会社のために死なないで。追い詰められたら相談を。『アリ地獄天国』土屋トカチ監督<映画を通して「社会」を切り取る16>
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ハーバー・ビジネス・オンライン 2020.03.26 熊野雅恵
土屋トカチ監督
「アリ地獄」と闘った男
残業代なしで長時間労働を強いられ、それ故の事故や破損を起こせば多額の弁償金を給料から天引き。あっという間に借金漬けに陥ってしまう。社員はそんな自らが置かれた状況を「アリ地獄」と自虐的に呼ぶ会社がありました。
大学卒業後、7年間SEとして働いていた西村有さんは、2011年1月「年収1,000万円」の求人広告に惹かれて引っ越し会社に転職、引っ越し作業を行うセールスドライバーから出発し、成績良好と認められ営業職に昇格。しかし、月の総労働時間が340時間を超えていたにもかかわらず、給料は27万円余りでした。そして激務をこなしていた2015年1月のある日、通勤時に社用車で事故を起こしてしまいます。会社は弁償金として48万円を西村さんへ請求、おかしいと気が付いた西村さんは個人加盟型労働組合のプレカリアートユニオンへ相談。ところが、団体交渉を開始した西村さんに対し、会社は営業職からシュレッダー係へ配転を命令、西村さんが不当配転の無効を訴えて会社を訴えると、今度は懲戒解雇の言い渡しが。ほどなくして会社側は解雇を撤回、西村さんは再びシュレッダー係に復職します。団体交渉の場でも恫喝のみで、全く譲歩を見せない上層部。西村さんの闘いはどのような結末を迎えるのか――。
今回は前回に引き続き、西村さんの事実上の勝利を内容とする和解への長きにわたる闘いを追った現在公開中のドキュメンタリー『アリ地獄天国』を撮影した土屋トカチ監督に、自らが経験した労働争議、そしてこれから手掛けたいテーマ等についてお話を聞きました。
労組の仲間が励みに
――西村さんの「決して英雄になりたくて抗議しているわけではない」と言いながら、マイクを握りしめ、会社に向かって改善を訴えかける姿が印象的でした。
土屋:あのシーンは2016年の秋でした。かなり街頭で話すことにも慣れてきた頃ですね。会社の昼休み中に話しています。労働争議の経験者はあの行動を見て「勇気がいる」と言っていました。自分の上司や同僚が見ている前で話すわけですから。
――西村さんの変化はお感じになりましたか。
土屋:最初から腹は座っていましたが、時間が経つに連れてもっともっと強くなったかなという気もします。感情を露わにするタイプではなかったので最初は撮りにくいと思っていましたが、段々自分の感情や言葉が出て来るようになりました。最後の方は冗談も出てきましたが「闘う」と言うことに対して、前向きになり余裕が出て来たんじゃないかと思います。
労働組合の中にも同じような立場の仲間がいるということが分かったことが彼を強くしたんじゃないかと思います。「自分だけじゃない」「歴史が証明している」という言葉にそんなことを感じました。
©映像グループ ローポジション
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シュレッダー係をやりながら労働争議を続けるのは本当に辛かったと思います。会社を辞めて闘う手もあるのですが、労働争議は現状の労働条件を変えることが目的なので、やはり在職中の方が有利なんですね。
労働者を守る制度を知ってほしい
――土屋さんご自身も労働争議を経験されていたとのことでした。
土屋:僕が映像製作の仕事を始めたのは、90年代半ばに新宿の都庁の下でダンボールを敷いて野宿をしている人たちを見たことがきっかけでした。大学卒業後、京都から出て来た時に初めてその光景を見て、日本は豊かな社会だと習って来たけどおかしいぞ、と。
いわゆる「ホームレス」の生活支援をしている人、ダンボールの家に絵を描いている人、おじさんたちのことを撮影している人など、いろんな人がいましたが、おじさんたちのことを、彼らの目線で撮っている映像作品に惹かれて真似したくなったんですね。
当時は就職氷河期ということもあり、大学卒業後はフリーターをしていましたが、やっとやりたいことが見つかった気がしました。そうして映像を撮り始めて、29歳で映像制作会社に入って温泉宿の宣伝動画などを作っていました。
そして2年が経過したある日、その会社で解雇されそうになったんです。
――どのような事情で解雇されそうになったのでしょうか。
土屋:会社の業績が落ちてきたので、制作部門は全員フリーランスになってくださいと言われました。会社はつぶせない、営業部門は残して仕事は平等に回すからとのことでした。
土屋トカチ監督
土屋トカチ監督
その会社で解雇されそうになって初めて労働組合を知りました。こんなに自分たちの権利を守る仕組みがあるなんて……という感じでしたね。私は法学部出身だったので労働法は知っていましたが、その時になって初めて、何も身になってないということがわかりました。
だとしたら、まったく法律を学ぶ機会がなかった人はそのまま社会人をやっているのではないかと。その悔しさが残っていて、知識を伝える意味でも、いつか労働者を守る法律や制度を紹介できるような映画を作りたいと考えていました。
労働争議で勝ち取った和解金で独立
――その時はどのようなことを考えていましたか。
土屋:労働組合のことを知らないと、良からぬことを考えるんですね。解雇されそうになっているので、追い詰められると「社長の家に火を点けよう」「社長の息子を誘拐してしまおう」というようなことまで頭をよぎってしまう。
