現在、政府・厚生労働省は、看護師の日雇派遣容認を含む労働者派遣法施行令の改正案を示し、パブリックコメントを募集しています(3/9締め切り)。この改正案の問題点については、「エッセイ第52回 〔意見〕 看護師の日雇派遣容認を含む政令改正案に強く反対する(21.2.26)」で、詳細に検討しました。
この一年間、日本はコロナ禍を通じてコロナと最前線で闘う医療現場が、いかに脆弱であるか、現場で働く人の状況が劣悪になっているかを浮かび上がらせたと思います。日本は、何故、欧米諸国に比べて、少ないコロナ感染者数であるのに、二度の緊急事態宣言をして経済活動を停止させ、国民の生活を危険にさらすことになったのか、その原因を改めて深く掘り下げて考えることが必要です。
この点で、感染症対策を進める政府が、一方で、看護師派遣拡大の容認を進めることには、強い違和感があります。そこで、2015年、感染症拡大の中で、看護師派遣を進めようとした韓国の事例を紹介して、看護師派遣の拡大の問題点を考えてみることにしました。同年春、韓国は、コロナウィルスによる海外由来の感染症の拡大で大混乱しました。ところが、同年秋になって、お粗末な感染症対策で批判を浴びた政府与党が、看護師を含む医療関係の専門職を労働者派遣の対象とする派遣法改正案を国会に提出したのです。こうした日韓政府の対応は、余りにも類似、というか酷似と言える状況だと思います。
そこで、日本の現在の状況を考えるためにも、2015年、韓国でどのような議論があったかを振り返ってみる必要があると思うようになりました。
マーズ感染が拡大した2015年韓国
韓国では、2015年5月以降、マーズ〔MERS – 中東呼吸器症候群 -〕が、政府の感染症対策の失敗もあって拡大し、韓国社会を揺るがす大問題になりました。マーズは、新型コロナ感染症(covid-19)と同様に、特定のコロナウィルスを原因とする病気で主に中東(特にサウジアラビア)地域に発症して、欧州など少数の輸入例に限られていました。ところが、2015年5月~7月にかけて、韓国で186例の症例が報告されたのです。
韓国最初のマーズ感染確定者は、中東地域から帰国した男性(68歳)でした。2015年4月18日~5月3日にバーレーン、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、カタールに滞在し、5月4日に帰国(仁川空港)後、7日目の5月11日に発熱・咳が出て、12日、14日、15日に医療機関受診後、15日~17日に平沢(ピョンタク)聖母病院に入院しました。しかし17日に別の医療機関を受診し、18日からサムソン・ソウル病院に入院しました。20日にマーズと確定されたため、韓国政府はWHOへ報告し、国の指定医療機関へ隔離しました。さらに21日、男性の妻の感染と、平沢聖母病院で同じ病室だった別の男性の感染が確定されました(その後、6月4日、この男性は死亡=最初の事例)。
そして、最初の患者が発症してから隔離までに10日間あり、その間に4カ所の医療機関を受診したことになります。そして、5月20日、サムソン・ソウル病院で確定判定を受けるまで、3ヵ所の医療機関では、どこもマーズの症状を疑わず、また、判別もできなかった。そのため、感染者が多数の医療従事者や患者らと接触し、複数の医療機関で2次感染・3次感染が発生しました(6月8日時点で6医療機関から64例の確定例が報告されました)。
その間、国の疾病管理本部が最初の患者について「検査する要件に合わない」と検査拒否したり、感染症対策という面で病院が杜撰(ずさん)な管理をしていたこと、さらに、政府の対応の遅れ、とくに情報を公開拒否が感染拡大の原因になったという批判が高まりました。結局、2015年だけで186人のマーズ感染確定者と、38人の死者を記録することになったのです。〔※〕
〔※〕国立感染研究所「2015年韓国におけるMERSの流行(2015年10月現在)」
マーズが韓国医療に投げかけた課題
看護師など病院で働く労働者を組織する産業別労働組合、保健医療労組(正式名「全国保健医療産業労働組合」)は、マーズ感染が韓国で拡大した背景には、「生命より金(かね)」の考え方が強かった韓国医療の業界と政策にあると分析しています。
