特集 徴用工判決 前・中・後編:元徴用工とは? (2019/1/13)

特集 徴用工判決 前編:元徴用工とは?
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2019.1.13 Peace Research/平和研究

「特集 徴用工判決 前編:元徴用工とは?」

2018年12月20日に明治学院大学国際学部国際学科の阿部浩己先生と明治学院大学教養教育センターの鄭栄桓先生をお招きし、徴用工問題に関する座談会を開催しました。

経緯:2018年10月30日、韓国の最高裁にあたる大法院は新日本製鉄(現新日鉄住金)に対し韓国人の元徴用工ら4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。徴用工訴訟において大法院で結審したのは初めて。日本の徴用工への補償について、韓国政府は1965年の日韓請求権協定で「解決済み」としてきたが、大法院は日韓請求権協定で個人の請求権は消滅していないとしたため、日本政府は日韓関係の「法的基盤を根本から覆すもの」だとして強く反発した。安倍晋三首相は「本件は1965年(昭和40年)の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。今回の判決は国際法に照らしてあり得ない判断だ。日本政府としては毅然と対応する」と強調した。

▽「元徴用工」というのは元々どういった人たちだったのか?

鄭:今回の徴用工裁判に対する安倍首相のコメントの中に、政府としては「徴用工」としての表現ではなく、「旧朝鮮半島出身の労働者」として認識し、4人はいずれも募集に応じたものだという表現があります。この発言には原告は「徴用工ではない」という含意があるわけです。しかし、この指摘はいくつかの点で誤っています。

まず、徴用制度とは日中戦争(1937年)からアジア・太平洋戦争にかけて動員された戦時労働力動員政策の1つです。日本政府は戦争を成功させるための総動員政策を行い、ヒト・モノ・カネの動員を行っていき、その中の「ヒトの動員」にあたるのが労働力動員になります。日本人も含めて労働力動員を強いることになったのですが、1939年に国民徴用令という勅令が制定され、この国民徴用令や関連の法令によって強制的に集められた人々を「徴用工」や「被徴用労働者」と呼んでいます。敗戦当時の被徴用労働者の数は610万人(日本人を含めて)いたと言われています。

人間は労働に従事する前に労働環境を選ぶ自由が保証されるべきなのですが、当時の日本政府としては戦争に役立つための産業に労働者を集中させたく、そのためには制度を敷かなければヒト・モノ・カネが政府の狙い通りの産業に供給できません。政府は法的強制力を働かせることで軍需産業に労働力を供給させ、徴用を拒否した場合は刑事罰を課せられました。

先ほど言及した、安倍首相の「徴用工」ではないという発言に関してですが、原告の元労働者たちは、募集や官斡旋という方式に基づいて新日鉄釜石製鉄所等の事業所で働くことになりました。その動員は1944年の朝鮮半島での国民徴用令(徴用方式採用)の適用よりも前にあたります。なので、自分が主体的に働きに行ったのであって、徴用工ではない、と安倍首相は言いたいのだと思います。しかし、朝日新聞で朝鮮人強制連行の研究者である竹内康人さん(2018年11月23日付・朝刊)が指摘されておりますが、日本政府は軍需会社法という法律を1943年10月に施行します。これによりいくつかの会社が軍需会社として指定されます。原告が訴えた日本製鉄(現・新日鉄住金)も軍需会社となり、以後日鉄で働く者は軍需会社徴用規則のいう軍需被徴用者となるのです。よって原告たちを「徴用工」であると表現するのは誤りではありません。

ちなみに、徴用制度には「現員徴用」と「新規徴用」の二つがあり、前者はすでに働いている者に対し「以後あなたたちを徴用として扱います」として定めることで、労働者が職場を離れることを防いだ制度です。私たちが「徴用」と聞くと最初はどこからか連れてきて労働させる「新規徴用」だけを想像しますが、すでに働いている労働者を現場に釘付けにさせられた現員徴用は日本人含めおよそ455万人いたと言われていて、先の原告らはこの現員徴用に該当します。ですので、当時の法制度上から見ても徴用工と言えるのです。それにもかかわらず安倍首相のような発言がされるというのは、当時の法制度への無理解があると感じざるを得ません。

