求職の努力「認めて」 生活保護5度却下、第1回弁論へ 大阪地裁

2010/02/04 朝日新聞 朝刊
求職の努力「認めて」 生活保護5度却下、第1回弁論へ 大阪地裁

失業中に相談に行った役所から「求職活動が十分でない」と判断されて、生活保護を受けられなかった夫婦が、却下の取り消しなどを求めた裁判の第1回口頭弁論が9日に大阪地裁である。争点は、「働く努力」をしたといえるかどうか。夫婦は当時、基本的な衣食住さえままならない不安定な生活を強いられていた。その訴えからは、仕事に就きたくても前に進めなかった窮状が垣間見える。(永田豊隆)

訴えているのは大阪府岸和田市の男性(37)。2008年3月、妻(44)の母親の世話をするため夫婦で移り住んだ。それまで住んでいた街には、電機メーカーの大きな工場があり、派遣の仕事で何とか生活できた。だが、岸和田ではなかなか職に就けなかった。

倉庫、スーパー、リフト作業……。ハローワークの求人情報やチラシを頼りにさまざまな職種に応募したものの、夫は中学卒で運転免許がなかったこと、妻はひざに持病を抱えていたことがネックに。多くは電話で断られた。3月からの3カ月間で面接にたどり着けたのは、2人合わせて20社前後。7万円あった貯金はほとんど底をつき、家賃を払えなくなった。ホームレスになる一歩手前で友人の援助を受けて引っ越した。地域の人が分けてくれた米や野菜で空腹をまぎらわした。

その間、市に生活保護を5度申請したが、すべて却下された。理由はいずれも「働く能力の不活用」。働けるのに働く努力をしていない、という意味だ。府に審査請求(不服申し立て)をしたところ、市は「もっと多くの面接を受けられたはず」との弁明書を提出。府は「3日に1日ほどの求職活動であり、真摯(しんし)に行っているとまではみることはできない」と棄却した。

ハローワーク岸和田管内の有効求人倍率は、08年度の平均で0・5倍。1倍を超えていた大阪市内での仕事も探すよう市職員から促された。しかし、往復約千円の電車代すら工面できず、活動は自転車で行ける範囲に限られた。「求人が少ない地元だけでは、3日に1日以上動くのは無理だった」

09年春までに2人ともパートの仕事が見つかった。市から就労努力を認められ、賃金で足りない生活費を補う形で、夏に生活保護が認められた。同年11月、「自分のような目にあっている人のためにも」と08年7月の却下決定の取り消しなどを求めて提訴した。市と府は朝日新聞の取材に対し、「主張は訴訟で行うため、コメントできない」としている。

■「程度」見極め、現場では困難 働く能力・意思・場、判断の基準
生活保護制度は、資産や「働く能力」をすべて活用するという前提で成り立っている。このうち能力を活用しているか否かが、行政と申請者との間で争いになるケースは珍しくない。だが、全国生活保護裁判連絡会(事務局・京都市)によると、過去に裁判になった例は、野宿中の労働者(当時56)が却下決定の取り消しを求めた訴訟(1994年に名古屋地裁に提訴、2001年に最高裁で原告敗訴が確定)のみ。このときの判決で、仕事に就いていないというだけでの却下は許されず、(1)働く能力(2)それを活用する意思(3)活用できる場(職)――それぞれの有無によって総合的に判断するという基準が定着した。

例えば、若くて健康(〈1〉)で就職に向け努力している(〈2〉)にもかかわらず、どうしても仕事が見つからない(〈3〉)場合は「働く能力を活用している」ととらえる考え方だ。

だが、(2)や(3)を十分に考慮せず、働いていないという結果だけをみて申請を却下する自治体が後を絶たない。吉永純・花園大教授(公的扶助論)が96年度以降に出された全国の審査請求結果を分析したところ、保護申請を却下されたり、保護を打ち切られたりした241件のうち、4分の1を超える63件が違法と判断された。

失業者らが援助を受ける際、「彼らの努力が足りない」「甘えている」といった非難は少なからずある。一昨年末の「年越し派遣村」では、「まじめに働こうとしている人たちなのか」と当時の総務政務官が発言。今冬、東京都が実施した「公設派遣村」でも、一部メディアは「ただカネをばらまくのは、怠け者を増やすだけ」と批判した。

だが、訴訟で確定した3要件があっても、実際に福祉現場で努力の程度を見極めるのは難しい。関西のある福祉事務所の職員は「『努力の程度』は職員の主観でいくらでも上下する。困窮しているという事実にきちんと目を向け、保護開始後に就労を指導するのが本来のあり方だ」と指摘する。

非正社員が増えた現在では、職と同時に、就職活動の前提となる住まいや貯金などの生活基盤も失う人が多く、生活保護しか使える制度がないことが多いのも事実だ。「履歴書にはる写真代もないのに、どうやれば『真摯(しんし)な就職活動』と認めてもらえるのか」。原告の夫は、今も疑問を引きずっている。

○生存保障の原点に立ちかえれ
不安定さを強いられる人々(プレカリアート)の取材を続ける作家雨宮処凛(かりん)さん=写真=の話 岸和田の夫婦のようなプレカリアートは、その日の食事や寝る場所の心配をしなければ生活できない。そうした状態で、就活のスタートラインに立つのは無理だ。なのに、「努力をしない人は助けなくていい」という「生存の選別」だけが進んでいる。そもそも、努力を誰がどう測定するのか? 行政が現実を無視した高いハードルを課すかぎり、岸和田のようなセーフティーネットからの排除はこれからも起こるだろう。生存を保障するという原点に立ちかえってほしい。

【写真説明】
「最後の頼みだった生活保護を断られたときは自殺も考えた」と振り返る夫婦=大阪府岸和田市、滝沢美穂子撮影

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