http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2013/07/20130707s01.htm
河北新報 2013/7/6
原子力発電は一体、どこへ向かおうとしているのか。将来像についての議論は不在のまま参院選に突入した。
8日から原発の新たな規制基準が適用され、北海道、関西、四国、九州の4電力が早速、再稼働に備えて計5原発10基の安全審査を申請するとみられる。参院選のさなか、停止していた原発の再稼働を目指す動きが本格化する。
東京電力も柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の安全審査申請を検討しているというから、驚くばかりだ。
福島第1原発事故で放射能汚染を引き起こし、これから何十年も廃炉作業に取り組まなければならない企業が、その一方で別の原発を運転するというのは理解に苦しむ。
再稼働に対し、自民党政権は原子力規制委員会によって安全性が確認されれば認めるという立場だが、原子力を取り巻く閉塞(へいそく)状況に変わりはない。核廃棄物の最終処分方法については、何の進展もない。
再稼働が進めば使用済み核燃料は増え続け、今後の処分がさらにやっかいになっていく。解決策の手掛かりも示さないまま運転を認めるのは、無責任でしかない。
原子力の安全性に対する根本的な疑問も拭い去られたとは思えない。福島第1原発事故によって、炉心溶融(メルトダウン)という極めて深刻な事故が現実になった。
大量の放射性物質をばらまいて福島県などを汚染し、いつになったら戻れるのか見通しが立たない地域がいまだにある。福島第1原発事故ではっきりしたのは、絶対的な安全性はあり得ないということだ。
各党の参院選の公約では、自民党を除けば濃淡はあるにせよ、おおむね「脱原発」を志向している。自民党と連立を組む公明党も「速やかに原発ゼロを目指す」という内容だ。
原子力の当面の課題は、再稼働を認めるかどうか。実現までの道筋ははっきりしないが、規制委が技術的な安全性を認めたならば、国と地方の双方で政治レベルの判断が求められるとみられる。
目先にとらわれず、将来の電源構成や核廃棄物の処分などを総合的に考え合わせて、判断すべきだ。長期プランがないままやみくもに決めてしまうのは、さまざまな問題の先送りにしかならない。
仮に新基準を満たしたとしても、決して重大事故に至らないなどということは誰も保証できないだろう。目を向けるべきは、事故は起きると仮定して、その影響がどこまで深刻化し、いつまで続くかではないか。福島第1原発事故という判断材料が現にある。
広い意味の安全性であり、原子力発電技術を採用していくのかどうかは、事故の影響度も大切な尺度になるはずだ。
その視点がもし欠けていたならば、福島第1原発事故はなかったに等しくなる。そんなことが許されるわけがない。