DVD「シークレット・サンシャイン」/神の所在はどこ?

 一人息子とともに地方都市ミリャン(密陽)に移り住むシングルマザーの悲劇とそれを見守る男の物語である。監督はイ・チャンドン。シングルマザー役はチョン・ドヨン。彼女に絡んでくる男にソン・ガンホ。チョン・ドヨンはこの映画でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞した。
物 語
 シネ(チョン・ドヨン)は息子(小学低学年)とともに亡くなった夫の郷里のミリャン(密陽)に行く途中で車が故障してしまう。連絡を受けてやって来たのが小さな自動車修理会社を営むジョンチャン(ソン・ガンホ)だが、そこで彼女に一目惚れしてしまう。それからというもの彼女に住む家を探してやり、何やかやと世話や雑用をして彼女にまつわりつく。
シネはピアノ教室を開き、すぐに生徒もつくが、彼女は、町の人から憐みを受けたくない、弱みを見せたくない一心から見栄を張る。「良い土地があれば買うし、投資も考えている」と近所に言う。密陽は小さな町なので、彼女の噂は広まり、このことで不幸を招いてしまう。息子が誘拐され、法外な身代金を要求されるのだ。預金には土地が買える金などない。犯人から息子を誘拐したと電話がかかってくるときのドヨンの独り芝居は息を呑む。抜群に上手い。結局、息子は遺体で見つかる。
息子を失ったシネは救いをキリストに求め、心の平穏を取り戻した。しかし行く必要もないのに息子を殺した犯人に面会に行き、罪を許そうとする。ところが犯人は「私は神に許された」と彼女に向かって言った。シネは卒倒してしまう。
「私が(犯人を)許す前に、何故、神は彼を許したの」と彼女は絶望し、徹底して神を否定する行動に出る。日常生活からもどんどん逸脱していく。そんな狂気の彼女に、突き放されても、突き放されても、寄り添うソン・ガンホの演技は緊迫した物語の中で可笑しさを誘う。無垢な人なのだ。
ほくのひとこと
題名の『シークレット・サンシャイン』は密陽/「秘密の陽射し」を意味するミリャンからとっている。その題名からして意味深長である。
それと冒頭で青空が車の中のフロントガラス越しに映し出される。それを助手席にいる幼い息子がぽかんとして見つめている場面と、映画の中盤で息子を亡くしたシネが車の助手席から青空を見つめる場面がある。フロントガラスから見える空は、息子が見たときも、母親が見たときも、同じような雲が浮かんでいて、同じ青さだった。ぼくは、その抜けるような空の青さに虚無的なものを感じてしまった。
そしてラストの場面では、庭先でジョンチャンに大きな鏡をもって貰ってシネが髪を切ると、それが束になって落ちて風に吹かれて転がって行く、映画はそのコンクリの地面を映し出して終わる。このときのカメラ/監督の目は、青空の向こうの「天」には何もないんだよと語り、小さな庭の地面を見つめる眼差しからは、足元/現実を見るしかないんだよという監督のメッセージが込められているような気がしたのだが。いずれにせよこの三つの場面は印象に残った。
2013年8月20日 月藻照之進

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