高橋哲さん(教育法学者)「教員採用試験の倍率低下が深刻化」
https://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2019100402000266.html
中日新聞 2019年10月4日 紙面から
高橋哲 教育法学者
写真・木口慎子
学校の教師の長時間労働が問題となる中で、教員採用試験の倍率低下が深刻化している。労働環境を憂慮して学生が教職を避ける傾向に加え、埼玉大教育学部の高橋哲准教授(41)は、国立大の教育学部の定員削減など、国の教育政策が招いた結果だと指摘。教育に予算をかけない国の方針を批判する。
◆教育を軽視せず、予算かけ改善を
−教育界の現状は。
二〇一八年度の全国の公立小学校の教員採用試験の倍率は三・二倍と〇〇年度の一二・五倍から四分の一に落ち込んでいます。小学校では英語、プログラミング、道徳教育など教師の仕事が増え続け、学校が多忙なことが知れ渡り、教職が敬遠される傾向が強まっていることも一因でしょう。
学生にとって教師を目指すハードル自体も高くなってきている。財務省は少子化を理由に教師の数を減らそうとしており、一六年の財政制度分科会では、教師を今後十年で約五万人削減する案を提案しました。
埼玉大でも、ここ数年で教育学部の定員が百人も減らされています。大学への運営費交付金を毎年減らし続けている財務省と文部科学省は、特に国立大の教育学部を縮小させ、教員養成を私立大に任せようとしています。一方で、〇八年以降に各大学に設立された「教職大学院」は多くの大学で定員割れが続出。財務省主導の教育政策は矛盾だらけ。日本の教育を崩壊に向かわせている。
−安倍政権の教育行政の特徴は。
教育に競争原理を持ち込み、財界の要求を受けて公教育費を市場や民間企業に流していく「新自由主義」的な改革です。公教育を縮小させ、一部のエリート教育に資金を集中投下させることで、経済発展に役に立つ人材を養成していくことが狙いです。家庭の経済力や住んでいる地域に大きく左右されるにもかかわらず、大学入試に英語の民間試験を導入しようとする発想は、その最たるもの。
もう一つの特徴は、新自由主義がもたらす社会のひずみに対する「治安維持装置」をつくってきたこと。例えば過度な競争的環境の下では、いじめは起こりやすくなる。対策として、いじめ防止と道徳教育の相関性について検証もないまま道徳教育を強化してきた。
一三年に成立したいじめ防止対策推進法では、いじめの発生原因を子どもと家庭の問題だとして、加害者の子どもに対しては出席停止など徹底的な制裁を行うことを明記している。迷惑をかける子どもや家庭は、公教育から排除されていく仕組みが作られている。
近年、国が大学自治に介入してくる傾向も強まりました。私の勤務する大学にも文科省から「教職に関する科目で国旗・国歌の指導について教えているか」を問う調査が届きました。大学に対する一種の政治圧力であり学問の自由だけでなく、大学における言論、教育の自由が脅かされています。国に都合のいい大学、学校をつくり、財源を握ることで抵抗力を奪い、支配を強めていく安倍政権に強い危機感を抱いています。
−疲弊する学校現場をどう改善していけば。
教師の数を増やしたりクラスの規模を縮小したりし、教員の待遇を改善するなど教育にお金をかけて子どもたちの学習条件をしっかり整備すること。OECD(経済協力開発機構)が一六年に実施した調査では、教員の給与など日本の教育費がGDP(国内総生産)に占める割合が、比較可能な調査対象国の中で最も低いという結果が出ました。
教師は給特法(教職員給与特別措置法)という法律により、一律に本給の4%の調整額が支給される代わりに残業代が出ません。一方、今年六月に公表されたOECDの調査では、日本の教員の勤務時間は六年前と同様に世界最長であり、勤務時間はさらに延びる傾向が示されています。
中央教育審議会の試算では、教師の働きに見合う残業代を払うためには、年間九千億円から一兆数千億が必要になるとしていますが、「そんな大金は支払えない」というスタンス。一方で国は、最新鋭の戦闘機の購入など国防費には五年で二十七兆円もの予算を組んでいる。この事実から見えることは教育への予算は財源がないのではなく、優先順位が低いということ。教育は国の根幹。もっと教育に予算を増やすべきだ。埼玉県内の公立小学校教諭が残業代を払わないのは違法だ、として県を相手取り訴訟を起こしている。教師個人だけでなく、公教育に支払うべき予算を国に求める裁判でもあると考えています。
