働き方Asu-netの共同代表 岩城穣弁護士の論説「パワハラ防止法と「指針」をどう活用するか」〔民主法律311号(2020年2月)57-62頁〕を掲載します。これは2月15日に開催された民主法律協会・権利討論集会第4分科会(いのちと健康を守る職場を実現しよう!)での報告のために執筆されたものです。了解を得て転載します。
パワハラ防止法と「指針」をどう活用するか
弁護士 岩城穣
【1】パワハラの現状と動向
(1) パワハラの増加をめぐる3つの数値
?近年の精神障害の主な出来事別の労災認定件数
・「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」が60〜80件台(2017年度は506件中88件)
・「セクシャルハラスメントを受けた」が20〜30件台で推移(2017年度は506件中35件)
?全国の労働局への相談件数
・毎年増加を続け、平成24年度は51,670件と、「解雇」や「労働条件の引き下げ」等を上回り最多となる
・平成29年度には72,067件となり、6年間で2万件以上増加
?企業の従業員調査で、3人に1人(32.5%)が過去3年間にパワハラを受けたと回答。4年前の調査から7.2ポイント増加
(2) パワハラをめぐる労災認定、提訴などが相次ぎ社会的関心が高まっている
・トヨタでパワハラ自殺、労災認定頻繁に「ばか」「アホ」(2019・11・17毎日新聞)
・郵便局内告発にパワハラ 局長7人が統括役ら提訴福岡地裁(2020・1・11西日本新聞)
・自殺原因は「部下からの逆パワハラ」 静岡市職員の遺族が賠償求め提訴(2020・1・10毎日新聞)
・パワハラ根絶へ研修強化=三菱電機が再発防止策(2020・1・10時事通信)
(3) 2019・12・7 過労死弁護団全国連絡会議が「緊急パワハラ・過労死110番」全国一斉電話相談
全国17都道府県で162件の相談
相談の多くがハラスメントに関連する内容うち38件が療養中または死亡の相談
【2】ハラスメントをめぐる議論の状況
1 ハラスメン卜概念について
2 パワハラの定義について
(1) 政府の定義
?職場における
?優越的な関係に基づく
?業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により
?労働者の就業環境を害すること
<行為類型>
(a)身体的な攻撃
(b)精神的な攻撃
(c)人間関係からの切り離し
(d)過大な要求
(e)過小な要求
(f) 個の侵害
<批判>
顧客や取引先からの嫌がらせ(カスタマー・ハラスメント)、グループ企業内の関連会社の労働者からの嫌がらせなどが含まれなくなる
部下からの嫌がらせ、職場内の村八分などが含まれなくなる。
企業の構造的問題であり、企業風土や組織的問題であるという視点が欠如しかねない
そもそも「いいパワー(教育・指導)」というものがあり、その「行き過ぎ」が悪いとする考え方でいいのか
労働者の人格や尊厳を侵害される被害者からの視点が欠如している
さらに進んで、業務付与(無理なノルマや、過労死・過労自殺につながるような長時間労働など)自体をパワハラとすべきではないか
(2) ヨーロッパにおける定義(スウェーデン、フランス、ベルギー、イギリス、カナダなど)
<フランス(2002・労使関係法)>
モラルハラスメント:労働者の権利及び尊厳を侵害し、身体的もしくは精神的な健康を害し、または職業キャリアの将来性を損なうおそれのあるような労働条件の悪化を目的とする、あるいはそのような効果を及ぼすような反復的行為敵対的、屈辱的、侮辱的又は攻撃的環境を作り出すことにある、繰り返される虐待的行為
<ベルギー(2002・職場における暴力、モラノレハラスメント及びセクシャルハラスメントからの保護に関する法律)>
職場における暴力、ハラスメント:企業の内外から生じ、特に招かざる行動、言葉、脅迫、行為、身振り及び書面の形を取った、その意図又は影響が職場の労働者の個性、尊厳又は身体的若しくは心理的統合性を損なうこと、その雇用を危うくすること又は脅迫的、敵対的、屈辱的、侮辱的又は攻撃的環境を作り出すことにある、繰り返される虐待的行為
(3) 大和田敢太名誉教授の定義
精神的あるいは肉体的な影響を与える言動(嫌がらせ・脅迫・無視)や措置や業務(長時間労働・過重労働)によって、人格や尊厳を侵害し、労働条件を劣悪化しあるいは労働環境を毀損する目的あるいは効果を有する行為や事実
【3】ハラスメン卜防止法の成立
1 労働施策総合推進法の改正
2019年5月29日成立
施行は2020年6月(ただし中小企業は2022年4月までは努力義務)
2 内容
(1)国の施策(第4条)
国が取り組まなければならないことの中に「14 職場における労働者の就業環境を害する言動に起因する問題の解決を促進するために必要な施策を充実すること。」を追加
(2)事業主(企業)の措置義務
・[第8章職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して事業主の講ずべき措置等」を新設
・30条の2(雇用管理上の措置等)
「1 事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かっ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」
パワハラを初めて法律で定義
ただし、従前の政府の狭い定義を採用
(3)相談等をした労働者に対する不利益取り扱いの禁止(30条の2第2項)
「2 事業主は、労働者が前項の相談を行ったこと又は事業主による当該相談への対応に協力した際に事実を述べたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。」
(4)国の指針策定(30条の2第3項〜第5項)
後述
(5)関係者の責務(30条の3)
1項(国の責務)
「国は、労働者の就業環境を害する前条第一項に規定する言動を行つてはならないことその他当該言動に起因する問題(以下この条において「優越的言動問題」という。)に対する事業主その他国民一般の関心と理解を深めるため、広報活動、啓発活動その他の措置を講ずるように努めなければならない。」
