日本弁護士連合会「全国一律最低賃金制度の実施を求める意見書」(2/20)

全国一律最低賃金制度の実施を求める意見書


全国一律最低賃金制度の実施を求める意見書
2020年(令和2年)2月20日
日本弁護士連合会

第1 意見の趣旨

 1 最低賃金法(昭和34年法律第137号)を改正し,地域別最低賃金を廃止するとともに,最低賃金については中央最低賃金審議会において決定する仕組みに改めることを求める。

 2 前項の改正に当たっては,一定の猶予期間を設け,東京都を含む最低賃金の高い都道府県の最低賃金を引き下げることなく,全体の引上げを図るとともに,併せて,充実した中小企業支援策を構築することを求める。

第2 意見の理由

 1 はじめに

 当連合会は,2011年6月16日,「最低賃金制度の運用に関する意見書」を取りまとめ,公表した。これは,地域別最低賃金の引上げその他,現行法を前提としてもなお,改善可能な事柄について指摘したものである。当連合会は,その後も,最低賃金の引上げを求め続けており,2019年4月25日にも,「最低賃金の大幅な引上げを求める会長声明」を公表したところである。

 しかし,最低賃金の引上げは依然として小幅なものにとどまり,また地域間の格差も解消されていない。

 本意見書は,最低賃金制度に関するこれまでの経緯を振り返った上で,上記のような問題点を解消するために,全国一律の最低賃金制度の導入を求めるものである。

 2 現行の最低賃金制度の枠組みと地域間格差の拡大

 (1) 最低賃金制度の概要

 最低賃金法(昭和34年法律第137号。以下「法」という。)は,「賃金の低廉な労働者について,賃金の最低額を保障することにより,労働条件の改善を図り,もって,労働者の生活の安定,労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに,国民経済の健全な発展に寄与すること」を目的としている(法1条)。

 現行の最低賃金制度は,各都道府県の地方最低賃金審議会の審議に基づき,厚生労働大臣または都道府県労働局長が決定する当該都道府県の全ての労働者に適用される最低賃金である地域別最低賃金(法9条以下)と,一定の事業または職業に係る最低賃金である特定最低賃金(法15条以下)によって構成され,原則となるのは地域別最低賃金である。1968年(昭和43年)の法改正以降,その大枠に変化はない。

 地域別最低賃金は,「地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。」とされている(法9条2項)。

 近年の就業形態の多様化,低賃金労働者の増大といった環境の変化の中で,最低賃金制度が,セーフティネットとして一層機能することが求められるようになり,2007年(平成19年)の法改正では,「労働者の生計費を考慮するに当たっては,労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう,生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。」との条項が設けられた(法9条3項)。

 その結果,最低賃金の水準が,少なくとも生活保護の水準を下回らないことを求められることになった。

 (2) 目安制度が導入されるに至った経緯

 ところで,1975年(昭和50年)3月には,当時の野党四党(日本社会党,日本共産党,公明党,民社党)は,「本来,最低賃金は,労働条件に関するナショナル・ミニマムの重要な一環をなすものとして,中央で決定すべき」であるとして,全国一律最低賃金制度の導入を含む最低賃金法の改正案を国会に提出した。同法案自体は最終的に審議未了廃案となったが,同法案の国会への提出を受け,労働大臣(当時)は,中央最低賃金審議会に対し,「今後の最低賃金制のあり方について」諮問を行っている。

 諮問を受けた中央最低賃金審議会は,地域別最低賃金制度に関して「今日なお地域間,産業間等の賃金格差がかなり大きく存在し,したがって依然として地域特殊性を濃厚に持つ低賃金の改善に有効」としつつ,「最低賃金の決定について全国的な整合性を常に確保する保障に欠けるうらみがあることも否定しえない」とし,中央最低賃金審議会において,毎年,都道府県を数等のランクに分け,最低賃金の改定についての「目安」を作成し,一定の時期までに地方最低賃金審議会に提示するという措置を講じる必要がある旨答申するに至った(昭和52年12月5日中央最低賃金審議会答申)。

 1978年(昭和53年)以降,中央最低賃金審議会は,同審議会に設けられる目安に関する小委員会において,全都道府県をA〜Dの4つのランクに分けて,各ランクごとの引上額の目安を検討し,毎年7月下旬に,労働大臣ないし厚生労働大臣に答申する。各地の地方最低賃金審議会においては,この答申を参考として,各労働局長に対し,地域別最低賃金の額を答申するという枠組みが定着するに至った。

