日本労働弁護団「医師の働き方改革に関する検討会」報告書に対する意見書
「医師の働き方改革に関する検討会」報告書に対する意見書
2019年6月10日
日本労働弁護団
会長 徳住堅治
1 本意見書の骨子
2018年6月の労働基準法改正によって、法定時間外労働に対する新たな上限規制が定められたが、医師は2024年まで適用猶予とされ、その後も特別の規制に服するものとされている。その特別の規制について、厚生労働省「医師の働き方改革に関する検討会」(以下「検討会」という)は、2019年3月28日、報告書(以下「報告書」という)を公表した。
しかし、その内容は、一般の労働者に比して年間を通じた長時間労働を可能とするものであった。さらに、年間1860時間の時間外労働(休日労働込み)を可能とする極めて危険な例外も定めており、到底認められるものではない。
絶対的な医師不足等を原因として、医師の長時間労働は異常な状況にある。しかし、医師(勤務医)も労働者である。医師も、その長時間労働によって心身等に負荷がかかることは他の労働者と同様である。医師についても、この当然の事実を直視したうえで、通常の労働者と同様の時間外労働等の上限規制を適用されなければならない。
2 医師の働き方改革に関する検討会報告書の概要
(1)働き方改革関連法における時間外労働の上限規制の適用猶予等
2018年6月に成立した「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」は、労働基準法を改正し、時間外労働等に対する上限規制を新たに設け、2019年4月1日より施行されている(中小事業主については2020年4月1日施行)。しかし、「医業に従事する医師」については、その規制は、2024年3月31日までの間、適用されない(労基法附則141条4項)。同期間経過後も、?労基法36条3項の「通常予見される時間外労働」の「限度時間」を、「限度時間並びに労働者の健康及び福祉を勘案して厚生労働省令で定める時間」と読み替えたうえで適用し、同条5項が定める特別条項の上限及び同条6項2号3号が定める刑事罰は適用されない(労基法附則141条1項)。そのうえで、?通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に労基法36条3項の限度時間を超えて労働させる必要がある場合について、上限として「同条5項〔労基法36条5項〕に定める時間及び月数並びに労働者の健康及び福祉を勘案して厚生労働省令で定める時間」とし(労基法附則141条2項)、?36協定によっても超えられない時間外労働の罰則付上限についても、「同条6項〔労基法36条6項〕に定める要件並びに労働者の健康及び福祉を勘案して厚生労働令で定める時間」としている(労基法附則141条3項5項)。
(2)検討会報告書の概要
検討会は、以上の「厚生労働省令」について議論するものであったが、報告書では、以下のとおりその内容を示している。
ア A水準
報告書は、「医療機関で患者に対する診療に従事する勤務医」(診療従事勤務医)について、2024年4月1日以降適用される時間外労働の上限水準(A水準)を以下のとおりとする。
? 通常予見される時間外労働につき延長することができる時間数として36協定で協定する時間数の上限(医師限度時間)を月45時間・年360時間とする。
? 通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に医師限度時間を超えて労働させる必要がある場合につき、延長することができる時間数として36協定で協定する時間数の上限について、()1か月あたり原則100時間未満(休日労働込み)、()1年960時間(休日労働込み)とする。
? 36協定によっても超えられない時間外労働の時間数の罰則付上限について、?と同様の水準
とする。
イ 地域医療確保暫定特例水準(B水準)
報告書は、以上のA水準に例外を二つ設けている。その一つが、地域医療確保暫定特例水準(B水準)である。これは、地域医療体制を確保するための経過措置として暫定的な特例水準であるが、以下のとおり定められている。
? 医師限度時間は、労基法36条4項とA水準と同様、月45時間・年360時間とする