2015年7月8日、「マーズ(MERS)以降、韓国医療は何が変わらなければならないのか」というシンポジウムで、保健医療労組のナ・ヨンミョン政策室長は、次のように、マーズが韓国医療の持つ根本的問題点を露呈させたことを指摘しました。
マーズの問題は、韓国医療の脆弱性を如実にあらわした。国家防疫システムは一瞬にして崩壊し、1人で防がなければならなかったマーズウイルスは急速に広がり、7月5日現在、186人の確定患者と33人の死者を出した。最高の一流を誇っていたサムソン・ソウル病院が、マーズ拡大の震源地となり、優れた医療水準を誇っていた韓国医療が、感染病予防と防疫水準は最悪だった。マーズ感染は、患者と医療機関を超えて全国に広がり、国民の日常生活は崩壊し、経済は最悪の状況に陥った。政府は右往左往し、国民は恐怖と不安に震えた。マーズを契機に医療先進国の実体と韓国の保健医療体系の実状がそのまま明らかになった。
そして、2015年当時の「杜撰(ずさん)な国家防疫システムの現実」を要約して、以下の通り、指摘しています。〔※〕
〔※〕 全国保健医療労組は、企業別組織を脱皮して全国の病院関係労働者を組織する産業別労組です。2019年3月、その本部を訪問して、その先進的な活動について話を聞きました。その内容については、エッセイ第2回「元気を取り戻してきた韓国の労働組合」参照。この「マーズ」を「新型コロナ」に置き換えれば、2020年の日本のことのようです。私たちにとっても注目すべき議論内容です。
(1)マーズに関する研究不足 マーズについて調査と研究が十分に行われておらず、国内の医療陣や医療機関にも十分に知られていなかった。そのために、最初の患者が訪れた複数医療機関のどこもがマーズの症状を疑わず、判別できなかった。
(2)杜撰(ずさん)な疫学調査と専門性不足 疫学調査は感染症の発生原因と経路を把握し、感染症の拡散を防ぐのに決定的な役割を果たすが、マーズ対応で疫学調査がまともに行われなかった。疫学調査官は全国で34人だけ、疾病管理本部所属の正規職公務員は2人だけで、残り32人は、軍服務に代替して3年間、勤務する公衆保健医であって、専門性や責任性、業務連続性に深刻な欠陥があった。疫学調査官の適正規模は人口50万人当たり1人以上で、韓国では最低100人以上が必要である。米国はCDCが2年間体系的な教育を行い、全国に配置するが、韓国には専門的訓練が不足していた。
(3)施設、装備、物品の準備不足 マーズ感染の予防と拡散防止、治療のための装備、施設、物品が非常に不足し、準備されなかった。病院は、感染防止に重要な隔離病室の設置義務がないが、感染病治療のために自ら設置している。陰圧隔離病室が668室、一般隔離病室が1131室で、一般病室の1人室も1万7000(全体の2.6%)に過ぎない。
(4)熟練した人材と教育訓練不足 国立中央医療院は、マーズ事態発生前に6回の教育訓練を受けたが、大部分の病院は感染病訓練を受けなかった。保健医療労組の調査では、隔離病床がある21の地方医療院のうち20病院(95.2%)は、マーズ患者治療・交替人材を確保していなかった。感染病関連の教育・訓練を受けたのは7病院(33.3%)だけであった。
(5)治療拠点病院の運営問題 サーズ以後、2006年、19病院が国家指定の隔離病院となったが、2015年現在、17指定病院の陰圧隔離病床は105に止まり、釜山、忠清北道には陰圧病室が1ヶ所もなかった。大邱、江陵の医療院には感染内科教授が不在で重病患者を治療できなかった。普段から伝染病に備えた公共医療機関の施設、装備、物品、人材などのインフラが構築できなかったことにより、「治療拠点病院」、「安心病院」、「選別診療所」など、拙速対応の問題が発生した。
(6)杜撰(ずさん)な自己隔離 感染病予防・管理法が定める自己管理指針は、現実には正しく機能しておらず、6月6日から16日までソウルだけで144人の無断離脱者が発生した。
(7)中央政府と地方自治体間の協力システム不足 マーズの疑いがある病院医師の直接・間接接触について、情報公開を要求するソウル市と、公開を拒否する政府の間で対立があるなど、危険管理のガバナンスで混乱が生じた。
(8)民間医療機関の資源インフラ動員と管理不十分 公共病床数が9.5%にすぎないため、マーズのような感染病流行時、民間医療機関の資源インフラを緊急動員しなければならないが、その陰圧隔離施設やベンチレーター、エクモなどの主要装備の保有状況も、政府は十分に把握せず、優秀な資源インフラを動員できる法的根拠を整備していない。
