笹山尚人弁護士「パワハラ対策法制化」の到達と課題 (10/12)

2019年10月12日
「パワハラ対策法制化」の到達と課題
弁護士の笹山尚人です。

http://blog.livedoor.jp/tokyolaw/archives/1075977130.html

2019年6月に厚生労働省が発表した「平成30年度個別労働紛争解決制度の施行状況」によれば、全国の労働局に寄せられた「いじめ・嫌がらせ」の相談件数は、82,797件。前年度比で1万件以上も増加する急激な増加です。
このように、増え続ける職場の世界における「いじめ・嫌がらせ」、「ハラスメント」について、対処の必要性が叫ばれて久しい状況です。

そんな中、「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案」が、2019年5月29日、国会で可決され、成立しました。この法律は、「パワーハラスメント法制化」とか、「パワハラ防止措置義務化」とか呼ばれることがあります。この法案自体が、いくつかの法律の改正や新設をセットにしたもので、その中に、労働施策総合推進法の改正案が含まれており、その改正案の中に、「パワハラ防止のための措置義務」と呼ばれるに値する内容が含まれているからです。以下、この改正労働施策総合推進法のことを、「パワハラ措置義務法」と呼びます。

パワハラ措置義務法については、今後厚労省が指針を定め、大企業では2020年4月に施行される見通し(中小企業は2022年4月以降)、とされています。厚労省の労働政策審議会では、去る9月18日に開かれた労働条件分科会で、この指針に関する討議が開始されました。

他方、世界を見ると、6月21日、ILO総会は、「仕事の世界における暴力と嫌がらせの撤廃に関する条約」を採択しました。

そこでここでは、これらの内容を概観し、その問題点や活用について、若干の考察を試みたいと思います。

パワハラ措置義務法の内容

パワーハラスメントの防止措置義務の法制化は、これまで事業主に義務付けられてはいなかった、「職場のパワーハラメントを防止するための対応策」をとることが義務付けられます。

詳細に見ていくと、この法律は、対応策をとることの対象となる現象を、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されること」とします(労働施策総合推進法三十条の二)。

このパワハラ措置義務法30条の2が示す、3つの要素、すなわち、

?職場において行われる優越的な関係を背景とした言動
?業務上必要かつ相当な範囲を超えたもの
?その雇用する労働者の就業環境が害される

が整う現象のことを、「パワハラの定義」ととらえる考え方が多く見られます。この考え方の問題点については後述します(➡「パワハラの定義が示されたと言えるか」)。

事業主は、この現象に対して、「当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」とされているのです。
また事業主は、厚労大臣が定める指針に基づき、「研修の実施その他の必要な配慮をするほか、国の講ずる前項の措置に協力するように努めなければならない。」「自らも、優越的言動問題に対する関心と理解を深め、労働者に対する言動に必要な注意を払うように努めなければならない」、とされます。
こうした事業主がとらなければならない措置の義務化をさして、「措置義務」と呼んでいるのです。

また、事業主は、労働者がハラスメント申告をしたこと等を理由に、当該労働者を不利益に取り扱うことが禁止されます。また、労働者には、都道府県労働局長による指導ほか、調停の付託による解決などの行政機関での紛争解決の手段が設けられます。

こうした事業主の義務や不利益取り扱い禁止については、セクハラ、マタハラについても同様に定めれています。

ILO条約の内容

一方、ILO条約のほうは、「仕事の世界における暴力と嫌がらせ」の定義として、「一回限りの出来事か繰り返されるものかを問わず、心身に対する危害あるいは性的・経済的に危害を与えることを目的とするか、そのような危害に帰する、あるいは帰する可能性が高い、一連の許容できない行動様式及び行為またはその脅威(性差に基づく暴力と嫌がらせを含む)」と定めています。

そして、労働者には、暴力と嫌がらせから自由な仕事の世界への権利を認め、批准国に対して、法や政策などを通じて仕事の世界における暴力と嫌がらせの撤廃に向けた包摂的で性差に対応した総合的な取り組みを行うことを求めています。

