非正規雇用労働をめぐる闘いの方向(4)
「労働者分断」を乗り越えてきた韓国労働運動(下)
第13回 「労働者分断」を乗り越えてきた韓国労働運動(上)https://hatarakikata.net/modules/wakita/details.php?bid=15 の続き
民営・韓国通信のリストラと労働者分断−契約職の孤立した闘い
この20年間、韓国における非正規労働運動をめぐって実に多様な事件が生じました。その一つが、韓国通信をめぐる労働者の分断に伴う契約職労働組合の孤立した闘いです。2000年1月当時、公企業「韓国通信」(略称、KT。日本のNTTに相当する巨大企業)では、正規職が3万8000人、非正規職が約1万人雇用されていました。97-98年、韓国を襲った経済危機の中で、公的通信事業部門の「民営化」が進められました。民営化されたKTは、大規模なリストラ策を強行しましたが、その中で身分保障される正規職と、リストラの嵐が直撃する非正規職の間で深刻な対立・分裂が生まれました。そして、KT労組として団結・統一してリストラと闘うことができないまま、非正規職だけで組織された「韓国通信契約職労働組合」が結成されたのです。同年9月、正規職労組の規約変更によって、当時の労組法に基づき設立されました。当時、契約職労組の組合員は1000人近くに達し、個別企業の非正規職労組としては最大の組織でした。
しかし、会社側のリストラ策は厳しいもので、約7000人の契約職を同年11月から12月にかけて解雇するとともに、補修業務部門(男性契約職)を請負化し、翌年(01年)には女性契約職らによる番号案内等の業務を廃止したのです。これに対して、韓国通信契約職労組は、賃金引き上げと待遇改善、雇止め反対と正規職化を要求して、2000年12月13日、ストライキに突入しました(800人参加)。以後01年1月18日まで、4次にわたるソウル上京闘争、12月28日には早朝の本社侵入座り込み、1月16日、漢江大橋「高空デモ」などを展開しました。その後も、会社側との衝突や電話局占拠等で警察と衝突し、負傷や拘束を受けながら、02年5月12日、具体的な成果のないまま517日間の長期闘争を終えました。
通信契約職労組の抗議活動 漢江・高空籠城
(ハンギョレ新聞2014年1月5日)
(ハンギョレ新聞2014年1月5日)
この契約職らの運動は、「非正規職問題の社会化と非正規職運動の前進」に決定的な役割を果たすものでした。非正規職化を政策的に推進する政府や資本に対抗して、非正規職全体の利害と要求を掲げて闘った「代理戦的な性格」の闘争でした。この闘いを非妥協的に献身と犠牲によって展開した精神は、以後の多くの非正規職労働運動に貴重な教訓を残したものとされています。
ただ、正規職で組織されるKT労組は、民主労総に所属する3万人規模の大組織でした。しかし、通信契約職たちを組織せず、また、その闘争に一切共同することもなく孤立させたまま「見殺す」ことになりました。これについて、民主労総の中でKT労組に対する強い批判の声が上がりました。これは、その後、同労総が内部に抱える深刻な葛藤要因となりました。そして、2009年7月、KT労組は組合員3万人による投票の結果、95%の賛成で脱退案を可決し、「共生と連帯の運動」を進めるとして民主労総から離れ、独自の労使協調路線をとることになったのです。〔注5〕
〔注5〕李元甫『韓国労働運動史-100年の記録』(2005年)(韓国語)、民主労総政策研究院『民主労総10年年表、1995―2005年』2005年(韓国語)、全国非正規職労働組合代表者連帯会議(準)「非正規職労働者闘争の歴史」(2005年1月)(韓国語)
非正規労働運動の本格的開始
韓国通信=KTをめぐる事態は、民営化をめぐって有数の大労組が分裂に至ったという点で日本の国鉄民営化をめぐる状況と重なる面があると思います。日本との違いは、この事件が、韓国の労働組合運動に大きな影響を与え、運動の方向を変えることになったことです。民主労総だけでなく、民主労組運動を進める中心であった活動家たちが、この事件がもたらした結果は、韓国労働運動にとっては重大な危機であり、運動の大きな後退につながりかねないと懸念して真剣な議論を展開しました。この議論を経て提起された新たな方向が二つありました。つまり、(1)非正規職問題に特化して取り組む市民団体の結成と、(2)企業別組合の組織的限界を脱して産業別組織に転換することでした。
(1)「韓国非正規労働センター」の設立
民主労総だけでなく、もう一つのナショナルセンターである韓国労総を含めて、労組、市民団体の活動家、労働社会研究所など労働側シンクタンク所属の研究者が中心となってNPOを結成し、「非正規労働センター」を設立しました(2000年5月20日)。その直後、同年5月29日、ソウル市中小企業会館で設立記念シンポジウムが開催されました。このシンポジウムのテーマは「派遣勤労者保護法2年 どう正規職化するか」でした。
1998年、韓国で制定された派遣法(派遣勤労者保護法)では、派遣は2年が上限でそれを経過すると正規職に転換したとみなすという、ドイツ派遣法に近い内容が含まれており、日本より厳しい規制でした。この法施行2年が経過する直前の時期でした。それで、シンポジウムのテーマとして、派遣先への正規職転換問題が取り上げられたのです。同シンポジウムでは、①段炳浩(ダン・ビョンホ)民主労総委員長の挨拶に続いて、②朴昇洽(パク・スンフップ)センター長が基調報告し、③日韓の派遣法についての報告、④二大労総、政府、主要政党代表、民弁などからの発言が続き、熱心な議論が展開されました。〔注6〕
