いまテレビは誰の味方なのか? 異色のドキュメント「さよならテレビ」〈dot.〉
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2019/12/28(土) 11:30配信 Aera.dot
映画「さよならテレビ」は東京・ポレポレ東中野、名古屋シネマテークにて1月2日より公開 (C)東海テレビ放送
「ヤクザと憲法」(2016年)や「人生フルーツ」(2017年)など、テレビ発のドキュメンタリー映画で異例の快進撃をつづける東海テレビの最新作「さよならテレビ」が来春1月2日から東京、名古屋で劇場公開される。これまでにない自社の報道フロアにカメラを向け、二年近くを費やした。テレビ放映後にコピーされた海賊版DVDが出回るなど反響の大きかった異色作だ。
【画像】こちらも話題になった映画「ヤクザと憲法」
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「(番組の放映)で東海テレビのイメージを著しく毀損したという批判を受ける可能性がありました。そのときには責任をとって退職しようと考えていました」
と語るのは、過去11作の「ドキュメンタリー劇場」の全てに関わってきたプロデューサーの阿武野勝彦さん(60)。
この映画の傑出したポイントは、「働き方改革」をめぐる番組をつくるのに編集マンが深夜残業しないといけない皮肉な光景や、「非正規」雇用のスタッフに支えられるテレビの現況が詳らかに描き出されていることだ。
「日本のいまの労働環境はこういう状態ですよねという。テレビもほかの企業と大差はないということも伝えたかった」と阿武野さんはいう。
撮影初日に趣旨を伝えるやフロアはざわめく。二ヶ月間の冷却期間を置いての再開となるのだが、その間「ほぼ放置」にちかい黙視をまもった阿武野さんは、完成作品のある場面で涙ぐんだという。
それは、映画の中でキーマンとなる三人のひとり、20代の派遣社員に関するものだ。要領が悪くミスを連発するワタナベくんは常に白い歯を覗かせ、ピンチを笑顔でやり過ごそうとし、おどおどしている。その彼をカメラは追う。試写を観ていたとき、筆者は何度ため息をつき舌打ちしたことか。「早く別の仕事を考えたほうがいい」と。しかし、後半彼が「卒業」となり花束を渡される場面で、もやっとなる。卒業とは、つまり更新の契約をしないということだ。映画はさらにラストちかくで「その後」の彼を映し出す。
■ミスをするたびに叱ら萎縮する派遣社員
阿武野「彼は、いまテレビ大阪にいるんですよ」
──名古屋ではびくびくしながら仕事をしていた彼が、同様の取材なのにリラックスして、笑顔も自然だったのを見たとき涙があふれて。試写で泣くなんてありえないことだったので、自分でもびっくりしたんです。
阿武野「いゃあ、ぼくも実はあそこで泣きました。息子がね、まぁあんな感じです。ナベちゃんよりも年上で今年35になりましたけど、なんというか上手に生きていけない。派遣労働で、人間関係とかでけっこう苦しんでいる。映画を観るとき、息子が頭から離れなくて考えてしまう。そうすると、つい……」
同じ場面について、監督の土方宏史(43)さんにも聞いてみた。
土方(以下同)「テレビ大阪の現場に行って、月並みな言葉かもしれませんが、成長したなとは思いました。イベントの取材相手に『何年目なんですか?』と聞く場面とか見ていると、ぼくも記者としてああいう仕事をしていたことがあるので、ずいぶん様になってきているなぁ。ちょっと見くびっていたのかもしれんなあと」
──土方さんは、何が変わったからだと思いますか?
「なんだろう……。ひとつは、大阪と名古屋の局のちがい。受け入れ体制というか。作品からはちょっと外れてしまいますが、映画の前半で彼はミスをするたびに叱られていたでしょう。それで萎縮してしまっていたこともあったでしょうし。けれども、次の職場では受け入れられていることから防御する必要はなかったのかもしれない」
──観終わってからもつよく印象の残ったのは、ワタナベくんを含んだ四人の撮影班が引き上げていく後姿。背中越しのちょっとした会話からやさしい空気が感じられ「よかったね」と声にだしそうになったんですよね。
「実際やさしいんですよ。これは皮肉な話ですが、あの四人は全員外部スタッフ。テレビ局の正社員じゃない。表現が難しいんですが、彼のもっている弱い部分を受け入れているところもあると思うんです。(ノーナレーションの)作品の中ではそういう説明はしていないので、どこまで言っていいことなのかは難しいことなんですけどね」
──余韻を残す編集がなされていて、後姿の四人の場面がほんのすこし長めで、希望を感じました。
「あのときぼくらも現場で、彼の未来は明るいんじゃないかというのは感じました」
──そもそも、どうしてワタナベくんをキーパーソンのひとりにしようとされたのですか?
「いろんな理由があります。ひとつは、ユニークであること。無防備というか、おっちょこちょいで、クスクスと笑える部分があるでしょう。自分の中にも似たものが多いにあるので、どっちかというとシンパシーをもっていました。あと、愛らしい。ほうっておけないというか」
──それは土方さんが監督された前作「ヤクザと憲法」で、大阪の暴力団の部屋住みとなる気の弱そうな若者にカメラを向けていったのに通じるものを感じました。
「今回『社員』をそんなに描いていないんですよね。本来は東海テレビの報道の中枢を担う人たちを描くべきなのに、出来ていないという指摘を受けることがある。それはそのとおりなんですが、彼は立場も弱ければ隙がありすぎる。彼を見ることで間接的に組織が見えてくるだろうという意識ありました」
──その予測はどの段階で?
