新田龍さん「労働環境を悪化させる“ブラック乞客”とは」(1/20)

労働環境を悪化させる“ブラック乞客”とは:ドコモ代理店「クソ野郎」騒動に潜む、日本からブラック企業がなくならないそもそもの理由 
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2001/20/news019.html
2020年01月20日 06時00分 公開 [新田 龍,ITmedia]

〔画像〕理不尽な要求をしてくる「ブラック乞客」(画像はイメージ、出所:ゲッティイメージズ)
「親代表の一括請求の子番号です。つまりクソ野郎」

「いちおしパックをつけてあげてください」

【画像】ドコモ、兼松コミュニケーションズの謝罪文

「親が支払いしてるから、お金に無頓着だと思うから話す価値はあるかと」

 千葉県市川市の携帯電話販売店で新年早々発生した接客トラブルは記憶に新しい方も多いだろう。

 携帯電話の機種変更のため販売店を訪れた男性客は、対応したスタッフから料金プランの見直しを勧められ、数枚の資料を渡された。その中に偶然紛れ込んでいた営業メモには、冒頭の通り当該男性を侮辱するような内容が書かれていたのだ。本件はすぐさまネットで拡散し、ニュース番組でも報道される騒ぎとなった。

 男性は「『親が支払い』というのは実家が自営業のため、父親名義でまとめて支払った方が都合が良いだけの理由であり、顧客情報から勝手に推測して、このような指示を出すなど信じられない」と語っており、ネットで話題になってからようやく、代理店側から謝罪の連絡があったという。

 携帯電話会社は「不適切な内容のメモを、お客さまにお渡ししてしまったことは事実」としたうえで、「当該店舗だけではなく、全店舗に対して、今まで以上に指導徹底し、再発防止に努めてまいります」とコメントしている。

 ちなみに、当該トラブルが発生したのがNTTドコモの販売店であったため、ドコモの体質を非難する声が多く聞かれたが、同キャリア販売店でドコモが直接運営しているところは存在しない。一部、ドコモの100%子会社である「ドコモCS」が運営する店舗はあるが、それ以外は全てフランチャイズ店なのだ。今回問題が起きた「ドコモショップ市川インター店」は、「兼松コミュニケーションズ」の運営によるもので、同社はドコモのみならず、au、ソフトバンク、ワイモバイルの携帯販売店を全国で約420店舗(2019年4月1日現在)運営している古参企業である。

〔画像〕ドコモからのお知らせ
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 全国に販売・サポート網を築くため、携帯キャリア各社は人件費を安く抑えられる代理店を活用する傾向にある。キャリア各社は独自のショップスタッフ教育プログラムを用意し、接客スキルの向上に努めてはいるのだ。ただ、スタッフの採用と普段の育成については各代理店の力量差がどうしても出てしまう。良い雇用条件を提示できる代理店なら能力の高いスタッフを雇える一方で、例えば給料の安い代理店にはレベルの低いスタッフしか集まらない、といったことも起こり得る。結果、今回問題を起こしたようなドコモショップが生まれてしまうわけだ。

■「クソ野郎」暴言の裏に“ブラック乞客”?
来店客にまつわる侮辱メモをやりとりし、それが流出するなどさすがに論外であり、今般の店舗および店員に対して擁護の余地は皆無である。しかしこの問題の背景には、一部のモンスタークレーマーなど悪質客への対応を強いられる接客業スタッフの鬱積したストレスがあるのかもしれないし、「悪質クレーマーも相手にしなければいけない、割に合わない職場だ」といったネガティブイメージが浸透し、結果としてモラル意識の低いスタッフしか採用できない状況に陥っている、という代理店側の事情もあるのかもしれない。これはドコモだけの問題ではない。さまざまな客層を相手にしなければならない携帯販売業界自体、ひいては日本という国で接客業を営むうえで特有の問題なのだ。

 携帯電話販売店に勤務する筆者知人はこう語る。

「今回の件についてはお店側の対応が悪いのは間違いない。しかし私たち販売スタッフもお客さまから心無い言葉を言われたり、怒鳴られたりすることも多いんです。かといって決して言い返すことはできず、こうやって報道されることもない。ストレスフルな環境ですよ」