▽朝鮮半島からの労働力動員の様子はどういったものだったのか

鄭:日本人を対象とする労働力動員と、朝鮮人に対するそれには違いがあります。1930年代になると日本は「(偽)満州国」という傀儡国家を作り、さらに朝鮮北部における工業化を推し進めます。その際に日本は朝鮮の南部にいる農民を、「労働者移動紹介事業」等を通して北部へと送り出そうとします。1937年からは土木労働者を確保するため「官斡旋」方式による朝鮮半島内での労働力動員が開始します。自らの住む「道」(日本の都道府県にあたる)から別の「道」へ動員されるので、「道外動員」といいます。さらに39年からは「満州国」への国策農業移民がはじまり、道外動員も本格化します。

内地への朝鮮人労働者の動員を求める声はおもに石炭業界を中心に、1937年ごろからはじまるのですが、本格的にはじまるのはこちらも1939年のことです。第一段階は「募集」方式による動員です。政府は7月に「昭和14年度労務動員実施計画綱領」を閣議決定し、毎年計画的に朝鮮人の成年男子を集団的に石炭山、金属山、土木建築、工場その他の四分野へ送り出すことになりました。計画では各事業所に必要人員数が割り当てられ、割り当てられた事業主は総督府が指定した地域で労働者を「募集」することになりました。しかし「募集」だけで人数が集まらなくなると、第二段階として、1942年には「官斡旋」方式がはじまりました。これは朝鮮の道外動員で実施された方式を基礎とするもので、朝鮮総督府の朝鮮労務協会が、労働者を集め、軍隊式の訓練を行なったうえで隊組織を組み内地の事業所へ送り出します。行政的強制力による動員といえます。

これらは一見、自発的な応募のようにみえますが、実態は暴力的な連行が横行していたようです。当時の内務省嘱託であった小暮泰用は「出動は全く拉致同様な状態である。其れは、若し事前に於て之を知らせば、皆逃亡するからである。そこで、夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて、人質的掠奪拉致の事例が多くなるのである。」(1944年7月31日付、内務省管理局長あて『復命書』)と記録しています。

さらに、これでも足りないとなり、第三段階の「徴用」方式が1944年から開始します。朝鮮在住者に国民徴用令を適用し、強権的に労働力を徴発することになりました。この結果、およそ1939年から1944年までの朝鮮から日本への総動員数は約72万人となったと言われています。炭鉱がもっとも多く、当時の炭鉱の朝鮮人労働力への依存度は平均して30%以上であったと指摘されています。ほかにも志願兵や徴兵、軍属としての軍事動員や勤労報国隊、女子勤労挺身隊としての労働動員などが行われました。

次の問題は、これらの朝鮮人に対し、日本は敗戦後にどのような補償を行なったか、行わなかったか、です。例えば未払い賃金(労働者が逃げ出さないために行われた強制貯金)の問題に関して言えば、日本敗戦直後から労働者や朝鮮人団体による争議が起こりました。例えば、1945年から46年にかけて日鉄釜石製鉄所――「徴用工」裁判の被告となっている企業です――に対して、当時の在日本朝鮮人連盟岩手県本部が未払い賃金の請求を行いました。日鉄側は一時は解決金を払おうとして妥結直前まで行くのですが、厚生省が朝鮮人連盟は交渉相手として認めるべきではないとし干渉し、むしろ残っている未払い賃金を企業に供託させました。その後、問題は日韓の外交交渉へと移ります。1951年9月のサンフランシスコ講和条約調印を受けて、日韓会談が1951年から1965年まで行われました。1961年の段階で一般請求権小委員会というのが日韓間で設けられ、韓国側が被徴用者への未収金・未払い賃金の支払いを日本側に要求しました。しかし、日本側は労働者名簿等の資料がないため、未払い賃金の額や対象がわからないと主張しました。結局、最終的には問題がうやむやになったまま、日韓請求権協定(1965)をもって解決したということにしたのです。

1990年代の戦後補償裁判の中で明らかになっているのですが、実際には資料がなかったわけではないのです。地方の法務局等には企業が供託した資料が残っていて、資料を確認すると名前だけでなく本籍地までもわかるはずなのです。2000年以降は日韓会談でどのような議論がされていたのか、官民連携の委員会による文書公開を通じてかなり克明に明らかになり、その文書は韓国の司法が日韓会談で自国民の人権を守っていないのではないかと判断していく一種の資料的根拠になっていきます。

