朝日新聞 2013年11月13日
怒りに任せた公務員たたきは大きな禍根を残した。
およそ4年前、社会保険庁の廃止と日本年金機構の設立に伴い、職員525人が解雇(分限免職)された。このうち71人が不服を申し立て、人事院が審査していた結果が先月、1人を除いて出そろった。
実に34%にあたる24人について、処分が「妥当性を欠く」として取り消された。退職金が出るとはいえ、解雇という最も厳しい処分が国の手で拙劣に行われたと判断されたわけだ。
国家公務員の分限免職は、1964年末にあって以来のことだった。それが取り消しとなる意味は重い。
「あの社保庁をかばうのか」と今も腹立たしく思う人もいよう。たしかに、年金記録の「宙に浮いた5千万件」に象徴される仕事ぶりはひどかった。
だからといって、拙速、粗略なやり方で、働いている人をクビにしていいはずはない。
処分取り消しの大半は、他の役所への転任希望者を選ぶ面接において、選ばれた人と同等以上の評価だったのに落とされたケースだ。
また、社会保険事務所の窓口で怒声を浴び続けてうつ病になり、病気休職中に面接に呼び出されて低評価となっていた人の処分も取り消された。
ただ、人事院での審査は、なぜここまでの大量解雇が行われたのか、という問題の根幹までは踏み込んでいない。
この問いは、政治的な背景を抜きに考えられない。
04年に小泉内閣の閣僚らの保険料未納が次々と明るみに出たのをきっかけに、「年金記録の目的外閲覧」で大量の職員が懲戒処分を受けた。管理している閲覧用のカードを他人に利用されただけの人も多かった。
だが、いら立つ自民党は「懲戒処分歴のある者は一切、日本年金機構に採用しないように」と政府に申し入れ、08年7月の閣議決定に盛り込まれた。民主党政権も継承した。
業務と関係ない交通違反で懲戒処分を受けていた人でも例外は許されず、多くの職員が年金機構行きを阻まれた。
長年にわたり蓄積されていた旧社保庁問題の責任を末端の職員に転嫁したのは「政治のパワハラ」と言わざるをえない。
その背後には「世間の怒り」と過熱したメディアの報道ぶりもあった。
大量解雇は、複雑な年金業務に精通した職員の不足による事務の停滞やミスの多発を招いたことも否定できまい。
ツケは国民にも及んでいる。