−教師の多忙化解消策として、忙しい時期の勤務時間を延ばし、夏休みなどの勤務時間を短くする「一年単位の変形労働時間制」導入案も浮上しているが。
一年単位の変形労働時間制は教員を含め地方公務員からは適用除外されており、地方公務員法や場合によっては労働基準法改正が必須。だが政府は給特法のみを改正する案を臨時国会に提出し条例レベルで自治体に導入させようとしている。残業代を払わないための小手先の改革で地公法、労基法違反ともなりうる矛盾だらけの立法措置だ。
一年単位の変形労働時間制は労基法に基づき、使用者と労働者の過半数で組織する組合または代表者との間で協定を締結し、行政に届け出なければならない。学校の場合、校長と教員らの間で労働日などについて協定締結が必要で計画性が求められるが、教師は予期せぬ生徒指導や、保護者対応が多く、時間外労働を予測することは困難。労務管理を担当する校長らの多忙化を加速させるだけだ。
教職員組合を含め教員は労使間で残業内容と上限時間などを決める労基法の三六協定を締結してこなかった。だが、これは文科省の法解釈に問題があるためで、給特法で定められた四項目以外の時間外労働に関しては三六協定を締結すべき。協定に違反すれば校長らの管理責任が問われるため三六協定締結は時間外労働を抑える案の一つだろう。
−ご自身の子育てを通じて感じたことは。
息子が通ったことが縁で、埼玉大内の「そよかぜ保育室」の代表理事をして五年目になります。市から補助金を受けている認定保育施設で、定員は〇〜五歳の二十五人。大学関係者、留学生、地域住民の子らが通っています。
運営で難しい点は、保育士の確保と待遇改善。責任が重い仕事にもかかわらず補助金不足で、認可園よりも高い保育料を徴収しても保育士たちの待遇を上げるのが難しい状況。日本は保育、教育など子どもに不可欠なインフラにお金をかけなさすぎ。保育士、教師の待遇改善が、子どもが育ちやすく、親にとって子育てしやすい社会をつくる。もっと子どもを大切にする国になってほしい。
息子は米国ニューヨークのハーレム地区の公立小学校に一年以上通いました。ニューヨーク市の場合、教師の労働時間は一日六時間二十分。これは、教師たちが学校側と団体交渉をしてつかみ取ってきた結果です。日本では教職員組合が弱体化していますが、組合が主体となって労働環境を改善していくことも重要。
現地の学校には「PA」という保護者でつくる組織があり、寄付金を集めたりクッキーを売ったりして学校を支え、時に地域の教育行政に対して予算措置を要求する運動を展開していました。日本でも保護者の学校への関わり方が大きく問われていると思います。
教員の労働問題の研究は、教師や学校の不祥事ばかりが取り上げられ、教師批判に陥りがちな教育学に違和感を持ったことがきっかけ。長時間労働の温床と指摘されている給特法の専門家として、教員向けの働き方改革に関するイベントに多く登壇する。
12日午後1時半から、東京都千代田区の全国教育文化会館で開催されるフォーラムでも司会を務める。
◆あなたに伝えたい
保育士、教師の待遇改善が、子どもが育ちやすく、親にとって子育てしやすい社会をつくる。
◆インタビューを終えて
高橋准教授に初めて会ったのは六月。「Teacher Aide」という学生団体が都内の大学で開催したイベントだった。教育を軽視し、予算をかけない国を鋭く批判する高橋准教授の講演を聞き、話に引き込まれた。
イベントは、教師を目指す学生らが企画し高橋准教授を招いた。SNSでの告知だけで全国から学生や教師らが約百五十人も参加。学生らは過酷な労働環境から教職が敬遠されている現状に危機感を募らせていた。
高橋准教授は、こうした学生の動きを「頼もしい」と語る。インタビューからは教育界を守っていくための、研究者としての信念や覚悟が伝わってきた。
<たかはし・さとし> 1978年、埼玉県浦和(現さいたま)市生まれ。2008年に東北大で博士号(教育学)を取得し、11年から現職。専門は教育法学、教育行政学。16年から約1年は、米国コロンビア大客員研究員としてニューヨークで過ごした。著書に「現代米国の教員団体と教育労働法制改革」(風間書房)など。
(細川暁子)