ここは扶養の国、日本 85年は女性の「分断元年」か

朝日新聞 2014年8月3日
写真・図版:配偶者がいるパート女性の年収分布(2010年)と優遇策(省略)

 7月下旬の夜、神奈川県厚木市に住む女性(38)のスマートフォンのLINE(ライン)が鳴った。夫(31)だった。7月の給与明細を見て驚いたという。

女が生きる 男が生きる
キャリアダウン、働くママだけ? 均等法と分断の85年

 「配偶者手当が1万7千円もついてたよ」

 「そんなにもらえたの」

 6月半ば、15年近く勤めたメーカーを退職。「大学卒業以来初めて無職になった」。夫の扶養に入ったばかりの「主婦1年生」だ。

 仕事は続けたかった。やりがいもあったし、夫に気兼ねなく欲しい物を買える収入は持ち続けたかった。母から「お金がないと離婚したくてもできないわよ」と常々聞かされてもいた。

 だが一昨年に長男(1)が生まれて育児休業中、夫に転勤の辞令が出た。別居して、1人で子育てしながら仕事を続ける自信はなく、転勤についてきた。

 引っ越し先で仕事の空きがないか会社の人事に相談したが、返事はなしのつぶて。揚げ句に、夫からは「結婚した時点で、僕にはいつか転勤があるとは分かってたんだし」と平然と言われた。

 決して本意ではなかった退職。世帯収入は大きく減るが、扶養に入ってからというもの、目の前の「特典」の数々に驚いている。

 夫の給料に配偶者手当がつくほか、働いていた間は負担していた年金保険料や健康保険料もかからない。配偶者控除も受けるので、夫の給料にかかる税金は以前より減る見通しだ。

 「自分が働かなくてもお金が入ってくるなんて、ここは扶養の国?って感じ。この世界に一度入ったら、よほど稼げない限り、前のような働き方には戻れないかも」

 千葉県の40代の主婦は、中3の長男が小2の時からパートタイムで働く。いまは朝日新聞社で週3日、1日6時間の仕事だ。

 夫の会社の配偶者手当は月約1万5千円。パートは常に、手当が出る条件「年収103万円以下」で収まるよう気を使ってきた。それを超えると、所得税がかかる上に配偶者手当も減る。減額分は年20万円を超える。給料の3カ月分だ。

 以前、働いていたパン屋ではほぼ毎日残業した。だが103万円を超えないよう、本来仕事が終わる時刻にタイムカードをいったん押して、仕事に戻った。

 「安い時給で雇いたい店と、103万円以内の扶養でいたい主婦が、奇妙なかたちで依存し合っていた」

 103万円を超えたパート仲間は、元を取るため毎日12時間働く人もいた。

 それでも、扶養というのは、社会が回っていくために必要な仕組みだと思う。「学校のことや地域のこと、皆が働いたら、そういうの誰が担うんでしょうか」

 第3号被保険者制度もありがたいと考えている。「夫が仕事に専念できる環境を私たち家族が支えている。年金はその対価のようなものでは」

 長男の独立を見届けたらもっと働きたいと思うが、でも家が回らなくならないか。

 資格を取り、介護施設でフルタイムで働き始めた友人の女性からは「夜勤もあり、休日は寝て過ごす」とメールが来る。

 「彼女ほどアクセルを踏まないと、フルタイムの世界に移れないのかな。その外に飛び出すには、扶養の壁は思った以上に厚い」

 職場の男女平等を目指す男女雇用機会均等法が成立した1985年。同じ年、夫に扶養される主婦を優遇する年金の第3号被保険者制度と、不安定な働き方を広げるきっかけになった労働者派遣法も誕生した。

 社会に進出し、キャリアを積んで高い地位に就く女性が現れるようになった一方で、家事や育児、介護を担う多くの女性たちは結婚後、「扶養の国」へと引き込まれる。結果、経済的に不安定な場所から抜け出せなくなることもある。

