熱血先生26歳の死、労災認定 授業や部活に追われ…

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朝日デジタル(関西)2015年3月4日

写真・図版(省略)
 
 2011年に26歳で亡くなった堺市の市立中学校の教諭について、地方公務員災害補償基金が公務災害(労災)による死亡と認定したことがわかった。「熱血先生」と慕われ、市教育委員会の教員募集ポスターのモデルにもなった。強い使命感の一方、授業や部活指導などに追われ、体がむしばまれたとみられる。多くの新人教諭らが教壇に立つ春。市教委は再発防止に力を入れる。

 亡くなったのは理科教諭だった前田大仁(ひろひと)さん。教諭2年目の11年6月、出勤前に倒れた。死因は心臓の急激な機能低下だった。

 10年春に赴任し、1年目は1年生、2年目は2年生を担任し、女子バレー部の顧問も務めていた。

 同基金は昨年11月に仕事が原因の過労死と認定した。資料によると、同僚教員の証言などを元に推計した前田さんの死亡直前3カ月の校内での残業時間は月61〜71時間だった。国の過労死認定基準(2カ月以上にわたり月平均80時間以上)を下回る数値だったが、残された授業や部活の資料などから、「(一人暮らしの)自宅でも相当量の残業をこなしていた」と判断した。

 生前、仕事の多さなどを聞いていた遺族が公務災害を同基金に申請。教育方法などを相談されていた姉(35)は「弟は熱血教師だった。使命感と責任感が強かったため、担任と顧問の両方を任されたのかも知れないが、わずか2年目の未熟な教師でもあったと思う。学校全体でサポートしてもらえていたら、死を避けられたかもしれない」と話す。遺族の代理人で、過労死に詳しい松丸正弁護士は「公立学校の教諭で、残業時間の全容が判明しない中での過労死の認定は異例だ」としている。

 堺市教育委員会は「改めて、心よりお悔やみを申し上げます。(認定を)真摯(しんし)に受け止め、再発防止に向け、一層、労働安全衛生対策の推進に努めて参ります」とコメントした。

■教え子「戻ってきて下さいよ!」

 「出会えてよかったと思ってもらえる教員になりたい」。亡くなる直前の春、前田さんは、堺市教委の教員募集ポスターやパンフレットに取り上げられ、熱い思いを語っていた。「私自身は理科が大好きで、この気持ちを一人でも多くの子どもに伝えたいと思い、教師をめざしました」ともつづっている。

 前田さんの死後、生徒に配っていた授業のプリントや、メッセージと連絡事項を記す「学級通信」が家族に戻された。プリントには写真や自筆のイラストをふんだんに盛り込んでいた。

 姉によると、「温かみが伝わる」と前田さんは手書きにこだわっていたという。前田さんにはテニス経験はあるが、バレーの経験はなかった。テニス部への顧問替えも望んだが実現せず、バレー部員に的確な指導をしたいと専門書を読み込み、休日には地域のバレー教室に通っていたという。

 約20人のバレー部員と交わしていた「クラブノート」には、「暗い表情をしては駄目! どんな時も明るく自信を持って」「ボールの強さに負けて上体を後ろにそらさないこと」など、励ましや助言の言葉がびっしり。前田さんはこうした作業を主に自宅でしていたとみられる。

 ノートの最後のページには、前田さん急死の知らせに接した部員たちの悲痛な言葉が記されている。「何で先生なんですか? 何でよりによって先生なんですか? ○○(名前)たちが先生に無理させていたんですか? めっちゃ謝るし、これからの練習もめっちゃ真面目にするんで、戻ってきて下さいよ!」

■長時間勤務「国も対策を」

 経済協力開発機構(OECD)の国際調査結果(13年)によると、調査に参加した34カ国・地域中、日本の中学校教員の勤務時間は1週間で計53・9時間と最も長く、平均38・3時間を大幅に上回る。

 最も短いのは、チリで29・2時間。ほかにもフランス36・5時間、韓国37・0時間、米国44・8時間など。勤務時間の内訳でも、日本は部活などの課外指導が7・7時間を占め、参加国・地域の平均値(2・1時間)の3倍以上になる。

 労働問題に詳しい森岡孝二・関西大学名誉教授(企業社会論)は「団塊世代の大量退職もあり、学校現場は常に人手不足だ。経験が浅い若手にもベテラン並みの仕事と責任がのしかかり、熱心な教師ほど負担を背負い込んでしまいがちだ。労働時間の管理徹底や支援体制の構築が急務。国も対策を進めるべきだ」と指摘する。(阪本輝昭)

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