奪われた命、量刑は罰金50万円…遺族「法律の改正を

写真・図版:判決言い渡しを聞く電通の山本敏博社長(右)=東京簡裁、絵と構成・柚木恵介(省略)
特集:「きょうも傍聴席にいます」 
 2015年のクリスマスに自殺した電通の新入社員、高橋まつりさん(当時24)の過労死認定がきっかけとなり、戦後日本の高度成長期の代名詞とも言える「長時間労働」のあり方に疑問を投げかけた電通違法残業事件。二回の法廷では何が語られたのか。
 10月6日午後3時から東京・霞が関の東京地裁429号法廷で開かれた判決公判。
 「罰金50万円に処する」。菊地努裁判官は、電通を代表して出廷した山本敏博社長(59)に判決を言い渡した。
 「尊い命が奪われる結果まで生じていることは看過できない」「サービス残業が蔓延(まんえん)する状態となっていた。(事件は)労働環境の一環として生じたと認められ、会社の刑事責任はおもいといわざるをえない」
 菊地裁判官は電通を強く非難した。だが、「他方、反省の弁を述べるとともに再発防止を誓約している。本件と同等の事件と勘案した」
 高橋さんの命の重さに比べると量刑は場違いにも聞こえた。山本社長は、神妙な面持ちで裁判官の言葉を聞いていた。
 公判のやりとりから、法廷で明らかにされた事件の全容をたどる。
 起訴状によると、法人としての電通は、2015年10〜12月、高橋さんら社員4人が、労使が残業時間について結ぶ「36(サブロク)協定」で定めた上限を、最大で月19時間超えて違法に働いていたのに、適切な防止措置をとらなかったとされる。労働基準法違反の罪に問われた。
 冒頭陳述で検察官がまず指摘したのは、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……」などと書かれた社員心得「鬼十則」に代表される電通の体質だった。
 「被告会社では『クライアント(顧客)ファースト』として、困難な業務であっても引き受け、深夜残業や休日出勤もいとわないという考え方が浸透していた」
 検察官は、電通が全社で違法残業が常態化していたのを知りながら対策を怠り、厚生労働省の摘発を逃れようとした実態を明らかにした。
 全社的に長時間労働が蔓延していた14年に、関西支社が労働基準監督署から改善を求められると、電通は労組と交渉。残業できる上限時間を上乗せできる特別条項の適用を緩和し、見かけ上、協定違反をゼロにしようとした。
 「それでもなお、14年度に36協定の上限を超えて残業する社員が、全社で毎月1400人前後いた。翌年度中に36協定違反ゼロの方針を打ち出し、全社に指示した」
 「しかしながら、人員増や仕事量の削減など、抜本的な対策を講じなかったため、長時間労働はなくならなかった。翌15年も、毎月100人以上が違法残業する状態が続き、東京本社も労基署から行政処分を受けた」
 検察官が電通内部の労働環境の実情を並べ立てていく。これに対して電通がとった措置は「労働組合と交渉して上限時間を緩和する」というものだった。繁忙期に適用する上限時間を最大75時間から最大100時間に拡大した。
 検察官は違法残業事件の動機をこう指摘した。
「違反業者として社名を公表されれば、東京五輪の関連業務を担当する機会を失うと恐れた」
 検察官は、電通がうわべの対策を重ねた結果、「サービス残業を余儀なくされる労働者が相当数に及んだ」とも述べ、高橋さんが自殺に追い込まれる職場環境につながったと主張した。
 検察官は法廷で、捜査段階で幸美さんが語った調書の概要を読み上げた。高橋さんが自殺する前に幸美さんに、仕事の苦悩を訴えたメールの内容が明らかになった。
 「がんばるけど、死なない程度にがんばる」「仕事がきつくてやめたい」「自殺しようと考えたけど、できなかった」
 高橋さんの同僚の証言も読み上げられた。
 「サービス残業を余儀なくされ、それを上司も把握していた」
