鎌田慧×竹信三恵子「関西生コン弾圧はなぜ起きたのか?」「組合潰しにどう抵抗するのか」(9/26,27)

□関西生コン弾圧はなぜ起きたのか?希薄化する働く人の権利意識<鎌田慧×竹信三恵子・前編>
https://www.excite.co.jp/news/article/Harbor_business_202400/
HARBOR BUSINESS Online2019年9月26日 08:31

関西生コン弾圧はなぜ起きたのか?希薄化する働く人の権利意識<鎌田慧×竹信三恵子・前編>
〔写真〕提供:全日本建設運輸連帯労働組合

 労働組合員が相次いで逮捕される事件が起きている。組合員の正社員化を求めたり、作業現場でコンプライアンスを遵守するよう求めたりする活動が「強要未遂」や「恐喝未遂」に当たるとされ、セメントやコンクリート業界で働く人の組合である「関西生コン」の組合員延べ80人近くが逮捕されているのだ。

 労働組合に加入して労働条件や職場環境の改善を求めることは、働く人にとっての当たり前の権利だ。それにもかかわらず、組合活動を口実に逮捕される事件が相次いでいるのはなぜなのか。

『自動車絶望工場』(講談社)や『六ヶ所村の記録』(岩波書店)で知られるルポライターの鎌田慧さんと『ルポ 賃金差別』などの著作があるジャーナリストの竹信三恵子さんが、事件の背景と、いかに抵抗していくかについて語り合った。

◆労働運動が長らく存在しなかったことが背景にある

竹信:この事件はとても異様な事件ですよね。ビラをまいたり労使交渉をしたりしただけで、延べ80人近くが逮捕された、ということ聞いたとき、私は、聞き間違いか、自分の妄想か、と思ったくらいです。

 このようなことを防ぐために労使交渉が労働基本権として認められているわけですし、ビラまきや労使交渉は私の世代は普通に参加していました。延べ人数ではありますが、それで40人学級の2クラス分が逮捕されちゃうって、どこの国の話?と思います。

鎌田:長い間、労働運動が低迷していたことが、この事件の背景にあります。竹信さんがハーバービジネスオンラインで書いていますが(7月22日付)、関西生コン事件のひとつ、加茂生コン事件について、京都新聞では6月19日に「正社員として雇用するよう不当に要求した疑い」と報じられていました。こうした報道からわかるように、新聞記者にさえ「労働者の権利」という意識が全くなくなっています。

 80年代まではストライキや春闘がありましたし、労働者がデモ行進することも日常的でした。春闘では、赤旗が町のいたるところに掲げられていました。こうした光景が異様なものに感じられるほど、運動が後退してしまったんです。ですから、何かを要求したり、現状を変えていこうということが、反社会的で不当なことだと認識されてしまっている。

 非正規で働く人たちの労働運動は、企業別組合ではなく、産業別組合や個人加盟の組合でやるしかありません。しかし2008年の年末から2009年の正月にかけて行われた年越し派遣村のあと、もう10年近くそうした運動が組織されなくなった。こうしたことが、労働者の権利を守る労働運動が、不当に見られるようになったことの背景にあります。

◆働く人の権利に対する意識が希薄化している

竹信:私は今年3月まで大学で講義をしていたのですが、多くの学生たちが「労働組合ってどこにあるんですか」、「ストライキやデモを見たことがない」と言うんですね。

 そもそも労働基準法についても勘違いしている学生がいます。あるとき、学生に「労基法があるから早く帰れないんですよね」と言われたんですよ。その学生は、労基法に“1日8時間は働け”と書いてあるから早く帰れないのであって、法律がなければ6時間で帰れると思っていたようなんです。

「それは、会社は8時間までしか働かせちゃいけない、というルールだから、6時間でも帰れるんだよ」と言ったら、でも、みんな8時間を超えて残業しているじゃないですか、と言う。確かに、現状を見る限り8時間が最低時間みたいになっていますからね。

 労基法が働く人を守るためのルールだということすら理解されていないんです。働き手のためのルールを守らせる労働運動が弱まった結果、労基法は会社が働かせるためのルールだという逆転した認識になっている。

鎌田:働く人には人権があります。人間的な生活をするために、労働時間は規制されているし、不当な解雇はできないようになった。世界的な運動がつくりだしてきた権利ですが、その規範が見えなくなってきた。