つまり、日韓会談では請求権に関する議論はあったのだが、正面から解決されることなく、1965年に日韓請求権協定が結ばれ、最終的に解決されたことになってしまったということなのです。

阿部:先ほど鄭さんから安倍首相の発言に関して言及がありましたが、今の日本政府はダブルスピーク(二重話法)を国民・市民向けに重ねているように思えます。例えば、辺野古基地建設に関しても、「沖縄の人たちに寄り添う」と言いながら実際には強引に埋め立てを始めてしまうといった具合で、事実を覆い隠す言葉を用いて人々の認識を操作するやり方が繰り返されているのです。他方で、The Japan Timesという新聞は、これまで徴用工に関して “forced labor”という表現をしていましたが、最近はそれを首相の意向を忖度してか “wartime labourer”という表現に切り替えました。「強制性」を薄める表現を用いるようになったということです。日本軍「慰安婦」に関しても “sexual slavery”という表現をやめて、「日本兵にセックスを提供するため戦時売春宿で働いていた女性たち(意に反してそうした者を含む。)」と再定義しています。Japan Timesは一面に“All the news without fear or favor”という方針を掲げてきましたが、withoutをwithに変更すべきでしょうね。人々の認識操作に報道機関が積極的に加担するようなっている様子からも、今の日本社会がどのような時代に入っているのがうかがい知れます。

河野外務大臣や安倍首相、菅官房長官が徴用工判決を国際法上ありえない判決であると主張するのもダブルスピークであると考えています。報道機関もまた酷いですね。「日韓関係に打撃だ」や「韓国の司法判断に政治的影響が出てきている」といった報道を通じて対立を煽っていますが、日本の外務大臣も報道機関も本当に韓国の司法判断がおかしいものなのかというのを検証していないのです。むしろ首相や外相、官房長官の発言こそがあり得ないと言わざるを得ないところがあることを、私たちはきちんと知っておくべきです。

〇阿部 浩己(あべ こうき)国際学科教授

国際法,国際人権・難民法

早稲田大学法学部卒、同大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(法学)。米バージニア大学法科大学院修了。富山国際大学人文学部,神奈川大学法学部・法科大学院を経て,2018年に明治学院大学国際学科に着任。現在,法務省難民審査参与員および川崎市人権施策推進協議会ヘイトスピーチ部会長。

主な著書に『国際法を物語るI』『国際法の暴力を超えて』『国際法の人権化』『無国籍の情景』『国際人権法を地域社会に生かす』『国際社会における人権』『国際人権の地平』『人権の国際化』『抗う思想/平和を創る力』『戦争の克服』(共著)『テキストブック国際人権法』(共著)などがある。

□特集 徴用工判決 中編:韓国の司法判断は異常か?〜個人の請求権と誰が為の国際法〜

2019.1.13 Peace Research/平和研究

「特集 徴用工判決 中編:韓国の司法判断は異常か?〜個人の請求権と誰が為の国際法〜」

2018年12月20日に明治学院大学国際学部国際学科の阿部浩己先生と明治学院大学教養教育センターの鄭栄桓先生をお招きし、徴用工問題に関する座談会を開催しました。

▽日本政府の3枚舌と個人の請求権

阿部:日本が「国際法上あり得ない」と言及しているのは、(鄭さんが先にまとめたように)韓国の元徴用工らが動員政策を通じて過酷な労働を強いられたことに対して損害賠償を企業に求め、そしてその訴えを裁判所が認容し、賠償を命じることに対してです。

実は、第二次世界大戦期に損害を被った人たちの中には日本人も多くいます。しかし、日本政府がサンフランシスコ平和条約で戦争中に生じた損害についての請求権を放棄したので、被害者の請求権はなくなってしまったと思った日本の人たちは、損害を与えた相手国を訴えられなくなったのだから、代わって、本国である日本を訴えることにしました。例えば、カナダで財産を取り上げられてしまった人がカナダを訴えられなくなったのだから、代わって日本政府に補償してもらう、あるいは、原爆の被害者がアメリカを訴えられなくなったのだから、代わって日本政府に補償してもらう、という具合です。それに対して日本政府は「サンフランシスコ平和条約によってなくなったのは国家の請求権であり、個人が損害賠償を請求する権利は残っている。したがって、外国政府を直接訴えることができるのだから、日本が訴えられるいわれはない。個人の請求権はサンフランシスコ平和条約によっても放棄されていない」と言ってきました。

