藤田和恵さん「1人で組合に加入した59歳男性が受けた仕打ち 残業代の支払いや時給のアップを要求した」(12/25)

1人で組合に加入した59歳男性が受けた仕打ち 残業代の支払いや時給のアップを要求した
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藤田 和恵 : ジャーナリスト 東洋経済オンライン 2019/12/25 5:05

〔写真〕今から10年ほど前、有本ケンジさんは、病院のリネンサプライ業務を請け負う会社の契約社員として働いていたが、待遇は最悪だったという(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

■定時に帰ったことは1度もない

「ああ、あなたが有本さんですか」。何気ないあいさつに、はらわたが煮えくり返る思いがした。

今から10年ほど前。有本ケンジさん(仮名、59歳)は、病院のリネンサプライ業務を請け負う会社の契約社員として働いていた。時給は最低賃金レベル、休憩も取れない、残業代は出ないなど、待遇は最悪。勤続5年を機に、地域ユニオンに加入し、会社と団体交渉を行うことにした。

「あなたが――」発言は、第1回目の団交で、会社幹部たちが初対面のケンジさんにかけた言葉である。会社幹部が社員1人ひとりの顔まで覚えるのは難しかろうと、頭ではわかっていたが、「俺はてめえらのために、飯も食わねぇで働いてんのに、てめぇらは俺の顔も知らねえのかと思うと、頭にきちゃってねえ」とケンジさんは言う。

ケンジさんの職場は、東京都内にある大規模病院だった。社員十数人のうち、1人は男性正社員の上司、そのほかは女性のパート労働者。仕事は、シーツやタオル類などを回収し、外部の洗濯工場に搬出したり、院内の設備で洗濯したりすることだった。

ケンジさんによると、当初病院は開院直後で、実際に患者を受け入れていたベッドは全体の半分。その後、稼働ベッド数は増えていったが、職場の人数は変わらなかった。業務量は1.5倍、2倍となっていくのに、人が増えないとあっては、現場は修羅場にもなるだろう。

「勤務時間は午前8時半―午後5時だったけど、時間内に終わるわけがない。6時半に出勤したこともあるし、定時に帰ったことなんて1度もないよ。しかも、タイムカードを正直に押してたら、すぐに本社から『残業が多すぎる』って文句言われてね。(実際に出退勤した時刻に)タイムカードを押すのは、3日に1回くらいに減らしたんだけど、給与明細を見たら、会社はそこからさらに(残業時間を)ちょろまかしてきたんだよ」

毎月の給与は約13万円。まれに残業代が付くと14万円ほどになったが、ケンジさんに言わせると、実際の残業時間はもっと多かった。ケンジさんの告発は続く。

「時間外手当もないし、有休も取れないし、親戚が亡くなった時の忌引き休暇も『取られたら困る』って言われた。昼飯は、(設備をフル稼働させるため)いつも洗濯機や乾燥機の前に座って、機械が空くのを待ち構えながら、握り飯を食ってたよ」

病院の本格稼働に合わせ、医師や看護師の人数は増えた。なのに、なぜ自分の職場の人手は増えないのか。「仕事が増えたら、人も増やす。これ常識じゃないの?」。

私は以前、病院の労働現場を取材したことがある。現在、日本の医療機関は、国の医療費削減政策のもと、経費の削減を余儀なくされている。その結果、ほとんどの病院が、医師や看護師による「医療業務=コア業務」を除く、リネンサプライや医療事務や警備、備品管理、検体検査といった「ノンコア業務」のアウトソーシングを進めた。

委託業者は基本、入札によって決まるが、病院側は委託費を切り詰めたいので、結局、入札価格の低い業者が選ばれる。こうした委託費圧縮のしわ寄せは、ノンコア業務の現場で働く人たちの人件費に及ぶ。ケンジさんの待遇はたしかに最悪だが、私にとっては見慣れすぎた光景だったし、委託費カットで時給が下げられたことがないだけ、まだましといってもよかった。

取材で話を聞いた医師や看護師たちの勤務時間は異様に長いし、過労死や過労自殺の問題も深刻だ。一方で、アウトソーシング先の職場では、大勢の働き手が違法、脱法的な働かされ方をしている。医師や看護師の過重労働と、ノンコア業務を担う働き手のワーキングプアの問題は、どちらも等しく、国が責任を持って解決すべき喫緊の課題である。

■労働組合に入ると「いじめ」が始まった

話をケンジさんのことに戻す。

ケンジさんは勤続5年でユニオンに加入した。このときのことを、「5年頑張ったんだから、俺も物を言ってもいいんじゃないかと思ったんだ。勤続5年の表彰状ももらったし」と言う。それでも、労働組合に入ることには躊躇もあった。「だって、それは会社に向かって石を投げるってことにもなるじゃない」。

〔写真〕ケンジさんが勤続5年のときにもらった表彰状(筆者撮影)

団結権は憲法で保障された権利であり、労働組合に入ることは、会社に石を投げることと同義ではないと、私は思う。ただ、日本人の異様な労働組合に対するアレルギーを見ていると、ケンジさんの懸念も理解できた。

案の定、団体交渉の翌日から、職場の雰囲気は一変したという。同僚らがケンジさんと交わす言葉は、朝のあいさつだけ。一緒に飲みに行くこともあった上司からは腫れ物に触るような態度を取られるようになり、パート女性からのお菓子のおすそ分けもなくなった。