対象となる「労働者」には、従業員に加え、契約上の地位に関わりない全ての労働者、インターンや見習い実習生などの研修生や元従業員、ボランティア、求職者も含みます。

「仕事の世界」には職場だけでなく、職場関連の旅行などのイベントや社交の場、食事や休憩の場、使用者の支給する住まいを含み、妥当な場合には通勤途上も含みます。

また、加害者・被害者には国内法に従い、顧客や患者、一般の公衆なども含むものとしています。

そのうえで、求められる行動の種類として、「仕事の世界における暴力と嫌がらせを禁止する法規の制定」や「適切な予防措置の行使」、「救済を受ける機会の確保や手引き・研修の提供」、「啓発キャンペーンの実施」などに関する規定が盛り込まれています。

ILO条約とパワハラ防止措置義務法との落差

こうしてみると、ILO条約とパワハラ措置義務法との落差が大きいことがわかります。

ILO条約では、「仕事の世界における暴力と嫌がらせ」の定義があり、パワハラ措置義務法は、パワハラの判断要素となる考え方が示されています。ですが両者を比べた時、後者の概念が狭いことがわかります。

また、ILO条約では、「仕事の世界における暴力と嫌がらせ」が禁止されるべきものとの考え方が示されていますが、パワハラ措置義務法には、パワーハラスメントを禁止する旨の明確な規定はありません。

また、ILO条約では、被害者の範囲や、「仕事の世界」と呼ばれる問題発生の場所について、相当広範なものが含まれることが明記されていますが、パワハラ措置義務法には、そのような規制の明記はありません。この点については、国会での附帯決議に基づき、今後の指針策定の議論にゆだねられることになっています。

こうしてみると、今回のパワハラ措置義務法は、ILO条約に比べると、内容的に乏しいものであることがわかります。

パワハラの定義が示されたと言えるか

この落差からわかるように、今回のパワハラ措置義務法には様々な問題点があると私は考えます。
その第一点として特に、「パワハラの定義」問題について、検討しておきたいと思います。

既述のとおり労働施策総合推進法30条の2では、措置義務の対象となる現象が成立するための3つの要素が示されています。この現象をもって「パワーハラスメントの定義」が与えられたと捉える見解を見受けますが、私はそれは誤りではないか、と考えています。

そう考える理由の第一は、まず、法形式の問題があることです。

法律で定義規定を設ける場合は、通常、「定義」を定める条文があり、その定義された事項について、こういうことができるとか、こうしなければならないとか、こうした場合はこのような対処をするとか、そのように規律がされていきます。
例えば、「短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律」、いわゆるパートタイム労働法では、「短時間労働者」、すなわちパートタイム労働者の定義について、次のように定めています。

(定義)
第二条 この法律において「短時間労働者」とは、一週間の所定労働時間が同一の事業所に雇用される通常の労働者(当該事業所に雇用される通常の労働者と同種の業務に従事する当該事業所に雇用される労働者にあっては、厚生労働省令で定める場合を除き、当該労働者と同種の業務に従事する当該通常の労働者)の一週間の所定労働時間に比し短い労働者をいう。

ちなみに豆知識ですが、2018年6月に成立した「働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律」では、パートタイム労働法は、「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」と名称を変えることとなり、パートタイム労働者のほか、有期雇用の労働者についての決まりをも定める法律となります。この新法では、有期雇用労働者や、短時間・有期雇用労働者についての定義規定も定められており、それは上記の第二条に、2項、3項を追加すると言うことで、次のとおり定められました。

2 この法律において「有期雇用労働者」とは、事業主と期間の定めのある労働契約を締結している労働者をいう。
3 この法律において「短時間・有期雇用労働者」とは、短時間労働者及び有期雇用労働者をいう。

この「短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律」は、大企業では、2020年4月から、中小企業でも2021年4月から施行されます。

このように、法律で何かが定義されるということは、定義規定の存在をもって定義されるのが通常なのです。
既述のILO条約でも、「暴力とハラスメント」について、第一条で、「定義」としてその内容が定められています。

ところが、パワハラについて定めた労働施策総合推進法は、このような定義規定をパワハラについて設けたわけではありません。企業の措置義務を定めるくだりで、その対象行為にあたる3つの要素を述べたものです。

