熊野英生さん「唐突感否めぬ「日本型雇用見直し」で本当に議論されるべきこと」 (2/19)

唐突感否めぬ「日本型雇用見直し」で本当に議論されるべきこと
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熊野英生:第一生命経済研究所経済調査部首席エコノミスト 2020.2.19 4:50

〔写真〕通勤ラッシュ写真はイメージです Photo:PIXTA

 最近になって再び日本型雇用の見直しが必要だという議論がある。春闘が始まったこともあるが、よく吟味してみるとほんの部分的な箇所だけを批判的にとらえて、何をどのように見直すのかはあいまいだ。

 実際のところ、2000年代以降、終身雇用や年功序列はかなり変わってきており、むしろ、成果主義や即戦力化を重視するあまり、空回りしている面も少なくない。

 今見直されるべきはどういう点なのか。

日本型雇用はすでに変容
長期雇用や成果主義に

 厳密な分析をするには、まずは定義から明確にすべきだろう。日本型雇用とは、いくつかの構成要素によって成り立っている。

(1)終身雇用、(2)年功序列、(3)企業別労働組合、(4)労使協調路線、(5)新卒一括採用、といったところが日本型雇用、または日本的な雇用慣行とされるものだ。

 改めて考えると、すでに跡形もなく変わったということではないが、随分と変わった要素が半分くらいはある。

 まず、(1)の終身雇用はもうないといっていいだろう。60〜64歳になれば、雇用延長されるとしても、待遇は著しく悪くなる。雇用形態も非正規化することが多い。

 終身雇用は、むしろ長期雇用と表現した方が正しいのではないか。

 かつても定年になる手前で出向・転籍があったから、以前から終身雇用ではなかったという見方もあり、1人のサラリーマンが生涯1社に勤め上げるという働き方は、昔から必ずしも多数派ではなかった。

 ただ、企業が解雇することが容易でない点は、長期雇用になっても残っているといっていいだろう。

(2)の年功序列は、勤属年数によって役職・資格が上がるという意味だが、これもすでに変容している。

 存続するのは、むしろ年功賃金制度といえるものだ。

 これは後述する職能給を、年齢と重ねて運用しているところに特徴がある。

 年功主義の反対語は、実力主義・成果主義だが、日本型雇用は実力主義の色合いを強めてはいるが、成果をどんなに上げても若い人が上位資格に就くことはない。

 年功重視の色彩は薄まったが、年功を無視した実力主義の企業は今もほぼ存在しない。年功序列は、現在は年功賃金になったと表現した方が理解しやすい。

 一方で(3)と(4)の企業内労働組合、労使協調路線は昔と変わっていない。

(5)の新卒一括採用は、すでに崩れつつあり、近々、通年採用へと移行するだろう。

 整理すると、変わったものは(1)、(2)、(5)であり、(3)、(4)は変わっていない。また終身雇用や年功序列についても、長期雇用や実力主義・成果主義化しながら、コアの部分は修正されずに残っているのが実情だ。

