父の価値観に追い詰められた男性、絵本が人生の転機に

朝日DIGITAL 2016年8月19日
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 かつて「男らしさ」を強要されて傷ついた。いまは自分自身を受け入れ、再生した男性がいる。

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 名古屋市の食品工場で契約社員として働く男性(41)は「ぼくは父にとって、理想の息子じゃなかった」と振り返る。

 幼稚園のころから集団にうまく溶け込めず、小学校でもいじめられた。父は「男なんだから泣くな」。周りの男子と同じようにできないことをなじられ、平手打ちや、髪の毛を引っ張られることもあった。

 休み時間や放課後は学校の図書室へ通った。絵本が大好きだった。だが借りて帰ると「男らしくない」と父に取りあげられ、柔道教室に通わされた。絵を描いていると、「野球かサッカーをしろ」と父は言った。

 高校を卒業して働き出したが、就職氷河期で、アルバイト生活が続く。「男は正社員として、家族を養うもの」という父の価値観にとらわれ、正社員になれない自分を責めた。いつも自信がなく、自分を肯定できなかった。

 女性との付き合いでも嫌な思い出がある。車の運転免許を持っていない。女性とドライブに行く時、助手席に座ると、「そこは男が座るところじゃない」と言われた。

 4年ほど前、アパレル業の契約社員になった。仕事の量が多すぎてさばききれず、正社員の上司から客の前でも何度も罵倒された。誰かに助けを求めることは「弱さ」であり、「悪」だと思っていた。能力のない自分が悪いのだと。

 我慢の糸が、ある日切れた。上司に「こっちだって必死にやってるんだよっ」と言い返したら、ふっと心が軽くなった。それ以来、同僚に手助けを頼めるようになった。

 上司に反論したからか、仕事はその後、すぐにクビに。でもこの経験で発見があった。「自立とは『人に頼らない』という意味じゃないんだ」。自分で自分を追い詰めていた、ということにも気がついた。

 父に隠れて小さい頃から読んだ何百冊もの絵本のうち、ある1冊が教えてくれたこと。アパレル職場での経験とちょうど同じ頃だったろうか。

 「そらのいろって」(ピーター・レイノルズ作)。女の子が空の絵を描こうとしたが、青い絵の具がない。困って空を見上げると、決して青一色ではない。いろいろな色を混ぜ、自分だけの空の色をつくる――という物語だ。

 「どんな色であっても、僕は僕なんだ」

 そんな生きる支えとなった絵本がきっかけで、人生は思わぬ方向へ転がり出す。絵本について詳しいことが口コミで広がり、今では仕事の傍ら、週1回ほど個人やカフェの絵本選びの手伝いをするように。頼りにされ、相談をうけるのが喜びで、アドバイスするのが楽しい。

 数年前、父が肺の病気を患った。出来るだけ顔を合わせたくないと実家を避けてきたが、父の顔を見に時折、帰るようになった。大きくて怖かった戦中生まれの父は、年老いていた。

 「父も必死だったんだろう。昔の彼女も。ああいう風にしか生きられなかったのかもしれない」。以前は抱いていた、殺意に近いほどの恨みの気持ちは、もうない。

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