ナ・ヨンミョン政策室長は、結論として、次のように、「患者安全病院、職員安全病院づくり」の必要性を指摘しました。
結論として、韓国の医療機関は、サムスン・ソウル病院など、ビック5病院は競争システムの先頭に立っており、競争の中で最高の一流病院を追求してきたサムソン・ソウル病院が、マーズ事態いよって感染病にどれほど脆弱で国民の生命や安全に致命的な被害を及ぼした。
最高一流病院の概念は完全に変わらなければならない。大型化、高級化で多くの患者を誘致し、高い収益を上げる病院が一流病院ではなく、患者の安全と職員の安全の最高病院こそ最高の一流病院になるよう、韓国の保健医療体系が変わらなければならない。そのためには、病院の人材政策そのものが180度変わらなければならない。すなわち、最低の費用で最高の収益を上げるための人員削減、非正規職拡大政策は全面的に見直されなければならない。
セヌリ党、医療職を含む派遣の拡大法案提出
ところが、マーズ事態が生じた2015年春から半年も経過していない、同年11月になって、朴槿恵政権与党のセヌリ党が、派遣法(正式名「派遣勤労者保護法」)の適用対象を大幅に拡大する改正案を国会に提出しました。
セヌリ党の改正案は、韓国標準職業分類上、管理職(大分類1)、専門職(大分類2)のうち所得上位25%を対象に派遣を許容する内容を盛り込んでおり、医療関係の専門職を含んで、1000近くもの職種を派遣対象に含めようとするものでした。政府は、派遣許容範囲が拡大しても、「小幅な増加」に過ぎないと主張しました。しかし、派遣労働者がどの程度まで増加するか具体的な数値は示さなかったので、労働界は、場合によっては、派遣労働者が700万人をはるかに超えて、労働者全体では、10人の中で4人が派遣労働者になる、という分析も出されました。〔※〕
しかし、医療業界での間接雇用(派遣)と感染症との関連で、注目すべき指摘がありました。とくに、サムソン・ソウル病院が、民間病院の無分別な間接雇用を進める医療業界の先導的役割果たしていたことです。同病院が、本来、違法な派遣を請負を偽装していたことが、病院の防疫に対する責任を不明確にして、マーズ拡大に至ったと指摘されています。例えば、京郷新聞(2015年6月23日)によれば、サムソン・ソウル病院では、救急室から患者のベッドを搬送する協力会社(下請)の労働者が、マーズに感染しました。病院が、救急室の移送を外注したこと自体が、「不法派遣」(=「偽装請負」形式の違法派遣)でした。〔※〕
〔※〕2015年6月23日京郷新聞_移送から看護助務まで… 「外注化」が育てたマーズ
韓国では、日本とは違って、労働界が「不法派遣」の摘発を継続的に、厳しく追及し、2012年には、大法院(=最高裁判所)が、現代自動車・蔚山工場のベルトコンベア作業での「社内下請」を「不法派遣」と認定し、現代自動車に派遣法違反の責任を認めるなど、大企業を含めた間接雇用の広がりに、労働組合を先頭にした世論の厳しい批判・監視の目が注がれていました。
ところが、韓国最大の財閥サムソン系列のサムソン・ソウル病院は、2006年、国内病院の中で最初に、PDAシステム(=クイックサービスの運転手が身に着ける移動式端末機)を利用した、患者の搬送業務を外注化していたのです。この方式は、民間病院や大学病院が、業務の外注化として、「患者移送委託運営契約」(=不法派遣の疑いのある下請契約)を締結するきっかけになりました。ただ、医療関連の移送は患者との対面接触業務なので、感染予防教育を徹底的に受けることになっており、看護師との有機的協力が重要です。つまり、「移送業務は熟知しなければならない核心的心得だけで20~30もあり、緊急時に自ら対処能力を育てるためには少なくとも2年間の熟練が必要」だというのが現場の声でした。
他方、韓国の病院では既に、清掃、駐車、施設管理から始まり、患者給食、移送だけでなく、病院業務の相当部分を無分別に外注化されていました。
「2014年6月、ソウルのある大学病院差別是正事件で、派遣会社が労働委員会に提出した資料は、間接雇用の深刻さをよく示している。資料によると、派遣会社は94名の外注人員を外来看護(案内)、手術看護(洗浄滅菌)、病棟看護(シート交換)、重患看護(シート交換)、教育行政(患者移送)など、病院内のほぼ全ての部署に配置していた。」〔※〕
