「1日150個の配達でようやく生活ができる」 ヤマト下請けの個人宅配便ドライバーが病院搬送されるまで (12/15)

「1日150個の配達でようやく生活ができる」 ヤマト下請けの個人宅配便ドライバーが病院搬送されるまで
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2019/12/15 11:00 文春オンライン

 ケン・ローチ監督最新作『家族を想うとき』(原題:Sorry We Missed You)で描かれる宅配便ドライバーの姿と表情を、ユニクロやヤマト運輸、そしてアマゾンに潜入取材を続けてきたジャーナリスト・横田増生さんは、これまで取材を通して出会った労働者たちと重ねて観たという。

【写真】気弱そうな表情を浮かべる宅配便ドライバー

「いつか稼げる仕事に就き、マイホームを持ちたい」

 舞台はイギリスの田舎町のニューカッスルだ。

 4人家族の大黒柱であるリッキーは2008年のリーマンショック以降、この10年、何をやってもうまくいかない。職を転々とし、借金を抱え、いつ追い出されるのか、とびくびくしながら借家住まいを続けている。

「いつか稼げる仕事に就き、マイホームを持ちたい」

 と思っていたリッキーに巡ってきた仕事は宅配便のドライバーだった。

 しかし、宅配事業者に雇われるわけではない。個人事業主として宅配便の配送を請け負うというもの。その労働環境には、保険もない、病休も年休もない、退職金もない。配送するトラックさえ自分で用意しなければいけない。つまり、会社の従業員なら享受できる社会保障がなに一つないのだ。配送した個数に応じて料金が支払われるだけ、といういたってドライなシステム。

 便利なネット通販が隆盛を極めているのは、イギリスも日本も同じである。

 イギリスで多くの荷物を宅配業者に出荷するのは、アマゾンやアップル、サムソンやZARAといった勝ち組の国際企業だ。

 

photo: Joss Barratt, Sixteen Films 2019
ちょうど、この原稿を書いている時、宅配のドライバーが、我が家にアマゾンで注文した文房具を運んできてくれた。クリスマス仕様の箱には、「あなたのいいもの、あの人のいいもの、みつけよう」、「一年分の『ありがとう』を贈ります」と書いてある。ご丁寧にも、荷物を受け取った直後に、「ご注文商品の配達が完了しました」というメールまで届いた。

 映画の冒頭で、押出しのいい配送センターの現場監督に、「いいか、会社に雇われるわけじゃないんだ。俺たちと一緒に働くんだ(You don’t work for us. You work with us.)」と、言い含められ、「ああ、長い間こんなチャンスを待ってた……」と気弱そうに答えるリッキーを見ながら、私は、これまで似たような表情をした労働者に何人も会ってきたな、と思った。

この手の詐欺のような商法を何度も見てきた

 世の中を見渡せば、自信満々に働いている人よりも、周りの顔色を見ながらおっかなびっくり働いている人のほうが多いのではないか。リッキーもそんな一人である。しかし、家族を支えていかなければいけないという責任感と、いつかはマイホームを持ちたい、という希望から、軽トラックを購入し、宅配の個人事業主となって一儲けしようという話に乗ってしまう。

 私は1990年代に物流の業界紙で記者として働いて以来、この手の詐欺のような商法を何度も見てきた。

 典型的な例は、「軽貨急配」という大阪に本社がある軽貨物輸送会社だ。自社ではトラックを持たず、個人事業主を集め、ドライバーに自社仕様のトラックを売りつけ、配送業務を委託するというやり方。ピーク時には年商400億円近くを売り上げた。しかし、結局、2011年に20億円近い負債額を抱え倒産する。その強引な個人事業者の募集方法から、詐欺まがいの商売という声も少なくなかった。

 ヤマト運輸や佐川急便のような宅配大手でも、正規のドライバーでは運びきれない部分を下請けの個人事業者に外注している。

1日150個の配達でようやく生活ができる水準

 私は『仁義なき宅配』(2015年、小学館)という本を書くため、ヤマト運輸の下請けの個人事業者の軽トラックの助手席に横乗りさせてもらったことがある。菊池次郎(仮名)は朝7時からヤマトの配送センターで荷物を積み込み、夜9時ごろまで配達を続けた。2014年春のことである。

 1個運べば、150円が菊池の手元に入ってくる。

 1日100個を運べば、1万5000円の収入となる。14時間労働なら、時給は1000円強。だが、そこから車両代やガソリン代、保険代などの必要経費を差し引くと時給は800円にまで下がることを教えてくれた。

「1日150個の荷物がコンスタントに運べるようになってようやく生活ができる水準なんですよ」と。

 その菊池に、1日200個を配るという夏の繁忙期にもう一度、横乗りさせてほしい、とお願いした。忙しいので、もう少し待ってほしいという連絡を何度か受け取った後、ようやく明日が横乗りの当日という日に、菊池の妻からメールをもらった。

「主人ですが、実は昨日、クモ膜下出血で病院に搬送されてしまいました。そのため、申し訳ございませんが、今回の横乗りはキャンセル願います。主人に代わり、ご連絡まで」

 幸いにも菊池は、一命をとりとめ、退院後は後遺症もないぐらいに回復した。しかし、個人事業者であった菊池に、ヤマト運輸から見舞金などが支払われることはなかった。個人事業者とは、使い捨てのコマに過ぎないのだ。

1日休めば、約1万4000円の罰金

 映画の主人公のリッキーにも、次々と難題が降りかかる。息子が通う高校からの呼び出し、忙しさから疎遠になっていく妻との関係、それを修復しようとする娘のある行為――。

 しかし、リッキーの生活は、膨大な配達のノルマと時間指定に縛られ、身動きが取れなくなる。時間に追われるがゆえ、昼食をとる時間もなくなり、ついにはトイレに行く時間もなくなり、尿瓶(しびん)を使うまでに追い込まれる。

 個人事業主として、一旗揚げるつもりが、1日休めば、それが病気であろうと、家族のためであろうと、100ポンド(約1万4000円)の罰金が科せられ、配送に使うスキャナーを暴漢に壊されると、1000ポンドの弁償を求められる。ドライバーとなり家族を支えるどころか、借金は膨らむばかりで首が回らなくなる。

 このように書き連ねれば、陰鬱たる映画なのか、と思うかもしれないが、さにあらず。苛烈な労働環境を描くケン・ローチ監督の視線は、どこまでも温かく、その視線は低い。

 映画を観やすくしている要素に、妻のアビーの存在がある。訪問介護士として働くアビーは、金銭的に苦しい生活の中でも明るさをたやさない。訪問先で、自分でトイレの後始末ができなくなったと嘆く男性に、「誰だって、歳を取るものなのよ」と声をかけ、アビーにお礼の言葉を繰り返す女性には、「あなたが私に教えてくれることのほうがずっと多いんだから」と話しかける。

 悲しい場面で映画が終わることは、ローチ監督の前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)と同じだ。その辛いエンディングは、イギリスの苛烈な労働環境へのローチ監督のささやかな抗議声明のように、私には見える。

(横田 増生)

12/15 11:00 文春オンライン
 

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