◆会社に籠城しても警察は介入しなかった

鎌田:1950年代後半のことですが、僕が10代の頃、印刷・製本労働者の全印総連(全国印刷出版産業労働組合総連合会)の個人加盟の組合を結成しました。社長が労働組合を嫌って、正月に偽装倒産・全員解雇の内容証明を送って来て。会社に行ったら、玄関が閉まっていたんです。そこで労働者たちは、ガラス戸を割って、鍵を開けて中に入って、籠城し始めたんですよね。

 それでも警察は介入できないんですよ。労働争議には、警察は干渉できない。だから75日間籠城して、寝泊りして、炊き出しやって、ピケを張り、応援の労働者が来ました。社長の家を探して、家の周囲に「負けられません勝つまでは」なんてステッカーを貼ったり。それでももちろん逮捕なんてされませんでした。

 1954年には105日間に渡る近江絹糸争議(※)がありました。このあと中小企業の労働争議が頻発し、59年から三井三池炭鉱の大争議がありました。暴力団が介入して、トラブルにならないと警察が弾圧することはありませんでした。会社が作った第二組合と衝突したときなど、たとえ第二組合が悪くても、第一組合を逮捕するといった場合にしか警察は出てきませんでした。団結権、争議権は憲法で保障されています。

(※ 近江絹糸紡績の大阪本社で、組合員らが仏教の強制や私物検査などに反対してストライキに突入した。)

 でも今は籠城なんてしたらすぐに警察が介入するでしょうね。それは警察が独自に行動するようになったんだと思います。以前は、経営者側から弾圧するよう要求があって弾圧していた。今は警察も力を持つよう意識していて、独自に判断してやっているんじゃないでしょうか。

 しかも関西生コン事件の場合は、目の前で起きていることに対して現行犯で逮捕したわけではありません。過去のことを持ち出して逮捕しているわけです。

 今後も警察が同じようなことを続ければ、労働者の権利である団結権や争議権に対する侵害が極端に進む恐れがあります。昔は団体交渉で靴を脱いでテーブルをガンガンと叩くと賃金が3万円くらい上がったんですよ。本来、団体交渉ではそれくらいやってもいいはずなのに、今ではそれを「恐喝」にされてしまう危険性がある。

◆新自由主義改革で人間観が覆されてしまった

竹信:私は新聞記者出身で、1980年代初頭ごろまで地方支局で警察取材も担当しましたが、警察もそのころは、組合員が実際に手を出すのを待って、と言うと語弊があるかもしれませんが、まあ、割と慎重に見極めたうえで捜査や逮捕に入るくらいの注意は払っていたように思います。今回は、そうした実際の暴力行為ではなく、ストの「計画」に参加したかとか、頭の中で起きたことを理由に逮捕している。一連の逮捕容疑を見ると、「暴行」とかは1件もなく、「恐喝」と「威力業務妨害」ですよね。要するに、口だけの話です。それであんなにごっそり逮捕できてしまうんだと思うと、私のように口や頭で勝負しようとしてきた人間にはショックです。

 背景には、社会の中で、このような権力の恣意的な解釈を監視したり、押し返したりする圧力が減退しているのだと感じます。なぜそうなってしまったのか、いろいろ考えてみたのですが、そこでひとつ見えてきたのは、今の若い世代が育ってきた文化環境です。

 大学教員として接してきた学生たちの個人史を考えてみると、彼らは「小泉構造改革」が行われた2001〜2006年前後に生まれたり、小学校に入ったりしているんです。要するに、新自由主義改革が社会を覆い尽くし、「小さな政府」の下で自己責任主義が定着していった時代です。2006年には、教育基本法が改定され、“国や郷土を愛せよ“公共の精神を尊べ”という思考を管理する文言が入ってくるわけで、「社会の責任」とか「権力に介入されない人権」などといったことを公式に聞く機会がないのではないかと思います。

鎌田:竹信さんがおっしゃったように、教育基本法の改悪で、教育に対する支配が進んだというのも大きな原因の一つでしょう。

 以前は、教員が皆ストライキをして、昼間に学校からいなくなっていました。僕たちもそれを見て育ったし、保護者もそれに文句を言うことはなかった。でも今は教師が何かしたら、すぐに保護者が口を挟みますよね。結局、相手の権利を尊重する意識がなくなっているんですよ。