〔※〕 2015年6月23日京郷新聞、前述記事
しかし、人件費節約を主な理由とした外注化では、担当者の転職が頻繁になり、訓練や経験の継承も不十分になりがちです。患者の安全という面では、病院としての責任感・使命感が曖昧になってしまいます。生命を最優先するべき医療で間接雇用を拡大することは許されない、というのが現場の、そして労働界の切実な声でした。
さらに、韓国の医療業界では、派遣(不法派遣)だけでなく、非正規職が広がっていました。その結果、チーム医療の基盤が崩れ、多くの医療事故が発生することが問題となっていたのです。12の国立大学病院の非正規職規模は、09年の5210人から12年8月7102人へと増えており、同期間に、新規採用した人員4,730人の40%1,892人が非正規職でした(2013年教育部、国会提出資料)。
病院内で非正規職、さらに、派遣労働まで認められた場合、保健医療分野、医療の質低下で医療事故の可能性が高まり、患者の安全を脅かす危険性高くなるという声が高まったのです。〔※〕
感染症対策を強め、間接雇用を規制してきた韓国
実は、日本の医療業務の規制緩和による外注化容認(後述)が韓国にも伝播して、それが、2015年マーズ感染拡大の一つの背景となっていたのです。
2015年当時の韓国政府は、朴槿恵政権でした、韓国は、労災死亡や交通事故死がOECD諸国の中でも格段に多い国でした。経済成長優先・企業優先で、人命を軽視する傾向が強い社会でした。とくに、2011年発覚の加湿器殺菌剤事件、2014年4月のセウォル号転覆・沈没事件など、利益重視、生命軽視の企業社会と、親大企業の本質を露わにしつつあった保守・朴槿恵政権への批判が高まっていました。そこに突然発生したマーズ感染拡大は、政権への不信感をいっそう高め、2016年秋からのローソク集会、2017年朴大統領の弾劾に至る「市民革命」への大きな節目になったのです。
しかし、韓国では、「金(かね)よりいのち」を掲げる市民団体・労働組合が、政府のマーズ対応の失敗の原因を的確に指摘しました。そして、感染症対策の抜本的な見直しの世論を高まり、関連法制・感染症対応の制度改善が進みました。そして、与野党一致して感染症対策・体制を整備することになりました。とくに、新たに政権についた文在寅大統領は、「国民の生命重視」の政策を掲げました。その新政府の医療政策には、保健医療労組からの提言の多くが反映されることになったそうです。
そして、韓国・文在寅政府は、2020年の新型コロナ(covid-19)に対してもマーズ時の失敗を踏まえて、3T(Test=検査、Trace=追跡、Treatment=治療)を原則とした積極的な対策をとって、初期の感染の急激な拡大を乗り越えて感染抑制に成功しています。欧州諸国や日本とは違って、韓国は、都市封鎖(ロックダウン)、緊急事態宣言発出などの強制措置を最小限に抑えて、経済への影響を小さくすることに成功して、国内外から注目されることになりました。〔※〕
〔※〕2020年4月24日、NHK総合TV番組「時論公論」で、出石直解説委員が「検査・治療・追跡 韓国の新型コロナ対策」で詳しく報道し、その内容がWebに記録されています。
この点では、感染症対策にとって最も基本となる「検査(PCR検査)」を怠り続ける日本とは大きな違いがあります。また、韓国では、「ローソク革命」を前後して、非正規職が多かった病院での労働者の闘いが広がり、大学病院での清掃などの外注委託労働者の直用化が進みました。また、保守的な医療界、日本と同様、むしろそれ以上に、病院営利化を進めてきた韓国ですが、これまで組合結成や加入ができなかった多くの病院で、ローソク革命以降、看護師など医療労働者の組合加入が進んだということです。こうした背景があって、コロナ禍での医療現場の困難では日韓は共通していますが、韓国では、マーズ事態の反省から、間接雇用を含めて、医療現場の崩壊をより強く、食い止めていることに注目すべきだと思います。
日本でも拡大してきた医療業務の外注化
こうした韓国の病院での外注化(間接雇用)の拡大という状況は、日本の状況とほぼ重なっています。