 なお,以上のような事実上の枠組みは,「目安制度」と呼ばれている。

 (3) 目安制度の実施とその限界

 目安制度の導入後,しばらくは最低賃金額の地域間の格差は縮小する傾向にあった。

 具体的には,?1978年(昭和53年)には,地域別最低賃金(時間額)の最高額は,東京都の365円であった。一方で最低額は,青森県等5県の279円であり,その差額は86円,後者の前者に対する割合(以下,本意見書においては,これを「格差率」という。)は76.4%であった。その10年後に当たる?1988年(昭和63年)には,同最高額は東京都の508円であるのに対し,同最低額は鹿児島県等3県の428円であり,その差額は80円,格差率は84.3%であった。その後も格差の解消は続き,更にその10年後に当たる?1998年(平成10年)には,同最高額は東京都の692円であるのに対し,同最低額は宮崎県の589円であり,その差額は103円,格差率は85.1%となった。

 しかし,その後は格差の解消は進まなかった。むしろ,近年は地域間の格差が拡大する傾向にあり,1978年(昭和53年)の目安制度の導入時とほぼ同水準となってしまった。

 具体的には,?2008年(平成20年)には,同最高額は東京都の766円であるのに対し,同最低額は鹿児島県等3県の627円となり,かえってその差額は139円,格差率は81.9%に拡大した。さらに,?2018年(平成30年)には,同最高額(東京都)の985円に対し,同最低額は鹿児島県の761円となり,その差額は224円,格差率は77.3%と更に拡大した。

 なお,?2019年(令和元年)は,同最高額は東京都の1,013円であるのに対し,同最低額は九州地方7県を中心とする15県の790円で,その差額は223円となり,前年と比較して1円縮小したものの,格差率は78.0%と拡大基調が続いている。

 以上の実態に照らした場合,地域間の最低賃金額の格差を是正するという意味においては,目安制度は,その限界を露呈し,有効に機能しなくなってしまっていると評価できる。

 3 地域別最低賃金制度の論拠と社会の実態について

 (1) 地域別最低賃金制度の趣旨

 法が地域別最低賃金制度を採用する根拠については,「労働者の生計費や賃金等地域に応じて経済状況が異なり,全国一律の額として決定することが不合理である」からとされている。

 しかし,現行法の大枠が定められた1968年(昭和43年)の法改正から既に50年以上が経過した。今日の社会の状況を前提としても,なお,上記の趣旨が当てはまるのかについては疑問である。

 (2) 労働者の生計費に地域間格差はほとんど存在しないこと

 例えば,地域別最低賃金を決定する際の考慮要素とされる労働者の生計費についてであるが,労働組合1や研究者2による調査によれば,都市部と地方の間で,ほとんど差がないことが明らかになってきている。
〔注1 2017連合リビングウェイジ〜労働者が最低限の生活を営むのに必要な賃金水準〜〕
〔注2 中澤秀一静岡県立大学短期大学部准教授作成(最低生計費調査の結果一覧)〕

 具体的には,食費や住居費,水光熱費,家具家電用品費,被服・履物費,保健医療費,交通・通信費,教養娯楽費等,労働者の生活に最低必要と考えられる費用を試算したところ,その金額は月額22〜24万円(租税公課込み)となり,都市部か地方かによってほとんど差がなかったとされる。これは,地方では,都市部に比べて住居費が低廉であるものの,公共交通機関の利用が制限されるため,通勤その他の社会生活を営むために自動車の保有を余儀なくされることが背景にある。従来の議論では,自動車の保有の有無を意識した調査や分析がなされることはなかったが,昨今の調査研究により,以上のような実態がようやく明らかとなった。

 ちなみに,月額22〜24万円という水準は,月に173.8時間働くと仮定した場合,時間給に換算すると1,300〜1,400円に相当し,現在の全国加重平均額である901円を大幅に上回る。

 (3) 最低賃金法の考慮要素について

 現行最低賃金法は,地域別最低賃金の決定に当たって,労働者の生計費のほかに賃金及び通常の事業の賃金支払能力を考慮要素としている。しかしながら,賃金や企業の支払能力の差異は,賃金構造基本統計調査等のデータによれば,「地域」による差異よりも企業規模や産業,職種による差異の方が大きい。

 さらに,例えば,医療や福祉の分野においては,若干の地域加算を除けば,全国一律の診療報酬あるいは介護報酬の基準に基づいて,病院や介護施設が経営されている。このようなケースにおいては,基本的に企業ごとの支払能力が地域によって大きく異なることはないはずである。

 そもそも,最低賃金は,「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低生計費を下回ることは許されない。上記のとおり,労働者の生計費に地域間格差はほとんど存在しないのであるから,少なくとも最低生計費を上回る金額を確保することが必要であり,地域の賃金額や通常の事業の支払能力を考慮したとしても,最低生計費を上回ることは認められるのに対し,下回ることは認められない。

4 全国一律最低賃金制を取り巻く状況

 (1) 諸外国における状況

 現在,イギリスやフランス,ドイツ,イタリア,あるいは隣国の韓国等では,いずれも既に全国一律最低賃金制度が実施されている。日本以外の先進主要7か国(G7)において全国一律最低賃金制が導入されていないのは,カナダのみである(アメリカの場合,州ごとの最低賃金のほかに連邦最低賃金が実施されている。)。

