木下秀雄さん「反貧困・社会保障運動と労働運動の連帯のために」(2/15)

民主法律311号(民主法律協会、2020年2月)101-103頁

反貧困・社会保障運動と労働運動の連帯のために

龍谷大学 木下秀雄

 1 介護殺人のニュースが「日常化」しているこの異常さ

 福井・敦賀市で午前8時ごろ、70歳男性とその父親93歳、母親95歳が自宅で死亡しているのを、親族から通報を受けた警察官が発見した、という事件が昨年11月17日に起こっている。

 これは、夫の母親(95歳)が要介護1、父親(93歳)が要支援2、夫(70歳)は要介護認定を受けていなかったが脳梗塞で足が不自由であったところ、この3人の介護を担っていた71歳の女性が3人を殺害して自らも睡眠薬を飲んで自殺を図ったというもので、あった。

 こうした「老々介護j等の果ての「介護殺人」は、今やそれほど珍しくないのが今の日本である。

 日本の65歳以上の高齢者は、人口は3461万人(2016年9月15日現在推計)で、総人口に占める割合は27.3%、75歳以上人口は1697万人、80歳以上人口は1045万人である。これらの人たちが医療と介護を必要とするようになるのは当然のことである。

 ところが、現在の政策は、「高齢化」は社会保障費用負担の増加、経済成長の足かせ、という視点、からとらえて、日本社会の「危機」を意味すると位置付けている。

 現在のアベ政権は、2013年度から連続して「社会保障予算自然増」削減を行ってきている。「自然増」とは、制度をそのまま維持すれば、高齢者の総量が増えることで必要となる予算増である、と一応考えることができる。それを予算の段階で削るのであるから、制度を改悪しない限り(給付水準を下げるか、給付対象となる人を減らすか…)できないことになる。これを「高齢化」に対処する政策として行ってきているのであるから、ここ8年は、高齢者に対する社会保障を中心に、年金、医療、介護、そして高齢受給者が半数を占める生活保護について、制度改悪が連続して行われてきたことになる。

 このように高齢者人口が増える現在の日本の状況を単に財政負担と経済成長の面からしか見ず、できるだけ高齢者に向けた予算を圧縮することが現在の「高齢化」に対する政策の重点である、とみているのが現在の政策サイドの態度である。

 そしてそれを正当化するために政策サイドが意図的に持ち出しているのが、若者世代と高齢者世代との世代間対立である。現在の社会保障の課題は「全世代型」の社会保障を作り上げることだ、と標榜することは、いかにも現在の日本の社会保障制度が高齢者に「手厚い」ものであるかのように飾り立てる言葉の操作である。

 冒頭に書いた福井の介護殺人は、比較的「裕福な」家族で起こった事件であると報道されている。しかし、これは決して貧困問題と別のところにある問題ではない。

 高齢者の介護や医療の問題は、高齢者を支える「現役世代」にとっては、介護離職を迫るリスクでもある。また、介護を担う介護労働者はすでに190万人を超えていると言われるが、賃金は年間329万円で、産業全体の平均440万円を大きく下回っている(2017年度賃金構造基本統計調査)。貧困家庭では、高齢者や障害者の介護を低年齢児が実質的に担っている状況も報告されている(ヤングケアラー問題)。

 2 「介護」問題は労働問題である

 現役労働者と介護の関係を端的に示すのが、介護離職問題である。

 雇用動向調査をもとにした推計で、「介護・看護」を離職理由とする離職者は、2017年で約9万人と言われている(大和総研・石橋未来、「介護離職の現状と課題」、2019年1月9日)。

 そこでの指摘で注目されるのは、以前はパート労働者の介護離職が一般労働者より多かったものが、2010年頃からその差がなくなり、近年では正規労働者の方が介護離職者数が上回る状況になっている、というところである。そして、こうした介護離職する労働者が所属する企業には介護休業制度はあるが、そうした制度を利用できずに離職している例が多い、と言われている。

 企業に対する調査では(東京商工リサーチ第2回「介護離職」に関するアンケート調査(2019年12月19日公表))、介護離職者が出ている企業について、1億円以上の企業が12,8%で、1億円未満の企業が9,5%となっており、相対的に規模の大きな企業の方が介護離職者が出ているという結果になっている。注目されるのは、69,08%の企業が「今後介護離職者数が増える」と回答しており、その理由として、「介護保険利用者の基準の厳格化に伴い、家族の負担が増えるため」と回答したのが29,1%あったところである。