団体交渉では、残業代の支払いや時給のアップを要求。ケンジさんは別の病院に異動することで、時給1000円になった。ただ、そこでの仕事は、洗濯ではなく、リネン類を所定の場所に補充すること。ケンジさんに積極的に仕事の手順を教えてくれる人はおらず、何より、ほかの同僚らはリネン類が足りないときなどは、互いに融通しあっていたのだが、その輪の中に、ケンジさんが入れてもらえることは決してなかった。

要はいじめである。「リネンが足りないと苦情を言われるのは、俺が圧倒的に多くてね。時給は上がったけど、なんかつまんなくなっちゃって」。ケンジさんは結局、会社を辞めた。このとき、100万円以上あった未払い残業代のうち、30万円ほどが支払われたという。

■郵便局の下請け会社で働いていた

ケンジさんは高校卒業後、工業製品を製造する会社に入社。経営者側の事情でその会社が閉鎖した後は、ポスト内の郵便物を回収する、郵便局の下請け会社で働いた。

思えば、郵政の職場には、全逓(全逓信従業員組合、現在のJP労組)という労働組合があり、ケンジさんも組合員だったという。団体交渉などにも参加したが、気が付いたら、ついこの間まで労組の委員長や書記長だった人が、会社の管理職になっていた。先輩に聞けば、局内の管理職のほとんどが労組の幹部出身だというではないか。団交による成果はないも同然。「これじゃ、ダメだなと思ったよ」とケンジさんは言う。

郵政の下請け会社は、忙しいわりに待遇はいまひとつ。別の会社に転職したものの、バブル景気の崩壊を機に、一方的に待遇が切り下げられたので、ここも辞めた。ケンジさんが正社員だったのはここまで。その後、さまざまなアルバイトで生計を立てていたところ、社会保険に加入できると聞き、リネンサプライ業務の請負会社に入ったのだという。

給与は、バブル時代の一時期を除き、正社員時代も、アルバイト時代もいずれも13万円ほど。「貯金もゼロだし、こんな稼ぎじゃ結婚もできなかったよ」とケンジさん。

それにしても、日本社会には、なぜ、そして、いつごろから、“労働組合フォビア”ともいえる空気がはびこるようになったのだろう。

私が取材で知り合ったある介護職員は、労働組合に入って団体交渉を行った途端、職場で村八分に遭った。シーツ交換や入浴介助など、協力し合わなければならない仕事が多い介護の現場で、仲間外れはきつい。団交の結果、時給は上がり、同僚らはその恩恵を受けたが、その職員は退職するまで、つまはじきにされ続けた。

最近の労働争議や労働裁判のニュースを見ても、ネットを中心に、労働組合に入って解雇や雇い止めと闘う働き手をバッシングする声が目立つ。本来、労働関連法に照らして違法か合法かを判断すべき問題なのに、「本人の能力が足りなかったからでは?」「別の会社で働けばいいのに」「権利ばかりを主張したら人間関係が壊れる」など、どうにも筋違いの意見が少なくない。

労働組合には、ホイッスルブロワー(内部告発者)としての役割もあるといわれる。ケンジさんも関わった郵政の職場は今、かんぽ生命保険の不適切販売をめぐって揺れている。私見ではあるが、JP労組が労働組合として適切に機能していれば、もっと早い段階で何らかの自浄作用が働いたはずだ。

最近、ある新聞で、中曽根康弘元首相が、ジャーナリストの牧久さんのインタビューで、国鉄の分割・民営化について「戦後の労働組合の運動に歯止めをかけるのが目的だった」と話していたと、書かれているのを読んだ。労組の弱体化を狙ったわけだが、結果としては、やりすぎだったのではないか。働き手から搾り取りたい会社や、不祥事を隠したい会社にとって、都合のよい企業内労組を増やすことにつながってしまったようにもみえる。

■完全な敗北とも言えないが、勝利とも言えない

ケンジさんは現在、引っ越しや造園業などの日雇いバイトと、時々、知人から紹介されるテキ屋の仕事で食いつないでいるという。テキ屋となると、中には暴力団関係者もいるから、そこは、堅気のケンジさんが店番として重宝されるわけだ。

「店じまいの時間が延びたりすると、『今日は色付けといたから』と言って、ちゃんと余分に金をくれる。今まで俺が働いてきた会社の連中より、よっぽど人情味があるよね」

ケンジさんは今もユニオンに籍を置き続け、時々、相談者に自らの経験などを話している。往時の団体交渉で、熱くなるケンジさんの横でいつも冷静だった書記長や、さりげなく気を配ってくれた委員長が好きなのだ、という。自分の問題が解決すると、すぐに辞めてしまう組合員が多い中で、ケンジさんは、ユニオンにとっても貴重な人材である。

リネンサプライ業を請け負う会社は、その後、着実に業績を伸ばし、最近、一部上場を果たした。一方のケンジさんは会社を去った。労働組合での闘いは、完全な敗北とも言えないが、勝利とも言えない。そんな結果を、どう受け止めているのか。ケンジさんは屈託なく笑い、こう答えた。

「有休とか、時間外手当とか、勉強にもなったしさ。何より、泣き寝入りは性に合わないんだよ」

 

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