車中泊で役場へ「自分は無力」 被災地職員、心も悲鳴

朝日DIGITAL 2016年6月21日
http://www.asahi.com/articles/ASJ5Z3Q3VJ5ZTIPE00S.html

同僚らと被害認定調査などについて話す島田誠也さん=5月27日、熊本県御船町、小宮路勝撮影(省略)
 
 発生から2カ月が過ぎた熊本地震。被災地の自治体職員は自身も住民として被災しながら、避難所の運営や罹災(りさい)証明の調査などに追われる。先の長い復旧、復興の道のりには職員の心身の健康は欠かせず、そのケアが重要になっている。

 4月16日未明の本震で震度6弱を観測し、家屋約2千棟が全半壊した熊本県御船町。今も約250人が避難所に身を寄せる。

 町の男性職員(25)は、隣の嘉島町の自宅が住めなくなり、車中泊をしたり、町外の知人宅を転々としたりしながら出勤している。「朝、目覚めると体が半端なく重い」。この春、役場に就職して2カ月。ほとんど休みを取れないでいる。

 最初の大きな揺れが襲った4月14日夜。両親を残して、マイカーで役場へ。2時間後には御船町内の小学校や保育園の見回りに出た。公務員としての責任感に駆られていた。

 16日未明の本震後、避難所となった小学校は数百人の被災者でごった返した。夜が明け、役場から食料配給の連絡が入った。「もう少しで届きます」と住民に伝えたが、なかなか届かない。役場に問い合わせると「配給する食料はない」。住民におわびをすると「届くと言っただろう」と怒りの声が返ってきた。

 午後、やっと小さな握り飯が200個届いた。「多くの人に配りたいので1個ずつでお願いします」と頭を下げると「うちは5人家族だぞ」。「自分は無力だなと。生まれて初めて味わう思いでした」

 夜は避難所の運営。朝から役場で通常業務。車中での仮眠を挟んで夜、再び避難所へ。そんな2週間の後、がれきの仮置き場の監視や家屋の罹災(りさい)証明書のための現地調査に回った。「今は非常時」と自分に言い聞かせるが「仕事も家のことも、出口が全く見えません」。

ログイン前の続き■丸1日の休暇、2カ月で1日

 罹災証明書のための調査で町内を回った担当者たち10人が夕方、集まった。一人が「地震が原因なのか、老朽化が原因なのかわからない物件もある」。リーダーの町職員島田誠也さん(44)は、住民と面識のない他の自治体からの応援職員の方が冷静に受け止めてもらえるかもと考え、宮城県の職員に頭を下げた。「(東日本大震災で)慣れていますから」と快諾してくれた。

 罹災証明書の交付を進めるため、町は5月にマネジメントチームをつくり、島田さんをリーダーにした。

 連日、応援の自治体職員三十数人を含む50〜60人が、現地調査やパソコンへの入力、証明書の交付に当たる。家路につくのは午前2〜3時ごろという日々が続いた。丸1日休んだのは2カ月間で1日だけ。避難所の運営にあたった4月は、廊下に横になる程度。体調は崩してはいないが「気が張っていて自覚がないのかも」とも思う。

 罹災証明書の2次調査の申請も相次ぐ。「部下を休ませたいが、終わりが見通せません」。20日、チームの仕事から本来の業務に戻った。この間、家財道具が散乱した家や小中学生の娘のことは、共働きの妻に任せていた。「この状態、いつまで続くんだろう」。妻がつぶやいた。

 総務課長の吉本敏治さん(57)は「職員は『被災した住民のためにも休んではいられない』と思って仕事をしている。応援に来てくれている他の自治体職員への負い目もある。倒れてはいけないので、上司として目配りを心がけている」。自身も休んでいない。(原口晋也)

■休養やケアは重要 専門家訴える

 東日本大震災などで自治体職員の心的外傷後ストレス障害の治療に当たった熊本市の仁木啓介医師は「自分も被災者なのに公務に追われ、心のケアができない。継続的な復旧・復興活動に影を落とす可能性がある」と支援の大切さを強調する。

 眠れない、いらいらする、警戒心が強くなる。これらは正常なストレス反応で、通常は時間とともに落ち着くという。しかし多忙な状態が続く職員は、人事担当者や首長が目を配る必要があると指摘。「必要な睡眠や休息を取ることが大切。全国の自治体の支援を受けられる間は職員を休ませるタイミングでもある」
 

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