(ザ・コラム)私たちの職場 減時間労働というチャンス 有田哲文

朝日新聞 2014年9月6日

 日本人は長時間労働で残業も多い。でも本当は仕事の量ではなく、成果を第一に考えるべきだ。そして働き方を改めるには、働いた時間にかかわらず、賃金が一定になるようにすればいい。それが政府が導入しようとしている新制度である。「残業代ゼロ」の制度とも言われる。

 しかし、全く別の意見もある。むしろ残業代を大幅に増やすべきではないか。そう、3倍くらいに。下着大手トリンプ・インターナショナル・ジャパンの元社長、吉越浩一郎氏である。増収増益と残業ゼロを同時に成し遂げた経歴を持つ。

 「日本人は残業にためらいがなさすぎます。長く働いていると、いいことをしているんだという気持ちになる人も多い。残業代ゼロの制度を今導入すると、そんな働き方を国が認めてしまうことになる。残業をなくすのが先です。残業代を3倍にすれば、払いたくない会社はいや応なく動く」

 長年の日本人の働き方を吉越さんは「ツルハシ仕事術」と呼ぶ。まるでトンネルの突貫工事をするように長時間働き、とにかく貫通させればいいというスタイルだ。

 「でも、そういうやり方で勝負できた時代は終わりました。今はもっと戦略的に考えるべきです。そこに本当にトンネルが必要なのか? 上空からみたら、別のルートを見つけられるのではないか? もっと効率的に、もっと集中して、もっと判断を速く。短く働くことは、働き方を変えるのに役立ちます」

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 短く働くことが、戦略をどう変えるのか。ヒントを求めて、全国有数の進学校である開成高校の野球部を訪れた。テレビドラマ『弱くても勝てます』のモデルとなったこの野球部、グラウンドが使える練習は週に1回程度しかないという、高校野球の常識からすればとんでもない「時短」なのである。それでも、夏の甲子園を目指す東東京大会では、2005年にはベスト16になり、07年と12年は4回戦まで進んだ。

 監督の青木秀憲教諭に聞くと、目指すところは次の三つである。

 【投手】ある程度、ストライクを安定して投げられる。

 【守備】誰がどう見てもアウトだなと思う打球をアウトにできる。

 【打者】外野の頭を越えるような強い打撃ができる。

 つまり、極度の打撃偏重である。ガンガン打つ荒っぽい野球で、できればコールド勝ちに持ち込む。練習をのぞくと、なるほどバッティング一色である。

 「強く打つ、遠くに飛ぶ打球を打つということは、さほど難しいことじゃないんです。ど素人みたいな生徒でも週に1〜2回の練習で何とかなると、僕は思っている。でも、守備は違います。完璧さを求められ、日々の地道な練習が必要です。誰が見てもアウトの球を処理できるまでは徹底的にやりますが、それ以上は求めない。ダブルプレーも無理に取らなくていい」

 限られた時間に値する練習は何か。それを突き詰め、捨てるべきところを捨てた。守備だけではない。バント練習もしなければ、サインもない。従来の高校野球の世界からすれば邪道だろう。でも、いかに邪道かを話す青木監督は、すごく楽しそうであった。

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 長時間労働は、言ってみれば日本の社会経済システムの一部である。

 解雇をあまりしない代わりに、日常的に長時間労働を強いる。無理をしてでも客の要求にこたえることが求められる。米国企業のようなトップダウンではないので、大人数の会議が増える。企業社会の中枢にいるのは男性ばかり――。

 だからなかなか是正されなかった。しかし、今このシステムが揺らいでいる。

 休暇を多く取り、家族の時間を大切にする点で日本と対極にあるのがフランスだ。東京に転勤してきた何人かのフランス人に聞いたのだが、日本人スタッフがどんな仕事でも完璧に仕上げようとするのに驚いたという。ただし悪い意味で。彼らからすれば、長い時間を費やす価値がある仕事かどうか、判断をしていないように映るのだ。

 改善の余地はある。慶応大学の山本勲教授らの実証研究では、日本人社員が欧州に転勤すると、労働時間が短くなる傾向が確認された。何のことはない。経済合理性より、まわりの環境に影響されている人が多いのだ。

 残業の削減は、すでに多くの企業が取り組んでいる。人手不足がこのまま進み、企業が人材確保にもっと困れば、そこから働き方、働かせ方が変わるかもしれない。チャンスである。女性の活躍の場も広がるだろう。

 私もこの2週間、試みに「ひとりノー残業デー」を続けてみた。時間に追い立てられる感じになった。急いで書くメールの文は粗くなり、会議も一つ欠席した。早足で社内を歩き、手を何かにぶつけて切った。でも、帰路に就くときの頭はクタクタでも体は元気、という感じは新鮮だった。

 いかにも初心者である。

 (編集委員)

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