〔注6〕 このうち、?の日本報告は、直前に同センターから依頼されて訪韓していた私が担当することになりました。85年の派遣法が限られた対象業務で出発したが、99年法で業務限定がなくなったこと、派遣労働者の過酷な状況などを報告し、派遣法は「毒の缶詰」で撤廃するべきだと主張しました。
(2)企業別から産業別への労組組織の転換
KT事態をきっかけに「産業別労働組合への組織転換」を速めようという議論が高まりました。労組として真正面から非正規職問題に対応しないと、財界と政府が進める労働政策は正規・非正規に労働者を分断し、労働組合運動全体を弱体化させるものだという認識が深まったのです。非正規職が最初にリストラされても、正規職は、自らの雇用は、それを安全弁に保障されると「誤解」するが、それこそ経営側の戦略だということです。実際、経済危機のときには人件費がかかる正規職のリストラも少なくなかったのです。
そして、こうした企業側の労働者分断政策に対抗するには、企業別正規職組織では不可能だから、企業別組織の限界を乗り越えて産別労組に組織転換するべきだという声が労働組合運動の中で広く沸き起こってきたのです。とくに、民主労総は1995年の創立時に既に「産別組合化」を基本方針にしていましたが、それは遠い目標であって、実際には、1987年の民主化闘争時に、事業所・工場ごとに自然発生的に結成された企業別組織のままだったのです。私は、2000年に訪韓したとき、韓国の労働組合活動家の間では、「このまま企業別組織に止まれば、日本のように闘えない労働組合になってしまう」という議論もあったことを聞きました。
そして、2000年前後から産別労組転換への取り組みが本格化します。金属産業部門では企業別組織の連合体であった「金属産業連盟」が、自ら産別労組への転換方針を立てました。事業場別で闘うだけで困難な状況が現れたので、企業を超えて一つに団結し産別労組に転換することが組織的な課題と認識されることになったのです。そして、2001年2月、代議員大会で産別労組転換方案を決議した後、労働組合設立申告手順を踏んで全国金属労働組合が設立されたのです。同様に、この時期に保健医療労組、金融労組といった大規模産別労組が発足しました。
金属労組の場合、2006年に、現代自動車など大工場労組が転換を決議して名実ともに産別労組への転換が実現しました。そして、次に述べる現代重工労組の「除名」という難関を越えて、ようやく15万人を組織する単一産別労組として非正規職や中小・零細事業所の劣悪労働条件問題、さらには大規模整理解雇、長時間労働問題の解決に向けて大きな役割を果たしてきたのです。〔注7〕
〔注7〕キム・ギドク「産別労組への道」毎日労働News2018年9月4日
現代重工業には民主労総を代表する「剛性」の大労組があり、90年代まで全労働運動の先頭に立ってきました。ところが、経済危機以降、労組執行部が労使協調の「会社派」に変わりました。その結果、重層下請関係で最底辺下請労働者の組織化を進めようとしていた産別組織=金属労組中央と、現代重工労組が厳しく対立しました。そして、2004年2月、労働条件改善に率先してきた下請労働者が焼身自殺しました。ところが、正規職労組執行部は、労働者の死を無視して霊安室に乱入して暴力を振るうなど反労働者的行為をしました。これにより、2004年9月、上部団体の民主労総・金属連盟は現代重工労組を「除名」したのです。その後、約13年を経過して労組選挙で執行部が交代して産別組織に復帰しました。〔注8〕
〔注8〕現代重工業労組の変転は、韓国労働運動にとって特筆すべきことだと思います。李元甫『韓国労働運動史-100年の記録』(2005年)(韓国語)
2019年になって、この現代重工業で、正規職労組と非正規職労組が共闘することになったというニュースが伝えられました。
(下の写真は2019年7月8日、民主労総蔚山本部で開催された現代重工業元・下請労働者共同の決起集会)
今回は、造船業の低落で会社自体が分社化などリストラを開始しようとする時期です。KTのリストラをめぐって正規・非正規が分断された事態と重ねて考えると、今回は、民間企業の大労組が非正規職と共闘して会社側と対峙するということになります。日本の労使関係ではほとんど聞くことのない驚くべき事実です。この現代重工業をめぐる労使紛争がどのように進展するのか、目を離すことができません。
以上述べた通り、韓国労働運動は、KT事件や現代重工事件で、正規職と非正規職の分断を利用して労組を分裂・破壊しようとする経営側と対抗してきました。その中で、非正規問題に取り組むことは、労働者全体の団結を守ることと不可分であるという認識が深まりました。労働者の分断を乗り越え、現在では非正規運動を周辺問題でなく、労働組合にとって中心的問題と位置づけるようになりました。そして、その過程で産別労組転換という世界にも稀な事業を実現し、さらに近年は、「多くの市民運動と連帯する開かれた労働運動」が目立っています。
こうした韓国労働運動の動向は、労働組合運動の停滞が長く続く日本において、今後、どのように困難を乗り越えれば良いのか、大いに参考にできることだと思います。
【関連動画】2017年6月30日 民主労総を中心とした「社会的ゼネスト」(日本語字幕付き)