そんなことをしたら自分の人生がアウトになるだけで何にもならないのですが、怒りのやり場がなくてそういう思考になってしまうんです。
――正当な権利に訴えるのではなく復讐に出てしまうと。
土屋:そうです。暴発する犯罪は、そんな感じで発生するんじゃないかとも思っています。 自分の状況を改善できる材料に気が付いてないこともあって、怒りのやり場がなくなってしまうんですね。
労働組合の人たちからアドバイスを受けた時、こんなに正々堂々と会社にものが言えるんだと逆にショックでした。
結局、半年ぐらいで金銭和解できて、その解決金でカメラを買って、普通車免許を取って独立しました。その元手なしで丸裸でフリーになっていたら相当苦しかったのではないかと思います。そこから、フリーランスの映像製作者として活動し始めました。
――第1作目の長編も労働問題がテーマでしたね。
土屋:『フツーの仕事がしたい』(08)という映画です。そちらの相手方の会社は『アリ地獄天国』とは異なり、もっと目に見えて暴力的でした。組合に入ったら「俺は暴力団とつながりある」と吹聴する輩が登場するような会社でしたね。
主人公の皆倉信和さんに会ったのは2006年の4月でした。「30万円渡すから労働組合を辞めろ」と言われて、「辞めない」と言ったら、次の日に皆倉さんのお母様が亡くなられて、葬式にまで会社関係者と名乗る輩たちが来て暴れて、その場をぐちゃぐちゃにしてしまったんです。撮影中の私も殴られました。
ブラックな労働環境は変えられる
――2000年ぐらいからご自身の経験も含めて労働問題に関わって来られたと思いますが、この20年間で労使関係に変化があったのでしょうか?
土屋:「ブラック企業」や「ブラックバイト」という言葉が出てきて、めちゃくちゃなことをする会社の存在が可視化されたような気がします。
ただ、「ブラック企業」や「ブラックバイト」がどういうものなのかを知っていることと、労働争議を行って、状況を変えるというのはまた別の問題なんですね。後者の状況を変える手段についてもっと伝えていかないと、変わらないと感じています。
©映像グループ ローポジション
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――確かに、「ブラック企業」「ブラックバイト」の見分け方や逃げ方は多く報じられていますが、状況改善については情報が少ない気がしますね。
土屋:例えば、大企業で過労で人が亡くなりましたということはセンセーショナルに伝えられていますが、労働者の権利を駆使してその状況をどのようにしたら変えられるかということはあまり知られていません。 僕は改善の仕方についても取材し、伝えていきたいと思っています。
一般的に大企業では労組は会社にべったりです。労働組合の役職に就くことが出世コースである会社も存在します。本来は労使は仲良くするわけではなく、緊張関係を保って労働者が言いたいことを言える関係でなくてはならない。そういう意味で、日本の労働組合の多くは腑抜けにされているのが現状です。
フリーター時代、バイト先の会社の労働組合の掲示板には「わが社の製品が〜割で買えます」「旅行のご案内」といった、ポスターばかりが貼ってありました。
また、僕たち非正規は労働組合に入れませんでした。お正月には「団結」という鉢巻をしてお餅をついていましたが、僕らは食べられなかったんですよ。
――そういう矛盾は看過されていますよね。
土屋:この国では労働組合に対するイメージが良くないことも事実です。例えば、80年代後半には国鉄民営化の時に、マスコミはこぞって労働組合のバッシングをしていました。就労時間にお風呂に入っているのはおかしい。サボっていると。ただ、お風呂に入るのには理由があって、保線の仕事をしている方たちは汚れるからお風呂に入って帰るんですね。
万が一ブラックな状況に晒されたとしても、労働組合では相談にのってくれるし、力になってくれる弁護士もいるということを最初に伝えたいです。 労働組合に入ることはハードルが高いのかもしれませんが、相談する場所があるということは認識して欲しい。ちゃんと守ってくれる法律や制度があるんです。逃げるのも大事ですけれども逃げなくてもいいし、自分の命を絶つようなことはしなくてもいいんです。
労働問題をライフワークに
――劇中にもありましたが「これ以上死ぬな、殺すな」いうことですね。最後にこれから取り組みたいテーマについてお聞かせください。
土屋:やはり労働問題は一生のテーマだと思います。私自身が、これから先もずっと労働者ですから。今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門では『アメリカン・ファクトリー』という、中国企業が再開させたアメリカの工場が舞台の労使問題を描いた作品が受賞しましたが、日本ではまだ労働問題がテーマのドキュメンタリーは少ないです。
労働争議が少ないから、映画も少ないのかもしれません。労働組合の組織率は17%を切ったと言われていますが、街頭宣伝やストライキをやっている労働組合はもっと少ないんですね。
今、用意している次の作品は労働問題ではありませんが、人権問題を扱っています。どんなテーマであっても、観客の心や人生をゆさぶるような映画をつくっていきたいですね。
<取材・文/熊野雅恵>
熊野雅恵
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わっています。