 大きい声を出したり、行動で要求を示したりすることが、恐喝や暴力としてとらえられてしまっている。生存するための正当な主張が受け入れられなくなってきている。

 多くの人が自分の権利に鈍感で、相手の権利を尊重する意識を失ったことが事件の背景にあります。警察も独自の権力を強化したい。この問題は、今後他の地域にも波及してくる危険がありますよ。

竹信:私は、新自由主義によって人間観が変わったんだと思うんです。1970年代くらいまでは、実体を伴っていないかもしれなくても、「人には、ただ存在しているだけで生きている権利がある」というのがなんとなく、建前としてありました。労組の組織率がまだ3割はあり、「主婦連」とか、個人がそれぞれの属性でつながる組織活動が、あちこちにありました。そうした中で、他人からの承認や一応の居場所の確認ができ、それが「特別に価値をつけなくても生きていればいいんじゃないの」といった人間観を支えていたように思います。

 しかし今は人々が「どれだけの商品価値があるのか」という価値観だけで競わされてしまっている。そこでは、「人としての権利」でなく「企業にどれだけのものを提供できる人間なのか」が幅を利かせます。そうした中で生きている一般の人たちは、権利を守ろうとする動きである社会運動に対して「何やってんの?」と感じてしまう。そういう人権意識の弱まりに付け込む形で、警察が介入してきているんだと思います。

鎌田:「権力に抵抗するのは犯罪だ」という価値観が蔓延してきています。「従うのが一番いい」という空気が醸成されてしまっている。しかし嫌なら嫌と主張し、抵抗していかなければ人間の尊厳を守ることはできません。

 運動の周辺にある「世論」というのはとても大切だと思います。例えば、沖縄の反基地闘争の現場でも、沖縄県出身の警官はそこまで荒っぽいことをしていないのではないですか。一方、本土から派遣された機動隊員は、抗議する市民に「土人」などと罵倒していましたね。

 沖縄には、反基地闘争に賛成したり、加わったりしないまでも、それに対して理解を示す世論があるんです。それが運動を守ることにつながっている。しかし日本社会では自分の権利意識も失われ、運動が守られなくなっている。
<構成・注/中垣内麻衣子>

□組合潰しにどう抵抗するのか。違いを乗り越えて連帯しなければならない<鎌田慧×竹信三恵子・後編>
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12267-418134/
2019年09月27日 08時31分 ハーバー・ビジネス・オンライン

組合潰しにどう抵抗するのか。違いを乗り越えて連帯しなければならない<鎌田慧×竹信三恵子・後編>

〔写真〕提供:全日本建設運輸連帯労働組合

◆横行する「組合潰し」

 労働組合員が相次いで逮捕される事件が起きている。組合員の正社員化を求めたり、作業現場でコンプライアンスを遵守するよう求めたりする活動が「強要未遂」や「恐喝未遂」に当たるとされ、セメントやコンクリート業界で働く人の組合である「関西生コン」の組合員延べ80人近くが逮捕されているのだ。

 労働組合に加入して労働条件や職場環境の改善を求めることは、働く人にとっての当たり前の権利だ。それにもかかわらず、組合活動を口実に逮捕される事件が相次いでいるのはなぜなのか。

 弾圧の経緯について触れた前編に続き、『自動車絶望工場』(講談社)や『六ヶ所村の記録』(岩波書店)で知られるルポライターの鎌田慧さんと『ルポ 賃金差別』などの著作があるジャーナリストの竹信三恵子さんが、事件の背景と、いかに抵抗していくかについて語り合った。

◆労働組合の組織率が低下し続けている

 鎌田:労働組合の組織率が17%にまで落ち込んでいて、ほとんどの人が組織されていないのが現状です。働く人は、「労働者の学校」というべき、労働組合に加入した経験がないんですよね。

 そのわずかに組織された人々ですら分裂してしまっている。連合の中でも、自治労や日教組が原発ゼロを掲げる一方、電力関連産業で働く人たちの組合である電力総連は原発の再稼働を求めています。それぞれが支援する政党も立憲民主党と国民民主党に二分されてしまっている。以前は、露骨な自分たちの利益を守るためだけの労働組合ではなかったはずです。