その主張がブーメランのように日本政府に返ってきたのが1990年代です。アジアの戦争被害者たちが半世紀近くの沈黙を破り、日本政府や日本企業に対して訴えを起こしたのです。こうして、多くの戦後補償裁判が行われることになりました。日本政府としては、個人の請求権は放棄されているのでそもそも訴えを起こすことはできない、と主張したかったのでしょうが、日本人に対してサンフランシスコ平和条約で放棄されたのは国家の請求権のみであり、個人の請求権は残っていると主張してきたために,さすがにそれは言えませんでした。

ところが1999年に、アメリカのカリフォルニア州において、強制労働の被害者たちが企業を訴えることを認める内容の法律ができ(「戦時強制労働補償請求時効延長法」別名:ヘイデン法)、ドイツの企業に加えて,日本企業も訴えられることになりました。その裁判において、日本政府はアメリカ政府と立場を同じくして、「サンフランシスコ平和条約により個人の請求権は放棄されている」とカリフォルニア州の裁判所に意見書を出したのです。そのため、日本国内では個人の請求権が残っていると言い、アメリカでは個人の請求権はないと主張するといった矛盾が生じてしまいました。その矛盾を打開するために、新たな主張が日本でもなされるようになりました。それは、「請求権の放棄とは,請求に応ずる法律上の義務が消滅したものとして、これを拒絶できることを意味する」というややこしい内容のものです。「個人の請求権はなくなっていないが、政府としてはこれに応ずる義務はない」というわけです。「救済なき権利」ということであり、こうした理屈を作り出して辻褄合わせをしたのです。日本の下級審はそれでも個人の請求権の存在を認めてきたのですが、最高裁判所は2007年に日本政府に寄り添う形で(しかし、微妙に異なる形で、)サンフランシスコ平和条約により放棄された個人の請求権とは救済を求めて裁判に訴える権利を意味する、として、被害者が裁判に訴える法的回路を実質的に閉ざしてしまいました。しかし最高裁の理屈は、あくまで裁判では請求できないといっているだけであり、裁判外で損害賠償を求める権利はなくなっていない、というものでした。

日本政府は国民に対して個人の請求権は残っていると主張し続け、21世紀に入ると個人の請求権は残っているが、応ずる義務がないと主張を変更したわけです。しかし、少なくとも21世紀に入るまでは、韓国の裁判所が言う通り日本政府もまた個人の請求権の存在を認めていたのです。もし、韓国の司法判断が誤りであるというのであれば、日本政府もまたその「あり得ない」主張を長年にわたってしてきたことの誤りを認めてしかるべきでしょう。なにより、日本の最高裁も個人の請求権がなくなってしまったとは言っていないのです。安倍政権は日本政府が自ら長期間にわたって行ってきた主張を全く省みず、また、マスコミも日本政府が日本の裁判所でどのような主張をしてきたのかを社会に知らせようとしません。最高裁の判断を改めて伝える報道もしてくれません。これでは、安倍政権の広報機関そのものにも等しいのではないでしょうか。

日本と韓国の裁判所の判断において、一致している所と一致していない部分があると考えます。しかし、行政府のレベルでは対立しているように見えます。だからこそ、日本政府は過剰なほどの対応を見せているのでしょう。ただ、きちんと理解しておくべきことに、韓国の司法判断の基本には、1965年の日韓請求権協定は日本による植民地支配に直結する問題を扱っていないという認識があります。日本政府も実はこの点では同じ認識なのです。だとすれば、植民地支配に起因して生じる損害賠償問題について日韓請求権協定で処理済みとすることは,両国政府の共通認識として当初から現在に至るまで、そもそもあり得ないということになるのではないかと私は考えます。そして、徴用工の処遇がそのような問題として定式化されるのであれば、まさに韓国大法院のいうように、そもそも請求権協定の対象外なのだから、個人の請求権はもとより、国家の請求権も放棄されていないということにもなるのではないでしょうか。

