沖縄タイムス社説 [民主主義再考(下)]政治動かすてこは何か

沖縄タイムス 2012年9月2日
 
脱原発運動の隆盛が注目を集めている。きっかけは無論福島第1原発事故である。昨年の事故以来、脱原発を訴える市民集会やデモは全国各地に広がった。中でも継続的な盛り上がりを見せるのは、毎週金曜夕に首相官邸周辺で行われる「官邸デモ」だ。政府による大飯原発(福井県)の再稼働決定後、参加者は一層膨らんだ。8月には代表メンバーが官邸で野田佳彦首相との面談にこぎ着けている。

 全国規模の社会運動の高揚は1960年の安保闘争以来ともいわれる。そのスタイルは安保闘争とは対極といえるほど様変わりした。官邸デモで目につくのは、家族連れや仕事帰りのサラリーマンだ。主宰者は非暴力と秩序維持を最優先し、個人で参加しやすい環境づくりに腐心。首相面談も、非暴力の抗議を合法的に官邸内に持ち込んだ「官邸内抗議」と位置付けている。

 60年代末の学生運動に代表される社会運動は暴力性を帯び、衰退を余儀なくされた。組織動員が支える運動形態も作用し、社会運動は一部のプロの運動家が担うもの、との見方も定着した。非暴力と個人参加を重視する現在のデモはこうしたイメージを覆しつつある。成熟した民主主義社会にふさわしい、自律的な政治参加の表現形態の一つといえるだろう。

 穏やかなアピールでは急激な変化は望めない、との指摘もある。だが逆に、過激な運動は一過性で終わるもろさも抱える。脱原発の実現に時間がかかるのは避けられない。粘り強く政治の回路に乗せる機会を探るべきだろう。

 脱原発に積極的な河野太郎衆院議員(自民)は、署名やデモよりも有効な手段として「地元の国会議員に自分の思いを伝えること」を唱えている。確かにそれも重要だ。しかし、官邸前での脱原発デモのうねりは、いら立つ民意をすくい取れない政党の劣化を反映したものといえる。議会制民主主義が十分機能していない現実が背景にあるのだ。

 沖縄が抱える米軍基地問題はさらに深刻だ。普天間問題では、沖縄選出の国会議員に限らず、知事や県議会などがこぞって「県外移設」を求めている。にもかかわらず、政府は一顧だにしない状況が続く。地元の政治家に思いを伝え、政治家たちがその民意をくんでも、国政には決して反映されない。「47分の1」の沖縄県民の民意は、民主主義の名の下に常に置き去りにされる。「国政の壁」をどう越えるかは沖縄の自己決定権の獲得に直結する課題である。

 一方で、沖縄には復帰前から断続的に蓄積された抵抗運動の経験と実績がある。

 作家の目取真俊さんは本紙のインタビューで官邸デモを引き合いに、「週1回でもいいから、市民が幅広く参加しやすい曜日、時間帯に普天間基地のゲート前に集まり、エネルギーを集中させて声を上げてはどうか」と提言している。沖縄の直接民主主義のエネルギーは、基地問題を政治の回路に乗せる「切り札」でもある。今月9日のオスプレイ配備反対の県民大会も、その重要な一里塚であるのは言うまでもない。

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