 幸美さんは検察官の声を聞きながら、めがねを外すと、口を真一文字に結んで山本社長らが座る被告席の方を見つめた。
 山本社長は検察官が描く電通の「企業風土」を、弁護人のそばで時折視線を手元に落とし、聞いていた。
 検察側の被告人質問で山本社長が法廷に立った。
 検察官「法人が起訴されて裁判所で審理される。代表者としてどう思いますか」
 山本社長「是正勧告を複数回受けていたのに改善できずこのような事態を招いてしまった。特に、高橋まつりさんの尊い命を失った責任は極めて重い。ご本人、ご遺族に改めておわびします」
 証言台に立つ社長の背に、傍聴席の幸美さんが視線を送る。検察官は続けて、電通でなぜ、違法残業を防げなかったのかを問いかけた。
 山本社長「仕事に時間をかけることこそサービス品質の向上、顧客の要望に応えることだと思いこんでいた。業務時間の管理と顧客サービスの品質向上は矛盾するという固定観念を放置したまま対策をとろうとしたことが最大の原因と考えています」。
 一方、弁護人の被告人質問は、電通が法令順守の徹底や過重労働の撲滅、労働環境の改善を掲げて対策を進めていることを強調し、「新しい電通」をつくる決意と覚悟があると強調した。
 山本社長「かつての考え方を根本的に改めます」「すべての業務を見直し、やめるものや縮小するものなど無駄を省いている。社員すべてが健康でいることが中長期的には顧客の期待に応えることだと考えています」
 弁護人「改革は易しいことではないのでは」
 山本社長「(今後は)サービス品質や業績など他のことを犠牲にしてでも、時間管理を優先します」
 検察官は論告で、労基署から改善を求められた後の電通の対応を「労働環境の改善とはむしろ逆行する小手先だけの対応に終始した」と厳しく批判。「会社の利益を優先して労働者の心身の健康を顧みない会社の姿勢が引き起こした犯行だ」と指摘した。
 その上で、「劣悪な労働環境による過労死や自殺は大きな社会問題で、労働環境の適正化に対する要請は極めて強い」と述べ、罰金50万円を求刑した。
 山本社長は最終陳述で、用意していた紙を読み上げた。
 「尊い命を失うに至ったことの責任は重大」。高橋さんの自殺について、被告人質問の時と同じ言葉を繰り返して「おわび」し、「社会の一員として企業のあるべき責任を果たせなかった」と語った。そして「すべての社員の心身の健康を経営の根幹に置く」と誓った。
 山本社長の退廷後、幸美さんは傍聴席でピンク色のハンカチを目に当て、声を殺して泣いていた。
     ◇
 判決公判は約20分で終わった。罰金50万円を言い渡した後、菊地裁判官は社長にこう説諭した。
 「被告会社は、過去にもこの点を指摘され、改善されなかったいきさつがあります。働き方改革がどのように実行されていくか、疑問を持っている人もいます。電通は日本を代表する会社、業界を代表する会社の一つです。ぜひ、社会的役割を果たしてもらいたいと期待します」
 電通では、1991年にも24歳の男性社員が過労自殺。2000年の最高裁判決では企業の責任を問われ、社会に大きな影響を与えた。
 山本社長は法廷を去る前に立ち止まり、初公判と同様黒いスーツ姿で傍聴した幸美さんに頭を下げた。幸美さんは体を動かさぬまま、山本社長をじっと見つめていた。
 山本社長は判決後、報道陣の取材に応じた。「果たすべき社会的責任を果たせなかった重大さを、深く反省しています」と述べた。「時間を際限なく使い、結果的に社員が健康を害するという我々の仕事のやり方が根本的に間違っていた」
 一方、幸美さんは会見し、コメントを出した。
「社員に対する違法な働かせ方は犯罪であり、会社に責任があるということが証明されました」「罰金50万円という罰則に関しましては、労働基準法違反により労働者が死亡した罰則が強化されるよう法律の改正を望みます」(後藤遼太)

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