 例えば,イギリスでは,所得格差の是正と貧困問題の解決を目的として,1999年から全国最低賃金制度が実施されているが,地域別の最低賃金制度は採用していない。

 また,フランスでは,当初は,地域別に最大20%の減額が認められていたものの,その後,地域別減額が廃止されたという経緯もある。

 ドイツは,長年法定最低賃金制度を持たない国であったが,2015年に同制度を導入することになった。しかし,イギリスと同様,地域別の最低賃金制度は採用していない。

 なお,これらの国では,若年層や見習,訓練期間についての減額措置や適用除外の制度が併せて採用され,企業や雇用への影響に対して政策的な配慮がなされている。

 (2) 地方議会における議論の状況

 地域の人口が都市部に流出する地方においては,最低賃金の格差の是正は喫緊の課題と認識されてきている。

 実際に,最低賃金の高低と人口の転入出には強い相関関係が認められ,特に若年層では,最低賃金の低い地方から最低賃金の高い地方へと流出していることが明らかになっている。その結果,最低賃金の低い地方の経済が停滞し,地域間の格差が固定,拡大されるという悪循環が生じている。これは,「国民経済の健全な発展に寄与する」という法の目的にも反する。

 こうした状況を受けて,地方を中心に,各地の議会で全国一律最低賃金制度の確立を求める意見書や請願が採択されている。

 5 全国一律最低賃金制度の実施手順及び中小企業への配慮

 実際に全国一律最低賃金制度が実施されることになった場合,東京都を含む最低賃金の高い都道府県の最低賃金を引き下げることによって格差の縮小を図ろうとすることは,最低賃金が憲法25条の要請に基づき,労働者の生活を保障する制度であることから,許されるべきではない。一定期間をかけて最低賃金の低い地域の底上げを図り,高い地域に接近させていくことで,全体の引上げを図りつつ地域間格差を段階的に縮小していくことになる。

 この点,ここ数年,年に25〜27円(全国加重平均)のペースで最低賃金の引上げがなされてきたが,これに伴う倒産件数の増加や失業率の上昇といった現象は確認されていない。

 もっとも,ここまで地域ごとの最低賃金の金額に大きな差異が生じてしまった以上,その是正に当たっては,一定程度の期間をかけることが必要であり,同時に,現実に最低賃金引上げにより大きな影響を受けることになる中小企業への充実した支援も不可欠である。

 現在,厚生労働省においては,「業務改善助成金」制度を創設し,最低賃金の引上げにより影響を受ける中小企業に対する支援を実施している。しかし,生産性向上のための設備投資の実施などが要件とされているため,中小企業にとって必ずしも使い勝手の良いものとはなっておらず,利用件数はごく少数である。

 そこで,最低賃金の引上げを行った諸外国の例も参考にしながら,有効な支援策を講じる必要がある。例えば,韓国では,雇用者10人未満の事業者に対し,雇用保険料及び国民年金保険料の事業者負担部分を減額する制度を導入している。さらに,時限的な制度として,雇用者30人未満の事業主に対し,雇用者1人につき時給1500ウォン(過去1年間の平均的なレートで円に換算すると約136円)を支給する雇用安定資金支援制度もある。我が国でも,中小企業の経営において大きな負担となっている社会保険料の負担軽減などの導入が必要である。

 また,私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(昭和22年法律第54号)や下請代金支払遅延等防止法(昭和31年6月1日法律第120号)といった中小企業を保護する役割を果たす法制度を,これまで以上に積極的に運用する必要もある。

 6 まとめ

 1968年(昭和43年)の法改正によって設けられた地域別最低賃金制度は,その後50年以上の年月が経過する中で,その論拠は大きく揺らいでいる。むしろ,同制度は,地域間の格差を固定,拡大するなど,国民経済の健全な発展に十分に寄与することができていない。

 地域別最低賃金を認める前提となってきた最低限度の生計費の必要額に,地域間で大きな差がない以上,全国一律の最低賃金制度へ移行するとともに,必要な大幅引上げを実行することによって,全国の労働者に対し,自らの賃金で安心して生活できる権利を保障すべきである。

 なお,全国一律最低賃金制度の実施は,一定期間をかけて段階的に行われるべきであるが,移行に当たっては,各国の状況なども精査し,若年層等について異なる最低賃金額を認めることが必要か否かについても慎重に検討し,例外を設ける場合には,その範囲及び金額についても検討することが可能である。

 以上のとおり,当連合会は,法を改正し,地域別最低賃金を廃止するとともに,最低賃金について中央最低賃金審議会において決定する仕組みに改めることを求めるものである。

以 上

 

この記事を書いた人