あいまいな職能給の性格
職務給化も無理がある

 今、「見直し」の議論で焦点になっているのは、給与水準を決めるときに年齢を重視するのか、もしくは業績を重視するのかという点である。

 毎月の給与を構成するのは、基本給+諸手当である。

基本給は、勤続給・年齢給、職能給、職務給などがある。諸手当には、業績手当などがある。

 月例給与以外に時間外給与、賞与がある。賞与は業績の配分をするものである。

 年功序列からの変化として、近年は基本給について、勤続給・年齢給から、職能給・役割給へと移行する頃向がある。

 職能給とは、働き手の能力を評価して資格(等級・号俸)を決めて、それに応じて給与を支払うものだ。

 このときにポイントになるのは、職能給が完全なる能力主義になっていて、年齢・勤続年数とは独立しているかどうかだ。

 現状、日本企業の多くでは実際のところ、職能給と呼んでいても、年齢・勤続年数を暗黙に重視しているので、完全な能力主義にはなっていない。

 職能給は個人の業績と年功が入り混じっているのが実態だ。

 また、職能給と対置させて使われるのが、仕事の内容に応じて給与が支払われる職務給だ。

 近年、専門職や技能職が多くなったこともあるが、現状、職務給を導入する企業が多くなったのは、人材を外部から途採用するときに便利だからだ。

 暗黙のルールとして、勤続年数を重視して資格を決めていると、競争力のある人材を外部から採れないからである。

 日本企業の場合、職能給を守り、それで足らないところを職務給の専門職などを採用することで、手薄な人材を採ってきた。

 職能給と職務給は、代替関係ではなく、補完関係にあるのが実情だ。

 筆者がおかしいと考えているのは、職能給を止めて職務給化を進めると、年功賃金が薄まって業績本位に給与が決まるというイメージが語られることだ。

 しかし職務給の対象になる働き手は特定の専門スキルを獲得している人であることが前提だろう。

 中には職能給の下で下積みをした人が、スキルを身に付けて職務給に移行することはあるだろうが、スキルを獲得するプロセスがないと、いきなり職務給に就いて高い給与はもらえない。

 ただ年功制をやめて、職務給化していけばよいという話ではない。

「ベア」廃止は疑問
悪しき「即戦力主義」

 ベースアップの仕組みがおかしいという声も経営者側から聞こえてくる。

 働き手の賃金は、基本給プラス賞与などの一時金だが、成果主義を重視する人は、基本給も含めて全面的に成果主義を取り入れるようなことを主張している。

 だが、そうした年俸制のような賃金体系が適した人は、専門的なスキルをもった人に限られている。

 しかも、ベアが上がらない中では賃金は伸び悩み、消費が停滞する。2000〜2013年にかけて、デフレが深刻化した時期にはベアは上がらないことが多かった。

 企業の生産性が毎年上がっているのに、ベアを止めていると、労働分配率は下がり、消費は低迷、一方で企業の金余り、投資不足はもっと進むだろう。

 ベアを全員一律に上げるのはおかしいというのはその通りだが、ここまで見てきたように、日本型雇用はすでに業績・成果に応じて配分する仕組みをさまざまに組み込んでおり、厳密にみれば、すでに全員一律ではなくなっている。

 成果主義や業績主義を重視するとして、人材育成や人材活用の仕方も変わってきたが、必ずしもうまくいっているとは思えない。

 1990年代までは、部署・チームがまずは人を育てて、そこで育てられた人材が次に相応の仕事に就けた。

 ところが、近年は、まず最初にある仕事をやらせ、その業務をこなしながら固有のスキルを身に付けさせるやり方に変わってきた。「即戦力」という表現を使うと伝わりやすいだろう。

 まず、OJTなどで人を育てて登用するのか、まず特定の仕事をするポジションに登用してその人が仕事に順応していくのかという違いだ。

 後者は、人材教育のプロセスを必ずしも経ないで、まず実戦に投入するやり方だ。できるサラリーマンとは、社内の異なる職場を転々として、いろんな仕事をうまくこなせる人を指すようになった。

 だがすでに引退した先人たちからは、「最近は人材教育が昔よりも少なくなった」とのぼやきをよく耳にする。

 業績や成果を重視せよという人たちは、もっと若い頃から人材教育をした上で業績を追求せよという考えでそう主張しているのだろうか。

 そうではなく、筆者には、人材教育を抜きに実戦投入することが、業績重視、成果主義だと言っているように聞こえる。

 年功を重視することについて、今は誠に評判が良くないが、年功制では若い頃に手厚い人材教育を受けて生産力が向上するから年齢とともに給与水準が高まっていくのだ。

 もしも、40〜50代の給与水準が割高だと思うのなら、経営者は彼らが積極的に学び直しを社内外で行えるようにして、彼らのスキルや専門的な知識を高める努力をすべきだ。

(第一生命経済研究所首席エコノミスト 熊野英生)

 

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