もう家族のお金も頼れない…日本社会の本当の崩壊が始まる 出生数90万人割れの意味とは?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69958
2020/02/03
大内 裕和 中京大学教授
入試改革を考える会代表・奨学金問題対策全国会議共同代表
衝撃の出生数90万人割れをもたらした若者の貧困化。この問題が露見せずに来たのは、親世代が多少なりとも蓄えた「家族マネー」の存在による。しかし、この先に待ち受けるのは、もはや家族のお金にも頼れない、本当の意味での日本社会の持続可能性の危機である――。
奨学金問題・ブラックバイト問題の提唱者にして現今の入試改革問題でも主導的役割を担う教育学者からの緊急提言!
■出生数90万人割れの衝撃
厚生労働省が2019年12月24日に発表した2019年の人口動態統計の年間推計で、日本人の国内出生数は86万4000人となった。
前年比で5.92%減と急減し、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回った。2016年に100万人の大台を下回ってから、わずか3年で90万人を割る事態となっている。
厚生労働省「人口動態総覧の年次推移」より。このなかの「出生数」の折れ線に注目。
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厚生労働省の推計では、その後2021年に90万人を割り込むと予想していた。それが2年前倒しで90万人割れを引き起こした。日本の人口減少に拍車がかかるのは、避けられない状況と言っていい。
■未婚化・晩婚化をもたらす若者の貧困化
人口減少をもたらしたのは、日本社会の急速な未婚化・晩婚化・少子化である。
『国勢調査』によれば、たとえば30代前半(30歳〜34歳)の男性の未婚率は、1985年の28.2%から2015年には47.1%に上昇した。また20代後半(25歳〜29歳)の女性の未婚率は、1985年の30.6%から2015年には61.3%に上昇した。未婚化と晩婚化の進行は、少子化に拍車をかけている。
未婚化や晩婚化をもたらしたのは何といっても、若年層の貧困化であろう。
1990年代以降、非正規雇用労働者の増加は続いている。総務省「労働力調査」によれば、1990年に881万人だった非正規雇用者数は2019年に2189万人と2倍以上になった。労働者全体の約4割が非正規雇用となっている。低賃金で雇用が不安定であれば、結婚することは容易ではない。また、近年では正規雇用であっても低処遇の周辺的正規労働者が増加している。
■親と同居する独身未婚者の急増
非正規雇用労働者をはじめとする低処遇労働者の急増は、若年層の未婚化をもたらしている。その一方で進んでいるのは、親と同居する独身未婚者の急増である。
総務省統計研修所の「親と同居の未婚者の最近の状況」(2016 年)によれば、親と同居する壮年未婚者(35歳〜44歳)の人数は、1980年の39万人から2016年には288万人へと7倍以上に急増している。
また親と同居する若年未婚者(20歳〜34歳)の数は、1980年の817万人から2016年には908万人に増加した。この増え方は壮年未婚者よりも少ないが、それは若年層(20歳〜34歳)の総人口が急減していることが影響している。若年層(20歳〜34歳)の総人口に占める親と同居している若年未婚者の割合は、1980年の29.5%から2016年には45.8%まで上昇している。
家賃をはじめ住居費が高い日本社会の現状からすれば、壮年未婚者や若年未婚者が親と同居しようと考えるのは、ある種必然的な行動であるし、誰にもそれを責める権利はないだろう。彼らの行動様式は貧困化に対処するための「生活防衛」だと言ってもよい。
■「日本型雇用」の代替案の不在
問題なのは、貧困化する若者を家族が抱え込むことにより、「若者の貧困化」の社会問題化が遅れて、「日本型雇用」に替わる生活保障のシステムをつくってこなかったことだ。
戦後日本の生活保障を支えてきたのは、高度経済成長時に形成された「日本型雇用」である。正規雇用に就くことができれば、終身雇用と年功序列型賃金が保障され、それが生活の基盤となった。高い教育費や住宅費の負担も、日本型雇用によって支払うことが可能な人々が多数を占めていた。
高度経済成長を前提にする「日本型雇用」を転換する動きがなかったわけではない。公害問題など高度経済成長の矛盾が噴出し、地方自治体でも福祉を重視する「革新自治体」が続々と誕生していた1973年に、自民党の田中角栄内閣は「福祉元年」を唱え、社会保障の拡充が目指された。
しかし同年の石油ショックを契機とする経済成長率の低下によってその方針は撤回され、1979年に「企業の成長」と「家族の協力」を軸とする「日本型福祉社会」が自民党によって提唱された。
その後は「小さな政府」論に基づく行政改革と社会保障の削減が進められた。
1980年代における中成長とその後のバブル経済の到来は、社会保障の拡充や普遍的福祉などがなくても、「正規の仕事について一生懸命に働けば何とかなる」という大衆意識を再び人々に浸透させた。
しかし、1990年代初期のバブル経済の崩壊、1997年のアジア通貨危機以後の長期経済低迷と雇用を不安定化させる新自由主義政策によって、1990年代半ばから後半をピークに労働者の所得は低下し続けている。企業の成長と家族の協力を軸とする「日本型福祉社会」において、企業の成長が十分でなくなれば「家族の協力」が唯一の拠り所となる。