 仕事柄、ブラック企業問題についてよくコメントを求められる。その中で、頻出する質問ながら回答が難しいのが「これほどブラック企業が社会的な問題になっているのに、なぜ淘汰されることなく生き永らえているのか?」というテーマだ。

 長くなるので詳細はまた別機会に述べるが、「労働法規と労働行政の問題」「日本的雇用慣行の問題」「経営者と従業員の問題」に加えて必ず筆者が挙げる理由の1つが「ブラック乞客」の存在だ(「乞客」とは、ホワイト企業アワードを受賞したシステム開発企業「アクシア」代表の米村歩氏が頻繁に発信している概念で、「理不尽な要求をしてくる悪質顧客」のことを指す)。

〔画像〕理不尽な要求をしてくる「ブラック乞客」(画像はイメージ、出所:ゲッティイメージズ)
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■「顧客」と「乞客」の違い
「顧客の要求」といえば、「見る目が厳しい日本の消費者の要求水準に合わせようと努力したことで、高品質の製品やサービスが生まれた」と肯定的に捉える向きがある一方で、「サービスや商品に完璧を求め、無限に要求をエスカレートさせるモンスター客やクレーマー対応のためにブラック労働が強化される」と批判的な文脈で捉えられることもある。

 後者については、日本社会における空気感のようなものと密接に関係している。長らく儒教的文化の影響を受けたことも一因かもしれないが、「立場が下の人は上の人の言うことを黙って受け入れるべき」かのごとき無言の社会的圧力があり、それに対して異論を唱えることは和を乱す行為と捉えられてしまう。教育やスポーツ指導の現場で、いまだに体罰やパワハラがニュースになり、職場で相変わらずセクハラやモラハラが横行しているのもその延長線上のことであろう。

 ブラック乞客も同様である。彼らは「金を出してるんだから言うことに従え」「お客さまは神様だろ!?」といった意識が根強く、自らの立場を「上」と見なし、過剰な水準の接客サービスを悪気なく従業員に強いる。結果的に、対抗手段をもたない末端の労働者が給与に見合わない過剰労働を強いられることにつながってしまうのだ。

■「お客さまは神様」の勘違い
ちなみにこの「お客さまは神様」というフレーズは、演歌歌手の三波春夫氏から発せられて有名になった言葉だが、これは悪質クレーマーが呪文のように唱える「金を払った客なんだから、神様扱いしろ」「神様なんだから、徹底的に大切に扱って尽くせ」といった意味では断じてない。氏は生前インタビューでこのフレーズについて問われた際、「歌うときに私は、あたかも神前に祈るように、雑念を払って澄み切った心になる」「演者として、お客さまを神様と捉えて歓ばせることが絶対条件なのだ」というふうに答えている。この場合の「お客さま」はあくまで聴衆のことであり、カスタマーやクライアントを指しているわけではないのだ。

〔画像〕三波春夫オフィシャルサイト お客様は神様です
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 相応の対価も払わずに、サービス要求水準ばかり厳しいお客さまは「神様」ではない。高いレベルのサービスを受けて気持ちよくなりたいのであれば、それに見合った金額を支払うお店に行けばよいのだ。また、暴言や恫喝(どうかつ)で相手を無理やり動かそうとするより、「忙しいときはお互いさま」と対等な立場で、相手に敬意を払って接すれば、その敬意はあなたに返ってきて、大切に扱われるに違いないはずだ。客であることをかさに着て威張るブラック乞客は存在自体が“イケてない”のである。そもそも、自分から「お客さまは神様だろうが!」などと言い張る客にロクな者はいない。もし誤解されているようなら、本日より認識を改めて頂くことをお勧めしたい。

■企業間でも問題になる「ブラック乞客」
同じことは、接客業のみならず、企業間の取引についても当てはまる。エン・ジャパンが調査した「中小企業の残業実態」によると、「残業が発生している主な理由」のトップは「取引先からの要望(納期など)にこたえるため」(51%)であった。取引先に残業を強いる。まさにこれも「ブラック乞客」による被害であろう。

〔画像〕残業理由のトップが「取引先の要求」(出所:エン・ジャパン「『中小企業の残業』実態調査」)
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 筆者は働き方改革推進による労働環境改善サポートが本業であるが、各地で経営者の皆さまに「日本はもう10年以上前から人口が減少しており、これから若い働き手はますます不足します」「そんな中、『何事も残業でカバーする』というやり方では取り残されますよ」と警鐘を鳴らし続けている。もちろん多くの方は危機感を抱いて行動を起こしていただけるが、中には次のように反論されるケースもある。

