高橋まつりさんの母・幸美さんが配布した文書(全文)

朝日DIGITAL 2017年1月21日
http://digital.asahi.com/articles/ASK1N6Q7KK1NULFA03P.html

本日、合意しましたが、娘は二度と生きて帰ってこないし、抱きしめることはできません。

娘が死ぬほど辛かった、死の原因となった連続の深夜残業・休日出勤。これらの業務が私的情報収集・自己啓発などの名目で業務として認められていなかったこと。

このことが原因で、娘の残業申告時間は月70時間に収まっていました。

そのため、娘は産業医との面談も受診もしていませんでした。

これらが業務として認められていたら、残業時間を正確に申告することが許されていたら、娘はどこかで誰かに救われていたかもしれません。

娘は死なずにすんだかもしれません。

「ハラスメントや長時間勤務に関する相談が本人からなかった。」といわれていますが、彼女のメールには、くり返し「会社に行くのが恐い。」「上司が恐い」「先輩が恐い」「相談したことがわかったら恐い」とありました。

電通における社風「体育会系レベルではない異常な上下関係」「年次の壁は海より深い」と娘が言っていた社風であるのに、新入社員が相談できる相手は年のごく近い先輩だけしかいなかったのです。

人事に相談しても有効ではなかった。

12月には特別条項まで出されていました。

11月に勇気を出して、人事や上司に相談していたのに、誰も娘を助けてくれなかったのです。

娘が生きていたら、誰かが娘を助けてくれていたら、娘は今でも電通のために働いていたでしょう。

娘の希望どおりに英語や中国語を活かして仕事をしていたかもしれません。

そして、娘の描いていた夢のとおり、将来は母と弟を招いてハワイで結婚式を挙げ、子どもを産み、母を東京に呼んで一緒に住んでいたかもしれません。私は、娘と一緒に孫を育てていたでしょう。

日本の発展に貢献するために教育を受けてきた娘は、それを実現することができたでしょう。

私は今でも娘を抱きしめることができたでしょう。

みなさんは、このことをしっかりと心に刻んで下さい。

彼女の配属希望では、デジタル部門は7部門中一番希望しない7番目でしたが、娘は電通の仲間として迎えられたことを誇りに思っていました。

世間では、彼女は電通に入社しなければよかったのにと言われています。

こう言われていることを返上できるよう、ひとり残らずすべての社員が幸せにいられる会社に変えてください。
 

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