終わらない氷河期〜疲弊する現場で 日雇いバイト7年、ようやく正規職員になったが・・・ 42歳介護福祉士の不安
https://mainichi.jp/articles/20200212/k00/00m/040/255000c
毎日新聞2020年2月13日 07時00分(最終更新 2月13日 07時00分) 中川聡子
高齢化社会の進行とともに増える介護職。役割は注目されているにもかかわらず、労働環境が良くないと敬遠され、現場は人手不足が続く。ここでも、就職氷河期世代の女性が苦しんでいる。
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「何にもない町なんですよ」。今にも降り出しそうな曇り空の下、とうに収穫を終えた稲株ばかりの田んぼを見つめ、山本恵さん(42、仮名)は自嘲気味に語った。高齢化と人口減少が加速する首都圏郊外のある市。最寄り駅から車で十数分、田畑の中にぽつんとたたずむ介護施設が、山本さんの職場だ。8年前に就職し、ここで介護福祉士の資格を得た。毎日、1駅向こうから自転車で通う。体力的にきつい過酷な勤務、ハラスメント、低賃金………。介護職の現場は厳しい。ここにたどり着くまでに、非正規の仕事を繰り返してきたため「昔を思えばまし」と自分に言い聞かせるが、それでも先の人生を考えると、不安は尽きない。
親の離婚、母の病、いじめ……中卒で就職
大手企業に勤めるサラリーマンの父、専業主婦の母の間に長女として生まれた。妹、弟も生まれたが、父が母に暴力を振るい、家に金を入れず食事にも苦労した。小学校入学後に父母は離婚。母とともに千葉県内の祖父母宅に一時身を寄せた。やがて母は看護師資格を取得し、埼玉県内の病院に就職。病院の近くに引っ越した。おとなしい性格だった山本さんは、転校の連続で新たな環境になじめず、「ばい菌」と呼ばれていじめられた。
小学5年の時には、今度は母親が膠原病(こうげんびょう)を発症して入退院を繰り返し、うつ病にもなって仕事ができなくなった。生活は祖父母の年金頼みに。中学進学後もいじめはやまず、1学期のうちに不登校に。家族で別の市営団地に引っ越し、転校してかろうじて通学したが、「人と話せない」状況が続いた。生活苦は変わらず、中学を卒業したら働くしかなかった。
日雇いバイトを7年「休日は元日だけ」
中卒では求人もほとんどなく、やっと山菜工場の仕事を見つけた。17歳で一念発起し、定時制高校に進学。昼間は工場で働き、給料で学費、給食費をまかない、奨学金を得て卒業した。21歳でパソコンの部品工場で2年働き、24歳で特別養護老人ホームのパート勤務に移る。月15万円ほどの給与で、重労働のため腰を痛めて退職した。「もっと環境がいい職場で働きたい」。26歳の時、ハローワークに通ったが、当時はまだ景気低迷期で、就職氷河期の終…