まずもってこの形式面の違いから、パワハラの定義がなされたと考えるのは問題ではないかと考えます。

しかし、それよりも、実質的な理由があります。それが第二の理由です。

この3要素をもってパワーハラスメントの成否を判断するということになれば、例えば、業務上の指導の範疇であればパワーハラスメントが成立しないということに結局行きついてしまい、パワーハラスメントの範疇を著しく限定してしまうのではないか、という危惧があることです。

この点、指導ではあっても適正な指導でなければパワハラが成立するのだという反論もありましょうが、なにが適切な指導で、そうでないかの判断は簡単ではありません。これまでの実務での事例でも、被害者の心を傷つける言葉が、「指導として相当な範囲を逸脱したとまでは言えない」といった言い方で、結果としてパワハラではないとして見逃されてしまう例をしばしば見受けます。このような実態を無視すべきではないと考えます。
また裁判例の中には、労災の成否の判断で、「業務指導の範囲内で強い叱責を受けた」として上司とのトラブルとの心理的負荷が存在したと認定して、結果として労災を認めた事例もあります(国・さいたま労基署長(ビジュアルビジョン)事件(東京地裁平30.5.25判決、労働判例1190号 23頁)。ここからすれば、適切な指導だったとしても、人格権を侵害してしまう事例もあり得る、ということになるのではないでしょうか。

パワハラの成否は、適正な言動であったかどうかではなく、特定の人物や職場やその周辺にいる人たちに向けた攻撃的言動があったかどうか、そしてその言動によって攻撃された者の人格・尊厳が傷を負ったか否かで判断すべきことです。

法律が示した3要素の現象は、パワハラが成立する典型的な場面の一つを指している例示にすぎず、パワハラそのものはこの現象に限らず存在し得る、ということに注意すべきです。そして、本来は、こうしたことについてまで、ハラスメントととらえ、かつ、事業主が法的対処の義務を負うべきものと考えるべきです。
以下、労働施策総合推進法三十条の二が示した3要素が示すパワハラのことを、「典型パワハラ」と呼ぶことにします。

パワハラ防止措置義務法の問題点

以上を前提に、パワハラ措置義務法の問題性を検討すると、まず、典型パワハラの成立する範囲が狭いことの当然の帰結といえますが、典型パワハラに当たらない現象についてどのように対応するのかの問題が発生します。

例えば、就職活動中の学生に対して行われた言動の場合、典型パワハラには、その雇用する労働者の就業環境が害されるという要素が成立しにくいですから、該当しないと考えられる場合が多いでしょう。しかし参議院の付帯決議は、こうした場合についても「雇用管理上の配慮が求められる」としています。これはどのように整理できるのでしょうか。

また、パワーハラスメントを違法だと宣言しなかったことにより、行政当局は相談を受けても、違法か合法かの判断ができず、適正な指導を行うのに限界があると考えられます。

さらに、パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、マタニティハラスメント等、ハラスメントを細かく切り分けることで、複合的な事案やいずれであるか判定しにくい事案などについての救済を困難にします。

そして、防止措置義務の内容となると考えられる相談窓口の設置については、すでにセクハラ、マタハラで義務化されていますが、この窓口が問題の解決に貢献したと考えられる実例は乏しいと考えられ、その意味では措置義務自体の実効性が乏しいのではないかと考えられます。

ざっと思いつくだけでこうした問題があるわけですが、それについては対応検討はこれからの課題になっています。

成立した法律の活用

かといって、私は、成立したパワハラ措置義務法を使うなというつもりは全くありません。問題点は踏まえつつ、むしろ積極的に活用すべきと考えています。

なぜなら、まず何よりも、これまでパワーハラスメントについて、なんら法的手当が存在しなかったことについて、とにもかくにも手当をしなければならないという法律ができたということ自体が大きな前進だからです。
また、法の制定が、社会におけるハラスメント問題についての問題意識を広範に共有する機運を作る契機になるからです。

ハラスメント防止の措置とは、結局、現在、雇用機会均等法や育児介護休業法において、セクハラ、マタハラに対して定められている、ハラスメントに関する就業規則等の規程類の整備や周知、相談窓口の設置、被害発生の場合の迅速な対応措置とその整備といったことになると思われます。
こうした対応については、パワハラも含め、既に実行している事業体も少なくありません。その意味では、法の施行を待たず、今からこの整備を始めても、一向にかまわないのです。