 竹信:そうした状態が一般の人たちの労組への冷めた目につながっているのかもしれません。

 組合員の数そのものは横ばいから微減傾向程度にとどまっているのに、組織率が下がり続けているのは。新しく増えた働き手たちが労組に入れていないからです。

 たとえば、働き手の5人に2人近くにまで増えた非正規雇用の労働者はほとんど組織されていない。組織率が低いうえに、そこに入っている人たちの多くが大手企業の正社員たちです。この人たちは非正社員を管理する側だったりするんですよね。本来の労組のユーザーであるはずの、一線で厳しい仕事を担う働き手が、まとまって声を上げる場所ができていないんです。

 「労働者」って、ただ働いている人、というのではなく、労組などに支えられて学び、自分で考え、雇う側に対して臆せずモノを言えるようになった人のことだと思うんですよ。そうした場が縮小したため、人間が組織を生かして動くためのノウハウを知っている人も激減しつつあるのではないかとも感じます。

 何かを成し遂げるためには、決められた日までに決めたことをやっておく力や、自分たちの言い分をちらしなどで宣伝する力など、束になって動ける訓練も必要です。それらを自主的に、会社の命令でなく身に着けていく教育の場がなくなってしまったので、社会運動をやろうという人たちですら、そういった力が弱まっており、物事を進められない。これは、実は会社にもマイナスのはずです。働き手の自主性をつぶしすぎた結果ですね。

 北海道・夕張に調査に学生と出かけ、炭鉱労働者だった語り部的な男性に話を聞いたら、文学からソーシャルダンスまで、全部、組合活動の中で学んだと言っていました。「現場で何かあったら自分でなんとか工夫する。それが労働者」と彼がいうのを聞いて、男子学生が「かっこいい! 僕らのお父さんとかには、そういう感じがない」というのです。このように、労働組合は人々を教育する役割を担っていたんだと思います。

 労働組合が弱まり、社会がこのような機能を失ってしまったことが、連帯ストが打てないことの遠因にもなっているのでは、と薄気味の悪さを感じます。

鎌田:労働組合の文化運動は日本の社会の草の根としてあったわけです。大きい組合や産業別組合には、機関紙や機関誌がありました。支部や分会の新聞もありましたし、そうした教宣活動が盛んだったのです。文学雑誌もそれぞれ、全逓、全電通、国労、動労、日教組、自治労とあって、末端まで文学サークルがあってそれぞれ機関誌があったわけです。

 それから労働組合でレクリエーションもしていました。しかし組合の文化活動もレクリエーションも全て企業に吸収されていったわけです。

 また、高度経済成長期には、労働組合が中央一括方式で交渉していたので、下部は何もしなくても賃金が上がったんですよ。労働組合の力が強いときは、それこそ靴でテーブルを3回くらい叩けば、最高で3万円くらい上がったことがあるんですよ。ただ下部は日常的に何もしなくてよかったので、運動が崩壊してしまったんです。それもあって文化活動もなくなっていってしまった。

 サークル活動もないから、日曜日に集まるということもなくなってしまい、企業のQC活動に取って代わられてしまいました。労働組合の組織が会社の組織に変えられるというのがずっと進んできました。積み上げられてきた労働組合による教育が機能しなくなってしまったんです。今でも文化運動が残っているのは、私鉄総連や日教組、自治労くらいでしょうか。

◆働き方改革法案と関ナマの弾圧

竹信:働き方改革関連法は、一つの象徴だと思います。1日の労働時間は8時間までというのが国際原則は、人間が人間らしく暮らすために、労働運動が勝ち取ってきたものです。これまでの労基法の労働時間規制は、これだけでした。

 ところが「改革」では、労使協定を結べば特例として、「過労死ライン」ぎりぎりの月100時間未満まで残業させていい、と労基法に書き加えてしまった。あまり意識されていないようですが、「人間らしく働ける労働者」から「死ぬ寸前まで働かせていい生産の道具」への大転換が行われた気がします。一定の業務と年収の社員なら労働時間の規制から外されてしまう高度プロフェッショナル制度についてもそうです。

「同一労働同一賃金」についても、最高裁で非正規労働者にも手当が認められた、と騒がれていますが、あの仕組みでは基本給の是正はほぼ無理です。長澤運輸訴訟の最高裁判決では、まったく同じ仕事で定年になったとたんに賃金が下げられたことについて、不合理ではないとされてしまいました。「やった仕事」について客観的に比較するものさしをつくることで、会社側の差別や偏見を是正するのが国際的な基準ですが、働き方改革では、会社側の仕事への判断権や裁量権を大幅に認めてしまっているので、基本給の差別を是正しにくく、判断にかかわりない手当などでないと是正できない仕組みなってしまった。