日本でも、サービス労働部門で、「偽装請負」による外注化・事業場内下請(職業安定法第44条違反)が広がっていました。1985年制定の「労働者派遣法」は、その違法な現実を追認するものでしたが、派遣法は、当初は、対象業務を厳しく限定していました。ところが、多くの職場では派遣法で許されない業務について「偽装請負」形式による間接雇用の利用が見られました。90年代以降、政府は新自由主義的な規制緩和政策を進めて、派遣法違反の偽装請負を厳しく取り締まることをしませんでした。むしろ、厳しい姿勢をとるどころか、「人材ビジネス業」として、事実上、黙認する態度をとってきたのです。
その一つが、病院業務でした。政府は、1990年代以降、病院業務の間接雇用を大幅に緩める方針を進めることになったのです。それが、病院現場で、労働組合による闘いを通じて、労働問題として浮上したのが、大阪の民間病院、「暁明館病院」の事件でした。そこでは、病院経営者が、労働組合を無視して労働者の権利を抑圧するなど、法違反の労務管理を行って、裁判を含む争訟が起きていました。〔※〕
〔※〕 詳しくは、坂本重徳「病院にも派遣労働者が―暁明館病院労務供給違反事件」民主法律協会派遣労働研究会編『がんばってよかった – 派遣から正社員へ』(かもがわ出版、1995年)66頁参照。なお、同書には、私も執筆者の一人として参加しています。
また、医労連を中心として業務委託化反対の取り組みがありました。これについては、岡野孝信「日本における医療労働組合の歴史的特質―戦前・戦後の生成過程より―」(千葉大学大学院人文社会科学研究科、博士論文、2017年)参照。
同病院では、病院経営をめぐる内紛に乗じて、労務対策グループが介入して、委託派遣会社(メディコス)を設立して、病院業務の多くを委託して、直用職員を配転・異動させるという事件が起きたのです。当初は、医療事務のコンピューター化が理由とされた委託化でしたが、その後、外来受付、病棟書記、庶務、営繕、清掃、人事事務、寮母、用度事務、給食調理師、調理員、院内売店販売員に委託派遣が広がったのです。その結果、従来、直用の職員で組織されていた労働組合は、事実上、職場追い出しの対象とされました。委託派遣拡大が、労働組合抑圧の労務政策に利用されたのです。
この事件では、1993年11月9日、暁明館病院に対して、梅田公共職業安定所から、労働者供給事業認定通告書が出されました。病院が進めていた委託派遣が、職業安定法第44条に違反することが労働行政によって認められましたが、とくに、梅田職安の通告書では、違法な委託派遣で働く「メディコス」の職員を病院の直用職員として採用することが求められている点で、違法派遣の責任追及の闘いでは、きわめて注目すべき内容でした。
本来、医療法では、病院は、患者の生命に直接かかわることから、医療水準、衛生水準を守るために厳しい規制を定めていました。とくに、病院としては、必要な人員、設備が定められ、病院自らが、直接に、こうした人員、設備を行うという「直営」の原則を定めていました。また、営利病院(医療の営利化)は、「人の命も金しだい」になることから、営利企業の参入についても規制する「非営利」の原則も定めていたのです。
しかし、1990年代になって、政府・厚生省(当時)は、民間活力の活用、受益者負担新自由主義的な政策を医療にも拡大しようとしました。そして、1993年4月、「医療法」を改正して、従来の規制を大きく緩和して、「直営」と「非営利」という、二つの原則を大きく後退させました。具体的には、検査や給食だけでなく、滅菌消毒、患者搬送、医療機器の保守点検、医療用ガス供給設備の保守点検、寝具類の洗濯、設備の清掃など、計8業務の業務委託(外注化)などを定めたのです。
感染症対策のためにも、間接雇用の規制が必要
政府は、1993年の医療法改悪以降、病院業務の外注化拡大の政策を進めてきましたが、その一方、感染症対策は怠ってきました。むしろ、感染症対策という点では、病院業務の外注化に、大きな危険、問題点があるという視点はなかったか、少なくとも、きわめて弱かったのではないかと思います。ただ、医労連(日本医療労働組合連合会)など、労働側からは、既に異口同音に、医療業務の劣悪化、人員不足、人件費の抑制、そして、間接雇用の拡大による、担当者の相互連携不足など、医療の質低下の問題点が繰り返し指摘されていました。
今回のコロナ禍でも、取り急ぎ、インターネットで探したところ、次のような事例が見つかりました。
□2020年9月10日 入院患者2人と清掃業者の女性陽性 鈴鹿のクラスター 県内新たに5人
