『月刊全労連』2012年1月号特集「原発ゼロ・働きすぎ社会の転換を」
森岡孝二「働きすぎをなくして経済・環境危機を乗り越える」から抜粋
経済成長が豊かさをもたらすという見方は、今日では、色あせた神話というより、すっかり破綻している。断言してよいが、従来型の経済成長をこれからも続けようとすることは、人口の1%の富裕な人びとをますます富裕にしても、残りの99%の人びとの暮らしを豊かにすることはない。
第1に、日本のように成熟した資本主義国においては、GDP成長率(国内総生産の対前年増加率)はすでに横這い状態になっており、高い成長を期待しても、それを実現することはきわめて困難になっている。
第2に、従来型の経済成長は、温室効果ガスの増加による生態系の破壊に象徴されるように、地球環境への負荷を限界にまで高めており、環境制約の面からも、成長戦略とそれに付随するエネルギー多消費的・浪費的生活様式を続けることは不可能になっている。
第3に、従来型の経済成長は、経済的な格差の拡大をもたらして多数の人びとを貧困に追いやると同時に、人びとが自分や家族や地域のために活用できる自由時間を圧迫し、人びとを時間貧乏に追い立てることによって、「豊かさ」概念の転換を迫っている。
これらのことを説得的に論じているのは、ジュリエット・ショア『プレニテュード 新しい〈豊かさ〉の経済学』(森岡孝二監訳、岩波書店、2011年)である。ショアによれば、気候変動に関する議論では、温室効果ガスの増加に対処せずに、従来通りのやり方を続けた場合に地球環境に何が起こるかを端的に言うため、BAU(business-as-usual、従来通りのやり方、旧態依然)という用語が使われてきた。ショアはこれを援用して、従来型の市場依存・成長優先・大企業中心の経済活動をBAUと呼んでいる。
鳩山内閣から菅内閣を経て野田内閣にいたる民主党政権の「新成長戦略」は、長年の自民党政権譲りのBAUさながらの成長路線を踏襲している。それは経済と環境の複合危機を解消するものではなく、むしろ増悪させるものでしかない。2011年3月11日に発生した東日本大震災と原発災害は、これまでの大企業中心、成長優先の経済活動が地域経済と住民生活を疲弊させてきたことを明るみに出した。野田内閣の復旧・復興政策も、従来型の経済活動を転換するどころか、経済特区構想にせよ、法人税率の引き下げと抱き合わせの消費税率引き上げ構想にせよ、TPP参加交渉開始にせよ、従来の成長戦略の延長線上にある。財界の総本山と言われる日本経団連が2011年9月に打ち出した「経団連成長戦略2011――民間活力の発揮による成長加速に向けて」は、より露骨に「震災復興と成長戦略の一体的な推進」を謳っている。
日本に限らず今日の資本主義の行方は、すべての経済活動と生命活動のよって立つ基盤ともいうべきエコシステム(生態系)の危機によって限界づけられている。これは資本主義の急激な経済発展によって生み出された持続可能性の危機である点で、資本主義自体がつりだした危機である。ショアが言うには、今日の環境と経済の複合危機から抜け出すには、豊かさの概念を根本から転換する必要がある。従来のBAU経済は富の源泉である自然と人間をともに疲弊させるものであったが、ショアが「プレニテュード(Plenitude)」と呼ぶ新しい〈豊かさ〉は、自然と人間を真に豊かにすることを志向している。
ショアがBAUに対置する新しい〈豊かさ〉は、絵に描いた餅ではなく、実生活ですでに広がっているシェアリング・エコノミーやパラレル・エコノミーの驚くほど多様な実践例の裏付けをともなった、新しい生産と消費のあり方や、生き方・暮らし方・働き方として示されている。シェアリング・エコノミーは、財・情報・サービスなどの共有(共同利用)により成り立つ経済の仕組みで、カーシェアリング、自転車シェアリング、ハウスシェアリング、農機具シェアリング、土地・水・資源の共同利用、機械工具の共同利用など多様な形態で広がっている。パラレル・エコノミーは従来型の市場経済と新しい非市場経済の併存した経済をいう。シェアリング・エコノミーは家庭内生産や自給などとともにこの非市場経済に位置づけられる。非市場経済における経済活動の成果は価格タームのGDPでは測定されない。しかし、それは環境にやさしい財やサービスの供給を可能にして、働きがいや生きがいを高めて、新しい〈豊かさ〉をもたらす。
