夜、子どもが遊ぶそばで洗濯物を畳む男性(41)。「子どもがある程度大きくなったら、次の人生を考えるつもりだ」
いま、「パタハラ」がやみません。育児に積極的な男性が、会社で解雇・降格させられたり、昇進・昇給の機会を奪われたりする「パタニティー(父性)・ハラスメント」のことです。育休明けに、つらい体験をした男性の話を聞きました。
「席はここね。またやること決まったら言うから」
東京のエンターテインメント会社に勤めていた男性(41)は2013年春、育休から復帰して職場に行くと、上司にこう告げられた。「担当が決まってないのか」と思ったが、その後、二度と仕事が回ってくることはなかった。
その4カ月前までは、大勢の部下を束ねていた。土日も朝晩も関係なく忙しかったが、仕事がおもしろくて全く苦ではなかった。部長職に昇進したばかりで、もっと大きな仕事ができると思っていた矢先。積み上げてきたものを育休ですべて失った。「怒りは今も続いている。この先もずっと残ると思います」
男性が育休を取ったのは息子が1歳の頃。保育園の入園が決まるまでのやむを得ずの選択だった。比較的保育園に入りやすい0歳の4月に入れず、妻は復職。男性の母を東北から呼び寄せてその年はしのいだが、それも限界だった。
育休を取る前から嫌な予感はしていた。「うちの会社に育休なんてねーよ、バーカ」。育休をにおわせただけで上司に一蹴された。女性の方が多い会社だが、「産んだら辞めれば」と冷たい目で見られる雰囲気はあった。「嫌がらせや嫌みは会社員としてある程度覚悟していた。逆の立場だったら、気持ちがわからなくもないので」。なんとか申請は通り、部長職で復帰という話で休みに入った。
でも、復帰後の仕事は雑用しかなかった。「何やればいいですか」「決まったら言うよ」の繰り返し。現場で人手が足りなくても、オフィスから出ることは許されない。徐々に雑用すらなくなった。「やることがないって結構つらい。『何やってんの?』と聞かれるのもつらい。前が忙しかったから余計にです」
育休を取ると干される――。周りはざわついたが助けてはくれなかった。午前10時から午後6時まで、ひたすら机に向かって座っているだけの日々が半年ほど続いた。
そして秋。人事担当に呼ばれると突然、北海道への転勤を告げられた。グループ会社はあるが、本社から行った人は1人もいない。現実的な話ではなかった。
「なぜ俺なんですか。育休取ったから辞めて欲しいんですか。育休取ったから仕事を与えずに干し続けたし、全て育休ですよね!」。詰め寄ると、相手はあっさりと認めた。「北海道行くか辞めるか。行かないならクビだから」。悔しくてその場で泣いた。育休を取っただけでこうなるなんて、納得がいかなかった。
嫌な予感がした日から、育休関係の話は全て録音していた。「パタハラ(パタニティー・ハラスメント)という言葉は知らなかったけど、育休での不利益は違法と知っていた。証拠は残しておこうと思って」。会社を辞め、自分は悪くないと証明したくて労働審判を申し立てた。決着が付かず、裁判を起こした。2年争い、会社が損害賠償金を支払うことで和解した。
今は転職したが、前職とは全然違う単純作業だ。定時で働き、保育園の送迎や寝かしつけまで1人でこなす。妻が帰宅するころには子どもと寝ている。
保育園の先生も保護者も男性の境遇は知らない。保護者会で父親同士で仕事の話になるとついて行けない。時間を気にせず、自分の好きな仕事をできている多くの父親たち。「子どもとの幸せもある」と言い聞かせるが、バリバリ仕事をしている周りの男性たちがやっぱりうらやましい。
■追い詰められ「育休とらなきゃよかった…」
スポーツ関係の会社に勤める男性(35)は昨年春、約1年の育休から復帰すると、子会社への出向を命じられた。業務内容は赴任日直前まで明かされず、行ってみたら、倉庫での肉体労働が待っていた。仕事は、重たい製品が入った段ボールをトラックから降ろす作業だった。
正社員として入社5年目。マーケティングや総務の仕事をしてきた。育休前から上司とそりは合わず、育休の相談をすると「奥さんが働かないといけないの?」と嫌みを言われた。出向先は契約社員やアルバイトばかり。「左遷だ」と感じた。
「育休をとらなきゃよかった。子どもがいなきゃよかった」。そんなことを考えるほど、精神的にも追い詰められた。行政機関に相談しても状況は変わらなかったが、弁護士を介し、約3カ月で親会社には戻れた。だが、以前の仕事はなく、今は1日パソコンを眺めているだけだ。給料は出ているが、ただただむなしい。「会社は『やめます』の一言を待っている。飼い殺しだ」(植松佳香)