〇阿部 浩己(あべ こうき)国際学科教授

国際法,国際人権・難民法

早稲田大学法学部卒、同大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(法学)。米バージニア大学法科大学院修了。富山国際大学人文学部,神奈川大学法学部・法科大学院を経て,2018年に明治学院大学国際学科に着任。現在,法務省難民審査参与員および川崎市人権施策推進協議会ヘイトスピーチ部会長。

主な著書に『国際法を物語るI』『国際法の暴力を超えて』『国際法の人権化』『無国籍の情景』『国際人権法を地域社会に生かす』『国際社会における人権』『国際人権の地平』『人権の国際化』『抗う思想/平和を創る力』『戦争の克服』(共著)『テキストブック国際人権法』(共著)などがある。

〇鄭 栄桓(チョン ヨンファン)明治学院大学教養教育センター准教授

朝鮮近現代史、在日朝鮮人史

日本生まれ。明治学院大学法学部卒。一橋大学社会学研究科博士課程修了(社会学博士、2010年3月)。青山学院大学非常勤講師、立命館大学コリア研究センター専任研究員を経て現職。

著書に『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局)、『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)、論文には「対馬在留朝鮮人の「解放五年史」:在日本朝鮮人連盟対馬島本部を中心に」などがある。

□特集 徴用工判決 後編:今後の日韓関係

2019.1.13 Peace Research/平和研究

「特集 徴用工判決 後編:今後の日韓関係」

2018年12月20日に明治学院大学国際学部国際学科の阿部浩己先生と明治学院大学教養教育センターの鄭栄桓先生をお招きし、徴用工問題に関する座談会を開催しました。

▽今後の望まれる日本政府の対応とはどういったものか

阿部:日本の司法判断は非常に保守的で、行政エリートと同じメンタリティに支配される傾向が強い。個人よりも既存の国家秩序を大切にするという世界観です。国際法学は国家権力に寄り添う形で発展してきた側面があるため、個人ではなく国家の利益を重視する観点から、個人の請求権が全て消滅していると認識している研究者が多くいても、私としては特段驚くものではありません。しかし、現代の国際法は国際法学者や司法・行政エリートのみが担っているわけではなく、今や一般市民やNGOが国際法の重要な担い手になっています。その中で、国連の人権保障システムも進化を遂げ,人間の利益に沿って法を解釈するべきだという潮流が非常に強くなっています。国家ではなく人間中心の国際法の台頭です。

今後の日韓関係を考える際にはこういった新しい潮流を踏まえていくべきであると考えます。歴史的不正義を是正するために過去から未来に向けて正義の射程を伸ばしていく考え方(阿部先生はこれを”Trans-temporal Justice”と呼ぶ)が国際法に入ってきています。また、国際人権法の深まりに伴い、Victim Centered Approach(被害者中心のアプローチ)の考えのもとで現代の国際法は再解釈される必要もあるのですが、こうした考えに基づくと、(鄭さんも言及していましたが、)戦争犯罪や過去の重大な不正義の問題は、これまでのように過去の問題として放置しておけばよいというわけには到底いかなくなります。「慰安婦」や徴用工の問題に対して、国家ではなく人間の利益を実現する方向で日韓請求権協定を解釈していくことこそが21世紀の国際法的潮流に合致する日韓関係のあり方なのではないでしょうか。国家の利益を実現するのではなく、人間の利益を実現するために外交をどうするべきかという考えに転換していかなければ、持続可能な国家間関係、あるいは国際社会にふさわしい日韓関係を築くことはできないのです。

先ほど鄭さんが21世紀に入ってから韓国において情報公開が進んだと仰っていましたが、官民共同の委員会ができたのも委員会の存在が重要だと国民が認識し始めたからです。慰安婦も含め韓国の多くの若者たちは正義を求めて声を上げているわけです。

また、韓国の若い裁判官たちは国連の場に足を運び、国際的な交流に積極的に参加し、国際社会から自分たちがどう評価されているかをとてもよく聞いています。だからこそ、世界的潮流を司法判断に活かすことができるのです。一方で、日本の裁判官はそういったことを全く行わず非常に閉ざされています。