? 臨時的な必要がある場合の単月の時間数の上限を100時間未満(休日労働込み)としつつ、「追加的健康確保措置」を実施した場合に例外を認める。また、1年あたりの延長することができる時間数の上限は、1860時間(休日労働込み)とする。その適用はA水準と同じく年6カ月に限らない。
? 36協定によっても超えられない時間外労働の罰則付上限について、?と同様の水準とする。
A水準と同じく複数月平均による規制はない。
ウ 集中的技能向上水準(C水準)
A水準のもう一つの例外が、集中的技能向上水準(C水準)である。これは、一定の期間集中的に技能向上のための診療を必要とする医師向けとして定められたものであり、その水準は、B水準と同様のものとされている。
このC水準は、(C-1)初期研修医など、医師等としての基礎的な技能や能力の習得に必要不可欠である場合、(C-2)高度特定技能の育成に関連する診療業務を行う場合の2つの類型に適用される。
3 医師の長時間労働の実態
(1)異常な長時間労働
報告書も「他職種と比較しても抜きん出た長時間労働の実態」と表現するとおり、医師の労働時間は長時間化している。検討会にも提出された厚労省「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」(2017年4月6日発表)によれば、週当たり勤務時間(診療時間、診療外時間、待機時間の合計)が60時間以上の病院常勤医師は38%にもなる。しかも、この時間には、オンコールの待機時間(院外に待機して応急患者の診療等の対応を行うこと)は含まれていない。厚労省「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準」(平成13年12月12日付基発第1063号)は、「発症前1ヶ月間におおむね100時間又は発症前2カ月間ないし6カ月間にわたって、1ヵ月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合が業務と発症との関連性が強いと評価」しているが(過労死ライン)、勤務時間週60時間は1カ月80時間越えの時間外労働に従事しているとも解され、以上の約40%の医師は過労死ラインを超えて就労していることになる。
(2)宿直・宅直勤務の実態
医師の労働実態の1つの特徴に宿直勤務、宅直勤務がある。医療法第16条は、「医業を行う病院の管理者は、病院に医師を宿直させなければならない」と定めており、多くの病院勤務医は宿直に従事している(「医師の勤務実態及び働き方の意向等に関する調査」によれば、病院常勤医師のうち宿直回数が月1〜4回の医師は42%、5〜8回の医師は10%である)。さらに、夜間宿直を担当する医師の多くは、宿直明けに通常勤務を担当しており、連続で30時間以上の拘束となる。
この宿直勤務については、労基法第41条に基づき、監視又は断続的労働(同条3号)として許可を受け、労基法上の労働時間、休憩、休日に関する規定の適用を免れている例も多い。厚労省は、労基法第41条3号の一般的許可基準として、「殆ど労働する必要のない勤務」という勤務実態を要求し(昭和22年9月13日発基17号)、医療機関については「夜間に従事する業務は、一般の宿直業務以外には、病室の定時巡回、異常患者の医師への報告あるいは少数の要注意患者の定時検脈、検温等特殊の措置を要しない軽度の、又は短時間の業務に限ること」等の要件を定め、「昼間と同態様の労働に従事することが常態であるようなものについては、宿直の許可を与える限りではない」としている(平成14年3月19日付基発0319007 12月28日基発1228号第16号)。そもそも「労働時間を管理していない」も16.2%となっている。さらに「時間外労働時間数の申告状況」は、「申告している」が56.1%、「申告していない」が43.9%となっており、半数近くは時間外労働の申告さえされていない。
勤務医については、労働基準法第41条第2号の「監督若しくは管理の地位にある者」として扱われ、労働時間管理を行わず、時間外労働手当等が支払われていない例も多いという。
(4)医療安全への影響
以上のような杜撰な労働時間規制の適用状況のもと、多くの医師が過労死ラインを超える長時間労働に就くことを余儀なくされている。しかも、その職務である医療行為は、緊張度の高いものであり、その精神的負荷は計り知れない。
