
結局、2人が国会に登院した日は一律1日8時間分の介助費用を参議院が負担することになった。
木村さんは「当面の対応として致し方ない」としながらも、「重度訪問介護」の見直しを訴え続けている。
「24時間365日の介護が必要な私たちにとって、介助者は命綱なんです。介助者を切られるということは、体をもぎ取られるようなものです。全ての障がい者に就労や就学を権利として認め、公費(社会福祉予算)で社会参加できるようにすべきです」

木村英子さん(撮影:長谷川美祈)

木村さんは、生後まもなく歩行器ごと玄関へ落ちて障がい者となり、18歳まで神奈川県の施設と養護学校で育った。施設では介助を受けられないという心配はないが、裏返せば四六時中管理されるということだ。プライベートな空間はベッド一つ分だけ。介護職員による虐待やセクハラを受けたこともある。意を決して施設を出たのが19歳のときだった。
初めてファミレスでご飯を食べたときのことは、いまでも忘れられないと言う。
「『自分で好きなメニューを選んでいいんだ』って、それだけで感動したんですよ。(施設を出ることに)周囲はとにかくみんな反対でしたし、親にもお願いだから施設に入ってくれと頼まれました。でも私は、施設に戻ることは絶対に嫌でした」
もちろん、心おどることばかりではなかった。町へ出れば、トイレに行くのにも、道行く人に助けを求めなければならない。
「人によっては『10分だけ手伝えます』とか、『階段を上げるところまでなら』とか。人の善意をつなぎ合わせるようにして、命をつないできました」

(撮影:長谷川美祈)

木村さんは、「重度訪問介護」が就労・就学時に利用できないという制度上の穴にスポットが当たっているが、根本は、障がい者の尊厳の問題だと主張する。
「19歳のとき、文字通り命がけで施設を飛び出さなければ、私もいまごろ施設にいたはずです。私は横浜市出身なので、津久井やまゆり園の事件は他人事ではありません。自分がそこにいた可能性を想像します。いざ地域に出て暮らし始めても、声を上げ続けないと、また施設に入らざるを得ない状況がすぐにやってきてしまうのです」
「現在の障害者総合支援法による介護保障は、食事、着替え、トイレ、入浴など、人が生きる上で当たり前の“最低限度の動作”だけを保障するような制度になっているんです。それすらも十分ではありません。自治体によっては、1日に1回しかご飯を食べられないとか、トイレも我慢するしかない状況の人もたくさんいます。介助者というパートナーがいてこそ、健常者と同様の生活を享受する権利が保障され、労働が実現されると思います」

重度障がい者は施設で暮らす人が多い。木村さんは「障がい者は(健常者と)分けられて生きてきた」と言う(撮影:長谷川美祈)
日本財団の障がい者就労支援プロジェクト「はたらくNIPPON!計画」を指揮する竹村利道さんは、高知県のNPOでソーシャルワーカーとして働いていたころから現在まで、長年、障がい者の就労支援に取り組んできた。竹村さんはこう言う。
「“一億総活躍社会”と言うのであれば、障がい者も含まれるべきです。2人の国会議員の誕生で、制度が働くことを前提としておらず、『働ける』という人を支援できない問題が可視化されました。いまこそ、ヘルパー拡大の議論にとどめることなく、福祉、雇用・労働、医療、年金、経済政策、財政……と視野を広げて、みんなの暮らしをトータルに考えられる議論を生み出すべきです。政治の力に期待するのはまさにその点です」
木村さんは、国会議員となった現在の心境をこう話す。
「障がい者を取り巻く現状を知っていただく機会が増えたという意味では(議員になったことは)意義があったと思っています。いままで35年間、生きるための闘いだと思って障がい者自立支援に取り組んできました。議員活動も同じです。だから、議員になってうれしいというよりは、また新たな闘いが始まるんだなと。いまはそんな心境です」

古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいを抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。人物ノンフィクションも数多く執筆。
 

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