「過労死のある社会、恥ずかしい」亡き息子の思いつなぐ

 深夜勤務後のバイク事故で息子の渡辺航太さん(当時24)を亡くした母、淳子さんが8日、都内で記者会見を開いた。発言の要旨は次の通り。
「過労事故死」で遺族と会社和解 裁判長が異例の言及

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 2015年6月11日、第一回期日に陳述を行うために、横浜地裁川崎支部101号法廷に私は立ちました。息子を失った喪失感と、自分が生きながらえていることへの罪悪感でいっぱいでした。しかし、なんとか心を整え、陳述書を読み上げることができました。その時、橋本裁判長は「命の重みに向き合い、真摯(しんし)に審理します」とおっしゃって下さいました。それから約2年10カ月、(私は)息子の真実を伝え続けて参りました。そして本日、(裁判長に)その時の約束を守っていただき、真摯(しんし)に審理された結果が画期的な和解解決となりましたことを、皆さまにご報告いたします。
 息子は成人して24歳になっていました。母親として精いっぱいの教育をしてきました。社会に出て、どのような活躍をするのだろうか。(航太は)夢であり、希望でした。それが一瞬のうちに絶望に変わることは予想しておりませんでした。生きること全てが奇跡であり、それを喜び、楽しむことをモットーとしている息子でした。
 私の息子は13年10月、希望を膨らませ、グリーンディスプレイ社にアルバイトとして入社して働き始めました。年末は繁忙期ということでしたが、年が明けても働き方に大きな変化はありませんでした。しかし、正社員になりたいとの思いから、迷いながらも頑張っていたと思います。3月半ばにやっと正社員になれました。目的が一つかなったことはうれしいが、この働き方を続けるべきかを考え直そうとしていた様子でした。だが、現実は忙しい毎日をこなすだけで精いっぱいでした。時間外労働が80時間を超える長時間で不規則な労働、睡眠不足の中で疲労を蓄積させていきました。公共交通機関が利用できない時間帯の通勤があるため、原付きバイクの利用を指示・容認されていたことが原因で、14年4月24日、前日から20時間以上の長時間労働から、早朝の帰宅途中に原付きバイクでの事故に至り、命を落としました。息子は社会に出たばかりの新入社員でした。慣れない日々をこなすことだけで、働き方を考え直す時間さえも与えられないまま、命を落としてしまいました。無念だったと思います。愛する息子がなぜ命を落とさなくてはならなかったのか、理由を知りたいと思い、15年4月24日、亡き航太の命日にグリーンディスプレイを提訴することにいたしました。
 中小企業でも大企業でも、労働者の命を預かり、雇用する責任に全く変わりはないと思います。長時間で不規則な働かせ方は身体に大きなダメージを与えます。新入社員であることの緊張感や、慣れない仕事に取り組むことは、精神的にも肉体的にも大きな負担がかかります。それが原因で息子の人生が断たれてしまったことに、言葉にならないほどの残酷さ、無念さが残ります。
 この裁判において、帰宅途中の事故であってもグリーンディスプレイの責任を明らかにしていただきました。これは私の悲願でした。事故の原因が過労によるものであり、適切な対応がなされなかったことに対して、安全配慮義務違反を認めさせ、前例になったことに大きな意味があると考えています。今後の過労死問題において、「過労事故死」が公になることで、大きな影響があると考えています。息子の無念な気持ちをくんで、「過労事故死」についても各企業が十分な予防対策を講じることを期待しています。
 グリーンディスプレイは、安全配慮義務違反で入社したばかりの青年が命を落とした事実を認め、謝罪、再発防止を実行して信頼回復を目指し、あらゆる企業の模範になるよう、心から願っております。息子は、仕事の内容は大変気に入っていました。誠実に取り組んでいたことは会社内外の方々、上司・同僚からも多く聞かれました。息子も(再発防止策の実行を)心から期待するものと思っています。
 和解協議の折に裁判長から「(淳子さんの)陳述書において、『亡き航太が社会貢献の意欲があった』と示されている。過労事故死について、再発防止への社会貢献をお母さんが代わって行うことで、亡き航太の思いをつなげることになるのではないか」との提案がなされました。私はその意味を深く考え、受けとめることにいたしました。
 私は過労死のある日本社会を恥ずかしく思います。私たちは働くために生きているのではなく、生きるために働いています。自由で幸せな生活を求めて働いています。そのためには、まずなによりも命を守ることが大前提です。過重労働などが原因で健康を損ない、ケガをすることがあってはなりません。人間の能力は、人が思うより繊細であり、万能でもありません。そして、必ずしも自分の状態を正確に自覚できるものでもありません。そばにいる家族や友人がすべてを把握できるものでもありません。人間の限界を試すような働き方で、生産性を上げていくという考え方は間違っています。人間の能力に合った働き方を、早急に立法、司法、行政、国民全体で全力をあげて考え直し、過労死のない社会を築いていただきたいと心から願っています。それを実現することが亡き息子から私たちに望む、「未来への責任」だと考えております。
 ちょうど4年前の2月にも東京に大雪が降りました。我が家のある八王子ではひざの丈まで雪が積もっており、私一人では当然歩けるものではありませんでした。雪かきをする時間もなく、普通であれば10分で行ける駅まで、途方に暮れるほど遠く感じました。大柄の航太は私の前をざっくざっくと歩き、その足跡にちょうどブーツをはくような要領で、一歩ずつ私も前進していったのを思い出します。時々ふり返り、「がんばって」と声をかけてくれます。何倍もの時間がかかりましたが、おかげで駅にたどり着くことができました。その2カ月後には息子はいなくなってしまいました。雪が降るたびに、たくましく優しい息子を思い出します。
 これから、私の人生が終わる時まで、航太とともに励まし合いながら雪道を歩いていた時のように、少しずつ前進していきたいと思っております。

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