医師の長時間労働は、医師の問題だけではない。長時間労働と医療ミスは関連すると指摘されており、患者の安全にも重大な影響をもたらしているのである(日本学術会議「提言 病院勤務医師の長時間過重労働の改善に向けて」(2011年)、JILPT「勤務医の就労実態と意識に関する調査」(2012年)など)。勤務時間を減らすことによって、医療ミスが軽減されたとの分析もある(江原朗「医師の長時間労働は医療安全に有害ではないのか」)。
(5)家事責任等を負う医師が排除される仕組み
報告書も指摘するように、以上のような過酷な長時間労働が標準化されることによって、妊娠・出産する女性医師や育児等の家事責任を負う医師が就業を継続することは困難となっている。そのような医師たちは、アルバイト医師等のように非正規化される例も多いという。昨年から問題となっている医学部医学科入試における女性差別についても、妊娠・出産等を負担する女性が敬遠された結果であるとの指摘もある。
4 報告書の問題点
(1)異常な長時間労働の現状追認
報告書が、医師の長時間労働の現状を認識しつつ、「医師は、医師である前に一人の人間であり、健康への影響や過労死さえ懸念される現状」を変えるべきであると指摘し、医師の長時間労働の1つの要因とされることの多い「応召義務」(医師法第19条)については「公法上の義務」に過ぎず、応召義務があるからといって際限のない長時間労働が求められることはないとしていることなどは正当である。
しかし、その具体的な規制の枠組みについては、後述のとおり問題がある。特にB水準、C水準は、いわゆる過労死ラインを大きく超えるものであって、容認できるものではない。病院勤務医が労働者であることは自明のことであり、医師であることによってそのような過労死ラインを超える労働が許容されることはありえない。通常の労働者と同様の水準による労働時間規制を適用されなければならず、そのための方策を早期に検討すべきである。その検討にあたっては、当事者である病院勤務医はもちろんのこと、当該勤務医を組織する労働組合の意見等を十分に聴取することが必要である。
ア A水準の問題点
まず、A水準については、?臨時的な必要がある場合について、単月の上限100時間未満は、一般の労働者と同水準であるが、そもそも当該水準が過労死ラインを超えるもので危険である。
年間上限時間960時間(休日込み)は、一般の労働者についても制度上可能とされる危険なものであるが、医師についてそれを正面から認め、月平均80時間の時間外労働(休日労働込み)を可能とする点でやはり問題である。また、?臨時的な必要がある場合の適用を6カ月に限定しないこと、?36協定によっても超えられない罰則付上限時間についても複数月平均による規制を外したことは、年間を通じた恒常的な長時間労働を可能とするもので医師の生命・健康の保護として不十分なものと言わざるを得ない。
イ B水準及びC水準の問題点
報告書の大きな問題は、A水準の例外として設けられたB水準とC水準である。いずれも?臨時的な必要がある場合について、単月の時間外労働の上限を100時間未満(休日労働込み)としつつ、それを超える例外を認めている。しかもその例外の上限さえ定められていない。単月・複数月の上限が存在しないことになり、極めて危険である。また、年間上限時間を1860時間とするが、A水準の2倍近い水準であり、月に換算すると155時間となり、到底認められるものではない。
単月・複数月の上限が存在しないことは、勤務病院の変更が行われる勤務医にとっては重大な問題である。すなわち、病院勤務医は、大学医局の人事によって年度等に関係なく勤務病院の変更が行われることがあるという(使用者が変更される「転職」にあたる場合もある)。この点、使用者が変更されない「転勤」の場合、当該労働者が事業場を跨ったとしても、労働時間を通算して適用されることは当然である。他方、使用者が変更される「転職」の場合、転職後の病院において、転職前の病院における時間外労働の実績が通算されない取扱いが許されれば極めて危険である。B水準・C水準の?には単月・複数月の上限がなく、転職前の病院、転職後の病院のそれぞれにおいて青天井の長時間労働に従事させられることになり、もはや上限が存在しないことになるからである。刑事罰の対象となる?について、「転職」しても労働時間が通算されると法律上明記すべきである。