そこで、大企業であれ、中小企業であれ、措置義務体制を整え、それらが適正に運用されているかをチェックし、問題点の改善に取り組むことを、今から始めていけばよいと考えます。
こうした取り組みの広がりこそが、社会における問題意識の共有につながっていくと思うのです。

また、法律家や労働運動に関わる者は、「典型パワハラ=パワハラではない」との観点をもって、典型パワハラに当たらない場合であっても、パワハラと捉えられる違法現象があること、そうした現象を含め、措置義務を果たすことが必要になるといった運用や提言に取り組むべきと考えます。

措置義務の具体的内容を定める指針についての労働政策審議会の議論が始まりました。
現在示されている指針の骨子は、まだ具体的内容が示されておらず、具体化は今後の議論の課題になります。
この指針が充実した内容となるか否かは極めて重要です。私たちは、指針策定の議論に参加をしていき、被害者にとって一つでも多く使い勝手のよい指針となるように尽力をすべきと思われます。

ハラスメント被害者が望むこと

以上の取り組みが行われ、また、パワハラ措置義務法の具体的運用が始まれば、指摘したような問題点があるのかないのか、改めてこの法律がこのままで良いのか、ILO条約との関係をどう考えるかといった議論も、より深化し、具体化していくと思われます。

私は、問題ある法律は問題を解消するように改正すべきだし、我が国は、ILO条約に批准して、この条約の求める内容に即した法整備を行っていくべきと考えます。

こうした議論をする際、忘れないようにしたいのは、「ハラスメント被害者が望むこと」を、いつも念頭におくことです。

今まで私は、ハラスメント被害に遭ったみなさんの相談に対応してきましたが、その中で、被害者のみなさんが望むことについては、以下のものが多いと感じています。

「現在進行しているハラスメントを直ちに止めてほしい」
「起こしたハラスメントが間違いだったとはっきり認め、謝罪してほしい」
「二度とハラスメントを起こさないでほしい」。

ハラスメントに関する法律はなぜつくられるのでしょうか。
それは、ハラスメントが被害者の心と体を傷つけ、社会と隔絶させ、最悪の場合、死をもたらす恐ろしい現象であり、そうした被害者をなくし、救う必要があるからではないでしょうか。
ハラスメント被害者が望むことは、この法律制定の核心に位置付く、切なる願いだと思います。

この被害者の望むことを忘れるとき、「この程度のことで」とか、「上司が部下を叱責しにくくなる」とか、「被害者が被害を受けたと言えばなんでもハラスメントになるのはたまらない」といった種類の議論にのみ込まれて、法は加害が免罪されるばかりの見せ掛けだけの制度に陥ってしまう、と思うのです。

諸外国の法にみるハラスメント対策

被害者が望むことに寄り添いながら、ハラスメント規制の法制度を検討する際、諸外国の先進的な例は参考になります。

ベルギーの「労働における暴力、ハラスメント法」では、ハラスメントに関する企業の義務が定められるとともに、被害者の権利として、「ハラスメントの停止、謝罪、損害賠償、使用者に対して解決を請求する権利、保護や原状回復措置、相談支援、治療・ケアを求める権利、仕事を休む権利、労災のために使用者に協力を求める権利」を定めています。

また、イギリスでもイギリス平等法でハラスメントは定義がなされ、顧客や取引先からのものであっても禁止されることが定められています。

こうした例にならいながら、我が国でも、法整備を進めていく必要があり、それが今後の課題と考えます。

労働組合への期待

これまで述べてきたような取り組みを推進するのは、社会全体の責任ですが、とりわけ当事者である労働者、その団結体である労働組合の役割は重要です。

労働者は、労働安全衛生委員会などの機関の中での議論をしてもいいですし、もっとざっくばらんに使用者と話をしても良いと思います。
労働組合には、率先してこの取り組みについて協議を始め、使用者に問題提起し、団体交渉をはじめとする協議の場を設け、協議を進めていくことを期待します。

出版計画
なお、今回の法の制定に合わせ、ハラスメントに対する考え方や、実践的対処について解説する書籍を、大和田幹太・滋賀大学名誉教授を中心として、何人かの弁護士や労働組合の活動家のみなさんと共同執筆する内容で発表することを、計画しています。
お楽しみに!

以 上 

この記事を書いた人