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読売新聞 2014年1月9日
増える自殺頑張る気持ちあだ
図: 年齢別自殺者数の推移(省略)
たった3か月だった。
「早く内定がほしかった。どんな職場かもっと関心を持つべきでした」。昨年4 月、関西の私立大を卒業した陽子(23)(仮名)は6月末、勤務先の植物リース会社を辞めた。
午前5時台には出勤して、10キロ近い鉢植えを多い時には20個近く車に積み込み、午後8時を過ぎるまでリース先を回る。帰社後、後片づけに約1時間。家に着くとぐったりした。
2か月ほどすると血尿が出た。それでも「1年は続けないと」と無理をした。次の就職先探しに影響するのでは。甘えと思われるんじゃないか――と。
「体調を崩してまで頑張り過ぎないでいい」。電話で相談したハローワーク職員の言葉に涙が出て、退職を決断した。
ストレスの芽が大きくなれば体、心を傷つけてゆく。就職のミスマッチといった軽い言葉ではすまない。
◎
19万4091円
配送会社の正社員だった宏(仮名、当時27歳)の最後の月給。残業時間は月104時間に上った。「死ぬまで働いて19万とは」。父(67)は唇をかむ。
2008年8月2日、宏は自宅で命を絶った。入社から3か月半の朝だった。
昨年のクリスマス。勤務先の清涼飲料水配送会社(大阪市)が、自殺は過重労働によるうつ病が原因と認めて両親に謝罪、解決金を支払うことで和解した。裁判所で同社の役員は、家族が裁判所に持参した遺影に向かって頭を下げた。
「仕事を覚えて会社に貢献しようと頑張っておられた。負担を軽減する措置をとらなかったために、非業の死を遂げられたことを深く深くおわびします」
死亡から5年。家族は謝罪の言葉を引き出すことが、社会への警鐘になると信じてきた。
大学を卒業したのは就職氷河期の03年。宏はIT業界を目指し100社以上にエントリーしたが、うまくいかなかった。アルバイトをしながら、就職活動を続けた。
27歳で採用されたのが同社だった。
出社は午前6時40分。自動販売機の商品を補充して回る。翌日の準備をして退社すると午後8時を過ぎた。
5月、姉(36)に愚痴をこぼした。一緒に回る先輩社員から「アホ」「のろま」と連発され、質問すると「何度も言わすな」とののしられる。
「辞めてもええんやで」と姉が心配すると「先輩もいっぱいいっぱいなんや。どんな仕事も大変やし、とりあえず1年は頑張ってみる」と答えが返ってきた。
7月中旬、初めて配送を1人で担当した際、受け持ち地域の変更があった。慣れないうえに、暑さで売り切れになることが多く、対応も増え、帰宅は夜11時を越えた。「はよ寝えや」。父がかけた最後の言葉だった。
父は九州の高校を卒業し、大阪の会社で5年働き、自営で店を始めた。
「息子には誠実に一生懸命頑張ってさえいれば、誰かがお前のことを認めてくれると教えた。働いてお金をもらうことが、いつからこんなにまでしんどくなったのか」
◎
警察庁のまとめでは「仕事疲れ」が理由の自殺は他の年代がほぼ横ばいの中、20〜29歳は増加傾向だ。12年は147人に上った。
昨年12月、国や事業主らの責任を明記した「過労死等防止基本法案」が臨時国会に提出、継続審議されている。宏の両親も賛同の署名集めのため街頭に立ち、訴えてきた。「みなさんの子を守るための法律です。私たちの息子はもうおらんのです」
若者の置かれた現状に対し、就活学生を支援するNPO法人を設立した法政大経営大学院教授、藤村博之は言う。「どんなに寒くても目の前にある若い木を、ただ切って、燃やしてはいけない。バブル経済の崩壊後、企業も社会も目先の利益を追うことにとらわれて、将来を見据えることにあまりにも無自覚だ」
◎
植物リース会社を退職した陽子は今、公的機関で臨時職員をしながら思う。「どんなふうに働いていくか、まだ形は見えない」
若者たちは未来へと希望を抱けているか。縮む社会だからこそ働く場もまた、変わらねばならない。(敬称略、おわり)
社会部・岸辺護、坂根薫、増田弘輔、地方部・北島夏記が担当しました。
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