サステナビリティを志向した多様な実践例では、トランジション・タウンと呼ばれる石油に依存した大量消費型の暮らしから脱石油社会へ移行することを目指したまちまちづくり運動、太陽熱などの自然エネルギーを利用した住宅の設計手法としてのパッシブソーラー・デザイン、地域の農家が農産物を持ち寄り、消費者に直接販売するファーマーズ・マーケット、植物が水と太陽光とミネラルから育つことを利用して緑の植物を垂直空間に茂らせることを可能にした壁面緑化や垂直農園などが挙げられる。これらをテクノロジーの面から可能にしているのは、ソフトウェアの設計図に当たるソースコードを無償で公開して、誰でも自由にそのソフトウェアを改良して、再配布を可能にしたオープンソース(開放型の情報技術)である。
BAU経済は、地球環境の持続よりも、経済成長の持続を優先し、環境破壊的・エネルギー多消費的な経済構造を創り出してきただけでなく、人びとを働きすぎと浪費に追いやり、家族や地域における人びとの繋がりを弱めてきた。そればかりか、BAU経済は、人びとの経済活動を市場経済の外に拡げることをよしとせず、巨大企業に経済活動を集中させ、中小企業、自営業、さらには家庭内生産の縮小を招いてきた。この点から言えば、ショアは、複合危機を乗り越える鍵を労働時間の短縮に求め、それによって、地域や家庭における人びとの協力・協働を強め、市場経済の外への経済活動の拡大を促し、小規模生産を振興する必要性と可能性を示している。ここには新しい〈豊かさ〉への道がある。
今日の日本には、一方で、労働時間が週60時間を超えるほど長く、心身の健康を損ない倒れる恐れがある数百万人の過労死予備軍が存在し、他方で、完全失業者数、ワーキングプア状態の半失業者数、および非労働力人口中の就業希望者数(潜在失業者)を合わせて、控えめに見積もっても、1000万人を超える産業予備軍(適当な仕事があれば働こうと待ち受けている労働力人口)が存在している。こうした労働力人口の過労死予備軍と産業予備軍への二極分化を解消するには、男性正社員を中心とする超長時間労働者と、産業予備軍や女性パートタイム労働者を中心とする短時間労働者のあいだで仕事を分かち合う「ワークシェアリング」を進めるしかない。
このワークシェアリングが実現するなら、男性のサービス残業と働きすぎは大きく解消し、労働時間のジェンダーギャップも大きく解消するだろう。また、そうなれば、男性はもっと家事活動と社会活動に多少とも参加できるようになり、その分だけ女性は、フルタイムであれパートタイムであれ、いまより働きやすくなるだろう。学生にはいまより多くの求人があるだろう。過労死予備軍と産業予備軍のあいだで求められているのは、このウィン・ウィン(両得)、あるいはトリプル・ウイン(三方得)のワークシェアリングである。
ワークシェアリングによる労働時間の短縮は雇用の大量創出を可能にするだけではない。ショアが言うように、労働時間の短縮が進めば、人々のあいだに、所得よりも自由時間を、言い換えれば購入する商品の量よりも生活の質や自分探し追求する志向が拡がっていくだろう。それとともに家族の触れ合いや、地域住民のあいだの交流や、近隣同士の助け合いが促進され、排他的私有と私的利用を特徴としてきた生活手段や生産手段を共同利用する共有型経済が拡大し、地域環境や自然環境に配慮したライフスタイルの実現を願い、そのために活動する人々が増えていくだろう。それだけでなく、人々は市民農園や休耕田を利用して自家用米や野菜を生産するなど自給的な家庭内生産活動にも時間を割くようになるだろう。
(前掲誌掲載論文から一部表現を修正した箇所があります)