厚生労働省の「今後の仕事と家庭の両立支援に関する研究会」(座長佐藤博樹東大教授)は、6月26日、育児・介護休業法の改正を提起して、報告書「子育てしながら働くことが普通にできる社会の実現に向けて」をまとめました。
ネットに出ている報告(素案)を読んで、現状の日本はなるほど「子育てが普通にできない異常な社会」だなと思いました。しかし、なぜそんな普通のことが普通にできないのかは、報告では明らかにされていません。報告は「長時間労働の解消や年次有給休暇の取得促進等の働き方の見直しを進める必要」に字面では言及しています。しかし、長時間労働がなぜいっこうに改善されないのか、有給休暇の所得率がなぜ下がり続けてきたのかは、まったく検討していません。
昨年の『国民生活白書』は、人々が家族と過ごす時間が取れないのは、自明のことながら、仕事が忙しいからだと述べています。その白書に示されている内閣府の調査では、同居家族と過ごす時間が取れない理由について、回答者の4人に3人強(77.5%)が「自分又は相手の仕事が忙しいから」と答えています。また同じ白書に示されている働く父母を対象とした平日の帰宅時間の調査では、父親の7割が午後7時以降に、3割が午後9時以降に帰宅しています。男性の共働き既婚者の約5割(49.2%)は午後9時以降に帰宅しているという調査もあります(労働調査協議会、2004年)。学齢前の子どもはたいてい午後9時台には寝ているので、父親の多くは、平日は夜子どもと接する時間がなく、育児にはノータッチだと考えられます。
ところが、報告は、こうした労働環境には、まったく踏み込んではいません。それでいながら、報告は、昨年12月に「ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議」で決定された「仕事と生活の調和推進のための行動指針」にしたがって、現在わずか0.5%にとどまっている男性の育児休業取得率を、10年後に10%に引き上げるという数値目標を示しています。しかし、労働者が家族と過ごす時間をほとんどもてず、父親が子育てにほとんど関われない現実には目をつぶっています。これでは労働者の子育ての時間的支援に関するいかなる施策もお題目に終わるでしょう。
現行の育児・介護休業法では、3歳未満の子どもをもつ労働者のために、企業に、?短時間勤務、?フレックスタイム、?始業終業時刻の繰り上げ又は繰り下げ、?所定外労働の免除、?事業所内託児施設の設置等の措置を義務づけていますが、6割近くの企業はいずれの措置も設けていません。報告はこれを「どの企業においても労働者が選択できるように(整備)することが必要である」としていますが、たとえ制度が整っても、労働者の申請による選択では、労働者は、よほどの事情がない限り、配置や査定や昇進における不利益な取扱いを恐れて申請しようとはしないと思われます。
報告は、妻が専業主婦の夫の育休取得や、生後8週間の「父親の産休」取得を提唱しています。この場合も、報告書が特効薬のように持ち出しているのは「柔軟な働き方」あるいは「柔軟な働き方を選べる雇用環境の整備」です。しかし、男性正社員の大多数が仕事人間のような働き方を強いられているもとで、子どもをもつ労働者だけがどうして「柔軟な働き方」を選べるのでしょうか。
「柔軟な働き方」で思い浮かぶのは、政府・財界が持ち出して昨年1月に見送りになった「ホワイトカラー・エグゼンプション」です。「残業ただ働き法案」と労働者の猛反発を買ったこの法案のキーワードは「自律的な働き方」でした。それを化粧直ししたのが今回の報告にいう「柔軟な働き方」です。
近年、経済界は政府の後押しを受けて、「雇用形態の多様化」の名の下に、正社員・正職員を減らし、パート・アルバイト、派遣、請負、契約社員、嘱託などの非正規労働者を増やしてきました。この流れからみれば、「働き方の柔軟化」とは、正社員として働きにくい人は、自分のライフスタイルに合わせて多様な非正規労働者のいずれかを選んで働いてくださってけっこうです、ということを意味しています。
それから推し量れば、今回の報告は、正社員・正職員について、子育てや介護で事情のある人は、短時間勤務や残業免除を選択していただいてもけっこうですが、そうでない人はこれまで通り働いてください、という「働き方メニュー」を提示したものと言うことができます。こうしたメニューでは、日本はこれからも「子育てしながら働くことが普通にできる社会」にはならないでしょう。