2項(事業主の責務)
「事業主は、優越的言動問題に対するその雇用する労働者の関心と理解を深めるとともに、当該労働者が他の労働者に対する言動に必要な注意を払うよう、研修の実施その他の必要な配慮をするほか、国の講ずる前項の措置に協力するように努めなければならない。」
企業に対して、パワハラに関する研修の実施やその他必要な配慮をすることの努力義務
少なくとも研修の実施はしないといけない
国の講ずる措置にも協力
3項(事業主の責務)
「事業主(その者が法人である場合にあっては、その役員)は、自らも、優越的言動問題に対する関心と理解を探め、労働者に対する言動に必要な注意を払うように努めなければならない。」
企業の社長も役員も、パワハラ問題に関心と理解を深めて、労働者に対する言動に注意を求める
4項(労働者の責務)
「労働者は、優越的言動問題に対する関心と理解を深め、他の労働者に対する言動に必要な注意を払うとともに、事業主の講ずる前条第一項の措置に協力するように努めなければならない。」
(6) 紛争解決のための「調停」の導入(30条の4〜7)
従前は「個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律」を根拠に、労働局で助言・指導が行われたり、「あっせん」という紛争解決手続が行われてきたが、パワハラに関する紛争については、その特例としてこの法律に基づき、助言・指導にとどまらず、勧告までできることになり、「あっせん」ではなく「調停」が行われることになった。
3 検討
(1)問題点
?あくまで企業(事業主)を対象に、パワハラ防止措置を義務づけるにとどまり、端的にパワハラ行為を禁止していないこと
労働者の権利として、パワハラのない職場で働く権利を定めていない。
?パワハラの定義も不十分(前述)
(2)活用
?それでも、初めてパワハラを防止する法律ができたことの意義は大きい
?付帯して行われた国会決議も重要
?今後のあらゆるハラスメントをなくすための法制度を作るうえでの足掛かりになる
【4】パワハラ指針について
1 経過
2019・11・20 労働政策審議会雇用環境・均等分科会が指針案を了承
11・21〜 12・20 パブコメ募集
2020・1・上旬告示(予定)
2 指針案が定める企業等に求められる雇用管理上の措置内容(10事項)
?事業主の方針等を明確化し、労働者に周知・啓発すること
?対処方針を定め、労働者に周知・啓発すること
?相談窓口をあらかじめ定め、労働者に周知すること
?相談窓口の担当者が適切に対応できるようにすること
?事案に係る事実関係を迅速かつ正確に確認すること
?事実確認ができた場合において、速やかに被害者に対する配慮の措置を適正に行うこと
?事実確認ができた場合において、速やかに行為者に対する措置を適正に行うこと
?再発防止に向けた措置を講ずること
?相談者・行為者等のプライパシーを保護するために必要な措置を講ずること
?相談等をしたことを理由として不利益な取り扱いをされない旨を定め、労働者に周知・啓発すること
3 批判(2019・11・18民法協声明)
?パワハラの定義が狭すぎる
?パワハラに「該当しない例」が不適切
・精神的な攻撃に該当しない例
「遅刻や服装の乱れなど社会的ルールやマナーを欠いた言動・行動が見られ,再三注意しでもそれが改善されない労働者に対して強く注意をすること」
「重大な問題行動を行った労働者に対して,強く注意すること」
←多くのパワハラ事案で,使用者は「労働者の方に問題があったので指導したにすぎない」と弁解している。仮に労働者に何らかの問題があったとしても,人格を否定したり,社会的に不相当な言動は当然に違法な行為であり,上記記載は労働者に問題があればパワハラには該当しないかのような誤解を与える。また労働者に問題があったとしてパワハラ被害者をバッシングし,三次被害を与える傾向を助長することにもつながり,害悪ですらある。
・過小な要求に該当しない例
「経営上の理由により,一時的に,能力に見合わない簡易な業務に就かせること」
←いわゆるI追い出し部屋」など,広い人事権を背景に労働者に簡単な作業をさせて退職に追い込もうとする使用者は,表向きは「経営上の理由による一時的な措置」と主張するものであり,素案はこのような使用者の常套句をE当化することになりかねない。
4 活用
しかし、パワハラについて初めて指針が策定された意義は大きい。不十分点は批判しつつ、今後職場で活用していくことが望まれる。
5 精神障害の認定基準の一部改定の動き
なお、パワハラ指針の策定を受けて、精神障害(過労自殺)の認定基準が、近々一部改定されると言われているが、現時点では詳細は不明である。
【参考】ILOのハラスメン卜禁止条約
1 2019年6月21目、ILO(国際労働機関)が総会で採択
187の加盟国は、今後条約を批准するか検討し、批准した国は条約に沿った国内法の整備が求められる。
日本は、ハラスメント防止法の成立や、「採択を支持する」との国会の付帯決議があったことから採択に賛成したが、今後批准することについては慎重な立場。
2 内容
・暴力・ハラスメントを、物理的、心理的、性的、経済的な損害を与える受け入れがたい行動と幅広く定義
・保護すべき対象を、労働者だけでなく、契約の形態にかかわらず働く人々、インターンや見習い、雇用の終了した人や求職者なども含める包括的な内容
・さらに「暴力とハラスメントのない労働の世界への権利を尊重、促進、実現」することを締約固に義務付け。暴力とハラスメントを、法律で禁止し、政策を立案し、予防や履行のための戦略や監視メカニズム、また被害者の救済の仕組みをつくることなどを求める
3 評価
・職場などでの暴力・ハラスメントをなくすための初めての国際労働基準。暴力とハラスメントは人権侵害だと明確にした画期的な人権条約
・日本で成立したハラスメント防止法は、これよりはるかに立ち遅れている。今後、この条約の批准を求めていくとともに、この内容に沿った法律に改めていく必要がある。