報告書は、年間の時間外勤務時間が1860時間を超えると推定される医師がいる医療機関は、病院全体の約27%、大学病院の約88%、救命救急機能を有する病院の約84%、救急機能を有する病院の約34%と「広く存在している」と指摘し、当該水準をやむを得ないものと位置づけている。しかし、そのような常軌を逸する長時間労働に従事する医師を基準にして、生命・健康等を保護するための労働時間規制の水準を定めることは議論が転倒している。
ウ C水準は不要であること
C水準については、そもそも特別の上限を設定する必要性があるのか疑問である。技能向上(C水準)のために特別の上限を設定する必要性は高くない。報告書は、臨床研修医・専門研修中の医師等の「医師養成の遅れにつながるおそれ」、高度技能を有する医師の育成の遅れなどを指摘するが、それらに年間1860時間もの時間外労働が必要であるか大いに疑問である。報告書自体が、「我が国において時間外労働と(C)-1、2の業務の関連性を検証したエビデンスは現在のところ存在しない」と指摘している。このC水準は、現実の研修医等の長時間労働の実態を基準に、その必要性等を検証しないまま、上限時間の特例を認めた点で不当である。
エ 過労死を引き起こす危険性のある水準であり、使用者は安全配慮義務を免れるものではないこと
以上のとおり、報告書が示す水準は、例外であるB水準・C水準だけでなく、原則であるA水準も恒常的な長時間労働を可能とする危険な内容である。医師も、その長時間労働によって心身等に負荷がかかることは他の労働者と同様であり、上述したいわゆる過労死ラインは当然医師にも妥当する。これらの水準が過労死ラインを超える危険な内容であることは十分に認識されるべきである。
また、医師についてこれらの水準が設けられたからといって、使用者たる病院経営者の労働者である医師に対する安全配慮義務に例外が生じるわけではない。この点については、「労働基準法第36条第1項の協定で定める労働時間の延長及び休日の労働について留意すべき事項等に関する指針」(厚生労働省告示第323号)が、「使用者は、時間外・休日労働協定において定めた労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させることができる時間の範囲内で労働させた場合であっても、労働契約法…第5条の規定に基づく安全配慮義務を負うことに留意しなければならない」(第3条第1項)と定められているとおりである。
(2)労働時間性の問題、労働時間管理の問題が曖昧であること
上述したとおり、勤務医は、その当直について、実際には通常業務と同様の業務に従事しているにもかかわらず労働時間に算定していなかったり、宅直(オンコール)や自己研鑽時間についても同様に労働時間に算定していないことが多い。報告書では、それらの取扱いを明確化していない。それらの負荷を考えれば、それら宿直・宅直・自己研鑽時間等の時間も確実に包摂した形での規制を考える必要がある(少なくとも、それらの時間が労働時間に該当するかを厳密に検討したうえで、労働時間の上限規制を及ぼす必要がある)。
また、宿直勤務の違法な労基法40条3号の適用、36協定の未締結などの労基法違反の実態を厳しく取り締まることも必要不可欠である。さらに、タイムカード等の客観的記録に基づき労働時間を適正に管理することも当然に実施しなければならない。報告書にはこれらの観点が抜け落ちている。
5 最後に
報告書も認めるとおり、医師の長時間労働は極めて危険な水準にある。36協定が締結されていなかったり、労働時間管理も杜撰、時間外労働の申告さえ正確に行われていないなど、前近代的な実態にある。結果として、医師の生命身体が脅かされているだけでなく、妊娠・出産を負担する女性医師等が継続して就労することが困難な状況におかれ、さらには医療安全にも重大な影響を及ぼしている。
このような状況の大きな原因に医師数の絶対的不足がある。この医師の絶対的不足の状況は、日本政府による医師数抑制政策によるものであるが、その負担を労働者たる医師に押し付けることはあってはならない。
医師の労働時間規制についても、医師(勤務医)も労働者であるという当然の事実を直視し、その生命健康等を保護するため、通常の労働者と同様の水準の時間外労働等の上限規制を適用するべきであり、そのための方策を早期に検討することを求める。そして、その検討にあたっては、当事者たる勤務医は当然のこと、勤務医を組織する労働組合の意見等を十分に聴取しなければならない。
以上