「鈴鹿厚生病院(鈴鹿市)で発生した新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)で、三重県は9月10日、新たに入院患者の60代男性2人と、清掃業務の委託会社に勤務する40代女性の計3人が陽性となったと発表した。」
□2020年12月11日 県立延岡病院が業者感染発表、15日まで外来中断
「延岡市の県立延岡病院は11日、清掃業務委託会社の従業員1人が新型コロナウイルスに感染したことを受け、入退院、外来を15日まで中止すると発表した。救急患者の受け入れは継続する。従業員は同市の70代女性。病院職員や患者に接触する機会はなく、感染拡大のリスクは極めて低いとしている。」
□2020年6月21日 読売新聞 シーツ洗濯を拒否される病院続々、業者が感染懸念…3か月分たまった例も
「新型コロナウイルスの感染が拡大した3~5月にかけ、感染者を受け入れた医療機関で、シーツなどのクリーニングや院内の清掃を委託先の業者に拒否される事例が相次いでいたことがわかった。委託業務が滞れば、医療現場の負担につながる恐れがあり、専門家は第2波、第3波を見据え、対策の必要性を指摘している。」
□2020年7月30日 宮崎県立宮崎病院 患者給食業務委託業者従業員の感染
□2020年8月8日 淀川キリスト教病院 病院勤務の業務委託先の従業員1名が感染
□2020年8月28日 一宮市立病院、業務委託職員の新型コロナウイルス感染
「市民病院に勤務する市内在住、50代、女性の業務委託職員1名が新型コロナウイルス感染していることを
確認しました。」
□2020年8月31日 北習志野花輪病院 給食業務委託先職員の感染
□市立ひらかた病院で勤務する業務委託先従業員の新型コロナウイルス感染確認
□2020年11月24日 国立がん研究センター 業務委託会社社員における感染 ゲノム情報管理センター関係
□近江八幡市立総合医療センター 業務委託事業従業員が感染
□2020年12月26日-28日 横浜労災病院 業務委託職員の新型コロナウイルス感染症 発生
「当院の業務委託職員1名が12月26日(土)に新型コロナウイルス感染症と診断されたため、12月28日(月)に症状のある業務委託職員にPCR検査を実施したところ、3名の陽性者が確認され、陽性者は合計4名となりました。」
□2021年1月26日 熊本市民病院 委託業者職員(給食食器洗浄業務従事)の感染
政府では、こうした状況に関連して、厚生労働省医政局地域医療計画課が、2020年4月24日「医療機関における新型コロナウイルスに感染する危険のある寝具類の取扱いについて」(事務連絡)を発して、医療機関内の施設で消毒が原則で、例外的に外部委託することとし、さらに、同年12月14日、首相官邸から「看護師の皆さんが本来の業務に専念できるよう、清掃などの業務について民間業者への委託を促し、その経費を支援します。」と表明していますが、それだけです。
そこでは、平時に広がっていた病院業務外注化が、コロナ禍という緊急時に、看護師業務の足を引っ張って、医療現場の疲弊につながっていることを深く反省するのではなく、民間委託業者への経済的支援を強めるという、いかにも付け焼刃と言える対応としか言えません。そうした皮相的な対応ではなく、外注化の関連について感染拡大防止の視点から考え直すことが必要だと思います。
今回の看護師日雇派遣は、新型コロナによる医療・福祉現場の状況・問題点を踏まえた政策とは言えません。新型コロナをめぐって、院内感染・高齢者施設での感染が広がったことが報じられています。2015年の韓国で議論されたように、2020-2021年の日本で、コロナ禍によって、医療・介護・福祉の現場に、どのような問題が出ているのか、とくに、非正規雇用の拡大、外注化が、それぞれの現場で感染拡大抑制にどのような否定的な状況をもたらしているか、その状況をしっかり踏まえることが必要です。政府・厚生労働省が、そうした調査もすることなく、拙速に看護師日雇派遣を進めており、強く反対せざるを得ません。
以下の参考資料は、2015年11月17日、看護師などの派遣を容認する与党の法改正案に反対する保健医療労組の声明です。(試訳・文責 脇田滋)
〔参考資料〕
韓国・保健医療労組[2015年11月17日声明書]
医師、看護師、医療技師など、病院事業場の全職種を含む<派遣法>改正を中止せよ!