■「家族マネー依存社会」の誕生
1990年代前半から急増した不安定雇用の若者を支えたのは、多くの場合その親や家族であった。
先ほどは若年と壮年の例を挙げたが、1990年前半の若者たちはすでに中高年世代となっている。当時の若者は2020年現在40代〜50代となっているが、70代の親が40代の子どもを支えている「7040問題」、80代の親が50代の子どもを支えている「8050問題」が重大な社会問題となっている。
中高年の子どもを高齢の親が経済的に支えているが、周囲に助けを求めることができず、孤立している例が少なくない。
76歳で農林水産省元事務次官だった父親が44歳の長男を自宅で殺害した2019年の事件をはじめ、近年の家族内での悲惨な事件の続出は、現代日本の家族が追い込まれている状況を如実に示している。2018年初頭に大きな話題となった「はれのひ」事件においても、新成人の晴れ着を購入する親あるいは祖父母が大勢いたことは記憶に新しい。
ここでの若者や40代〜50代の中高年世代を支えているのは「家族マネー」である。20代〜50代までが「家族マネー」に頼って生きる現代日本社会は、「家族マネー依存社会」になっていると言ってよいだろう。
■若者の貧困が正しく社会問題化されない理由
家族マネーに頼って生きることが当たり前のように広がっている「家族マネー依存社会」は二つの大きな問題を引き起こしている。
第一に、1990年代以降の「若年層の貧困」の社会問題化を妨げてきたことである。
若年層の貧困化は、1990年代以降の日本経済の低迷、そして雇用の規制緩和をはじめとする新自由主義政策によって引き起こされたものであり、若年層自身の「自己責任」の問題ではない。
「自己責任」ではないのだから、貧困を解決するためにはそのための対策が必要だ。
雇用については、非正規雇用の急増を避けて可能な限り正規雇用を増やすと同時に、非正規雇用でも生活できるだけの最低賃金の上昇(最低でも時給1500円以上)を実現する政策が求められる。
また多くの職場で年功序列型賃金制度が解体しているのであるから、教育、住宅、医療、介護、保育といった分野の「脱商品化」=「無償化」を進め、年々賃金が上昇しなくても「賃金+社会保障」によって生活することが可能なシステムを構築することが重要となる。
しかし、「家族マネー依存社会」が「若年層の貧困化」を社会問題化させなかったことによって、日本型雇用に替わる生活保障システム構築への動きは十分には進まなかった。
保育所・保育士の不足が深刻であることをはじめ子育てへの経済的・社会的支援は乏しく、高等教育への私費負担軽減策も十分には進んでいない。
親や祖父母の賃金や年金、資産によって「何とか生活できる」状態が近年まで維持されてきたことは、新たな生活保障システムをつくり出すよりも、従来型システム下での経済成長や景気拡大に依然として固執する大衆意識をもたらすこととなった。「アベノミクス」への人々の一定の支持は、そのことを示している。しかしそこには将来への確固とした展望は存在していない。
■もはや依存すらできない
第二に、「家族マネー依存社会」は様々な点で限界を迎えているということである。
「7040問題」や「8050問題」は生活を支える高齢者が亡くなれば、残された人々はたちまち困窮する。親亡きあとも親の遺体と同居し、死体遺棄事件につながる事例が、近年全国で続発している。これらの事件をヒントに、是枝裕和監督は話題の映画『万引き家族』を製作した。
「若年層の貧困化」は、親に経済的に依存することによって一時的に回避されたとしても、経済的自立の困難は未婚化や少子化をもたらす。2019年の出生数86万4000人は、1949年の出生数の269万人に対して3割強にとどまっている。
「若年層の貧困化」に加えて、2019年通常国会での「老後資金2000万円不足」問題は、人々の「出生抑制」行動を促進したに違いない。老後資金の不足を補うためには、「子育て」費用を削減することが必要だからである。
ここまでの急速な出生数の減少は、少子化どころか「再生産不可能社会」の到来を意味している。再生産不可能社会が持続不可能なことは明らかである。
■「普遍的福祉」構築を妨げる分断と孤立
生活保護バッシングに典型的に見られるように、貧困に陥った人々に対して「自己責任」を強調する議論は現在でも根強く存在している。
「家族マネー依存社会」において生活保障が困難となるなかで、貧困層ばかりでなく中間層を含む多くの人々が、過酷な労働や社会への過剰適応を余儀なくされている。日常的な抑圧によって醸成されている不満やうっぷんが、生活保護利用者に向けられている面があるだろう。
中間層から貧困層へのバッシングが続くことで、社会の「分断」は強まり、生存権保障のための社会的連帯の構築は困難となる。また、「7040問題」や「8050問題」の深刻化は、現代日本において家族が社会から孤立している状況を示している。
家族を孤立状況から救い、すべての人々の生存権が保障されるためには、「家族マネー依存社会」から脱却できる「普遍的福祉」構築のための社会的実践が必要だ。
「出生数90万人割れ」の衝撃的事実は、現在の「家族マネー依存社会」では貧困を解決することができず、日本社会の持続可能性自体が脅かされている現状を鮮明に示している。