 アベ政権は、2015年9月一億総活躍社会の実現に向けた基本方針で、「介護離職ゼロjを掲げ、2016年6月2日閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」でも改めて「介護離職ゼロ」をうたっている。しかし他方で「軽度」と評価される要支援1、2、要介護1、2と判定された要介護者に対する支援の削減を継続的に行ってきている。認知症の場合、要介護の程度認定で軽度判定されやすいことは広く指摘されている。そうした人たちに対する社会的支援が継続的に値切られてきているわけである。

 介護離職を選ばざるを得ない理由は二つある。一つは、介護休暇制度があっても使いづらい(介護をしている雇用者の9割は介護休暇制度を利用していない、という。)が、それは業務負担が大きく、代替要員がいないから、という労働条件の問題である。二つには、地域において、要介護者の介護保険利用が限定されることで、介護負担が大きくなっていることである。その結果、就労継続か、介護離職か、二つlこ一つの選択を迫られることになる。

 つまり、介護離職をなくすには、労働条件の改善と、介護保険の改善が同時に必要なのであり、換言すれば、介護離職をなくすことが労働運動の課題であるとすれば、同時に、介護保険制度の改善を求めることも労働運動の課題であるはずである。

 3 生活保護基準引き下げ違憲訴訟の成果を民主主義運動の飛躍につなげる

 介護の問題は、一時も目を離すことができない、息の抜けない問題である。それだけに、介護を担っている人、介護を必要とする人、そうした当事者自身が社会的に声を上げることが困難な問題である。実際にそうした課題に向き合うことになった途端に、自ら社会的に発言することが困難になることが多い。そうした人たちにとって、民主主義や立憲主義をめぐるいわば「高尚な話題」は縁遠いものとなりがちである。貧困に直面している人の場合もそうである。貧困につながる年金の引き下げもそうであることが多い。

 これまでの歴史の経験からすると、民主主義を空洞化させようとする勢力は、そうした生活問題の大変さに付け込んで、生活問題に苦闘している人たちの目から民主主義の議論をそらそうとしてくる。

 アベ首相は憲法改悪を実現すると改めて決意表明している。

 介護や貧困、生活問題に苦闘している人たちを、日本が戦争の道に行かせないとする側に引き寄せるためには、労働運動や民主主義運動の側が生活問題に接近し、生活問題に苦闘する人たちと共に生活問題を解決していくしかない。

 アベ政権がその発足時に最初に手を付けた生活保護基準引き下げに対する違憲訴訟が現在一つの山場を迎えている。

 今年前半には名古屋地裁で、最初の判決が出される。

 2008年リーマンショックにより、日本の貧困問題と、派遣労働に典型的にみられる雇用の歪みが噴出し、年越し派遣村が出現したことが一つのきっかけで、2009年に自民党政権は崩壊した。これに対して、自民党の政権復帰=アベ政権復帰の公約の一つが、生活保護の最低生活費を引き下げる、という前代未聞のものであった。

 この生活保護基準引き下げを行ったやり口は、いま次々明らかになっているアベ政権の腐敗の原型ともいうべきものであった。つまり、社会保障と税の一体改革と称して、給付を求めるだけではだめで負担もしなければいけない、などと、いかにも社会に責任を持つかのごとき議論を振り撒いたり、さまざまなきれいごとを並べたてながら、社会保障の基盤である生活保護基準を引き下げるために、物価データという基本的データをねつ造する、というやり口であった。

 これに対して、今年に入り判決が出される予定である。

 その結論が、生活保護基準引き下げの手法の余りのひどさを弾劾する原告住民側勝訴であったならば、それはアベ政権の生活保護行政に対する断罪だけにとどまらず、介護や年金、保育などこれまでの社会保障政策全体の方向の転換を迫るものとならなければならない。

 そして同時にそれを、生活問題に直面する人たちを政治全体の転換に引き込み、民主主義の課題につなげていく大きなキッカケにしなければならない。そうした、民主主義の運動と生活保障の運動の懸け橋になるのが労働組合であると期待したい。
 

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