一定所得以上の場合、全産業の管理・専門職の派遣が可能、
医師、看護師、医療技師など病院事業場の全職種を含むことができる
<派遣法>改正を中断せよ!
- 医療関係者の派遣は、医療の質の下落で国民の生命の脅威が火を見るように自明
- 長期勤続者の退出手段と賃金及び労働条件の下落につながる可能性が高い
- 医療関係者の非正規職化、全業種の非正規職量産の通路として作用する
○保健医療の人材システムの根幹が損なわれ、国民の生命を脅かす恐れがある「派遣労働者保護等に関する法律」(以下、「派遣法」)の改正が推進されている。主な骨子は、勤労所得上位100分の25に当たる医療関係者などの専門職と管理職、55歳以上の高齢者に対する派遣勤労を全面的に拡大するということである。改正法律案は、今月16日、国会常任委員会に自動上程された。
○法律的に専門職には、保健医療分野の医療診療専門家(医師、漢方医師、歯科医師、獣医師)、薬剤師、漢方薬剤師、看護師(専門看護師、一般看護師、保健教師、助産師)、医療技師(臨床病理士、放射線士、理学療法士、作業治療士、歯科衛生士、歯技工士など)、看護助務士、治療士、衛生士、栄養士、社会福祉士、救急救助士、医務記録士……など病院事業場全職種が含まれている
○マーズ〔MERS 中東呼吸器症候群〕を通して私たちは韓国の医療システムについて見てきた。防疫や医療体系の弱点がそのまま露呈されたのである。その過程で非正規職らは病院の感染管理体系から外され、無防備にマーズにさらされたのである。ところが、その杜撰(ずさん)な医療システムで、派遣法改正ですべての職種が非正規職で充たされると、混乱はさらに深まるだろう。これがまさに国民生命の脅威になることは明白である。
○政府は、労使政野合の説明資料を通じて現行派遣法上、医療人は派遣禁止業務であることを明らかにしており、改正法律案の提案理由にも国民の生命・安全と密接に関連した業務に派遣勤労の使用を制限するという趣旨がある。生命・安全密接業務を反映するかのようで、改正案は誘導船乗船船員業務、鉄道および都市鉄道事業従事者業務の一部、「産業安全保健法上」の安全・保健管理者業務を禁止業務に追加した。しかし、医療関係者関連の具体的な言及はない。
○前述したように、現行の「派遣法」施行令は、医療人及び看護助務士の業務を禁止業務と規定している。しかし、改正案第5条2項は、派遣許容業務を「「統計法」第22条により告示した韓国標準職業分類の大分類1(管理職)と大分類2(専門職)の業務を対象とする場合、ただし、派遣事業主と派遣勤労者が勤労契約で定めた賃金(派遣勤労期間中の総額を年間単位に換算した金額をいう)が、雇用労働部が最近調査した雇用形態別勤労実態調査における韓国標準職業分類2の職業に従事する者の場合である。第5条2項は、1項の派遣許容業務を大統領令で定めるものとしたが、大統領令でなく、<派遣法>で派遣対象を定めることができるようにしたものである。すなわち、現行施行令で医療者の業務を派遣禁止したとしても矛盾が生じ得るのである。したがって、派遣法において、生命を扱う医療法及び老人長期療養保険法上の業務を絶対禁止業務として明確にすることが、国民の生命·安全と密接に関連する業務に派遣勤労の使用を制限するという趣旨に合致する。
○明確な絶対禁止業務規定なしに法改正が現実化し、施行令の矛盾が提起されて施行令を改正せざるを得ない状況に突き進めば、病院事業場全体で相対的に高所得の医師はほとんど派遣職として使用することができ、看護師、医療技師をはじめとするほとんどの職種は一定所得以上になれば派遣職に代替できる。しかも、大学病院の場合、医療技師は、2年期間制非正規職として採用する現実から見て、診療を含めて熟練、未熟練などのほとんどの業務を非正規職が担うことになるのである。
