特集ワイド:「IT断食」一度はいかが 読書、景色…「ちょっぴり豊かな」生活 宿泊プランも

毎日新聞 2014年12月25日 東京夕刊

たまにはスマホを引き出しに。少し離れてみると、新たな世界が見えてくる?=樋口淳也撮影(省略)

 ◇奪われる長い時間/予約いっぱいネット依存治療

 「IT断食」という言葉をご存じだろうか。現代人の生活に欠かせぬ道具となったパソコン、スマートフォン(多機能携帯電話、スマホ)などのデジタル機器から、あえて離れてみようという試みだ。スピードや利便性重視の世の中に、何となく疲れを感じているあなた。一度、体験してみてはいかが?【樋口淳也】

 「私がお勧めしているのは『絶食』ではなく『断食』です。無理のない範囲で距離を置き、人それぞれ、より良い付き合い方を探せばいいんですよ」。記者が体験する前に、何はともあれ実践している人の話を伺おうと「『IT断食』のすすめ」の共著者、山本孝昭さん(49)を訪ねると開口一番、意外な言葉である。てっきり「全て使うな」と指南されるものと早とちりし、持ち歩いているスマホ2台(社有と私有)とパソコン、ガラケーと呼ばれる携帯電話1台を引き出しにしまうつもりでいた。「上司や妻と連絡が取れなかったらどうしよう」とひそかに心配していただけに、ホッ。

 山本さんはIT企業「ドリーム・アーツ」の経営者。デジタル機器とは切っても切れない立場だ。机の上には大型の液晶モニターやキーボードもある。何を「断食」しているのか。「3年前から、『念のため』と送りがちな同報メール(CC)の送信や、社内向けの資料作成にパワーポイントを使うことを禁じています。また会議にはパソコンを持ち込みません。それだけ?と思われるかもしれませんが、『断食』前は、山のようにたまっていくメールを前に集中力が失われ、仲間内しか見ない資料を飾り立てるのに時間を費やしていた。会議でも相手の発言をしっかり聞けて『言ったつもり』『分かったつもり』がなくなり、仕事の質が向上しました」

 「人間はこのまま突き進んで大丈夫なのか」。最新技術への漠然とした不信がきっかけだった。社内に禁止令を出したのと同じ頃、ツイッターやフェイスブックもやめ、礼状は和紙に筆でしたためるようにした。「筆書きの手紙にはパワーがありますからね。メールやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、手間がかからないように見えて、実は時間をすごく奪われている。『ちりも積もれば山となる』です」

 最近は、他企業から「IT断食を導入したい」と相談を受けることも多い。

 山本さんは言う。「油断していると、テクノロジーは牙をむきますよ」

 「パソコンやスマホなどを使ったネット依存は深刻化しています」と話すのは、国内でも数少ないネット依存治療部門を持つ国立病院機構久里浜医療センター(神奈川県横須賀市)の臨床心理士、三原聡子さんだ。センターなどが2008年に実施した調査では、国内のネット依存の成人は推計270万人。今年、10代以上の男女計1000人を対象にした総務省の調査でも8・2%が「ネット依存の傾向が高い」と分析された。

 センターのネット依存治療部門を訪れる人は、11年の開設から3年間で約1・5倍に増えた。「依存の対象はオンラインゲームから、ツイッターやSNSなどへと幅を広げています」と三原さん。相談の予約は、来年の4月中旬まで埋まっている状況だ。ホームページ(http://www.kurihama-med.jp/tiar/index.html)には、依存度合いを簡単に測れるスクリーニングテストを掲載している。

 ITは本来、効率よく時間を使い暮らしを豊かにするために登場・発展してきたはず。それが、いつしか「時間を奪う技術に変わっていた」(山本さん)。

 かく言う記者(31)も普段はデジタル機器にどっぷり浸っている。いよいよ「スマホ断食」を実行する。

 ある休日。家を出て電車に乗り込むと、さっそく無意識にズボンのポケットを探っている。普段はスマホでニュースやメールをチェックする時間帯なのだ。気まずい。そーっとポケットから手を出す。慣れとはかくも根深いのか。

 書店に立ち寄り、さらに理髪店へ。そうしている間も何となく手持ちぶさたで落ち着かない。「スマホが使えないとすぐに不安を感じたり、いらいらしたりする人はネット依存の予備軍」。三原さんの警告が脳裏をよぎる。

 とはいえ体が慣れたか、ようやくスマホの存在を忘れかけた帰りの電車。買った新書を読み始めたら、実にすいすいはかどるではないか。読書はいつもしているのだが、スマホが気になって、どこか集中していなかったことに気付いた。車窓からの景色に心が和む。思わぬ場所から富士山を見つけ、得をした気分にもなった。スマホをにらみ、せわしなく指を動かす人々を眺めていると気の毒にすら思える。

 つかの間の優越感。わずか半日の“体験”だったが、またやってみよう。

 ちまたでは「デジタル・デトックス」(デトックスは「解毒」の意)を体験できる宿泊施設も増えている。

 「星のや 軽井沢」(長野県軽井沢町)は「脱デジタル滞在」をうたう2泊3日のプランを提示している。料金は宿泊代とは別に約6万円。決して安くはないが「30〜40代の男性の方などから問い合わせをいただいています」といい、来年1月からは、夜明け時間帯の電波圏外でのスノーシューハイクや、温泉でのストレッチ、指圧を含むプランを実施する。

 「私がケータイを持たない理由」の著者でジャーナリストの斎藤貴男さん(56)は「携帯やスマホを持つと、利便性を得る代わりに魂を売り渡してしまう気がするんです」と語る。書名の通り、携帯もスマホも使わない。ただし原稿執筆やメール、情報収集のためのパソコンは最低限度だけ使う。

 デジタル機器の普及で、いつでもどこでも疑似体験をしたり、他人を攻撃したりする現状に「人間が『全能感』を持ち、自分で考える力を失いつつある。それは権力に操られやすくなるということでもある」と危機感を抱く。

 「ただ、スマホを持たない理由はそれだけじゃない。誰にも縛られない気持ち良さは捨てられませんから」

 深く体に染み付いた「IT体質」から脱するのは難しそうだが、三原さんは「まずはパソコンやスマホの利用時間を記録して、少しでも減らすようにしてはどうでしょう。1日に1時間離れるだけでも依存の予防になりますよ」。

 あと1週間で2015年。新年は、意識的にデジタル機器と距離を置き「ちょっぴり豊かな」生活を手に入れてみてはいかがだろうか。

この記事を書いた人