 「85年は、分断元年」

 そう呼ぶ人もいる。

■離婚、扶養の立場外れ即生活苦

 兵庫県宝塚市の女性(49)は12年前、扶養される身分を外れた。

 突然だった。夫からほかの女性と一緒に暮らすと告白され、1年後に調停離婚。主婦から無職にかわった自分と、6歳、2歳の娘が残された。

 1987年に大学を卒業、金融機関に入社。夫の海外赴任についていくため、3年半で退職した。

 帰国後、2歳の長女を保育園に預けて週3回、6時間の事務アルバイトを始めた。年収103万円の「扶養の範囲内」に収めた。

 「フルタイムで働く覚悟がなかった。娘が熱を出した時、誰がみるのかと考えると」。2人目の娘を妊娠し、仕事から遠ざかった。

 そして離婚。1年実家に身を寄せ、2年目から公団住宅に入り、パソコン教室に通うことから始めた。

 派遣会社を通じ、時給1400円、交通費なしの事務仕事で年収は約250万円。ひとり親家庭に支給される児童扶養手当と夫の養育費を合わせても、2人の娘を抱えて切り詰め通しの生活だった。

 離婚直後、精神的に追い詰められた。ベビーカーを押す専業主婦らしき若い女性に「主婦って本当に危うい。気づいてる?」と声をかけそうになった。

 夫を支え、子に寄り添い、家庭を守る。穏やかに見える「扶養の国」は、夫の変心や失業、死亡があれば、貧困の世界と壁一つと痛感したからだ。

 6年前、勤め先の金融機関で契約社員から正社員に登用され生活は安定した。

 「扶養の国」の経験者として、こう語る。

 「経済的に男性から守ってもらうという意識を女性自身が捨てないと。責任を持って守ってくれる男性ばかりではありません。残念ながら」

■130万円の壁、低賃金の温床

 パートの主婦が常に意識する「103万円」または「130万円」の壁。

 「年収130万円未満の『扶養の国』と200万円以上の『共働きの国』の間に、険しい谷が広がっている」。大和総研の是枝俊悟研究員はこうたとえる。

 妻の年収が130万円に達すると社会保険料の負担が生じる。総研の試算では、妻の年収が129万円から1万円増えただけで、16万円近く手取りが減る「働き損」になる。会社の配偶者手当も止まれば、さらに10万〜15万円減る。「これ以上稼ぐとペナルティーを科す、というような負担増ぶり」と是枝さん。

 年収129万円と同じ手取りになる「損益分岐点」は150万円台後半。200万円以上稼がないと、割が合わない。週40時間の勤務で年収200万円になるには、時給962円以上の職場を見つける必要がある。「首都圏でもない限り、パートでは難しい。何より、子育てや家事に時間をあてたい主婦は、そんなに働けないのが現実です」

 東京都内にある人材紹介会社の担当者は「採用基準は『結婚している女性』」と打ち明ける。求人広告にある最初の時給は都の最低賃金869円すれすれの870円だ。

 「扶養されている主婦は安い時給でも文句を言わない。逆に離婚や死別で夫を失った人は、生活が困窮して問題を起こす可能性があるという『要注意人物』になる」という。

 新聞広告に折り込まれる求人チラシを広げると「扶養控除内OK」「ママ活躍中」などのうたい文句が飛び込んでくる。

 病院や老人施設の食事サービスを手がける会社は、保育園の調理補助パートの募集に「扶養控除内OK」と掲げる。主婦の経験が生かせる仕事といい、実際に働く人も子育てが一段落した主婦が多い。人事担当者は「扶養控除の範囲内というのは当然にある話」。「ママ活躍中」としたスーパーの店長は、こうしたアピールについて「主婦に目をとめてもらって応募してもらいたいから」と説明する。パートで働くのはほとんどが主婦で「主婦がいないと現場が成り立たない」と話す。

 チラシを発行する広告会社によると、どんな働き方を希望するかを主婦にたずねたアンケートでは「扶養控除内で」「午前中だけ」の希望が多いという。

 企業にとって扶養控除内で働く主婦は、年収130万円未満なら社会保険料を負担しなくてすみ、人件費を抑えるメリットがある。

 労働問題に詳しい中野麻美弁護士は「扶養されたい女性の立場につけ込み、パートの時給が最低賃金付近に張りつくなど、女性の労働力を買いたたく土壌になっている」と批判する。

