<過労社会 働き方改革の行方> (1)100時間未満でも死招く

東京新聞 2017年4月2日 朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201704/CK2017040202000116.html

過労死した夫敏博さんの遺影を前に、政府の「働き方改革実行計画」に疑問を呈する三輪香織さん=愛知県安城市で(小嶋明彦撮影)
 長時間労働の是正を柱とする政府の働き方改革の実行計画がまとまった。「歴史的な一歩」と胸を張る安倍晋三首相。誰もが活躍できる社会に向け、長時間労働が染み付いた企業風土と決別できるのか。働き方改革の行方を探る。
 「月最大百時間未満」で労使トップが合意−。三月十三日、働き方改革の焦点となっていた残業時間の上限が決まった。
 その四日前、月八十五時間の残業でも過労死と認める名古屋高裁の判決が確定した。夫の過労死認定を求めていた原告の三輪香織さん(40)=愛知県安城市=は、労使で合意した百時間という数字にあぜんとした。「厚い壁が、もっと頑丈になってしまう」
 「壁」とは、脳・心臓疾患の「過労死ライン」である残業百時間。厚生労働省は、「一カ月におおむね百時間か、二〜六カ月におおむね月八十時間を超える残業」は過労で亡くなる恐れがあるとして、過労死認定の基準としている。
 二〇一一年九月、トヨタ系の工場で働いていた夫の敏博さん=当時(37)=は心臓の病で突然死した。「主人は仕事で死んだんだ」。香織さんは労災を申請したが、労働基準監督署は不認定。あきらめきれず、名古屋地裁に処分取り消しを求めても覆らなかった。いずれも百時間という過労死ラインが大きな壁となって立ちはだかった。
 過労死と認めた高裁の判決は、亡くなる直前の残業を月八十五時間としつつも、仕事のストレスによるうつ病で睡眠を十分に取れていなかったとして「健康な人の百時間以上に匹敵する」と判断した。
 高裁判決を受け、香織さんは「(夫に)頑張りが認められたと伝えたい」と会見で涙を流した。夫の死から五年半がたっていた。
 政府は三月二十八日、働き方改革の実行計画を公表した。「かつての『モーレツ社員』という考え方自体が否定される日本にしていく」。これまで青天井だった残業時間に罰則付き上限を設け、長時間労働是正を宣言した。
 その規制は、夫の残業時間を上回る過労死ライン並み。「やっぱり分かってないのかな。『働き方改革』などと口で言うだけでなく、世間の人の現実の働き方に目を向けてほしい」と香織さんは訴える。
◆「総活躍社会」理念どこに

判決で壁を崩したと思ったのに…。三輪香織さん(40)は、残業時間の上限を過労死ライン並みの「最長月百時間未満」に規制するという政府の実行計画に肩を落とした。
 夫の敏博さん=当時(37)=の残業は、過労死ラインに満たない月八十五時間だったが、名古屋高裁判決は過労死と認めた。
 亡くなったのは、東日本大震災の影響で止まっていた工場の仕事が動き始めた繁忙期だった。「まじめで自分から休むとは言わない」。亡くなる直前の朝、足をひきずるようにして家を出た姿が忘れられない。
 「百時間未満」に国がお墨付きを与えるのなら、夫のような人は、過労死とみなされなくなるのか。「月八十五時間でも、本人にとっては過重労働だったんです。小さい会社で働く一人の社員のことなんて、目を向けてくれないのかな」
 四半世紀にわたる遺族らの訴えが国を動かし、過労死等防止対策推進法が成立したのは三年前。法律には「過労死防止は国の責務」と明記された。
 そもそも政府が長時間労働の是正を打ち出したのは、人口が減っていく中で、誰もが活躍できる社会をつくるためだった。安倍晋三首相は昨年三月、「一億総活躍社会」への政策を話し合う会議で、「長時間労働は仕事と子育ての両立を困難にし、少子化や女性の活躍を阻む原因になっている」と、残業の上限規制の必要性を強調していた。
 「月百時間の残業なんて、子どもがいたら仕事との両立は無理」。東京都内のIT企業に勤める女性(45)はこぼした。
 長時間労働が当たり前の業界で、仕事が終わるのは早くて午後八時。システム障害が起これば、休日でも二時間以内に現場に駆けつけなければならない。
 三百人ほどの社員のうち女性管理職は、夫と二人暮らしの自分と独身の同僚だけ。家庭を顧みず長時間労働に邁進(まいしん)する男性中心の企業風土が、いつの間にか自分にも染み付いていたのか。ある日、先輩から冗談交じりに告げられた。「会社にとってはいいコマだけど、幸せそうには見えない」
 別の生き方があったのかもしれない。でも、どうすれば仕事と家庭との両立ができたのだろう。育休から復帰しても子育てとの両立から思い描いたようなキャリアが積めず、会社を去った後輩を何人も見てきた。
 「月百時間の上限規制で女性も活躍しろって、やっぱり“男並み”に働けってことでしょうか」 (この連載は中沢誠、福田真悟が担当します)

この記事を書いた人