○医療は、医師、看護師、医療技師をはじめとする病院事業場の全職種が有機的にかみ合って協力しコミュニケーションしなければならない。どんな役割を担っても、少しでも狂うと、すぐに患者の生命を脅かすことになる。したがって、職種間の緊密な協力を通じて、細心に患者の世話をすることが何よりも重要である。しかし、そのポストが派遣職に取って代わる時、協力体系が崩れる可能性が高い。これは医療の質の下落につながり、国民の生命を脅かすことは火を見るよりも明らかである。ところが、<派遣法>の改正で保健医療分野への派遣許容の道が開かれたら、資本の利潤のために国民の生命を守る安全線を解体する結果をもたらすだろう。
○セウォル号惨事とマーズ事態を経験し、韓国社会は「国家とは何か」という深刻な問いを投げかけている。この時点で医療関係者まで派遣を拡大できる余地が開かれたら、資本の利潤のために逆走行するという宣言と変わらない。
○「派遣法」改正理由の一つとして、セヌリ党は人材難を挙げている。実際、韓国の保健医療人材はOECD平均3分の1の水準である。このため、患者には質の高い医療を提供できず、保健医療人は劣悪な労働条件に苦しまなければならなかった。劣悪な労働条件は、転職を煽る悪循環につながっている。保健医療分野での労働力の拡大は患者と労働者の両方に肯定的な要素となるだろう。10月23日に発議された「保健医療人材支援特別法案」の制定が必要な理由である。保健医療分野の人材拡充を通じて、医療の質の向上と労働条件改善の好循環構造を作らなければならない。
○現在進められている派遣拡大の反労働性は明確である。まず、長期勤続労働者の追い出し手段として悪用される。病院ごとに異なるだろうが、概ね15年目から20年目の勤続で一定の所得に到達すれば、使用者は費用削減を掲げて派遣労働者を使用すると脅かすだろう。看護大学や医療技師分野を専攻した女性労働者の場合、40代前半か半ばに当たる年齢である。ところで、このポストが派遣で埋めることができるなら、やむを得ず派遣法が認める勤労所得基準で賃金を合わせるしかない。本人の賃金や労働条件の下落はもとより、社会全体では100分の25に当たる労働所得が下がることもありうる。そうなれば、40代前半や半ばに賃金が下落するもう一つの賃金ピーク制の変形になる。さらに、労働基準法の改悪で一般解雇制の導入が重なることになれば、使用者はコスト削減の手段としてこれを悪用する蓋然性はさらに高まる。
○また資本の利潤のために国民の生命まで軽視した医療人に対する派遣拡大は職業群全体の派遣拡大につながる通路として作用する可能性がある。ましてや医療人まで派遣が可能なのに、他の職業群で派遣の鍵を開けないという保障があるだろうか。資本は、派遣可能な職種を55歳の高齢者と一定勤労所得の専門家だけでなく、すべての業務と全体年齢で派遣できるように要求するだろう。結局、皆が非正規職に追い込まれる結果がもたらされるのである。
○国民の生命脅威と賃金および労働条件の下落、そして全体の職業群を非正規職に追い込む「派遣法」の改正を保健医療労組4万6千人余りの組合員は断固反対する。「金より生命を」を使命感として劣悪な医療環境の中でも屈せずに働いてきた保健医療労組組合員は、国民の生命を資本の利潤追求に任せ、労働条件下落のブーメランとなって戻ってくる「派遣法」改正推進を阻止するため、総力闘争を展開するだろう。保健医療労組の闘争は、労働市場の構造改悪阻止のため、全面ストで立ち向かう80万の民主労組の組合員闘争の延長線上にある。政府与党は、国民の生命と安全より重要なものがないことを肝に銘じなければならない。「お金より生命である」。
2015年11月17日
全国保健医療産業労働組合