「ブラック企業」と「伝説企業」の分かれ目 労働時間の問題だけではない

SankeiBiz(PRESIDENT Online) 2013.8.10

先日、大阪大学でNHKの番組の公開収録があった。テーマは、「ブラック企業」。過酷な労働条件で社員を「使い捨て」にする、社会にとって悪い影響のある企業のことである。

「ブラック企業」という言葉を最初に耳にしたのは、数年前。就職活動中の学生の口から思わず漏れた。ある会社の話をしていて、「あそこはブラック企業だから」と突然彼が言ったのである。

どうやら、その頃から、就活中の学生たちは、いわば「自衛」の意味も込めて、「ブラック企業」についての噂話をしていたらしい。それが、番組にもゲストでいらしていた今野晴貴さんら、この問題に取り組んでいる専門家たちの活動もあって、メディアの中でも取り上げられるようになったのだろう。

番組収録中、今野さんや、津田大介さん、それに会場に来ていた大学生たちと話していて改めて思ったことは、単に労働時間が長いとか、仕事の密度が濃いというだけでは「ブラック企業」にはならないということである。

もちろん、仕事のしすぎで心身のバランスを崩してしまってはいけない。労働条件に関する法令は遵守すべきであるし、ワーク・ライフ・バランスにも配慮すべきだろう。

そのうえで、人は、働くことに意義を見いだし、仕事を通して成長することができれば、自ら進んで時間を忘れて働くこともあるということを、認識すべきだろう。

ある企業の創業者に聞いた話。その方は、国際的な賞も受けたいわば伝説的な技術者だが、立ち上げの頃は、時間を忘れて機器の組み立てに熱中したものだという。

工場に閉じこもり、水を飲みにいくか、トイレに行くくらいで、あとはずっと作業をしている。

「そのうちに、窓の外が明るくなって、また暗くなって、そんなことを繰り返すんですよ。2、3日はぶっ続けで作業することなど、日常茶飯事でした」

若いからできるということもあるだろうし、一時の熱狂ということもあるのだろう。しかし、いわゆるブラック企業と、すばらしいイノベーションを起こす「伝説企業」を分けるものが、単に労働時間の問題だけではないことを見極めることは、大切である。

鍵になるのは、脳が働く喜びを受け取るために必要な「主体性」。脳は、能動的に外界に働きかけ、その結果をフィードバックとして受け取ることで喜びを感じ、成長していく。

仕事が大変でも、そこに主体性があれば、人はがんばることができる。かつての日本の高度経済成長期における「モーレツ」は、そのようなものだったのかもしれない。

福沢諭吉は、日本の課題として、「独立自尊」を挙げた。個人が、自ら考え、行動し、働きかけることができるか。グローバル経済の中で、イノベーションを通して付加価値を生み出す企業は、主体性のある個人が支えて初めて可能になる

主体性のある個人は、同じく主体性を持つ他者を尊重する。「他者の人格を目的として扱う」というカントの格率にも、通じる哲学だ。

「ブラック企業」が許されないのは、人を目的ではなく手段として扱うからである。結果として、その企業が一時的に収益を上げたとしても、その「外部不経済」のツケが社会に回ってくる。

人間を手段として扱うのか、人格を目的として尊重するのか。この点が、ブラック企業と伝説企業の分かれ目になる。

日本という国についても、同じことが言えるのではないか。(茂木 健一郎 写真=時事/PANA)(PRESIDENT Online)

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