 女性の生き方と年金制度とのかかわりに詳しい成蹊大学の丸山桂教授(社会保障論)によると「保険料の支払いがない専業主婦に年金を支払う制度は海外にもある。ただ基礎年金を100%もらえる日本は、海外に比べ給付水準が高い」という。

 米国や英国には配偶者に対して50〜60%の年金を支払う似た仕組みがある。スウェーデンやドイツには配偶者に支払う仕組みはなく、無年金や低年金の人を対象にした最低保障年金の仕組みがカバーする。

 海外では、もっと低い年収から働く人向けの年金に加入できるため、自分で働いて保険料を支払う意欲がわきやすい。

 さらに多くの企業に、扶養の配偶者や子どもを対象にした家族手当の仕組みがあることも「扶養の国」の谷をより深くしている。企業によって受取額は違うが、配偶者への手当は中小企業で平均9千円ほど(千葉労働局調べ)で、大企業380社を対象にした厚生労働省の調査(2012年)では、平均額は1万6300円。業種別で最も多いのは銀行で3万9500円だった。

 厚生労働省は6月、将来の年金財政の見通しを発表した。メーンシナリオは、20〜30代の育児期の女性が離職する「M字カーブ」が解消され、女性の就労率がぐっと上がるという前提で試算されている。「制度自体が女性の働く意欲を抑制する仕組みになっており、本末転倒。年金財政のためにも見直しが急務だ」。丸山教授はそう指摘する。

■妊娠告げて、派遣先解雇に

 均等法と同じ85年にできた労働者派遣法。「パートより高賃金で、質の高い働き方」をうたって、女性たちの受け皿となってきた。

 川崎市の女性(48)は今年4月、娘2人と市内の公営住宅に落ち着いた。「綱渡りの生活にようやく一息つけた」とほっとしたように言う。

 派遣社員として経理の仕事を始めたのが29歳。以来、40歳過ぎまで、3カ月から1年更新の派遣の仕事を続けてきた。

 ソフト開発会社へ派遣中だった34歳の時、長女(12)を妊娠した。派遣元に告げると「派遣先の会社が妊婦を継続的に雇用できないと言っている」と契約終了前の解雇を告げられた。

 労組「派遣ユニオン」に間に入ってもらい、解雇は撤回、育児休業と復帰後半年以上の雇用継続を約束させた。その後、44歳で次女(4)を出産。派遣の仕事依頼はこなくなった。

 やはり非正規で働く夫は給料を入れず、12年8月に離婚。その年の12月、失業保険給付が終わると同時に生活保護を申請した。

 「非正規の仕事にしがみついていたころよりも心は落ち着いている」

 派遣先企業にとって派遣労働者は、必要な時に働いてもらえ、仕事がなくなればすぐに切れる便利な存在だ。雇用責任も負わない。労働者派遣法では、派遣先が契約を途中解除しても罰則は設けられていない。

 中野弁護士は指摘する。 「均等法に乗れない一般職の女性の受け皿として、派遣法が利用されてきた。日本型の雇用慣行に適用できる総合職、適用できない非正規という『身分制』が法的に制度化され、男女格差を利用した労働の買いたたきや女性の貧困、少子化などにつながっている」(錦光山雅子、高橋末菜、岡林佐和)

■社会保障や賃金・雇用に差 女性を分断

 《藤原千沙・法政大准教授(社会政策)の話》 1985年にできた政策は、女性たちの間に「分断」をもたらした。男女雇用機会均等法と派遣法に象徴される、正規・非正規の違いで賃金や雇用に差がつく分断。年金の第3号被保険者制度と遺族年金の拡充、離婚・非婚の母子家庭への児童扶養手当の大幅削減に象徴される、夫を支えてきた妻かそうでないかで社会保障に差がつく分断。だが扶養の妻への優遇と母子家庭の生活困難は表裏一体だ。対立しているように見える主婦と働く女性の分断も政策で作られた。

 家事や育児を犠牲にしないと経済力を得られない社会の仕組みが、母子家庭の貧困を招き、女性を扶養の国へと誘導し、働く女性の過酷な労働環境をもたらした。その形を作り、強化する政策が打ち出された85年は、女性の「貧困元年」であり「分断元年」だ。

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