働き方ネット大阪第11回つどい
なくせ!官製ワーキングプア
関西大学院生 中 野 裕 史
2010年4月2日に開催された働き方ネット大阪の11回目となるつどいは「なくせ! 官製ワーキングプア」と題し、都留文科大学教授の後藤道夫先生と、大阪自治労連公務公共一般の川西玲子さんを講師にお迎えし、さらにリレートークを通じて現場で働く労働者の方々に、公務労働の実態について語っていただいた。
後藤先生からは、「貧困拡大と非正規雇用」というテーマで、官製ワーキングプアを含めた日本の労働・生活問題についてご報告いただいた。現在、日本の総世帯の二割強が貧困世帯となっており、子育て世帯の平均年収が1996年から2007年までに約90万円近く低下するなど、低所得世帯が1990年代後半以降において急速に増加している。後藤先生は、このような貧困急増の直接的背景として、雇用保険給付を伴わない失業者層の拡大と、自立生活型と呼ばれるフルタイム非正規労働者の増加を挙げられ、さらに定期昇給かボーナスのない低処遇の男性正規労働者が増え、ここに自営業者が加わることで分厚い貧困層が形成されていると説明された。
その上で、後藤先生は労働条件の良い仕事を希望しても転職・追加就業できない「半失業」状態の労働者に注目され、失業・潜在的失業・半失業者を合計すれば139万人が該当するという試算を述べられた。しかも、それが戦後日本の雇用慣行の下で維持されてきた、正規/男性・主婦パート/女性という身分的な差別を内包したまま、労働市場全体を下方に押し下げる圧力となっているというお話を聞き、日本における貧困と非正規問題の解消には、ジェンダー視点が必要不可欠であることを改めて痛感した。
これらの諸論点と関連して、後藤先生は官製ワーキングプアについて、他の非正規と比べて「半失業」の性格がやや薄いが、それは職務の専門性と特殊性から仕事を続けていきたいと考えている人が多いからだと説明された。専門職比率や職業訓練の実施比率を踏まえれば、公務部門は労働運動が展開可能な条件が揃っており、労働者が団結できれば「流れ」は大きく変わるだろうと述べられたことが、大変印象的であった。
次に、川西玲子さんからは「官製ワーキングプアと自治体の役割」というテーマで、現場に根ざした組合活動の経験をもとに、公共部門における非正規職員の実態についてご報告いただいた。川西さんは、地方自治体では女性で非正規の臨時・非常勤が増加しているが、その任用形態が「任期付き短時間職員」という、雇用期限(多くの事例は3年)が明確にされた区分に置き換えられつつあると指摘された。大阪市では09年12月に制度として条例化され、しかもこれを全職種に適用するという方針が出されており、恒常的な業務でありながら昇給もなく、3年で労働者を使い捨てにできるような施策が採用されているという。
さらに、川西さんはこういった直接任用だけでなく、指定管理者制度や業務の民間委託が推進される中で、委託料金の値下げが働くものの労働条件を浸食しており、自治体が民間へ管理責任等を丸投げしている実態も批判された。その上、コストを優先する業者が選定されることで公務の職場から専門性が失われ、公共サービスそのものが低下しているというお話は、自治体の財政再建策がいかに本末転倒なものになっているかを物語るものであった。
しかし、そのような中で、非常勤職員や委託先の派遣会社で働く労働者が組合を結成し、労働条件の不利益変更を撤回・直雇用化を自治体に認めさせる事例も増え、千葉県野田市で日本初の公契約条例が成立するなどの動きも現れている。川西さんは講演の最後に、非正規をめぐる情勢は明らかに転機を迎えており、最賃・公契約・均等待遇の三つをセットに、みんなで団結して底辺に向かう競争から抜け出そうと訴えられた。
後半のリレートークでは、3人の方にそれぞれの立場から生々しい現在の労働・生活状況について語っていただいた。国土交通省から建設関連の社団法人に違法派遣させられ、しかも期間満了を理由に雇止めされた千谷さん。学童保育の指導員として17年間働いてきたにもかかわらず、勤務先から突然解雇を言い渡された長谷さん。小学校の校務員(用務員)で正職として働いてきたが、市から非正規化の方針を告げられ、労働委員会に訴えた川渕さん。報告者の方が行っているいずれの仕事も、専門性と継続性が問われるものであって、しかも恒常的に存在する業務である。自治体がいかに不合理な理由で労働者を解雇しているか、その常軌を逸した施策方針が改めて浮き彫りにされた。
現在、メディアを賑わせている「事業仕分け」なるものは、公務員バッシングを助長する最たるものと言える。もちろん、不必要な公共事業などはカットすべきである。しかし、執拗すぎる公務員叩きの陰で、我々の仲間である公務労働者たちが貧困の淵に追いやられ、その結果として生じる市民サービスの劣化が、巡り巡って私たち住民の首をも絞めることになるという事実に、もう気づいてもいいはずである。