「それは分かるけど、実際残業をなくすなんてとてもできないよ! ウチはお客さんからの急な依頼にもすぐ対応することで選ばれているんだから!」

 お気持ちはよく分かる。実際、私自身もブラック企業勤務時代はまさにそのようにして仕事をとってきていたからだ。しかし結果的に疲弊してしまった経験があるからこそ、今は嫌われ役を覚悟してこのようにお返ししている。

「それは『選ばれている』のではなく、『あの会社なら多少理不尽な要求でもやらせられるだろう』となめられてるんですよ。御社がやるべきなのは『残業でカバーする』ことじゃありません。『ブラック乞客を切る』ことと、『品質で選ばれる』ことです」

 ブラック乞客の理不尽な要求を受け入れてしまうと、今度はそれに間に合わせるために自社の従業員に理不尽な長時間労働を強いることになってしまう。すなわち、理不尽が乞客から自社へ伝染してしまうのだ。

■顧客と協議を行い、ブラックな環境が改善したケースも
弊害はそれだけではない。ブラック乞客の要求に従って長時間労働してしまうと、適正な利潤を提供してくれる優良顧客への対応に十分な時間を割けなくなってしまう。そうすると仮に売上は確保できても利益は低下し、労働時間に見合った給与も払えなくなり、大切な従業員のやる気まで削がれてしまうだろう。

 そのためには、自社でできる範囲とできない範囲を明確に切り分け、顧客に説明して納得してもらい、かつ納期や仕様の面で協力してもらうことだ。実際、長時間労働が常態化していた運送業者が荷主と協議をおこない、「配送ルートや集配場所の見直し」「出荷作業に荷主が協力」などを実現した結果、残業が削減できた事例もある。

〔画像〕取引先と協議し、残業を削減した企業も(出所:厚生労働省「労働基準監督署等で把握した働き方改革を阻害する取引環境等の改善事例」)
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 顧客がそれ以上の対応を求めるなら対価を請求すべきであるし、それでも理不尽な要求を押し付けてくるようであれば、無理な要求をしない優良顧客を開拓していくしかない。

 例えば、福岡市早良区の建設資材リース会社「拓新産業」は、不人気で就職希望者が集まらなかったことに危機感を抱き、30年以上前から労働環境改善を続けている。業界的に「残業しない」「休日は仕事を受けない」ことを貫くのは困難であったが、取引先を回って理解を求めた。また、売上の2割を特定の1社に依存する状態だったが、「無理な注文を断れなくなるから」との考えで新規取引先を開拓し、今では約200社から広く薄く仕事を受けるやり方に改めた。同社創業者の藤河次宏氏は、こうした働き方ができるようになったのは「お客さまは神様」という考えを捨てたから、だと語っている。

【参考】福岡の建設資材リース「拓新産業」、社員満足主義で就職希望殺到(産経新聞)
https://www.sankei.com/region/news/170314/rgn1703140027-n1.html

 見かけの売上だけに左右されることなく、相手は理不尽な要求をしてくるブラック乞客なのか、お互いに敬意を払って仕事ができる優良パートナーなのかを見極めて取引したいものである。少なくとも、「取引先に理不尽な要求を突きつける顧客は『ブラック乞客』だ」という認識を世の中に広げていきたい。それが当たり前になれば、利益を産まない無駄な残業も、あり得ないようなクレーマーも消滅していくことだろう。

著者プロフィール・新田龍(にったりょう)

働き方改革総合研究所株式会社 代表取締役/ブラック企業アナリスト

早稲田大学卒業後、複数の上場企業で事業企画、営業管理職、コンサルタント、人事採用担当職などを歴任。2007年、働き方改革総合研究所株式会社設立。労働環境改善による企業価値向上のコンサルティングと、ブラック企業/ブラック社員関連のトラブル解決を手掛ける。またTV、新聞など各種メディアでもコメント。著書に「ワタミの失敗〜『善意の会社』がブラック企業と呼ばれた構造」(KADOKAWA)他多数。
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