そういった意味では運動の力、また世界に自らを開いていくことの弱さが韓国の司法判断と日本の司法判断または行政府の違いに反映されているように思えますね。

鄭:先ほど阿部さんが報道の問題を仰っていましたが、私も同感です。最近の徴用工判決以降の報道は「日韓関係の火種が増えていく」といった表現がよく使われます。例えば2018年10月31日付けの朝日新聞の見出しには「徴用工 日韓 また火種。解決済みまたひっくり返す」と書かれています。そもそも、ほとんどの報道機関が、原告がどういった人たちなのか、どんな被害を訴えているのかを詳しく報道していません。被害者の視点がまったく欠落していて、徴用工を日韓の政府間の外交問題としてのみ報じています。最近になって違った報道もありますが、多くの国民がその認識を植えつけられるという点で判決後最初の報道というのは非常に重要なのです。

今回の新日鉄住金を相手にした裁判も元々は日本で裁判が始まり、敗訴後に韓国で裁判をして、原告は亡くなっています。最初の釜石製鉄所の裁判(釜石裁判)が行われたのは1995年で、新日鉄の大阪製鉄所の裁判は1997年なのでもう20年経っているわけです。戦後半世紀経って起こった訴訟が20年の月日を要して韓国の裁判所が下した判断に対して「なぜそのような判断を韓国の司法が下したのか。原告はどんな人物なのか」を批判する前に立ち止まって考えなければいけませんし、(阿部さんが仰ったような)不正義がなぜ長らく裁かれず、補償されて来なかったのかを考え、戦後史を自らが見直すことが必要になってきます。

また、日本はこの慰安婦問題や朝鮮人強制連行といった問題に向き合うことを通じて、大日本帝国という存在を「相対化」し、縁を切らなければいけないと考えます。大日本帝国がおこなった植民地支配あるいは戦時強制連行、慰安婦問題を、戦後の日本は向き合おうとせず、むしろ現在でも多くの市民たちは自らと戦前の国家を同一化する思考から逃れられていません。多くの人は大日本帝国時代のかつての蛮行を韓国から批判されると自分が韓国から批判されていると感じる。あたりまえのように国家、しかも戦前の国家と自らを同一化させるのは、非常に異様で恐ろしいことです。むしろ、大日本帝国の戦争責任と植民地支配責任、そして戦後の日本が果たさなかった戦後責任を、日本国家の構成員たちが、果たしていくというのが重要なのではないでしょうか。

推奨文献

・吉澤文寿『日韓会談1965』高文研

・山田昭次、古庄正、樋口雄一『朝鮮人戦時労働動員』岩波書店

〇阿部 浩己(あべ こうき)国際学科教授

国際法,国際人権・難民法

早稲田大学法学部卒、同大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(法学)。米バージニア大学法科大学院修了。富山国際大学人文学部,神奈川大学法学部・法科大学院を経て,2018年に明治学院大学国際学科に着任。現在,法務省難民審査参与員および川崎市人権施策推進協議会ヘイトスピーチ部会長。

主な著書に『国際法を物語るI』『国際法の暴力を超えて』『国際法の人権化』『無国籍の情景』『国際人権法を地域社会に生かす』『国際社会における人権』『国際人権の地平』『人権の国際化』『抗う思想/平和を創る力』『戦争の克服』(共著)『テキストブック国際人権法』(共著)などがある。

〇鄭 栄桓(チョン ヨンファン)明治学院大学教養教育センター准教授

朝鮮近現代史、在日朝鮮人史

日本生まれ。明治学院大学法学部卒。一橋大学社会学研究科博士課程修了(社会学博士、2010年3月)。青山学院大学非常勤講師、立命館大学コリア研究センター専任研究員を経て現職。

著書に『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局)、『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)、論文には「対馬在留朝鮮人の「解放五年史」:在日本朝鮮人連盟対馬島本部を中心に」などがある。

〇鄭 栄桓(チョン ヨンファン)明治学院大学教養教育センター准教授

朝鮮近現代史、在日朝鮮人史

日本生まれ。明治学院大学法学部卒。一橋大学社会学研究科博士課程修了(社会学博士、2010年3月)。青山学院大学非常勤講師、立命館大学コリア研究センター専任研究員を経て現職。

著書に『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局)、『忘却のための「和解」 『帝国の慰安婦』と日本の責任』(世織書房)、論文には「対馬在留朝鮮人の「解放五年史」:在日本朝鮮人連盟対馬島本部を中心に」などがある。
 

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