「極論すると、初日から。そこは意見が分かれたところなんですが」
──取材チームは土方監督と撮影カメラマンの中根芳樹と音声の枌本昇の三人編成。カメラマンから「おまえの趣味として(ワタナベくんを)おれは追いかけるからな」と言われたとか。
「つまり、自分は被写体としての魅力は感じない。撮りたい理由はよくわからんけど、ということです」
──そう言いながらもじつに丁寧に撮っていますよね。
「それはカメラマンが優秀だからですよね。彼以外にもあらゆるものを丁寧に撮っていますから」
──ワタナベくんがミスをして放映が見送りとなる。そのことを取材者に説明しに行かなければいけない。その彼に原因は何だったのかを問いかける場面。彼は、ごまかさずに正直に振り返り、ひとりで謝りにいく背中を映します。
「あのとき、自分を冷静に見ているなぁという印象はもちました。ほかにも(派遣ゆえ)彼には一年で成果を出さないといけないプレッシャーがある。その恐れを『わかるよ』と正社員のぼくは言えない。そういうことを彼から突きつけられるということはありましたね」
■テレビの役割とは何か?
──映画の中で「テレビの役割は何か?」と社会科見学の小学生たちに教える場面があります。局員が「権力の監視」とともに「弱者の味方」だと説明する。何気ない場面ですが、これがボディブローのように効いてくる。職場で明らかに「弱者」で「足を引っ張る」ワタナベくんを見る周囲の眼は冷たい。時間に追われる職場だけに余裕がないのもわかる。でも「弱者の味方」と耳にするたび、違和感を抱く構成になっています。
「こういうと話が大きくなるんですが、東海テレビ固有の問題は、編集の段階ですべて排除していっています。つまり『東海テレビ物語』ではない。どこのテレビ、メディアにも普遍化できるものをつくりたいというのがあった。だから、彼に対するまわりの反応は、おそらく他のメディアでもあることだろうなぁと思って表現をしました」
──他のメディアと比べてということでいうと、他所はもっとひどいかなぁと想像もします。ただ一連の東海テレビのドキュメンタリーを観てきた印象からすると「あの東海テレビにしてもそうか」というものがありました。
「そうですか。自分の反省として言うと、ぼく自身も土日にデスクとして渡辺君と組むことがあって。ついキツイ言葉をかけたこともありますし。ぼくは社員だから、ほんとうに弱い立場の人の気持ちがどこまでわかるのか。悲劇を通り越して、ツッコミたくなるくらい、弱い者の味方といいながら自分たちがそれを実践できていない。そこは描かないといけない。でも、想像以上にいろんなことが起きましたね」
──映画の後半で、局の看板だったニュース番組のメインキャスターが、ロボットの研究者を取材するのに同行される場面がありますよね。あれは撮ろうという目的をもって?
「意識はしていました。『弱いロボット』を取材するというので何か撮れるかもしれないと。福島(キャスター)はずっと逆の方向を目指していたんですね。強くなろう、正しくあろう、間違いはなしにしようと。いちばん彼が落ち込んでいたときだったこともあり、もしかした『弱いロボット』にヒントがあるかなぁと」
──あの場面のあるなしで映画の意味合いは変わったかもしれないですね。言いよどんだり、すらすら話せないロボットを見せられたりしながら「そこに人間らしさがある」といった説明を受け、福島さんの表情が変わる。それはワタナベくんに対する関わり方にもつながることでもある。
「それでいうと、いまのテレビには愛らしさがないですよね。あのロボットに感じるような。人間だから弱いところもあるだろうに、それは見せないようにしている」
──ところで撮影初日に報道フロアの先輩から「フワッとした理由で撮るのか」と問われる場面がありました。「テレビの今」を映すという企画説明でしたが、土方さん自身は「フワッ」としたものだという認識だったんですか?
「毎回そういうスタイルで東海テレビのドキュメンタリーは撮っているので。とくに今回は自分たちの職場なので、(前作『ヤクザと憲法』のように)ヤクザを追いかけているときよりもこういうものが撮れるだろうという予測はついていましたが、あえてフワッとさせておくのが取材の醍醐味というか。ふだんのニュースの取材だと、取材の回数も決められ、何分以内という制限もある。そうなると逆算して、何日以内につくるというふうになる。だからこそ逆算をしないで、フワッとさせる。そういう考え方でやっているんですが、ずっと嘘をついているように思われていたんですよね」
──嘘というと?
「つまり、おまえの頭の中に台本が出来上がっているんだろうという。それは、ぼくもよくわかるんです。(ニュースは)最初に落としどころを決めていないとできない」
──ワタナベくんたちが、前日が嵐で「今年は花見ができません」というニュースを撮りに行くと、なんとそこは満開。それでも彼は「桜が散ってしまい……」とレポートしようとする場面がありましたよね。
「あれは象徴的な場面で、結論ありき。取材は、塗り絵に色をつけにいくだけという皮肉になっている」
──コントのようなシーンですが、彼がどれだけのプレッシャーを感じ冷静さを欠いていたかが後々わかる場面でもある。子供たちのテレビ局見学の様子や「弱いロボット」のエピソードなどのつながりから、「弱者」との関わり方を考えさせられる映画になっている。
「それは、はじめて言われたことですけど、そこに目がいくのは、自分の中にもそういうところがあるからなんでしょうね。弱い人間が世の中にいてもいいんじゃないかという。もともとは制作部にいて(報道部の)ドキュメンタリー班に拾ってもらうまでは、要領がよくない、忘れる、叱られる、の連続でしたから。でも、あまり掘り下げすぎると自己弁護になってしまいそうで(笑)」
(取材・文/朝山実)