 また、関生事件は、労使交渉の権利を保障した労働三権を、「恐喝で逮捕」といった形の読み変えによってチャラにしようとしている。みんな振り出し、ここからやり直す、という決意が必要ですね。

鎌田:同一労働同一賃金という言い方も危ないですよね。一体、どこに統一するのかという論点がこれから出てくるわけです。「非正規」という言い方をせぬよう、などと菅官房長官が言ってます。

竹信:低い非正規の賃金水準に統一されていかないよう、監視しないといけないですね。

◆「勝つためには異論があっても連帯する必要がある」

鎌田:やはり社会全体に「抵抗する」という思想がなくなっているんだと思います。「造反有理」という言葉がありますが、今は「造反」すると潰されてしまいます。辺野古移設に抗議していた山城博治さん(※)は5か月も拘留されていました。

(※ 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に抗議し、器物損壊などの罪に問われた。山城さんへの拘留に対し、国連は「恣意的な拘束」に当たり、国際人権規約違反だとする見解を示している。)

 現在、圧倒的な攻勢が来ています。裁判所や警察は権力を強化して主導権を握ろうとしている。私たちはどう抵抗していけばいいのでしょうか。やはり小さな規模でもいいので、まとまってお互いに支えあっていくしかありません。個々人が信頼し合って、労働者の集団を作り、そこに市民も入っていく。それを各地で作って、つながっていく必要があります。

 今の状況を変えていくためには、かつてのように、対立している場合ではありません。共産党は「自分たちこそが前衛」だと考え、他の人々にレッテルを貼って排除してきました。新左翼の党派である中核派や革マル派も、自分たちとは異なる人々を排除して内ゲバまでになった。今の状況を変えるためには、異論があっても連帯して、とにかく一緒にやっていく広い心が必要となっています。

 今、国民民主党が立憲民主党に統一会派の結成を呼び掛けていますが、原発問題がネックになっていますね。でもこんな風に分裂している場合ではありません。

竹信:リベラル陣営の中での対立が激しくて、何かをやろうとしても、別の人たちから叩かれてしまう。どこかの団体に所属すると、別の団体から批判されるから、運動もやりにくくなってしまう。

 私たちは、非正規公務員の女性たちの待遇問題をテーマにしたシンポジウムを9月22日に開催する予定です。非正規の公務員は、4分の3が女性なんですよ。おそらくそこに、何らかの<差別>がある。ここでも、男性を排除して女性だけ固まるのは運動を分断するという声をよく聞きますが、声を出しにくい立場にある当事者は、まずは当事者だけで話し合って、互いの連帯を確かめないと、モノが言えなくなってしまう面もあるのです。

鎌田:排除するのではなく、いろんな人を入れていく。異論に耳を傾けるという姿勢が必要です。それなのに市民運動もセクト化して新しい人に冷めたかったり、意識が低いといってすぐに排除してしまったりする。

 勝つためにはどうすればいいのかということを考えなければなりません。韓国や香港、台湾は、それなりの統一闘争の成果が出ています。日本は一人一人が個人として結びつく運動が弱いと思います。

竹信:反ナチ活動で知られたニーメラーという牧師が、こんなことを言っています。共産主義者から社会民主主義者、労働組合員、ユダヤ人とナチの弾圧の対象が広がっていったとき、そのつど、自分はそうした人たちではないからと知らん顔し続け、最後に自分のところに弾圧が及んだ時、自分のために声を上げてくれる人はだれもいなくなっていた、というのです。現在、リベラルなものを排除しようという動きがあちこちで出てきています。例えば、右派の議員が、政府の助成を受けたフェミニズム研究について、「反日」などと中傷したとして、大阪大学の牟田(むた)和恵教授らが名誉を傷つけられたとして損害賠償請求の訴訟を起こしています。

 関ナマへの弾圧、辺野古の反基地活動家の逮捕、フェミ科研費への名誉棄損。いずれも攻撃のされ方には共通点があります。人間の自由や尊厳を奪われないために、ニーメラーの教訓を生かし、それぞれの運動がつながっていく必要があると思います。

<構成・注/中垣内麻衣子>
 

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